小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

国民金融資産は本当に過去最高を記録したと言えるのか?

2023-07-02 15:11:05 | Weblog
6月27日、日銀は3か月ごとに公表している「資金循環統計」で、国民個人が保有する預金、株式、保険などの金融資産は今年3月の時点で2043兆円に達し、過去最高を記録したと発表した。株式市場の上昇が要因とされている。
国民金融資産は昨年3月末気に比して1.1%の上昇だが、株価がバブル的上昇状況に入ったのは今年春から。この6月末の時点での国民金融資産は危険水域に入るほど急騰していると思われるが(日銀の発表は9月後半)、果たして喜んでいいのかどうか。本当に国民生活はそれだけ豊かになったのか~

●「悪夢」だったのは民主党政権時代だったのか
安倍元総理が民主党政権時代(2009年9月16日~2012年11月16日)について「悪夢」と決めつけたことは知らない人はいないだろう(少なくとも私のブログの読者では)。
確かに民主党政権時代、為替相場は【1ドル=79円台】に高騰して自動車や電気製品などの輸出産業は大きな打撃を受けた。その結果、株価も多少の波はあったが低迷し続けた。その要因について日本経済新聞は ①デフレ脱却への取り組みが弱かった ②成長より分配を重視する経済政策 ③外交面の失敗 ④規制緩和に消極的 の4つを上げている。
確かに経済成長は多少のインフレは必然的に伴うことは事実だが、需要増が伴わないのに金融政策で物価を押し上げることにたとえ成功したとしても、それが景気回復を意味するわけではない。
それだけが要因とまでは言わないが、インフレの最大の要因は需要が持続的に供給を上回り続けることで、メーカーは生産を増やす必要が生じ、その結果、設備投資や雇用の拡大、労働力が買い手市場になって賃金も上昇し、消費者の消費意欲が刺激されて需要がさらに拡大するという好循環が生まれるからである。バブルが崩壊するまでの日本経済の急成長はこうした好循環がかなりの長期にわたって続いたからである。
が、日経新聞が指摘したように、民主党政権が誕生する前からデフレ状態は続いており、別に民主党政権がデフレを助長したわけではない。そもそも日本経済の成長神話に終止符が打たれたのはバブル経済が崩壊した1991年3月以降だが、バブル経済時代も崩壊以降も政権を担ってきたのは自民党であり、行き過ぎた資産インフレを助長する金融政策をとり続けた日銀(澄田総裁)もその責めを負うべきである。
しかもこともあろうに、バブル景気の片棒を担いだのが大手銀行だった。支店長自らが融資先のデベロッパーやゴルフ場開発業者の営業マンになって投資用不動産物件やゴルフ会員権を売りまくったのである。かくいう私も取材で知り合ったメガバンクの広報部長などからいくつもの新設ゴルフ場の縁故会員の話を持ち掛けられて浅はかにも欲をかいて一時は10か所近くのゴルフ会員権を買い、バブル崩壊で大半の会員権は紙くずと化した。
ついでのことに、バブル期、たぶん世界で初めて日本で生まれた金融事業があった。「抵当証券販売」を行う金融企業である。この抵当証券事業というのは、デベロッパーやゴルフ場開発企業に対して土地・建物などの不動産を担保に融資を行い、担保に取った不動産を証券化して株式のように販売したのである。もちろんバブル崩壊によって不動産価格が暴落して抵当証券も紙屑化し、抵当証券会社も一斉に倒産した。
実はこの抵当証券事業をその後アメリカで始めたのがリーマン・ブラザース。日本でバブル景気が崩壊した後、世界の金融資産がアメリカに殺到しアメリカでも不動産バブルが始まった。日本の金融機関が住宅ローンを組む場合の審査はかなり厳しいが、アメリカではもともとかなりリスキーな住宅ローンを組む体質が中小の金融業者にはあった。こうしたリスキーな住宅ローン(サブプライムローン)を組むにあたって中小の金融業者が日本生まれの抵当証券事業をヒントにして担保に取った不動産を証券化して販売し融資金を調達した。この抵当証券を買いあさったのがリーマン・ブラザーズで、世界中の金融機関に抵当証券を再販売して一躍大企業になったが、バブルはしょせんバブル。アメリカの不動産バブル崩壊でリーマン・ブラザーズも倒産、その余波で日本の金融業界も大打撃を受けて山一証券や北海道拓殖銀行、東邦生命、日産生命などが倒産した。いわゆる「リーマン・ショック」である。ちなみにリーマン・ショックは民主党政権誕生前の自民党政権時代に生じている。
リーマン・ショックの後に誕生した民主党政権が経済成長至上主義的政策をとらなかったのはそうした事情もあったのではないかと私は考えている。
実はアダム・スミスやマルクス、近代資本主義経済理論の基礎を築いたケインズらが想像もしなかった社会現象がバブル期以前から世界の先進国を中心に始まっていた。
少子高齢化がその社会現象である。

●閑話休題――米軍が多大な犠牲を払って沖縄戦を始めた理由
ちょっと横道にそれる。先の大戦が終わって以降、おおむね世界の先進国は長期にわたって平和の時代をおくってきた。そして「第2の産業革命」と言われたエレクトロニクス技術の開発によって次々と関連産業が生まれ経済成長をけん引していった。
とくに敗戦国であり、東京以西の大都市はほぼ焼け野原と化した日本は、廃墟と化したことが経済復興の原動力になった。以前ブログで書いたことだが、米軍は1944年7月サイパンの日本守備隊3万人を全滅、この周辺地域を完全制圧した。米軍にとって最も重要だったのは日本軍が建設したテニアン島の飛行場だった。これをほぼ無傷で米軍は手に入れた。B25やB29による日本本土への空襲攻撃が始まったのはそれ以降である。広島・長崎への原爆投下もテニアン島から飛び立った爆撃機による。そういう意味では米軍は沖縄戦を強行する戦略的意味はなかったと私は考えている。
実際、おそらく米軍も沖縄守備隊の民間人まで動員しての猛抵抗は予想していなかったのではないか。ただ、こう考えれば米軍が多大な犠牲を出してまで沖縄戦量に固執したのは、沖縄諸島に存在していた飛行場が欲しかったのではないだろうか。
すでに書いたように、米軍による東京以西への空襲はほぼ日常的だった。が、東京以北へは米軍は空襲を行っていない。たぶんB25やB29の航続距離は往復で東京までが限界だったのではないか。東京以北を空襲するには沖縄諸島の飛行場を制圧する必要があったのではないだろうか。結果的には沖縄守備隊や民間人の激しい抵抗によって沖縄周辺の飛行場はすべて破壊され、終戦までに攻撃拠点として利用することが不可能だったと思われる。いまの沖縄を含む周辺の飛行場はすべて米軍が修復しあるいは新設したものばかりである。アメリカが沖縄支配にいまだ固執しているのはそうした事情もあったと私は考えている。「地盤たちが作ったのだから、自分たちに権利がある」…権利意識が強い個人主義の欧米人ならではの発想だ。

ちょっと話が横道にそれたが、適正な物価上昇(インフレ)は持続的な経済成長をもたらすことは疑いを入れない。需要が持続的に供給を上回っていれば【生産増加のための設備投資→従業員の雇用増加→賃金上昇→生産人口の可処分所得増加→需要増加→…】という経済成長の好循環が機能するからだ。
一方デフレはどういう状況か。需要が供給を下回るため物価が下落する。で、こういう悪循環が生じる。【メーカーは需給バランスをとるため生産調整を図る→設備投資をストップし雇用も手控える→賃金は下落→生産人口の可処分所得減少→需要減少→…】という経済停滞の悪循環が始まる。
が、実はデフレとかインフレはこうした単純な需給関係だけで決まるわけではない。経済環境を左右する決定的な2大要素があるのだ。

