早いもので、時すでに9月。
ここのところの懸案事項だった資格試験が ひとまずひと段落したので、
おもむろに再開します。
*
山形の霊場:出羽三山の三社詣での旅@盆休み、1日目。
幽かな雨まじりの、ひんやりとした空気の、山の朝。
6時半に、朝食を頂きました。
朝も素晴らしい精進料理フルコース。
山菜もお米も、なにもかも優しく、美味しい。
特に、
もっちり・ねっちょりのゴマ豆腐に、うっとり・にんまり。
お盆ゆえ、お供えがいっぱいの、立派な祭壇の傍らで、頂きました。
食後、すぐにチェックアウトして、
いざ、すぐ隣にある、羽黒山の入口:「随神門」へ。
早速、立派な石が。
この門をくぐると、
延々、石の階段が続きます。
まずは下り。
いざ、第一の山へ。
*
この階段を延々行くと、その先には
国宝「五重塔」と、「出羽神社」、そしてその境内には「三山合祭殿」があるのですが、
長〜〜〜〜い階段が、しばらく続きます。
2,446段あるそうです。
が、そんな数字、非日常的過ぎて、もはや数字で言われてもピンと来ない。
徒歩で4、50分かかるらしい。
*
さて、ところで。
お盆休みに馳せ参じて参りました、この「出羽三山(でわさんざん)」とは:
山形県の中央にある、月山(がっさん)・羽黒山(はぐろさん)・湯殿山(ゆどのさん)の総称で、
古くから修験道(しゅげんどう)の霊場として、重きを置かれていた場所です。
開山は1,400年以上前とのこと。
古代からの山岳信仰と、
自然への畏怖・感謝から発生する、自然神=八百万のカミ信仰(アニミズム)へつながる古神道を素地に、
仏教(特に密教。その他、浄土信仰や、法華経、道教、陰陽道なども)が習合(=混ざり合い)した、神仏一体の「権現(ごんげん)」を祭る信仰の場となり、
山伏が霊験(神秘的・霊的な呪術力)を高めるべく苦行を積む「修験道」の聖地の一つになりました。
主峰の月山(標高1,984m)を頂点として、
峰続きで一つの山(一山三嶺)とみなされており、
参詣も、三山を通して一つ。
羽黒山 = 聖観世音菩薩(仏)・伊氐波神(産土神)・稲倉魂命(穀物神)
月 山 = 阿弥陀如来(仏)・月読神(農耕神)
湯殿山 = 大日如来(仏)・大山祇神(山の神)・大己貴命(建国神)・少彦名命(医薬神)
というふうに、性質の異なる神様・仏様が、三様に祀られています。
そして、
1:羽黒山 = 現世
2:月 山 = 過去(あの世)
3:湯殿山 = 未来(来世)
三社をこの順に巡ることで(過去→現在→未来の順ではない)、生まれ変わり・よみがえりを果たせる、とのこと。
西の伊勢と並んで、一生のうちに参拝すべき地として、平安時代から数多の人に詣でられて来ました。
*
延々続く石段、
ひとつずつの段差(蹴上げ)が10cmくらい(とても低い)+踏み面がちょっと狭いので、非常に歩き難い。
一歩一歩、足の運びがいつもより細かめになります。
石段をしばらく下ると、
川と
橋に行き着きます。(祓川神橋)
山伏が、まずここで身を清める(名の通り、身を祓う川)という場所だそうです。
橋の向こうには、滝。(須賀の滝)
川、そして、それを渡る橋は、あの世とこの世の境+それをつなぐものとして、宗教的には非常に意味の重いものなので、
渡る時は、神妙になります。
橋のたもとにある灯籠の、ふっくらコケに萌えつつ。
*
橋からまた、石段の坂道に戻って、
大きな杉の木立を進むと、
巨大な杉に出会します。
その名を、爺杉(じじすぎ)と云う。
天然記念物。樹齢1,000年だとか。
爺だけ?婆は?
