すずか川柳会でお世話になっております、
会長たかこさんの「たかこの世界」10号に、
初めてエッセイで参加させていただきました。
「はるかな尾瀬」
夏が来れば思い出す…はるかな尾瀬 遠い空…
で始まる「夏の思い出」は有名な歌だが、尾瀬がどこにあるか、
正確には知らない人も多いのではないだろうか。
尾瀬は、福島・新潟・群馬の3県にまたがる高地にある
盆地状の高原であり、日本百景に選定されている。
忘れえぬ風景というものが、人それぞれにあると思う。
私にとってそれは、初めて訪れた夏の尾瀬。
360°見渡す限り、湿原いっぱいに群生したニッコウキスゲ。
突然ひらけたこの景色に、私は言葉を失くした。
これは、本当にこの世のもの…?
ここに至るまでの尋常ではなかった疲れが、一瞬で消えた。
入山後すぐから苦しく、長い道のりだった。
2泊分の荷を背負ってひたすら歩く、高低差のある慣れぬ山道。
ガレ場やぬかるみ。最後まで歩けるのだろうか。
こんな調子では、これが最初で最後の尾瀬になってしまうだろう…
そう思っていた私を一瞬で魅了した湿原の風景。
澄み切った空気の中、ただ静かに自然だけがある。
その神々しく、揺るぎのないうつくしさ。
世界でたったひとり、自分がそこに立っているような気がした。
その時の私は、体力は万全だったつもりだが、良性では
ない病を抱えており、手術を前にしていた。
深刻にではなくても、死を意識しなかったとは言えない。
初めて見たニッコウキスゲの群生は、より美しくまぶしく
目に映ったのかも知れない。けれどもそれは、私にとって、
必ず治って、生きて、またここに来よう。
もういちど、この景色の前に立たせてもらおう。
と、つよく思わせてくれるのにじゅうぶんなものだった。
そして私は、それ以降17年間に12回ほども、尾瀬を
訪ね歩くことになる。
ところで、関西からの尾瀬行きは遠い道のりで、まさに
「はるかな尾瀬」だということを実感させられる。
夜行バスで大阪を出発し、早朝東京に到着。
さらにバスや鉄道で移動して、昼前にやっと着くのが尾瀬の入り口だ。
入山口は、福島側・群馬側から5か所あり、
その時のコースにもよるが、私はたいてい群馬の大清水から入山する。
大学時代、尾瀬のサブレンジャーを経験し、
以来ほとんど毎年尾瀬を訪れるという、頼もしい存在の友人がおり、
私の尾瀬の旅は、いつもその友人とともにある。
入山後は、沼と原の山小屋で1泊ずつが定番だ。
東京からなら日帰りもできる尾瀬だが、
関西からはるばるとなれば、車中泊含め3泊は欲しい。
1年に1度行けるかどうかの旅、沼も原も、思いきり堪能したいというもの。
春、夏、秋…どの季節も味わい深いが、最も花の種類が多く、
好んで訪ねるのは夏だろうか。
ニッコウキスゲ真っ盛りの7月、訊ねられることがある。
「あの…ミズバショウはどこで見られますか」
ああ、この人も「夏」に水芭蕉を見に来たのだなあ。
実は、水芭蕉は雪解けとともに顔を出す、尾瀬では早春の花。
花と認識されている、あの白い「苞」という部分は
7~8月にはとうに枯れてなくなり、その後もどんどん成長して
赤ちゃんを包めるほどに大きくなった葉っぱだけが、
沼や湿原のそこかしこに自生して(はびこって?)いる。
訊ねられた登山者に、私は伝える。
「今の季節はもう、白い水芭蕉は見られません。
5~6月頃にいらっしゃるといいですよ。でも今頃にしか
見られない花も多いですから、どうぞ楽しんでくださいね」
けれどもこの水芭蕉、歳時記では夏の季語。
そして、二十四節気では、5月に入ればすぐ立夏。それにあの歌だ。
むりもない。
作詞者江間章子さんは、
「尾瀬で水芭蕉が最も見事な5~6月を私は夏と呼ぶ」
と語られたとか。
そんなこんなが、実際に白い水芭蕉を見られる時期の勘違い、
思い込みを生んでいるのだろう。
見たいと思っていた花に出逢えなくても、その年その季節、
その日のその時間でしか見ることのできない風景、花、
生きものや人との、一期一会の出逢いがある。
晴れもよいが、曇りもよい。そして、雨もまたよし。
よく出遭うが、雷はちょっと…できれば遠慮したい。熊も。
いつか、ぜひ逢ってみたいのはオコジョという、イタチ科の小動物だ。
尾瀬への旅の機会に、この先恵まれるだろうか。
ご縁とタイミング、そして、自分の荷を背負い歩き通せるだけの
体力があるか、それら次第だろう。
けれど、これまで訪れた尾瀬を、私はいつでも思い描ける。
もし、もう二度と尾瀬を訪ねることがなくても、初めての夏に出逢った、
あのニッコウキスゲのみごとな風景を、生涯忘れることはない。
いつの日も遥かな尾瀬が胸にある さくら