●アフリカを除く世界規模の社会現象はなぜ生じたか
現在先進国だけでなく、中進国も含めて世界中に大きな社会現象が生じている。「少子高齢化」の波だ。いまのところ、人口が増え続けている地域はアフリカ諸国だけなのだ。
「少子高齢化」と一言でくくられているが、実はこれは別々の社会現象である。ただ偶然同時期に二つの大きな波が世界を襲ったため一つの社会現象であるかのようにメディアが扱っているだけだ。
「少子化」は「合計特殊出生率」(一人の女性が一生の間に産む子供の数の平均値)が2.1を割ると人口が減少するとされている。OECD諸国でこの数値を上回っているのは周辺を敵対関係にあるアラブ諸国に囲まれ、戦前戦時中の日本と同様「産めよ増やせよ」政策をとっているイスラエルだけである。イスラエル以外で出生率が最も高いのはフランスの1.86だが、フランスはアメリカと同様多民族国家であり、合計特殊出生率を白人系と非白人系に分けて計算したら、おそらく白人系の出生率は大幅に下がっていると思われる。日本は21年が1.30,22年は1.26と持続的な減少傾向が続いており、岸田総理は「異次元の少子化対策」というアドバルーンを打ち上げたが、その政策は「異次元のバラマキ」でしかないことは今年3月30日にアップしたブログで明らかにしたので繰り返さない。
結論だけ簡単に言うと、日本国民が平和を享受し、高度経済成長の恩恵を被る中で子供たちとくに女性の高学歴化が急速に進んだ。日本の工業製品の品質向上に大きな役割を果たしてきた東京・蒲田や東大阪市の中小工業部品製造技術を継承してきた「金の卵」の中卒集団就職の時代はもう遠い昔の話になった。女性の高学歴化はもっとハイスピードで進み、現時点では4大卒の男女比はまだ男性のほうが4~5%多いが、短大卒まで含めると男女の高学歴化比率は逆転している。
社会や企業も女性の能力を活用することを重視するようになり、女性が社会で活躍する機会が増えている。まだ「男尊女卑」の風習を残している世界もあるが、女性の社会的地位は確実に上昇し、社会での貢献度は急速に高まっている。もう女性の生き方として「良妻賢母」を求める時代ではないのだ。
そういう大きな社会現象の波がアフリカなどを除いて先進国や中進国では急速に広がっている。当然、女性の意識も変わる。子育てや家庭を守ることより、社会でいかに自分の能力を発揮し、さらに自分自身が成長できるかに意識が大きく傾いている。女性にとって結婚や出産、子育てがもはや人生のゴールではなくなっているのだ。だから「子育て支援」は金で解決できる問題ではなく、自分の価値観と子育てを両立させうる社会をどうやって作っていくかが重要であって、「子供を産み、育て、教育にかかる費用さえ援助してやれば少子化対策になる」という愚かな発想は、かえって女性たちの反発を買うだけだ。
いずれにせよ、少子化に歯止めをかけられなかったら日本を含む先進国・中進国の人口は減少に向かう。もうすでに日本だけでなく問題化しているのは人口構成がいびつになっていることだ。
私はしばしば人口構成を「地下1階地上2階」の建物に例えて書くことがあるが、地下にはまだ社会に出ていない赤ちゃんから学生までの人たちが棲んでいる。1階の住民は仕事をしている現役世代(生産人口)。そして2階には私のようにリタイアした年金生活世代。健全な社会を維持し、さらに経済活動を支え、生産と消費の中核をなす現役世代が減少し続けているのだ。
はっきり言わせてもらう。私たち年金世代は現役時代、額に汗して必死に働き、税金を納め、年金も払って当時の年金生活者の生活を支えてきた。いま私たちが年金世代になった時、当然今の現役世代に生活を支えてもらう権利がある。権利はあるが、その権利を行使できなくなりつつある。現役世代が減少し、そのうえ現役世代の収入が増えないため2階の住民の生活を支えることができなくなりつつあるからだ。いまの現役世代が2階に上がって年金成果者になった時、2階を支える柱がボロボロになって建物が崩壊する。
確かに現在の年金制度であるマクロ経済スライド制は現役世代が支払う年金の範囲内で年金支給の総額を定めるやり方だが、年金制度そのものは100年どころか1000年でも理論上は持つことになるが、年金だけでは生活できなくなった人たちの最後のよりどころは生活保護にならざるを得ない。現に、いま生活保護の申請が各自治体に殺到しているようだ。

●高齢化現象を解決する方法は一つしかない
『21世紀の民主主義』なるちょっと興味をそそられる著書を書いて日本でも話題になった米エール大学の助教授・成田悠輔氏がとんでもない「高齢化対策」を提案したことがある。「高齢者集団自決」論だ。
確かに昔、日本には「姥捨て山」文化があった。日本が農業国家だった時代で、農作業などもできなくなり、寝たきり状態になった高齢者を山の中に作った雨露しのげる掘立小屋に運び、息を引き取るまで水と多少の食料を家族が定期的に運ぶという風習だ。成田は、その時代を想定したのだろうか。
現実問題として、集団自決など強制できるわけがないが、高齢者の長寿化を合法的に抑える方法がないわけではない。
そもそも平均寿命がなぜ延び続けたのか。それを分析しないことには解決策は見つからない。長寿化の要因は3つある。 ①医療技術の高度化(医薬品や医療機器の開発) ②健康志向の高まり(核家族化が進み、子供たちの世話にはなれないことから自分で自分の健康は責任を持たざるをえなくなったこと)。その結果、サプリメントで栄養補給をしたり、ゴルフやフィットネスクラブでの運動。 ③家庭生活の崩壊によって「昼カラ」や「ディサービス」などで家族以外との人間関係の構築。
この3つの要因のうち、政府がやれることは高齢者に対する保険医療の制限だけだ。具体的には医療費が膨大になる高度先端医療を、高齢者に対しては健康保険対象外にすること(例えば後期高齢者の75歳以上にするなど)。ただし、高度医療保険制度を充実させて、その保険に入れば健康保険ではなく高度医療保険の適用によって高度医療を受けられるようにすること。
また本人が望めば病状によって安楽死を認めること。また植物状態の患者に対しては家族の同意、あるいは第3者委員会の判断で医師が安楽死させることができるようにすること。こうした方法以外に高齢者の増加を防ぐことは不可能である。
高齢者増加を法的に防ぐ方法はこれ以外にはないが、いずれの方法をとるにせよ、現在の法制度の下では不可能である。はたしてこのような法制度改正が可能かどうかは広く国民の議論を経る必要があるので、早急に解決することは困難と思われる。