と思ったら、
やはり、かつては傍に「婆杉」(ばばすぎ)も、ちゃんとあったそうですが、
明治35年(1902)に、暴風で倒れてなくなってしまったそうな。
で、
爺杉のすぐ向こうに、
五重塔がちら見え。
巨大な杉木立の中に、ひっそりと。
随神門を潜ってから、程なくして辿り着きます。
国宝、五重塔。
杮葺素木造(こけらぶきしらきづくり)。
東北地方では最古の塔で、
なんと、平将門が創建したと云われています。
(ただ、今現存しているこれは、約600年前=南北朝時代に再建されたもの。)
小雨ちらつく早朝の、静かな森の中。
森厳。
濡れたクサギ。
*
そして、
この五重塔のあたりから、いよいよ登り坂が始まります。
一ノ坂、
二ノ坂、
途中、
脇道があって、
しばらく行った山肌にこっそり、小さな社があったり、
また戻って、
ほんとにデカい杉の並木と、
まだまだ続く石段、
また脇道があって、
かつて松尾芭蕉が停泊した「南谷」という、
かつては寺があったけど、廃れて。今は、庭の名残だけが見られるというゾーンへ行けるのですが、、、
片道15分くらいかかりそう。つまりは、往復30分。さてどうしよう、行くべきか行くまいか、、、しばし逡巡して、
結局、
行ってみることに。
しばらくはほんとに荒れてるばかりだったそうですが、
割と近年、ボランティアによって、綺麗に整備されているとか。
しばらく森の道を進むと、着きました。
池をめぐる庭があった模様。
と、廻っていたら、雨脚が急に強くなり、
ザンザン降ってきた。
念のため携帯していたポンチョ型のレインコート(一回使ったけど、ろくでもない代物=結局手も足もすごい濡れる)を
慌ててかぶると、
首筋に「バチッ!」というエレクトリカルな痛みが走って、
「なんだなんだ?」と思いながらも、雨も凄いからすぐ脱げないので、「気のせいかも」と思い直して、
、って開き直ろうと思った矢先にまた「チクッ!」と、首の後ろあたりに鈍い痛みがあり、
「あ、これは!」と手で探ると、何やら虫的な物体が、Tシャツの首筋あたりに潜り込みかけていて、
慌てて引っ掻き出す。
なんか、かゆい。痛がゆい。
蚋(ブヨ)、と確信。
ポンチョをぶわっと開いてかぶった瞬間に、どうやら紛れ込んだ模様。
スズメバチじゃなくてとりあえず良かったけど、
いきなりの大雨降らしといい、虫の仕打ちといい、あ、これは。
『脇道に逸れるな。本道をまっすぐ、ひた進みなさい』っていうメッセージかしら。なんて思いました。
ということで、そそくさと本道に戻りまして、
雨も弱まったので(ほらやっぱり!)
