今回の大地震で、被災された方々の心の状態。
今、生きることに必死になって、
神経がピンと張りつめた状態。
でも、心が傷だらけになっている。
血がドクドクと噴き出ている人や、
少しずつ滲み出て、衰弱してきてる人がいる。
気丈にもインタビューに応えてはいるが、
心の傷が見えるようだ…。
それでもお構いなしに「あの時はどうでしたか?」と
傷をえぐるようなことを平気で聞くレポーターがいる。
…いい加減にしたら??
人間は、目に見える惨状にはすぐ反応するけど
見えない惨状は、見ようと努力しないといつまでも見えない。
体の傷はすぐ手当をされる。
瓦礫の山も撤去される。
でも、心のケアはされないまま…
多分、本人でさえ、ストレスをためていることに気付いていない。
気仙沼にいる息子が電話で伝えてくる
「隣の店のおじさん、先が全く見えないって言ってノイローゼになってる。」
「この前、刃物を振り回してる人がいたんだって…。最近ここは物騒なのさ…。」と。
気仙沼では信金で4,000万円が盗まれているし、
火事場泥棒が横行していて、たしかに物騒になってきている。
先の見えない不安に押しつぶされそうになり、
妄想を駆り立てるのだろう…。
せっかく生きのびたのに、この先のことは全く見当がつかない…。
自暴自棄になる人間が出てくるのは、当たり前のことだ。
でも、テレビでは美しいことしか伝えない。
物事には光と影があるはずなのに。
陰の部分は、陰のままにして光を当てたがらない。
美しいことだけに光を当て、
テレビを見ている人に安心を与える。
それがテレビの役割?
…だとしたら、
テレビで流されることは、真実の半分だけということだ。
本当にある醜いことは、全部オブラートに包んでしまう。
福島原子力発電所の事故も、オブラートに包んでいるとしか思えない。
あまりにものんびりしすぎている。
だから却って危機感を煽られる。
本当のところは、どうなの??
昨日は、朝早くから円山総合運動場へ出かけた。
そう…
札幌市で受付けている、支援物資を届けに。
役目を果たした満足感。
…といっても、自己満足ではあるけれど。
そして、気付くと
アチコチから携帯電話にメールが入っていた。
それぞれに返事をかいていると、
その隙に、また掛かってくる。
嬉しい悲鳴。
皆さん、色々とお気づかいをありがとうございました。
「祝半世紀」のお祝いをいただき、嬉しい限りでアリマス♪
これからも、末長くヨロシクお願い致します。