●国民金融資産が最高水準に達したのに、なぜデフレ脱却できないのか
世界経済はいま大きな曲がり角に差し掛かっている。すでに書いたが「少子」「高齢」化の波がアフリカなど一部の地域・国を除いて大きなうねりとなって世界中を覆っている。子供の数が減り続ければ、当然生産人口(現役世代)も減り続ける。一方高齢者は増え続ける。
が、高齢者は金をあまり使わない。ちょっと古いが総務省統計局が2002年に行った2人世帯の家計調査がある。それによると全世代の月平均家計支出は28万999円で、うち食費支出は7万7095円、エンゲル係数は27.0%である。エンゲル係数とは家計支出に占める食費(外食も含む)の割合を示した数値で、エンゲル係数が高いほど文化的生活水準が低くなる傾向にある。現役世代でエンゲル係数が最も高いのは40代前半で30.3%だが、それ以降はいったん減少するが、リタイア後の70代前半には30.0%、80代前半になると33.7%まで増加している。
私は昨年10月17日にアップした長文のブログ『日本の消費者物価が欧米並みに高騰しない本当の理由を、NHK「日曜討論」の識者たちは分かっていない』で明らかにしたが、金融庁が老後生活の不安を煽り立てた、いわゆる「老後2000万円問題」がいかにでたらめかを数字で明らかにする。
金融庁が行った試算の根拠は夫が65歳で定年退職し、60歳の妻が専業主婦の場合、厚生年金収入だけでは月5万5千円生活費が不足し、夫婦が30年間生き続けるとして不足額を計算すると【5.5×12×30=1980】で、約2000万円不足することになるというものだ。
確かに総務省統計局の超セでも定年退職後の60台前半の家計支出は月30万2950円、60台後半でも27万1365円支出しており、厚生年金だけではかなり不足する計算にはなる。が、その後70代では24万円台、80代では19万円台と家計支出は急減しており、年金収入ではかえってお釣りが出るようになる。金融庁の高級官僚の頭の悪さがよ~く分かっただろう。
私がこの稿で証明したかったのは、高齢化するほど消費支出が減り続け、日本経済の足を引っ張っていることを明らかにすることだった。一方、高齢者にかかる社会福祉費用は増える一方で、しかも高齢者福祉を支える現役世代は減少の一途をたどっている。しかも金融庁の「老後2000万円問題」もあって消費活動の中核をなしている現役世代の消費意欲が減退し、老後のための預貯金に回す傾向が強まっている。
国民の金融資産がいくら増えても、それが消費に回らなければ(つまり需要が増えなければ)デフレからは絶対に脱却しない。安倍元総理や岸田総理はサラリーマンの給料を増やせ増やせと経済団体の尻を叩いて、正規社員の給料はそれなりに増えてはいるが、買いたいものがなければ消費は増えず、デフレは止まらない。なお今の食料品など生活必需品の物価上昇は全く別の要因で生じており、電気代や食料品が高騰した分、かえって自動車や電気製品の需要が減少するという結果を招いている。

●消費意欲を刺激する新しい工業製品も誕生していない
さらにもっと大きいのは、戦後の日本の高度経済成長を支えてきた「3種の神器」や「3C」といった消費意欲を刺激する商品が2000年代に入ってほとんど生まれていないことだ。せいぜいスマホが1人1台と普及しているが、スマホの値段なんか昭和時代の「3種の神器」や「3C」に比べたら景気をけん引するほどの力にはなりえない。
また若い人たちの都市集中が進み、大都市では公共交通機関が整っていることもあってクルマ離れが激しい。家電製品に至ってはエレクトロニクス技術の進歩によって製品の寿命が大幅に向上して買い替え需要も大きく後退している。地デジ放送がスタートしたのは2003年12月だが、その時私は初めてブラウン管テレビから液晶テレビに買い替えた。ブラウン管テレビの平均寿命は7年と言われていたが、ブラウン管の場合、故障すると一瞬で画面が真っ暗になってしまい、買い替えるしかなかった。
が、今使っている液晶テレビは今年で満20年になるが、まったく故障しない。おそらく顕微鏡で細かく調べれば、画面を構成している液晶の数%は故障しているだろうと思うが、一度に10%くらいの液晶が故障でもすれば画面の不鮮明さにすぐ気づくだろうが、20年の間に少しずつ故障していったらまず気づかない。量販店などで新製品のテレビを見れば、「あ、きれいだな」と思ったりすれば買い替え需要に結びつくかもしれないが、用もないのにわざわざ量販店に行ったりしない。
それに一般消費者の画質に対するニーズはそれほど高くない。たとえば昔の録画装置であるVTRの場合、私の娘はドラマなどを3倍録画して週末にまとめて見るようにしていたが、画質に対するニーズはその程度なのだ。だから4Kだ、8Kだとメーカーは売り込みに必至だが、高画質を求めて買い替える需要層はそう多くはないと思う。が、音質にはこだわるユーザーがかなりいて、いまのCDに変わる画期的な音質のオーディオ機器が誕生したらかなり大きなマーケットが生まれる可能性はある。
そういう状況下で経済成長を目指そうという経済政策自体が、もはやアナクロニズムとさえいえる。

●国民金融資産の増加で日本人はかえって貧乏になった
通常、私たち一般国民にとってお金は物を買うための手段である。クレジットカードで買う場合、その場では現金は必要ないが、カードの決済日には引き落とし銀行に預金残高がないと大変なことになる。
しかしお金にはもう一つの顔がある。お金が商品という顔を持つ世界があるのだ。その世界でお金の本当の価値が決まり、いまは10万円で買えた商品が1年後には12万円払わないと買えないということが生じうる。そうするとたとえ給料が5%上がったとしても、お金の価値が下がってしまうため給料は上がったが、かえって生活は貧乏になるのだ。
実はお金の価値は生産者と消費者では相反する。たとえば1ドル=100円だった場合、輸入価格が100ドルの商品の場合は100×100=1万円で買えることになる。ところが1ドル=140円の円安になると輸入価格100ドルの商品を買うのに100×140=1万4000円払わなければならなくなる。
ところが生産者の場合、原材料も含めてすべて国内調達したとして100ドルで輸出した場合、1ドル=140円の為替相場だと日本円で1万4000円もお金が入ることになる。
逆に1ドル=80円の円高になった場合、消費者は輸入価格100ドルの商品を8000円で買えることになるが、生産者の場合は100ドルで輸出した場合生産者に入るカネは8000円にしかならない。
確かに民主党政権の2年半の間に円高が進んで1ドル=80円を切った年もあった。その結果、輸入品価格が暴落して消費者の家計は潤ったが、輸入品価格が下落したため物価も下がり、いわゆるデフレ状態になった。その一方生産者は輸出競争力を失い、株価も低迷した。
この状態を安倍元総理は「悪夢のような民主党政権時代」と決めつけたのだが、為替相場を円安誘導して生産者の輸出競争力を回復しようとしたのが、いわゆる「アベノミクス」である。
が、安倍氏が見落としていたのが日本製品の輸出先である先進国・中進国の現役世代人口が減少してマーケットそのものが縮小していたことだ。つまり円安誘導して日本企業の輸出競争力を回復させても海外市場が縮小していたため円安効果がほとんどなく、生産者は増産しても売れないから設備投資もせず、したがって雇用も増えず、わずかばかりの賃上げでは購買力に火が付くわけもなく、円安による輸入品価格だけは上昇したが、肝心の日本も現役世代の縮小で購買力は増えず、「消費者物価2%上昇」というインフレ目標は「絵に描いた餅」に終わってしまったというわけだ。
円安誘導のために行った日銀・黒田総裁の「バズーカ砲」によって円安は急速に進んだが、すでに見てきたように「円安効果」でかえって消費の手控えが進み、いまや円の価値は民主党政権時代に比べて6割近く下落した【80÷140≒57%】。言い換えれば国民金融資産の価値は民主党政権時代の約6割の価値しかないことを意味する。
ということは、国民金融資産は民主党政権時代より6割増えていなければ、国民はかえって貧乏になったことになる。なお民主党最後の年、2012年末時点の国民金融資産は1546兆円。したがってその6割増しの金額は2473兆円になる。ということは現在の貨幣価値を基準にした場合、国民金融資産は民主党政権時代に比べて2043÷2473≒82%に減少していることになる。この計算、高橋洋一氏でもできないだろうね。
かといって今更日銀が金融緩和政策を転換したら確実にスタグフレーション(悪性インフレによる大不況減少)が生じる。進むに進めず、引くに引けずの状態に日本経済はいまある。民主党政権時代は「悪夢」だったとしたら安倍政権以降は「地獄」と言うしかない。
民主党政権時代に比してお金の価値は約6割に減少したが、それに間尺が合うだけ国民金融資産は増えてはいない。むしろ貧乏になったと言っていいだろう。





