先日行われた薬師寺の「鬼追い式」の時、ご案内頂いたTさんに「私昔ですけどここで何度か写経をしたことがあります」とお話ししました。
するとその記録は調べられますよとおっしゃる。
私が書いた写経は堂塔経蔵に永代にお祀りしているそうです。
しばらくして嫁ぎ先住所で調べてもらったけれどないという。
そういえば実家に何年か住んでいたので昔の住所で調べてもらったら記録があり「集印帳」を再発行してくださった。
最初のページには昭和49年4月5日、同じく4月8日。
それからは8日ごとに5月、6月、8月に写経をしている。
もう39年前のことです。
そのきっかけは先天性心疾患で生まれた娘を49年3月に手術したのですが残念なことに術後の翌日2歳3ヶ月で亡くした。
その時は悲しいかな私も緊急入院をしていて同じ京大病院に二人して入院、手術を経験しました。
私の退院の日が娘の手術の日、車いすで娘を見送ったのが娘との最後となりました。
これまで生きてきた長い人生の中で一番辛い苦しい時期があの頃でした。
娘の葬式の時、高知から駆けつけた亡父が「自分の父親が死んだときには涙も出なかったけれど移動中ずっと涙が止まらなかった」と言った。
私には若いのに苦労しているなぁ。。。と声をかけて慰めてくれた。
私は逆縁で焼き場には行けなかったが父は娘の細い小さな骨を拾うのは居たたまれなかったとも言った。
その頃、薬師寺では高田 好胤管主が人気で写経勧道で金堂を復興させるという事を熱心にされていました。
色んなことに傷ついた心を慰めようと私も管主の本を読んだり直接お話を聞きたくて、その当時3歳の息子を連れて薬師寺に行ったんだと思います。
かたよらないこころ
こだわらないこころ
とらわれないこころ
ひろくひろく
もっとひろく
これが般若心経
空のこころなり
頂いたハガキに書いてあったこの言葉をみてわぁ~懐かしいと思わず声が出ました。
高田 好胤管主が大きな声で言い、その後に私たちが声を出して唱えていたあの言葉です。
その後私は京都に戻り薬師寺行きは難しくなってきました。
嬉しいことに妊娠しましたがつわりもきつく流産の危険性もあり、また心臓病の子供が生まれるのではないかと悩みながら長い間入院してやっと生まれたのが今の次女です。
その当時の色んなことが走馬灯のように目に浮かびました。
この私の写経の記録を数多くの写経の中から手作業で探して頂き、集印帳を再発行して頂いたTさん、本当にありがとうございました。
今は亡娘は息子の家にある仏壇で息子夫婦が手厚く奉ってくれていますし私も参ることができるようになり本当に嬉しく思っています。
今は幸せな日々を過ごせることに感謝してもう一度お写経を続けて行きたいと決意しました。
再びご縁を頂きありがとうございました。
するとその記録は調べられますよとおっしゃる。
私が書いた写経は堂塔経蔵に永代にお祀りしているそうです。
しばらくして嫁ぎ先住所で調べてもらったけれどないという。
そういえば実家に何年か住んでいたので昔の住所で調べてもらったら記録があり「集印帳」を再発行してくださった。
最初のページには昭和49年4月5日、同じく4月8日。
それからは8日ごとに5月、6月、8月に写経をしている。
もう39年前のことです。
そのきっかけは先天性心疾患で生まれた娘を49年3月に手術したのですが残念なことに術後の翌日2歳3ヶ月で亡くした。
その時は悲しいかな私も緊急入院をしていて同じ京大病院に二人して入院、手術を経験しました。
私の退院の日が娘の手術の日、車いすで娘を見送ったのが娘との最後となりました。
これまで生きてきた長い人生の中で一番辛い苦しい時期があの頃でした。
娘の葬式の時、高知から駆けつけた亡父が「自分の父親が死んだときには涙も出なかったけれど移動中ずっと涙が止まらなかった」と言った。
私には若いのに苦労しているなぁ。。。と声をかけて慰めてくれた。
私は逆縁で焼き場には行けなかったが父は娘の細い小さな骨を拾うのは居たたまれなかったとも言った。