再び、こつこつ、石段の坂道を登る。
ひたすら石段の坂道が続く。
途中、
縁結びの神様だとか、摂社がちらほらあったりするけど、
脇目も振らず、
花は撮りつつ、
しかし延々、いつまで続く、まだ続くのか、永遠、まだ続くのか、奄々、悶々と想いながら、
坂を上り始めてから1時間弱、
パッと、ゴールあらわる。
まず出迎えてくれるのは厳島神社。
緻密な龍。
その他、東照宮とか、
沢山の摂社、
開山の祖・蜂子皇子の墓、中興の祖を祀るお社、
などなど、
いろんな神様、仏様の社が集まっている、羽黒山頂。
鏡池。平安時代の昔から、この池に鏡を投げて願掛けをした風習があったらしく、
歴代の鏡がたくさん発見されている池。(その鏡は、山頂の博物館で見られます。)
でかい鐘楼。五重塔に次いで古い、重要文化財。
大きな梵鐘は、建治元年(1275)の銘があるそうです。
そして、メインの
三社合祭殿。
冬には雪深くなって登拝できなくなる他の二社も参拝できるようにと、ここに三神を合わせて祀るようになったようです。
*
いつもは素通りする歴史博物館(人気ない)も、入ってみました。
鏡池から発掘された銅鏡は、季節の草花や鳥や蝶が緻密に細工された美しい工芸品で、
それだけでも、ああ、入って良かった、と思えるものでしたが、
それよりなにより、
たくさんの神仏が、ずらり、一堂に会しているのです。
かつてこの羽黒山ふくむ出羽三山には、山麓も含めて、たくさんの寺社がありました。
その寺社は、明治時代初めの「神仏分離令」による廃仏毀釈によって、滅茶苦茶にされました。
そこに祀られていた貴重な神仏像の多くも、散逸してしまいました。
一度失われたそれら仏像のうち、一人の有志によって蒐集された250体が、曾孫の代に、ここに再び奉納されたそうです。
羽黒山、月山、湯殿山。その三山をそれぞれ象徴する、
観世音菩薩、阿弥陀如来、大日如来。そして、その他、いろんな神様仏様。
たくさんの仏像がずらりと集められているのは、壮観ですが、
人気の無い、博物館のガラスケースの中で、、、お寺で正しく祀られている状態ではないので、寂しい気もします。
結局、開館と同時に入った自分以外は誰も入って来ず、
おかげでじっくり勉強しながら、がっつり巡回できたのですが、、、
明治になってすぐに行われた神仏分離令による廃仏毀釈。本当に、改めて、腹立たしい。
先立って近代化していた西洋に比肩すべく、富国強兵というスローガンを掲げて色んな大改造をやりましたが、
西洋=キリスト教的国家に比類する、絶対的・単一的な宗教基盤のある国家の体裁をつくるべく、「国家神道」なるものをつくり、仏教要素を排しました。
それによって、日本古来の、豊かに・複雑に混ざり合っていた信仰のかたちが、
否定され、破壊され、
滅茶苦茶にされました。
創造のための破壊。などというと格好良いかもしれませんが。
これって、いわゆる原理主義です。
最近、異教だからっていって、貴重な古代の遺産を破壊しているISISと、やってることは同じでしょう?
そう考えると・・・恐ろし過ぎます。明治。
人間が意図的に無理矢理つくったものは、やはり無理があるもの。
仏様は死にませんでした。
この出羽三山の、修験道も。
一度は破壊されながらも、脈々と受け継がれ、今も(古来のままとはいかずとも)古き豊かな信仰のかたちがこうして生き残ってくれていることは、ほんとに有り難いことです。
だって、一度失われたら、二度と取り戻せないことばかりだから。
こつこつと受け継いでくれた先人に、感謝。
と、
重くなっちゃったけど。
下山は、
昔の、旧い参詣道を、下りることにしました。
旧・月山参詣路。
そこは、杉と
ブナが、共存する森。
途中、
山伏が籠もる社(吹越神社/峰中堂)が中腹にあったりしますが、
平素はよほど人の往来がないのか、
閑散として、遺跡みたいな。
人気の無い、きわめて静かで穏やかな山道。
明るくて美しい、森の小径です。
石段より全然歩き易い、土のふわふわした、優しい道。
虫も。
コケも。
キノコも。
草花も。
独り歩いていて、