緊急告発 なぜマイナンバー法がすんなり成立したのか。私の提案が政府によって悪用された。

2023-06-13 02:14:48 | Weblog
実際に実現するかどうかはわからない。が、6月12日、NHKは「ニュース7」で国会での岸田総理の並々ならぬ決意表明を報道した。NHK によれば、岸田総理の発言趣旨はこうだ。

「マイナンバーカードと健康保険証の一体化をめぐり、12日の参議院決算委員会で、野党側が今の健康保険証の存続を求めたのに対し、岸田総理大臣は一体化が進むことで、より良質な医療を提供することができるようになるとして、来年秋の廃止に向けて取り組みを進める考えを強調しました」

岸田総理は来年秋には今の健康保険証を廃止してマイナンバーカードに一本化するつもりだ。すでにマイナンバーカードに記入された保険情報を読み取る装置を設置しているクリニックもあるが、「うちはそんなことやれる余裕がない」と読み取り装置導入に後ろ向きの小さなクリニックや調剤薬局も少なくない。
実はマイナンバーカードは「国民皆背番号カード」である。政府は過去、何度も国民皆背番号制の導入を試みてきた。が、その都度野党や国民の反対で法案は潰されてきた。
が、いま簡単に国民皆背番号制度のツールとしてマイナンバーカードが導入されている。実は政府にマイナンバーカード導入のきっかけを与えてしまったのが私だ。忸怩たる思いもあるが、政府による「悪用」は許すことが出来なという思いで、緊急告発することにした。

●自転車事故で大けがをして救急車で搬送された病院で~
私が自転車で転倒し、左手小指とこめかみに大けがをして救急車を呼んだのは2012年の12月(日にちは覚えていないが、午後9時前だった)。救急車の職員が対応できる病院を探してくれて私立の医学大学系の総合病院に搬送してくれた。その日はたまたま整形外科医が当直だったからのようだ。
搬送先の病院ではすぐにMRIでこめかみ個所の画像を撮影し、左手小指のほうはレントゲン撮影してくれた。指は骨折していなかったが皮膚がほぼ半分以上めくれてしまっており、直ちに縫合手術をしてくれた。「完全に皮膚がくっつくかどうかは分からない」との説明は受けたが、手術が終わった後「今日は形成外科医はだれもいませんから、いったんお帰りになって明日形成外科に来てください」と言われた。
こめかみ部の骨折は、私は頭蓋骨だと思っていたが、頬骨の一部だったようだ。その個所の手術は形成外科の担当らしい。
担当がどうであれ、頭の骨の骨折だ。私は「今日対応できないにしても、入院させてほしい」と頼んだが、「形成外科病棟は私たちの管轄外なので無理です」と断られた。「なら、せめて今晩だけでも整形外科病棟に入院させてくれないか」と頼んだが、「整形外科としての処置は終わっており、入院しなければならない状態ではないので」と断られた。
やむを得ずその日はタクシーで帰宅し、翌日またタクシーでその病院の形成外科で診療を受けた。手術は翌日ということになったが形成外科病棟には入院できた。その病棟での出来事が、マイナンバーカードにつながるアイデアを生んだ。
もちろん「お薬手帳」は持って行ったが、入院日当日、担当看護士、薬剤師、麻酔医師が入れ代わり立ち代わり入院中の私のベッドに来て、まったく同じことを繰り返し聞くのだ。あきれ返って最後に来た麻酔医師に「カルテはどうなっているのか」と聞いたところ、麻酔医師は「私は最近この病院に入ったのですが、ここはまだカルテが電子化されていません。私もびっくりしましたけどね」とのことだった。しかも整形外科と形成外科ではカルテも共有されていないということだった。
で、私が思いついたアイデアをメールで首相官邸ホームページの「ご意見・ご感想」欄から送信した。以下、そのアイデアの部分を掲載する。まさか、この提案がマイナンバー法に悪用されるなどとは想像すらしなかった。
なお、私が首相官邸にメールしたのは2013年2月20日。いわゆる「マイナンバー法(国民皆背番号法)」の成立は同年5月24日、交付は5月31日である。

●私が提案したのは「健康カーだ」だった
(前項で記述した経験から私が)思いついたのは『世界共通の医療カルテ』の開発です。
形はカード(クレジットカードや金融機関のキャッシュカードなどと同じです)で、ICチップを搭載します。ICチップには服用中の薬やサプリメントの成分と、現在治療中の内容、潜在的なものも含めた持病など、個人の健康情報を事実上の国際語である英語で読み取れるよう暗号化して入力できるようにします。すでに完治して健康情報として不必要なものは医師や薬剤師等の判断で削除できるようにします。病院や診療所、クリニック、調剤薬局のコンピュ­タと、個人が加入している健康保険証の発行元のコンピュータとオンラインで接続し、健康保険証の発行元でバックデータを保存します。
そのシステムを構築すれば、旅行先でも海外でも、何かの病気にかかったり、事故にあったりしても「健康カード」1枚で個人の健康状態が医師や看護師にすぐわかり、適切な対処ができるようになります。さらにその「健康カード」に加入保険情報も入力できるようにすれば、少なくとも国内ではすべての医療機関で、いかなる状況でも保険治療が可能になります。
この「健康カード」1枚あれば、たとえば転居した場合などに持病でクリニックを変更しなければならなくなった時も、それまでかかっていた医師の診断書も必要なく、同じ治療が継続して受けられるようになります。また医師や薬剤師の負担も大幅に軽減し、その分医師も本来の患者治療に専念できますし、薬の飲み合わせによる副作用も医師や薬剤師の知識に頼らなくても、コンピュータが自動的に判断して医師や薬剤師にアドバイスすることも可能になります。
さらにTPP交渉の如何にかかわらず、近い将来、日本でも混合医療が不可避になります。その場合も「健康カード」があれば、保険治療と自費治療の区別や治療費の請求方法の区別化も簡易にできます。
このシステムを構築するにはカルテの電子化をすでに行っている総合病院と、技術力に優れたシステム開発会社、健康保険証の発行元などの共同開発が必要です。(以下、省略)

●岸田首相の「悪だくみ」は最終的に挫折する
 岸田内閣が推進しようとしているのは、私が提案した「健康カード」とは全く違う。私は保険証は財布に入れて持ち歩いているが、マイナンバーカードは紛失したり盗難にあったりした場合極めてリスキーだから財布に入れていない。
 そもそも、マイナンバー法が野党も反対せずにスムーズに国会を通過したのは、法案を提出したとき政府が「健康情報の一元化のため」という口実を使ったからだ。「お薬手帳」や治療中の健康情報を含まない保険証機能だけをなぜマイナンバーカードに搭載しなければならないか、疑問がわんさとある。
 政府の狙いははっきりしている。国民のあらゆる個人情報を政府が一元的に把握することがマイナンバー法の本当の狙いだから、とりあえず保険証機能をマイナンバーカードに移行した後、様々な個人情報を次々にマイナンバーカードに取り込もうというのだ。
 だからマイナンバーカード取得時にクレジットカード・ポイントを5000円分、保険証機能を搭載した場合にはさらに1万5000円分も大盤振る舞いしたのだ。詐欺とまでは言わないが、かなりあくどい「悪だくみ」であることは間違いない。
 実際にはすべての医療機関や調剤薬局がマイナンバーカード保険証しか受け付けないなどという患者無視のやり方に応じるとは考えにくいし、従来の保険証と併用するようになるだろう。問題は各自治体が政府に屈して保険証の発行を廃止するようになった時だが、自治体の首長は選挙で選ばれた人たちであり、政府の言いなりになるとは思えない。結局健康保険証のマイナンバーカーへの全面移行は挫折することになる。



