こんにちは、蜂助です。
カバープランツ ハイカラな名前ですが、地面を覆う植物のことです。芝生がその代表的なものですが、わが家のこれらもカバープランツの一種だと思っています。なんだ、ただ生えているだけじゃないかと思われる方もおられると思いますが、これがいいんです。結局、園芸などは個人の好き好きですね。
マレーシアでのTPP第18回交渉は、7月25日で終了しました。次は、8月22日からブルネイで開かれます。日本は交渉に参加しましたが、一切の情報を公開していません。外交なので明かせないこともあるというのは当然ですが、全く公表しないというのもいかがなものか。おばけ屋敷に入ったようなものです。何が出てくるのか怖くてたましません。おばけ屋敷にお金を払って入ったばかりですから、今なら入口に戻れます。こんなTPPには即座に撤退しかありません。
さて、昨日に続いて歴史が語る戦争の続きです。
仙台に観光に来られた方の多くは青葉城に行かれます。私は「新ガッカリ名所」に入れたら良いのではないかと思っています。臼蔵さんの所の札幌の、時計台が日本三大がっかり名所のひとつに入っているようですよ・・・
伊達正宗像です。しかし、これが意外と新しく作られたものであることは知られていません。この像は、実は3代目で1964年に作られこの地に置かれました。1964年と言えば高度経済成長直前の東京オリンピックが開催された年で、50年もたっていません。
ではなぜ、3代目なのか。2代目は写真はありませんが、現在は伊達正宗のゆかりの地、大崎市岩出山町の城山公園に移設されていますが。なんとコンクリート製で、しかも平服姿で勇ましくもなんともありません。「平和像」とも呼ばれていたようですが、1945年に作られ現在の伊達正宗像の台座の上にありました。(私はこれは見たことがありませんが) 1954年にどんな理由かはわかりませんが撤去されました。たぶん3代目を作り始めたからでしょう。
さて1代目はどうしたのでしょう。1代目は、現在の3代目と全く同じ形です。それもそのはず、ブロンズ像ですから、その型が同じだからです。しかし、現在は胸像しかありませんが現存しています。
青葉城址内の仙台市美術館の裏手にひっそりと置かれています。しかし歴史はこれだけはありません。この像は、組み立てて復元されたと聞きます。太平洋戦争の激化にともない国民は「欲しがりません勝つまでは」の日本となりました。金属回収令という、家庭や施設などにあるあらゆる金属を武器にするから拠出せよという命令が出て、この正宗像も拠出されました。ブロンズで武器を作ったら弱そうですが、国民にはそんなこと知らされていません。戦後、塩釜市の金属集積所で人馬ばらばらの状態で発見され、胸像を元通りに復元しました。
この胸像は大きく見えますが、現在の正宗像の胸から上と全く同じものです。ブロンズ像の原型は宮城県柴田町の彫刻家小室達の作で保存されていたため現在のように再建ができました。
こんな所にもある、戦争の傷跡を忘れてはいけないと思います。