なんだかとても楽しくてたまらず、テンションが上がってしまいました。
終着点。
むしろ、かつてはここから登って行った、出発点。
車道にぶつかると、
向かいにお寺があります。
荒澤寺。
すぐ傍に川が流れていて、
ここで禊ぎをしてから、登拝をスタートさせていた模様。
女人禁制の碑。
お堂。
ここも人気が無くて、
静かでした。
いつしか、
雨はすっかり、上がっていました。
そういえば、雨って、‘浄化’でもあるんだよなあ、と、
ふと、想う。
*
>>続く。>>
ここのところの懸案事項だった資格試験が ひとまずひと段落したので、
おもむろに再開します。
*
山形の霊場:出羽三山の三社詣での旅@盆休み、1日目。
幽かな雨まじりの、ひんやりとした空気の、山の朝。
6時半に、朝食を頂きました。
朝も素晴らしい精進料理フルコース。
山菜もお米も、なにもかも優しく、美味しい。
特に、
もっちり・ねっちょりのゴマ豆腐に、うっとり・にんまり。
お盆ゆえ、お供えがいっぱいの、立派な祭壇の傍らで、頂きました。
食後、すぐにチェックアウトして、
いざ、すぐ隣にある、羽黒山の入口:「随神門」へ。
早速、立派な石が。
この門をくぐると、
延々、石の階段が続きます。
まずは下り。
いざ、第一の山へ。
*
この階段を延々行くと、その先には
国宝「五重塔」と、「出羽神社」、そしてその境内には「三山合祭殿」があるのですが、
長〜〜〜〜い階段が、しばらく続きます。
2,446段あるそうです。
が、そんな数字、非日常的過ぎて、もはや数字で言われてもピンと来ない。
徒歩で4、50分かかるらしい。
*
さて、ところで。
お盆休みに馳せ参じて参りました、この「出羽三山(でわさんざん)」とは:
山形県の中央にある、月山(がっさん)・羽黒山(はぐろさん)・湯殿山(ゆどのさん)の総称で、
古くから修験道(しゅげんどう)の霊場として、重きを置かれていた場所です。
開山は1,400年以上前とのこと。
古代からの山岳信仰と、
自然への畏怖・感謝から発生する、自然神=八百万のカミ信仰(アニミズム)へつながる古神道を素地に、
仏教(特に密教。その他、浄土信仰や、法華経、道教、陰陽道なども)が習合(=混ざり合い)した、神仏一体の「権現(ごんげん)」を祭る信仰の場となり、
山伏が霊験(神秘的・霊的な呪術力)を高めるべく苦行を積む「修験道」の聖地の一つになりました。
主峰の月山(標高1,984m)を頂点として、
峰続きで一つの山(一山三嶺)とみなされており、
参詣も、三山を通して一つ。
羽黒山 = 聖観世音菩薩(仏)・伊氐波神(産土神)・稲倉魂命(穀物神)
月 山 = 阿弥陀如来(仏)・月読神(農耕神)
湯殿山 = 大日如来(仏)・大山祇神(山の神)・大己貴命(建国神)・少彦名命(医薬神)
というふうに、性質の異なる神様・仏様が、三様に祀られています。
そして、
1:羽黒山 = 現世
2:月 山 = 過去(あの世)
3:湯殿山 = 未来(来世)
三社をこの順に巡ることで(過去→現在→未来の順ではない)、生まれ変わり・よみがえりを果たせる、とのこと。
西の伊勢と並んで、一生のうちに参拝すべき地として、平安時代から数多の人に詣でられて来ました。
*
延々続く石段、
ひとつずつの段差(蹴上げ)が10cmくらい(とても低い)+踏み面がちょっと狭いので、非常に歩き難い。
一歩一歩、足の運びがいつもより細かめになります。
石段をしばらく下ると、
川と
橋に行き着きます。(祓川神橋)
山伏が、まずここで身を清める(名の通り、身を祓う川)という場所だそうです。
橋の向こうには、滝。(須賀の滝)
川、そして、それを渡る橋は、あの世とこの世の境+それをつなぐものとして、宗教的には非常に意味の重いものなので、
渡る時は、神妙になります。
橋のたもとにある灯籠の、ふっくらコケに萌えつつ。
*
橋からまた、石段の坂道に戻って、
大きな杉の木立を進むと、
巨大な杉に出会します。
その名を、爺杉(じじすぎ)と云う。
天然記念物。樹齢1,000年だとか。
爺だけ?婆は?