新学問の「和解学」はさまざまな紛争・対立を解決できるか

2023-05-30 07:05:18 | Weblog
先日、最近話題になりつつある新しい学問ジャンルの「和解学」について、日本の第1人者である浅野豊美氏(早稲田大学政治経済学術院教授)の講演拝聴と講演後の懇談会に参加する機会を得た。
「和解学」という学問ジャンルについては講演会の案内をいただくまでは全く知らなかったし、私のブログの読者の大半もご存じないと思う。だいいち、ネット検索しても「和解学」についての情報はたくさん出てくるが、ウィキペディアにはまだ取り上げられていない。それほどほっかほっかのニュージャンルの学問なのだ。
まず「和解学」が目指していることについて浅野氏の講演及びネットなどで公開されている氏の主張から要約する(ただし私の解釈による)。

●「和解学」とは何か
冷戦時代に興隆した「平和学」、冷戦後にアメリカで生まれた新しい学問体系の試みである「紛争解決学」を発展進化させ、東アジアで深刻化する歴史認識の問題や過去の様々な被害者とその人権や正義を念頭に置きつつ「和解」を可能にする社会的条件を探求することが和解学の目的である。
冷戦後、欧米の諸大学は紛争解決のための研究・教育プログラムに熱心に取り組んできたが、日本を含む東アジアでは紛争解決学が社会に根を張るまでには至っていない。とくに歴史学の影響が強い東アジアのナショナリズム研究・国際関係学・地域研究と結び、さらに思想史の知見によって、その結び付きを体系化しようとしている点で、和解学創成は冷戦後にふさわしい学問である。
とくに近年はウクライナ戦争や米中間の緊張激化など世界はますます混乱の渦に入りつつある。こうした事態は、冷戦後の世界が前提としてきた「経済的に豊かになることで民主的な政治体制への移行が生じる」という期待が安易なものでしかなかったことを意味する。
各国の国益優先のナショナリズムが蔓延しつつある国際社会において、「力」による妥協の産物である見せかけの「政府間和解」ではなく、「人権と正義」に基づく「市民的和解」(すでに一部では成立している)が「国民的和解」へと発展するか、それは「人権と正義」についての共通認識と価値観の共有が欠かせない。
政府の外交によってつくりだされた妥協としての「政府間和解」によることなく、国民を意識しつつ市民としても対話することが不可欠な時代に我々は生きている。そこに和解学が国際社会に根を下ろすことの重要性がある。

●日本政府の「和解」政策の基本は「橋渡し」だが、実行不可能な理由
ここからは「和解学」についての私なりの問題提起をしたい。
まず「和解」が必要になるのは、そこに紛争や対立があるからだという認識が前提になる。そして紛争や対立の内容によっては和解の在り方、道筋も当然異なる。
大まかに分類すれば紛争・対立には「思想的要素」(宗教、価値観、政治体制【民主主義or専制主義】など)と「利害的要素」(家族間の相続・財産分与など、企業間競争、国家間の領有権争い、大国同士の覇権争いなど)の二つに分けられる。そして和解の方法や手段もどういう対立が原因かによって異なる。
たとえば家族間の相続、離婚による財産分与などは争う双方に感情的対立が根底にあるため話し合いではなかなか決着がつかず、裁判官の裁量にゆだねざるをえなくなるケースが少なくない。
国家間の利害対立や紛争は最終的には「力」(軍事的または経済的)が最後にはものをいう。外交による「政府間和解」の問題を妥協の産物として「人権と正義に基づく「国民的和解」に昇華させようというのが浅野氏たち和解学者の研究テーマのようだ。領有権争いや国境線争いなどの国際紛争は国連憲章は「話し合いによる平和的解決」を原則としており、それが不可能な場合は国際司法裁判所での司法の判断を定めてはいるが、当事国の双方が同意しない限り裁判は行われないという欠陥がある。
その場合、国連総会での決議を求めるという方法もあるが、国連安保理には米・英・仏・ロ・中5か国(第2次世界大戦の戦勝国)が常任理事国として君臨し拒否権を有している。そのため国連安保理には国際紛争解決のための非軍事的および軍事的なあらゆる措置をとる権能を与えられているが、安保理決議によって紛争を解決することはほとんどありえない。現にウクライナ戦争の解決に関して国連は機能停止状態に陥っている。解決するための決議や提案に対してロシアがことごとく拒否権を行使しているからだ。
また核不拡散条約は常任理事以外の国の核開発・製造・保有・実験・行使を認めていないが、常任理事国にはそういう制約が一切ない。せいぜい「核軍縮」が制裁なき要望として盛り込まれてはいるが、気休めにすぎない。
つい最近行われた広島サミットでも、日本政府は「核保有国と非保有国の橋渡しをする」ことを核廃絶のために日本が果たす役割としているが、橋渡しをしようにも橋げた1本すら作れない状況だ。橋渡しを実効性のあるものにするためには中立的立場であることが求められるが、日本はアメリカの属国あるいは代理国であるため(少なくとも国際社会からはそうみなされている)、アメリカと対立する国の核政策に対する説得力は皆無にならざるを得ない。橋渡ししようにも橋げた1本作れないのはそのためだ。広島サミットでは共同声明の中でロシアに対して核兵器の使用に反対する旨が盛り込まれたが、もしウクライナがウクライナ国内だけでなくロシア領にも戦線を拡大した場合、抑止力としてロシアが核を使うことへの制裁は不可能だ。
前回のブログでも書いたが、米中覇権争いについても、日本にとっては経済活動に関しては中国とアメリカは同等の位置づけにある。日本の対外貿易も中国とアメリカが突出している。もし万一米中間の紛争が軍事衝突にまで至った場合、どちらが勝利を収めるにせよ米中ともに大きな打撃を受ける。日本は地政学的に米中間の橋渡しができる最高の環境にあるが、日本の外交政策がアメリカの言いなりになっている間は中国にとって日本は敵国扱いになる。インドの八方美人的外交から日本も学ぶべきだろう。