その頃、薬師寺では高田 好胤管主が人気で写経勧道で金堂を復興させるという事を熱心にされていました。
色んなことに傷ついた心を慰めようと私も管主の本を読んだり直接お話を聞きたくて、その当時3歳の息子を連れて薬師寺に行ったんだと思います。
かたよらないこころ
こだわらないこころ
とらわれないこころ
ひろくひろく
もっとひろく
これが般若心経
空のこころなり
頂いたハガキに書いてあったこの言葉をみてわぁ~懐かしいと思わず声が出ました。
高田 好胤管主が大きな声で言い、その後に私たちが声を出して唱えていたあの言葉です。
その後私は京都に戻り薬師寺行きは難しくなってきました。
嬉しいことに妊娠しましたがつわりもきつく流産の危険性もあり、また心臓病の子供が生まれるのではないかと悩みながら長い間入院してやっと生まれたのが今の次女です。
その当時の色んなことが走馬灯のように目に浮かびました。
この私の写経の記録を数多くの写経の中から手作業で探して頂き、集印帳を再発行して頂いたTさん、本当にありがとうございました。
今は亡娘は息子の家にある仏壇で息子夫婦が手厚く奉ってくれていますし私も参ることができるようになり本当に嬉しく思っています。
今は幸せな日々を過ごせることに感謝してもう一度お写経を続けて行きたいと決意しました。
再びご縁を頂きありがとうございました。
自分のこととして考えるだけでも、胸がふさがりそうになります。
写経の記録、探してもらえて、よかったですね。
空のこころの言葉は、無限の世界に解き放してくれるようで、胸にひびきますね。
集印帳を頂いたときにはホントに感激しました。
よく探してくださったと感謝でいっぱいです。
この時期の辛い体験で色んなことを学びました。
人生には無駄なことはないと年齢を重ねてこの頃よく思います。
この言葉は胸に沁みます。。。
いろいろな体験をされていらっしゃるのね。
私の高校時代の修学旅行の時は、高田好胤さんでした。とても人気のある方でしたね。
それにしても昭和49年の記録が残っているのはすごいわね。39年前のことになるのですか。
また新たな気持ちで写経をされるのも、いいでしょうね。
私も色んな経験をして・・今があるのだと感謝しています。
中国に来て以来中国書道を始めた夫が
最近、日本の娘たちのために写経を始めました。
とても根気の要ることで・・大変な仕事です。
高田 好胤管主のお言葉、胸に刻みました。
長い年月を経て実感できる言葉かもしれませんね。
「かたよらない」「こだわらない」「とらわれない」
こんな気持ちでいられたら、心はどんなに平穏なことでしょう。
私など、まだまだ未熟ですね。
この連休を利用して、次女は奈良に行っています。
薬師寺にも行ってみたいと言っていました。
今はコンピュータ管理できますがその当時ですから手作業で探して頂きました。
私も高田 好胤管主のお話が楽しくてね。
としちゃんの高校生時代なのね~
また写経を始めたいと考えています。
学生時代と同じくのほほんと生きてましたから。。。
たくさん写経を書きましたが今は筆だけではなく鉛筆でも書けるそうです。
硯と筆で書くと気持ちが違うような感じがして私はずっと筆で書いていました。
ご主人様中国書道を勉強されているのですね。
素晴らしいです。
体調を崩されているとのこと、モコポリさんどうぞ無理をせずに勉学に励んでくださいね。
お大事に!
この頃はメチャ元気な私ですが(笑)
久し振りに「かたよらないこころ」のこの言葉を思い出しいつも心に持ちたいものだと感じてます。
まぁお嬢さん奈良にご旅行中ですか。
薬師寺でも色んな催し物があるようですよ。
楽しまれると嬉しいです!
色々の逆は縁は、人生の必要なチャレンジで、回避することが出来ない
写経、読経、気持ちは落ち着いて、人生に直面して、更にはっきり方向を知っています。
私はすべきに仏門和尚になります
しかし私も時には写経をしたりしていました。
逆縁は回避できませんね、悲しいです。。。
今はすごく幸せです。
だからいい方向へ行けるように仏様に寄り添いたいですね。