と思ったら、
やはり、かつては傍に「婆杉」(ばばすぎ)も、ちゃんとあったそうですが、
明治35年(1902)に、暴風で倒れてなくなってしまったそうな。
で、
爺杉のすぐ向こうに、
五重塔がちら見え。
巨大な杉木立の中に、ひっそりと。
随神門を潜ってから、程なくして辿り着きます。
国宝、五重塔。
杮葺素木造(こけらぶきしらきづくり)。
東北地方では最古の塔で、
なんと、平将門が創建したと云われています。
(ただ、今現存しているこれは、約600年前=南北朝時代に再建されたもの。)
小雨ちらつく早朝の、静かな森の中。
森厳。
濡れたクサギ。
*
そして、
この五重塔のあたりから、いよいよ登り坂が始まります。
一ノ坂、
二ノ坂、
途中、
脇道があって、
しばらく行った山肌にこっそり、小さな社があったり、
また戻って、
ほんとにデカい杉の並木と、
まだまだ続く石段、
また脇道があって、
かつて松尾芭蕉が停泊した「南谷」という、
かつては寺があったけど、廃れて。今は、庭の名残だけが見られるというゾーンへ行けるのですが、、、
片道15分くらいかかりそう。つまりは、往復30分。さてどうしよう、行くべきか行くまいか、、、しばし逡巡して、
結局、
行ってみることに。
しばらくはほんとに荒れてるばかりだったそうですが、
割と近年、ボランティアによって、綺麗に整備されているとか。
しばらく森の道を進むと、着きました。
池をめぐる庭があった模様。
と、廻っていたら、雨脚が急に強くなり、
ザンザン降ってきた。
念のため携帯していたポンチョ型のレインコート(一回使ったけど、ろくでもない代物=結局手も足もすごい濡れる)を
慌ててかぶると、
首筋に「バチッ!」というエレクトリカルな痛みが走って、
「なんだなんだ?」と思いながらも、雨も凄いからすぐ脱げないので、「気のせいかも」と思い直して、
、って開き直ろうと思った矢先にまた「チクッ!」と、首の後ろあたりに鈍い痛みがあり、
「あ、これは!」と手で探ると、何やら虫的な物体が、Tシャツの首筋あたりに潜り込みかけていて、
慌てて引っ掻き出す。
なんか、かゆい。痛がゆい。
蚋(ブヨ)、と確信。
ポンチョをぶわっと開いてかぶった瞬間に、どうやら紛れ込んだ模様。
スズメバチじゃなくてとりあえず良かったけど、
いきなりの大雨降らしといい、虫の仕打ちといい、あ、これは。
『脇道に逸れるな。本道をまっすぐ、ひた進みなさい』っていうメッセージかしら。なんて思いました。
ということで、そそくさと本道に戻りまして、
雨も弱まったので(ほらやっぱり!)