●民主主義体制下で「和解」は実現可能か
さて一番厄介なのは相容れない思想的対立である。国民感情や価値観はその国の支配的宗教に強く影響を受けており、しかも宗教は基本的に一枚岩かつ排他的で対立する宗教に対して寛容ではありえない。例えばキリスト教やユダヤ教とイスラム教は宗祖を共にアブラハムにしているが、彼らの対立は骨肉の争いさえ超えている。とくにイスラム教の排他性は他に例を見ないほどで、同じイスラム教徒の間でもシーア派とスンニ派、イスラム過激派は地域の支配的主導権を巡って血で血を洗う争いを続けている。イスラム教徒の辞書には「和解」を意味する言葉はないようだ。
そういう意味ではマルクス教を教義とする共産党も本質的には宗教組織と同じだ。教祖である志位委員長にちょっとでも逆らったら、たちまち「反党分子」として除名される。最近もかつては共産党幹部の一人だった松竹氏や鈴木氏が「党首(委員長)公選制」や「志位委員長辞任」を訴えた著書を上梓した途端、即除名処分になった。いちおう共産党は民主主義を否定はしていないが、肝心の党内民主主義は全くない。
ちなみに私はこのブログシリーズで22回にわたって「民主主義とは何かが今問われている」を書いてきたが、民主主義の基本原則は「多数主義原理」であり、それが最大の欠陥でもある。建て前としては「少数意見にも耳を傾ける」ことも重要視されているが、最終的に少数意見が採用されることはあり得ない。民主主義の原則に反するからだ。
民主主義という政治のシステムの基本は選挙制度にあるが、現在の日本の衆議院選挙制度である「小選挙区比例代表並立制」の下で1強多弱体制が強固に確立してしまった。
この選挙制度を採用したのは細川政権だが、細川氏は「政権交代可能な2大政党政治」の実現を目指すという大義名分を旗印にした。先進国で2大政党政治を実現しているのはアメリカとイギリスだが、アメリカでは上院は各州2議席制、下院は単純小選挙区制だ。イギリスも日本の衆院に当たる下院はやはり単純小選挙区制で、両国とも日本以上に弱小政党はたくさんあるが、国政には事実上参加できない選挙制度になっている。が、細川政権は寄り合い世帯の野合政権だったため、社会、公明、共産など弱小政党に配慮して比例代表並立制を取り入れてしまった。その結果、当時の弱小政党が国政政党として生き延びただけでなく、雨後のタケノコのように次々と弱小政党が誕生し、「政権交代可能な2大政党」どころか1強多弱の岩盤的政治状況が生まれてしまった。

●自民党が分裂しなくなった理由
1強体制を築いた自民党だが、決して一枚岩ではない。自由党と民主党が合同して自民党が誕生して以降、権力の座を巡って激しい派閥争いを繰り広げてきた。過去には派閥抗争に敗れ党内で冷や飯を食わされて離党したグループもあったが(新自由クラブ、新生党、さきがけなど)、石破氏や河野氏のように冷や飯を食わされながらも離党せず捲土重来を期している大物議員も少なくない。
「大人の政党」になったと言えなくもないが、党内に「和解」の論理が根付いているからとも言えよう。
なぜ自民党には「和解」の論理が根付いているのか。「憲法改正」と「日米同盟最優先」という基本政策だけは全党員が共有しているからだ。
一方、かつて政権の座に就いた細川政権と民主党政権はどうだったのか。
細川政権は共産党のみ除く「オール野党」による野合政権だった。そこに共通する基本理念そのものがなかった。細川氏自身が閣内での根回しも何もせずに「消費税(当時5%)を廃止して福祉税7%を新設する」とぶち上げ、閣内で総スカンを食らい嫌気がさして総理の座を投げ出した。その後も総理の座をたらいまわしにした末に、何も決められずに衆院を解散して「自社さ」政権が誕生した。
「自社さ」政権の最大政党である自民党はあえて総理の座を社会党の村山氏に譲り、社会党に自衛隊を容認させることと引き換えに日本政府として初めて先の戦争に対する謝罪の念を「村山談話」として公にした。その結果、社会党は分裂弱体化していく。自民党の「和解」勝ちとも言えよう。
その後、自民党は細川政権の一翼を担っていた公明党と連携して自公連立政権を誕生させたが、リーマンショックで日本経済も大混乱に陥っていた2009年の総選挙で民主党が308議席という空前の議席数を獲得して政権の座に就いた。
民主党政権は野合政権だった細川政権とは異なりいちおう単独政党政権だったが、民主党自体が野合政党だった。つまり民主党政権は「野合政党政権」だったのである。
実は自民党自体も、先に述べたように一枚岩の政党ではなく野合政党と言えなくはない。そういう意味ではアメリカの共和党や民主党、イギリスの保守党や労働党もそれぞれ野合政党である。が、長い政党運営の歴史を経て野合政党ながら党内に「和解」の論理が根付いている。そのため党内での激しい主導権争いはあるものの、対立政党との政権をめぐる対立(国政選挙)では一致団結する。
が、日本の民主党政権は政党そのものの歴史も浅く、党内融和をいかに実現するかの「和解」の論理が構築されていなかった。民主党政権は東日本大震災という予期せぬ事態に見舞われたことは不幸ではあったが、野合政党のもろさで対策も立てられずに右往左往して内閣支持率が急落、最後は野田総理が自民・安倍総裁と国会で直談判して、消費税増税の3党合意と引き換えに衆院を解散、政権を自公に返してしまった。55年体制を経て「大人の政党」に成長した自民党と、大人になり切れない「子供の政党」のままだった民主党の差があらわれたとも言える。
民主党はこの失敗から「和解」の論理を学び、「大人の政党」への道を辛抱強く歩もうとはしなかった。党内融和どころか党内対立が激化し、四分五裂への道をたどる。
実は民主党の悲劇には選挙制度も大きく影響している。もし衆院議員の選挙制度がアメリカやイギリスのように単純小選挙区制だったら、「小異を捨て大同につく」大人の政党への道を歩まざるをえなかっただろう。が、比例代表制という弱小政党の国政参加への道が作られていたために「ガキの喧嘩」を繰り広げ、挙句の果てに訳の分からないような弱小政党まで雨後の筍のように出現し、1強多弱の政治状況が完成していく。

●「和解学」が目指すべき日韓関係の修復
いま浅野氏らが「和解学」の実戦的応用として取り組んでいる研究テーマの一つに「日韓関係」問題がある。
日韓関係修復のためには、過去の事実問題がどうのこうのという以前に、何が韓国の人々の反日意識を培ってしまったのかを私たち日本人が認識する必要がある。
日本は四方を海という自然の要塞に囲まれているため過去一度も他民族に征服されたり隷属させられたりしたことがない(2度にわたって元寇の襲来は受けたが、占領されたことも支配されたこともない)。先の大戦では敗北した結果、一時的に連合国(実態はアメリカ)に占領され、いまも対米従属的な状態から自立できていないが、それは日本が始めた無謀な戦争の結果という「負の意識」があるため、原爆投下という非人道的な米軍の行動にも抗議の声をあげられないという事実として表れている。
もし日韓併合の原因が、朝鮮による日本侵略戦争に端を発していたら、戦争に負けた結果として日本に併合されたという「負の意識」が韓国人の意識の根底に刻まれていただろう。
朝鮮は大陸とつながっており、つねに隣接する大国からの侵略のリスクにさらされてきた。そのため、中国や蒙古、ロシアなど、その時々の強国との関係を常に重視し、時には従属的姿勢に甘んじながら、いちおう独立を守り続けてきた。その独立国家としての矜持を踏みにじったのが日本であり、その原因は朝鮮にはない。日本に併合されていた期間に味わった彼らの屈辱感が韓国民の国民感情の根っこにあり、歴史認識の背景を形成している。そのことへの思いを、私たち日本人は認識することが「和解」への出発点になる。
徴用工問題や慰安婦問題についての私の考え方は2020年1月6日のブログ「日韓関係をここまで悪化させた張本人はだれか?」や同年8月6日のブログ「広島・長崎の原爆から75年。核のない世界をつくるために日本は何をしてきた?+日韓問題」で書いているのでこのブログでは省略するが、慰安婦問題にしろ徴用工問題にせよ、韓国の人たちの精神構造には韓国の歴史で唯一民族の誇りを失った併合時代の屈辱感が色濃く反映している。日本政府がそのことへの思いを致さない限りカネで一時的に解決しても、それで韓国の人々の怨念が歴史のかなたに消えるわけでは絶対にない。 


