団地夫婦の日々

常盤平団地夫婦の54年、団地内で気付いた事を時々に、妻の料理、私の買い物等

男の買い物 Xmasケーキの思い出

2016-12-24 15:04:17 | 日記
何十年も前、父が65歳で亡くなって、高田馬場で母と男兄弟5人で暮していた頃の話、毎年イブに私(次男)が銀座へ出て森永か不二家のケーキを買って帰るのが毎年の習慣となっていた、恐らく兄と私がやっと家計を助ける程の稼ぎを得た頃だと記憶している。
その年も夕方4男の弟と、二人で山手線高田馬場駅から新橋駅に、暗くなった8丁目銀座通りを有楽町方面に、所謂銀ブラである、ごった返す歩道の傍らに森永、不二家の店先にはケーキの入った箱がうず高く積まれて店員が声を嗄らして「ケーキは如何」、歩いている人は、皆当てが有るのか無いのか解らないが、前に横に人混みをブラブラ、と言うのは普段は入れない、服部時計店とか、御木本真珠店とか、黒川羊羹店とか他に何だか解らないが高級店も今夜だけは遠慮無く冷やかしで入れる雰囲気が有った、現在ならレストランとか、チョッと裏通りのお店にも目が行くのだろうが・・銀ブラは満喫したが我々は買うのはただ一つクリスマスケーキのみ、確か5寸径位?の丸い(当り前だが)300円だったか500円だったか・・銀座通りの森永店で目的のクリスマスケーキを買い、それを弟が大事そうに抱えて帰路に就く、当時銀ブラして他に何か買った覚えは無い・・・買うお金も無かったし・・
有楽町で山手線に乗って内回り一駅二駅秋場原駅を過ぎた頃、車内で隣に座った弟が気分が悪くなった様子、青い顔してる、乗り物酔い?そうだ弟は乗り物酔いが有るのだ、「大丈夫か?ウン次の駅で降りて休もうか?」弟「ウン・・・」相当きつそう・・下車して目の前のベンチに二人で腰かける、今度は私がビニールの風呂敷に包まれたケーキの箱を、横にして中のケーキが崩れたら大変だからと膝の上に乗っけて、弟の様子を見る、10分「如何?大丈夫?」気分も落ち着いたようなので、やって来た次の電車に乗り込む、席は幸い座れる程度に空いていた、そして御徒町、上野、鶯谷どうやら又ムカムカしてる様、「降りよう!」田端で降りる、ベンチで小休止、5分位経って次の電車に乗る、それからは3駅毎に降りる、弟も青くなったり、又生気が出たり大変の様だ、折角のクリスマスイブ、気分が悪いのに無理して急ぐ事は無い、一駅毎に降りても良い、今夜中に高田馬場へ着けば良いと、正直私は弟を愛しく思ったと記憶している。目白で降りてベンチに腰かけて並び乍ら「次は高田馬場だ、良かったな~」高田馬場駅に降りたら、元気になった弟は再びケーキの包を胸に抱えて我が家まで10分程、一家6人ケーキを6等分、皆で「メリークリスマス!」と言ってから食べたか如何か、然し一年一度のクリスマスケーキは甘く、美味しかった・・・母は83歳で亡くなったが先日13回忌を終えて、5人兄弟一応皆健在です。