再び、こつこつ、石段の坂道を登る。
ひたすら石段の坂道が続く。
途中、
縁結びの神様だとか、摂社がちらほらあったりするけど、
脇目も振らず、
花は撮りつつ、
しかし延々、いつまで続く、まだ続くのか、永遠、まだ続くのか、奄々、悶々と想いながら、
坂を上り始めてから1時間弱、
パッと、ゴールあらわる。
まず出迎えてくれるのは厳島神社。
緻密な龍。
その他、東照宮とか、
沢山の摂社、
開山の祖・蜂子皇子の墓、中興の祖を祀るお社、
などなど、
いろんな神様、仏様の社が集まっている、羽黒山頂。
鏡池。平安時代の昔から、この池に鏡を投げて願掛けをした風習があったらしく、
歴代の鏡がたくさん発見されている池。(その鏡は、山頂の博物館で見られます。)
でかい鐘楼。五重塔に次いで古い、重要文化財。
大きな梵鐘は、建治元年(1275)の銘があるそうです。
そして、メインの
三社合祭殿。
冬には雪深くなって登拝できなくなる他の二社も参拝できるようにと、ここに三神を合わせて祀るようになったようです。
*
いつもは素通りする歴史博物館(人気ない)も、入ってみました。
鏡池から発掘された銅鏡は、季節の草花や鳥や蝶が緻密に細工された美しい工芸品で、
それだけでも、ああ、入って良かった、と思えるものでしたが、
それよりなにより、
たくさんの神仏が、ずらり、一堂に会しているのです。
かつてこの羽黒山ふくむ出羽三山には、山麓も含めて、たくさんの寺社がありました。
その寺社は、明治時代初めの「神仏分離令」による廃仏毀釈によって、滅茶苦茶にされました。
そこに祀られていた貴重な神仏像の多くも、散逸してしまいました。
一度失われたそれら仏像のうち、一人の有志によって蒐集された250体が、曾孫の代に、ここに再び奉納されたそうです。
羽黒山、月山、湯殿山。その三山をそれぞれ象徴する、
観世音菩薩、阿弥陀如来、大日如来。そして、その他、いろんな神様仏様。
たくさんの仏像がずらりと集められているのは、壮観ですが、
人気の無い、博物館のガラスケースの中で、、、お寺で正しく祀られている状態ではないので、寂しい気もします。
結局、開館と同時に入った自分以外は誰も入って来ず、
おかげでじっくり勉強しながら、がっつり巡回できたのですが、、、
明治になってすぐに行われた神仏分離令による廃仏毀釈。本当に、改めて、腹立たしい。
先立って近代化していた西洋に比肩すべく、富国強兵というスローガンを掲げて色んな大改造をやりましたが、
西洋=キリスト教的国家に比類する、絶対的・単一的な宗教基盤のある国家の体裁をつくるべく、「国家神道」なるものをつくり、仏教要素を排しました。
それによって、日本古来の、豊かに・複雑に混ざり合っていた信仰のかたちが、
否定され、破壊され、
滅茶苦茶にされました。
創造のための破壊。などというと格好良いかもしれませんが。
これって、いわゆる原理主義です。
最近、異教だからっていって、貴重な古代の遺産を破壊しているISISと、やってることは同じでしょう?
そう考えると・・・恐ろし過ぎます。明治。
人間が意図的に無理矢理つくったものは、やはり無理があるもの。
仏様は死にませんでした。
この出羽三山の、修験道も。
一度は破壊されながらも、脈々と受け継がれ、今も(古来のままとはいかずとも)古き豊かな信仰のかたちがこうして生き残ってくれていることは、ほんとに有り難いことです。
だって、一度失われたら、二度と取り戻せないことばかりだから。
こつこつと受け継いでくれた先人に、感謝。
と、
重くなっちゃったけど。
下山は、
昔の、旧い参詣道を、下りることにしました。
旧・月山参詣路。
そこは、杉と
ブナが、共存する森。
途中、
山伏が籠もる社(吹越神社/峰中堂)が中腹にあったりしますが、
平素はよほど人の往来がないのか、
閑散として、遺跡みたいな。
人気の無い、きわめて静かで穏やかな山道。
明るくて美しい、森の小径です。
石段より全然歩き易い、土のふわふわした、優しい道。
虫も。
コケも。
キノコも。
草花も。
独り歩いていて、
なんだかとても楽しくてたまらず、テンションが上がってしまいました。
終着点。
むしろ、かつてはここから登って行った、出発点。
車道にぶつかると、
向かいにお寺があります。
荒澤寺。
すぐ傍に川が流れていて、
ここで禊ぎをしてから、登拝をスタートさせていた模様。
女人禁制の碑。
お堂。
ここも人気が無くて、
静かでした。
いつしか、
雨はすっかり、上がっていました。
そういえば、雨って、‘浄化’でもあるんだよなあ、と、
ふと、想う。
*
>>続く。>>