歌庭 -utaniwa-

“ハナウタのように:ささやかで、もっと身近な・気楽な庭を。” ~『野口造園』の、徒然日記。

帰って来た

2010年02月06日 | 徒然 -tzure-zure-
   

ある時
羽を何かにひっかけて 傷つけてしまったので、
産みの親のもとに “里帰り”させていた

チョウチョが

春を目前に
再びわが家に 帰還して参りました。

 

見上げれば チョウチョが居る。


ああ、やっぱり嬉しい。


* * * *

もうひとつの、「帰って来た」は、
昨夜のこと。

けっこう寒い久留米より
2年ぶりに東京に “帰って来た”友人:アヤコンタと
懐かしいようで 案外久しぶりでもないような感じで
久しぶりに、再会しました。

馴染みの ”森”的な友人たちも集まってくれました。




某温泉旅館で、毎日毎日パンを焼いていた、パン職人:アヤコンタ。
何かの折に送ってもらって、凄い勢いで頂かせてもらったのだけど、

ほんと、美味しかった!



また食べたい。


アヤコンタは
相変わらず キラキラしてました。

キラキラというか、正確に言うと、
スパーク!明るい生命力が、スパークしてました。


久留米に居た時は、テレビはもちろん、パソコンも無かったんだって。
その代わり、
すごく動き回って、たくさん面白い人に会ったり(ほとんど休み無しの中!)
地元のラヂオを楽しんでたって。

「なにそれ!戦後~?*」なんて、笑ってしまったけど


考えてみれば

それで充分、楽しく生きて行けるわけだ。現代でも。

いや、
パソコンは、無いと、もう無理だな。





「会いたいな、とか、会えるはず!って想っていると、
 けっこうほんとに、叶ったりするんだよ!」

って、
実体験を元に、キラキラと、楽しげに嬉しげに語る彼女。

曰く、
「強くイメージを想い描いて、念じたものをピョッ、ピョッ、て、発信していると、
 ほんとに叶う。
 だから、
 なるべく良いイメージ、良いイメージを念(おも)って、放つようにしてる。」
と。


例えば パンに込める愛情とか思い入れとか 気持ちとかも
伝わる人にはものすごくちゃんと伝わる、と、わかるんだって。


「自分が作るパンは一個一個やっぱり、愛着が湧くし、
 作る時には、大事に大事に、思いを込める」
という彼女。

それはふつうに、料理にしろ、作品にしろ、うんうんそういうものだよねって、
とてもよく理解できます。

「思いが十分に入ってないもの、気が抜けた仕事は、
やっぱり、見た瞬間に、分かってしまうものだ」って。
この前一緒にプチ旅行させてもらった造園家さんも、そんなことを仰っていた。


だけど一方で、
自分が作るものに対して 愛情を込めるとか愛着が湧くっていう価値観が
そもそも「無い」
という人が、残念ながら居る。それもまた、事実だと。
それこそが「価値観の違い」で、
それが違う人間同士が共に働くとなったとき、一番難しい障害になるのだと。


本気で楽しみながら本気で頑張って来たアヤコンタが キラキラと語る話は
「ああ、なるほど」と、
素直に すんなり入って来るのでした。


その中でも:

「会いたい!とか、こうしたい!とか、
 念(おも)っていれば、けっこう、ほんとに叶う」

っていうことば。

『念ずれば花ひらく』というのに、似てるかな。

そういえば この前、ケータイを未だに持たない友人も
そんなことを言ってた。

「会いたい~~と想ってたら、会えるもんだよ。」と。本当に、心から強く願えば、
偶然か 必然なのか
ひょんな時に パッと会えたり、とか。
突然電話がかかってきたりとか。
想いは、けっこう、叶うんだと。

だから、逆に、
「怨念」だとか、「呪い」だとか、
全然よろしくない類の“念い”も、けっこう、
叶ってしまうわけで。

気をつけなきゃいけないと。


今回みたいに:
全然別の人から とてもよく似た話が出たときや、
全然別の場面で まるで同じモノと 短い期間に立て続けに出くわした時は
それは
(今の)自分にとって、なにやら大事な、「運命的なサイン」だと思っているので

今回の話も
「あ、これは、」
と、思ったのでした。


想い とか。念い とか。
まったく目に見えないので 不確かなようだけれど、
おそらく、
すごく大事なところ。


とても感覚的な話。


だけど

ここは素直に、信じてみようと思います。

叶いますように。
会いたい!という想いや キラキラしたイメージを、飛ばしてみよう。


届きますように。


とりあえず
「アヤコンタのパンが食べたい。」と、願ってみる。


 念 念 念 。。。。。





どこを向いて願えば、いいのかしらん。

やっぱり “恵方”?

その人が居そうな方向?

空?



どこでもいいのかな?


あ、もしかして

「宇宙」か。


* * * *


帰って来たチョウチョ。


やっぱり、わかりました。

“産みの親”の 「想い」が また新たに吹き込まれたんだな。
っていうことは。


包みの優しさからも
ちいさく添えられた 小さな手紙からも
どこかしこからも、滲み出ていた。


やっぱり
なぜか もう、その瞬間に、
ちゃんと、伝わって来るものなのでした。




早速、
くるくる 踊り始めました。





最新の画像もっと見る

post a comment