日本の「戦後」は、まだ終わっていない

2023-04-24 04:19:07 | Weblog

1956年3月、経済企画庁は「年次経済報告」(経済白書)の総括でこう高らかに宣言した。
「もはや戦後ではない。我々はいまや異なった事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる。そして近代化の進歩も速やかにしてかつ安定的な経済の成長によって初めて可能となるのである」
この時期、果たして本当に「もはや戦後ではない」と言えたのだろうか。戦後はいまだに続いているのではないだろうか。
おそらくすべての現代史学者が疑問を呈してこなかったこの問題を検証してみよう。

●本当の戦後は1946年6月に始まった
終戦の日はいちおう1945年8月15日とされている。この日の正午に昭和天皇が「玉音放送」で終戦を国民に伝えたからだ。
が、その前日14日に御前会議でポツダム宣言受諾を決定、直ちに連合国に通告している。実際にはその後も終戦決定が伝わらなかった地域では小規模な戦闘行為が続いていたのだが…。
1946年5月22日に発足した第1次吉田茂内閣が新憲法草案を国会に提出、6月には第9条をめぐって与野党が真正面からぶつかった。
いまさらの感はあるが、憲法9条2項では「非戦」のために「戦力の保持」と「交戦権」を否定している。また9条の原案はGHQ総司令官のマッカーサーが作った、外交官の幣原喜重郎が原案を作成しマッカーサーが骨子を決めたとか、さまざまな説があり、右派系の人たちはアメリカに押し付けられたと主張している。
「押し付けられた」云々は「だから改正すべき」という短絡した結論に結び付いているが、押し付けられたか否かではなく、問題の本質は現行憲法は占領下で日本が主権を失っていた時期に制定されたものであり、日本が主権を回復した時点で主権国家としての矜持を込めた新憲法を新たに制定しなおすべきだったという点を誰も問題にしていないということにある、と私は考えている。つまり現行憲法制定に際して、前文で「この憲法は日本が主権を回復するまでの暫定憲法である」と明記しておくべきだったのだ。

実は現行憲法が制定されたときの国会で、憲法9条をめぐって吉田総理と野党議員の間で激しいやり取りがあった。
最初に9条に嚙みついたのは日本進歩党の原夫次郎議員。「自衛権まで否定するのか」との指摘に対して吉田は「第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めていない以上、自衛権の発動としての戦争も交戦権も放棄しております」と明確に自衛権を否定している(6月26日)。
この吉田答弁に猛反発したのが今日では護憲政党の旧社会党と共産党。まず共産党の野坂参三議員が「戦争は侵略戦争と正しい戦争である防衛戦争に区別できる。したがって戦争一般放棄という形ではなく、侵略戦争放棄とすべきだ」と主張した。これに対して吉田は「国家正当防衛権による戦争は正当なりとせられるようであるが、私はこのような考えは有害であると考える。近年の戦争の多くは国家防衛権の名において行われていることは顕著な事実である」と答弁している(6月28日)。
また社会党の森三樹二議員が「戦争放棄の条文は将来、国家の存立を危うくしないという保障の見通しがついて初めて制定されるべき」と主張したのに対しては吉田は「世界の平和を脅かす国があれば、世界の平和に対する冒犯者として相当の制裁が加えられることになっている」と応じた(7月9日)。
実はこの吉田の非戦論は保守陣営にも疑問視する声があった。9条は2項から成り立っているが、1項で「不戦宣言」をしたうえで2項では「前項の目的を達するため」という但し書きをつけて「戦力不保持」と「交戦権の否定」をうたっている。この但し書きの部分は当初の憲法原案にはなかった。
そこで民主党の芦田均議員が「1項の非戦宣言は自衛権の行使を排除したものではない。自衛権の行使は国連憲章も認めており、2項での戦力不保持や交戦権否定は1項の目的を達するためという但し書きを挿入すべきだ」と強く主張した結果、現行憲法にこの「但し書き」が加えられることになった(いわゆる「芦田修正」)。
いずれにせよ、この時期の吉田は日本防衛は占領軍(GHQ)に丸投げし、政府は経済復興に全力を挙げる考えだった。
その後の世界情勢を見ると、吉田の純粋平和論がいかに夢幻でしかなかったことが明らかである。むしろ当時の左翼勢力のほうが現実的であった。その左翼勢力がいまや非現実的な護憲勢力になっていることは歴史のパラドックスと言えるかもしれない。
ただし、吉田自身はその後、回顧録の中で「経済的にも技術的にも世界の一流国になった今日、日本の安全保障を他国に頼ったままでいいのか」と日本の自衛力整備を訴えている。

●アメリカの属国になることを明記した旧日米安保条約
吉田が日本の防衛より経済復興を目指したのには、それなりの理由があった。敗戦で日本の大半の都市は焼け野原と化し、国民は衣類や住居はおろか食糧にも事欠く状態であり、国民生活を安定させることが吉田の最優先目標だった。
食糧問題はGHQによる農地解放や食糧援助で解決の道筋がついた。吉田が目指したのは近代産業の復興だった。具体的にはあらゆる資源と資金を当時の2大産業である鉄鋼産業と石炭産業に集中し、近代産業復興の足掛かりを作ることだった。「傾斜生産方式」と呼ばれた経済政策だが、当初は必ずしも経済復興に結び付かなかった。工業製品の生産力はある程度回復したのだが、国民生活や国内産業が疲弊したままだったため、国内需要が思うようには伸びなかったのである。49年4月に1ドル=360円の固定為替相場がスタートしたが、当時の日本の経済力にはかなり厳しいレートだったため輸出も伸びなかった。
が、突然神風が吹きだした。50年6月25日、朝鮮で南北戦争が始まり、共産勢力が優勢だった。49年10月には中国で毛沢東政権が誕生し、朝鮮半島まで共産主義政権が支配するようなことになるとアジア全体が共産化しかねない。中国の内乱には軍事関与する余裕がなかったアメリカだが、さすがにこの事態は無視できなかった。GHQは在日米軍を根こそぎ韓国軍支援のために動員することにした。
その結果、武装解除されていた日本は丸裸になる。今日の状況を自民政府は「戦後最大の脅威」と主張しているが、この時期こそ本当の意味で「戦後最大の危機」に日本は陥ったのである。
マッカーサーも丸裸の日本を無視できなかった。50年7月8日、日本に「警察力増強」を指令する。指令は具体的で、国家警察予備隊7万5000人、海上保安庁8000人の増強が指示された。肝心の武器弾薬の類は米軍が貸与することになった。これが保安隊を経て今日の自衛隊へと強化されていく。
朝鮮戦争は53年7月23日の休戦協定まで3年余も続いた。その結果、日本経済界は朝鮮特需景気に沸き、金属・機械・化学肥料・繊維を中心に輸出が急増、外貨保有高も戦争前の49年末の2億ドルから51年末には6.4億ドルに急増した。傾斜生産方式が特需景気に寄与したことは否定できない。
また朝鮮戦争は日本の再独立も促進した。51年9月4日、米サンフランシスコに52か国代表が集まり講和会議が開かれた。会議4日目の8日、ソ連、チェコスロヴァキア、ポーランドの3国を除く49核が講和条約に調印して日本は再独立した。
が、問題はそのあとだ。講和に引き続いて吉田はアメリカとの間で日米安保条約を締結した。日米安保は前文と5つの条文から成り立っているが、その骨子はこうである。

