週一度夫婦が愛した地元の店ラーメンハウス21が閉店してから3か月、以前にもご主人が脳梗塞で救急車で運ばれ3週間ほど休業の張り紙、その時は幸い退院、お店再開となって、一安心、以来1年余り、今回は道で奥さんに会う機会が有り、矢張り「脳梗塞で当分🙅」との話、休業の期間も長く私達も週1回の夕食の楽しみも無く、家で何と無く休日の夕食近く妻「如何するの、今晩は?」「ウン如何するか・・」何週目か妻「中々休めないのね~」妻は晩御飯の支度が面倒だとハッキリ宣言したのだった。カチンときた私「支度なんかするな、何でも其処らに有るもので済ますから、支度等すんな!」食い物の恨みはお互い恐ろしい、食いしん坊の私の為に、日頃妻は色々オカズを工夫して作る、「もっと品数少なくて良いぞ」と言っても作るから、食べる、旨いから旨いと褒める、それが又負担になって、今日まで来た。
先日、ラーメンハウス21の前、建て替え工事で職人さんが梯子を掛けて、何やらやっている。私「建て替え工事?」職人のオジサン「アッこれ、ご主人車椅子になって、お店やめて自宅にするの、沢山のお客さんに残念と言われてるんだがね~」ご主人の命、取り留めたのは良かった、然し常盤平のラーメン店が再起不能閉店とは寂しい年の瀬となった・・・
所で昨日月末集金、納品で日立市へ先月末は白河の姉が亡くなり、ホテルはドタキャンで白河へウイングロード急行だったが、ここ数か月行きつけの中華料理店青龍も閉店の儘、ホテル宿泊の晩飯はスーパーの弁当だったり、初めての天ぷら店だったり、今は余り飲めない食いしん坊だけに何軒も有る居酒屋へ初めて入るのが嫌で、昼間から「今夜は如何しよう・・困るんだな~」・・夕方5時ホテルを出る、ホテルに備え付けの、居酒屋、レストランのサービス券中身は飲み物一杯サービスとか、いけそうな所2店分ポケットに、冷たい小雨の降る中、それでも何気なく何時ものコースで日立駅へ向かう私、何と無く青龍の看板の方を・・おや青龍の看板明るく見える、もしかして、近づく私、何と営業中である、・・途端に心が明るく、「今夜は青龍だ、食べる、ビール大瓶だ、待て待て未だ時間が早い、少し散歩をしてから後で寄ろう」すっかり足取りも軽く駅の方まで足がどんどん伸びる、何時もより余計歩けたし、途中の飲み屋を1軒1軒お客が入っていたり、マスターがつくねんと詰まらなそうに客待ちしているの店を覗き込んだりして歩数稼ぎも今夜は楽しい、何故って、今夜の訪問店は決まってるから、青龍に・・・一時間後、青龍の戸を開けて、そっと覗き込む、愛想の良い奥様の笑顔「いらっしゃい!」出迎えてくれたのは奥さん「どうしたんですか」 今地震、日立、北茨城今朝までいた所だ!どころでない