**My Slow Life**
趣味と家族の写真日記
さぁ~次は
Takaoくんが誕生した
当時の疎開先七尾へ!
2時間かけて移動します。
3歳までしかいなかった
takaoくんには
周辺の面影を思い出す事は
出来なかったようでしたが
70年前、幼いtakaoくんは
確かにここに存在していたのです。
感慨深かったでしょうね。
そんな想いを胸に
車を走らせていると
七尾城という目印が、
目に留まりました。
大河ドラマ天地人でも登場した。
日本100名城のひとつである
七尾城。
今は石垣しか残っていない
山城ですが
ここまで来る機会は
もう無いだろうと、
登ってみる事にしました。
標高約300mの山頂部に所在し、
綺麗な七尾湾が一望できます。
七尾城跡は、
能登国の守護・畠山氏(1408-1577)が
16世紀前半(戦国時代)に築いた城館跡で、
全国でも屈指の規模を有します。
石動山系に築かれた城域は南北約2.5km、
東西約0.8km、面積は約200haにおよび、
一帯は「城山」と呼び親しまれています。
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立派な石垣が残っていました。
上杉謙信の死後、
能登は織田信長によって制圧され、
七尾城には信長の部将
前田利家が入城した。
しかし山城は
時代にそぐわなくなっていたため、
間もなく小丸山城(七尾市)に居城を移した。
その後、七尾城には利家の子の
前田利政が入城したが、
1589年(天正17)に廃城となったそうです。
へ~そうなんや~!
ボランティアの方が
丁寧に説明して下さいました。
ありがとうございました。
勉強になりました!
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3時50分
今から
今晩の宿泊地
石川県小松へ戻ります。
小松市は
勧進帳
安宅の関(あたかのせき)
で有名な地です。
6時20分ホテル着
丸岡城から一気に
石川県能登半島へ
能登半島観光の人気スポット
『千里浜なぎさドライブウェイ』
(全長約8km)
を車で通過
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日本で唯一、
砂浜を車で走れる海岸です。
大型バス、バイク、
そして馬までもが走ることができる
世界的にも珍しいとされています。
そして2時間半
11時40分
宇宙科学博物館
コスモアイル羽咋
に着きました。
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ここは宇宙やUFOにかかわる
資料や研究などが、
多数紹介されている
宇宙科学博物館なんです。
羽咋はUFOが度々出没する街として、
UFOを全面に押し出した
観光アピールを行なっている
ことでも有名で、
「サンダーくん」という
人気者の宇宙人がいますよ。
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彼は決してゆるキャラではなく
アルバイト職員なんですって(笑)
宇宙人用のトイレもあり
優遇されてますね♪
でも本当は
来館者用のトイレです(^^;
サンダーくんは
地球観光を楽しんでいたところ、
運悪く宇宙船が故障して
墜落してしまった宇宙人。
母星に帰るためには、
宇宙船を修理するための
お金を貯めなければなりません。
そこで、墜落現場の近くにあった
「宇宙科学博物館コスモアイル羽咋」で
アルバイトをすることになりました。
果たしてサンダーくんは
修理代を貯めて
宇宙船を直すことが
出来るのでしょうか?
だって!
???ですね(笑)
コスモアイル羽咋
人類初の宇宙開発の歴史から
他の惑星探査活動までの歴史で活躍した
実際の機材や
博物館グレードの宇宙機材が
展示されていました。
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koudai堪能できたかな?
Hくん運転の車は更に
走ります。
山間のホテルは
静かで落ち着きました。
8時30分
ホテルを後にして
今から丸岡城へ向かいます。
ここから↓の文は
サイトから
お借りしたものです(((^^;)
↓ ↓
丸岡城は、
柴田勝豊(勝家の甥)が
天正四年(西暦1576年)
北ノ庄城(福井)の支城として
築城したお城(別名霞ヶ城)です。
又、この一筆啓上碑は
徳川家康の家臣
本多作左衛門重次が
陣中から妻に宛てて送った手紙として
有名です。
「お仙」とは後の丸岡城主本多成重
(初代丸岡藩主 幼名:仙千代)のことです
屋根が珍しい石瓦でふかれ、
現存する天守は
日本最古を誇っており、
城郭建築史上の
重要な建造物です。
階段が急なのは、
笏谷石の屋根瓦の重みに
耐えるためらしい
現存天守で最大
傾斜角約65度。
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丸岡城は
私たち家族にとっても
縁ある地のお城なんです。