サンタの写真日記

田舎の広告写真屋、サンタの写真日記。

能登半島地震 その2

2007年04月07日 13時52分09秒 | その他
悲惨な被災地の中にも心温まる光景があった。

4日の朝、早く目覚めたのでひとりで輪島の港や門前町をみてまわった。

トップの写真は曹洞宗の大本山総持寺祖院にあった「復興瓦?」。
いくらかのお金を寄付して、瓦にメッセージを残すというもの。
この瓦が総持寺祖院の復旧に使われるのだろう。

曹洞宗の大本山は永平寺が有名だが、総持寺もそれと並ぶ大本山。
明治31年に門前の総持寺は火災に遭い、それ以降布教伝道の中心は神奈川県横浜鶴見に移ったという。
それでも門前町の総持寺で修行する雲水も多く、ボラセン内でもたびたび見かけた。


↑ヤマダと書いてあるが私ではありません。


↑海辺の駐車場にいたネコ。
家を失ったのか、飼い主とはぐれたのか。
ちょっと寂しげ。


↑4/3夕方、日本海の夕日。

古き良き家並みの再建は難しそうだが、地形が変わるほどの土砂崩れなどは見られなかった。
美しい能登日本海の海岸も心を和ませる。
名刹の門前に栄えた精神文化を失うことなく、一日も早い復旧復興をお祈りいたします。

能登半島地震 その1

2007年04月07日 13時19分24秒 | その他
4月3日(火)~4日(水)と輪島の門前ボランティアセンターの手伝いに行った。

仕事はボランティアニーズの受付とボランティア志望者の受付・問い合わせ対応等々。

このニーズ班は愛知県安城社協の野々山さんをチーフに、十日町JCメンバー3名で担当。
一緒に行った他の2名はマッチング班に配属。


↑門前町のボラセン本部は輪島市門前東小学校内に設置された。
4/5以降は道下サンセットパークに移転。


↑ボラセン内のフロー図。

「ボランティアは足りていますか?」「行ってもご迷惑になりませんか?」「泊まるところはありますか?」などの質問が多い。

ボランティアの宿泊施設を被災地側が用意してくれると思っている人が結構いるが、ボラは本来そういう性質ものではないと思う。旅行と勘違いしている人も多い。
企業や学校ではボランティア休暇などというものもあるようで、有給扱いになったり、通学扱いになったりするらしく、ボランティア証明書をしつこく欲しがる人も少なくない。

我々十日町JCは中越大震災の時に十日町ボラセンを経験したということで、今回門前ボラセンのお手伝いに来た。
2年半前、私は十日町JC専務理事だったので、ボラセンに詰め、全国から復旧作業や炊き出しに駆けつけてくれるJCメンバーの調整をしたり、「地元よろず相談」などと看板をさげ、道案内や物資の調達、送迎など、地元人でなければできない仕事を請け負った。

門前のボラセンには地元の人がほとんどいないので、土地勘がつかめず、十日町のようにサクサクとコトが進まない。


↑マスク、消毒など、健康には細心の注意が必要。


↑門前中心部は水道がまだ復旧していなかった。

門前は重い瓦屋根の古い家が多く、家の崩れ方も中越とは違うようだ。
いかにも屋根が重くて崩れましたという建物もあった。


海岸沿いの東屋?。


↑門前中心部の商店。


↑輪島郊外の家。


↑門前の海辺に建つ文化財らしきお屋敷。

我々JCのベースキャンプは輪島JCメンバーのお店「定食屋 丸山」。
寝袋にくるまりながら、店の小上がりや床にザコ寝だったが、ライフラインは整っていて快適だった。


↑一晩お世話になった「丸山」。

店の主、丸山君には会えなかったけど、きっと復興復旧のために走り回っていたことだろう。
JCのネットワーク・友情に感謝です。

ボラセンの情報は輪島市ホームページで