日本は武装解除されているため固有の自衛権(※国連憲章51条で認められた権利)を行使できる有効な手段を持っていない。そのため日本は自国防衛のための暫定処置として日本を防衛するために米軍が日本国内およびその周辺に駐留することを日本が希望する。アメリカは自国軍隊を日本国内およびその周辺に維持する意思(※「意思」の決定はあくまでアメリカ主導)がある。
駐留米軍は「極東における平和と安全に寄与する」ため、また「外国による教唆または干渉によって引き起こされた日本国内における大規模な内乱及び騒擾を鎮圧するため日本政府の要請に応じて寄与することができる(※「寄与する義務」ではなく、アメリカの自由)」。

この条文(要旨)にあるように、日本には米軍駐留を受け入れる義務が生じるが、駐留場所や規模はアメリカが自由に決めることができることになっている。サンフランシスコ講和条約で日本は再独立したのちに、日本が改めてアメリカの属国になることを明確にしたのが日米安保条約であった。
吉田茂は日本経済復興の貢献者ではあったが、その見返りに日本をアメリカに売り渡した政治家だったのである。この吉田の売国行為が今日まで日本が外交での主体性を発揮できない状況を作り出したのだ。
私は別にアメリカ嫌いの人間ではない。むしろ一番好きな国だし、これまで最も多く訪問した国でもある。日本はアメリカとの友好関係は今後も維持すべきだし、日本だけでなくアジアや世界の平和と安全のためにアメリカと協力すべきことはすべきだと考えてもいる。が、そのことはアメリカの言いなりになることは意味しない。ましてアメリカの覇権主義に対して日本は「NO」と言うべきことは「NO」と言うべきだと考えているだけだ。

●新安保条約・集団的自衛権行使の問題点
吉田内閣が締結した日米安保条約の問題点を解消しようとしたのが安倍晋三の祖父・岸信介だった。岸は1960年、日米安保条約を改定し、アメリカに日本防衛を義務化する内容に改定する(ただし、日本が軍事力を持っていなかった吉田時代と違って、すでに自衛隊が設立されており日本防衛の義務は日米が共同で行うことになった)。
この安保改定については激しい反対運動が生じた(60年安保闘争)。衆院での強行採決と参院での採決を行わずに「自然成立」という強権発動が原因であった。が、60年安保には実はもっと根深い問題があった。いわゆる「極東条項」である(以降、「旧安保」「新安保」と分けて記す)。
旧安保では在日米軍は日本を外国からの侵略や共産勢力による内乱を防ぐことができる(防ぐ義務ではない)ことが明記されていたが、新安保では日米が共同で防ぐことが義務化された。
が、改定点はそれだけではなかった。
在日米軍には日本防衛だけでなく極東における平和と安全を守る「権利」が新たに付け加えられたのだ。在日米軍基地はグアムの米軍基地とともに極東におけるアメリカの覇権を維持するための軍事拠点になったのである。この対米属国条項を岸内閣は承認したのである。
当時、国会でも「極東」の範囲についての激しい議論が行われたが、問題は「極東」の地理的解釈ではない。日本という国がアメリカにとってはグアムと同じ地政学的地位に位置付けられたのが新安保であった。日本をアメリカの属国にしたのが吉田であり、アメリカの事実上の51番目の州にしたのが岸だった。
そして日本をアメリカの51番目の州から植民地にしたのが岸の孫である安倍だった。集団的自衛権についての従来の内閣法制局解釈を変更して日本防衛だけでなくアメリカの覇権行動に軍事的共同行為を行えるようにしたのである(安保法制)。

実は集団的自衛権に関する内閣法制局の従来の解釈自体が間違っていた(安倍はそれをただしたわけではない)。従来の内閣法制局の解釈は「集団的自衛権とは、密接な関係にある国が第3国から攻撃された場合、その国を共同で防衛する権利で、国連憲章によって固有の権利として認められているが、日本の場合は憲法の制約によって行使できない」というもの。
が。この解釈がとんでもない誤解なのだ。国連憲章は第2次世界大戦後の世界平和を実現するためのルールを定めたもので、まず大前提として国際紛争は軍事力ではなく話し合いなど平和的手段で解決することを定めている。とはいっても平和的手段で紛争を解決できなかった場合、憲章は国連安保理に紛争解決のためのあらゆる権能(軍事力によらない経済制裁および軍事的手段の行使)を付与することにした。が、国連安保理には拒否権を有する5大国が存在して、紛争を解決できないケースが生じることも考えられた。で、憲章は51条は第3国から不当な攻撃を受けた国に対して、安保理が紛争を解決するまでの間に限って【個別的または(英文ではor)集団的自衛権の行使】を認めることにした。憲章の文章自体が誤解を生んだと言えなくもないのだが、orではなくandであれば、例えば日本が第3国から不当な攻撃を受けた場合、自衛隊が米軍と共同で日本防衛にあたることを意味し、であれば日米安保条約によって日本はいつでも集団的自衛権を行使できることになるはずだ。
が、新安保条約によってアメリカには日本が不当な攻撃を受けた場合、自衛隊と共同で日本を防衛する義務が生じたが、トランプが大統領時代にいみじくも発言したように「アメリカは血を流して日本を防衛する義務があるが、アメリカが第3国から攻撃されても日本人はソニーのテレビを見ているだけだ」という片務的要素がある。安倍はこの片務性を解消して双務的な関係にしたかったのかどうかは不明だが、日本も密接な関係にある国が第3国から攻撃を受けた場合、その国の防衛に軍事的協力ができるように解釈を変更したのが安保法制である。だが「平和の党」を自負する公明党の抵抗があって集団的自衛権の行使は「日本が存亡の危機に直面した場合」という条件が加えられたが、吉田が憲法制定国会で「近年の戦争の多くは自衛の名において行われた」と答弁したように、「日本が存亡の危機にあるか否か」はその時の政府の解釈次第でどうにでもなってしまう。
憲法ですら「解釈改憲」がまかり通る日本だから、法律にすぎない安保法制なんか政府がどうにでも解釈できる。そもそも「日本存亡の危機」と国民が判断できる基準が示されていない。国民が判断できないことを政府が勝手に判断できる法律だ。

●なぜ日本はアメリカのアメリカ防衛の田茂の自衛隊基地を作らないのか
前項で書いたように、前米大統領のトランプは日米安保条約の不平等性を訴えた。トランプの指摘はもっともだし、私もその通りだと思う。アメリカだけが日本防衛の義務を負い、日本はアメリカ防衛の義務を負わないのは明らかに不平等であり、そのため日本はアメリカの属国にならざるを得ない。
「在日米軍基地は日本防衛のためだけでなく、アメリカの覇権を維持する目的もあるから、日本が一方的に借りを作っているわけではない」という反論もある。しかし、この反論をアメリカは認めていない。
だったら、以前にも私はブログで書いたようにアメリカ防衛のための自衛隊基地をアメリカに作れと主張してきた。もちろんアメリカのどこに自衛隊基地を作るかは在日米軍基地と同様、日本が決める。地位協定も在日米軍が日本に押し付けた内容と全く同じにする。日本もアメリカを防衛するために血を流す用意があることをアメリカ人に知らしめるべきだ。
ただし、米軍が日本防衛の義務を行使する条件は、日本が第3国から不当な攻撃を受けた場合に限られており、日本の都合で第3国と戦争を始めた場合には安保条約は適用されない。同様に、自衛隊が軍事行動に出る場合はアメリカが第3国から不当な攻撃を受けた場合に限られる。アメリカの覇権主義を自衛隊が支援する必要は全くない。
ただし、その場合も本来は憲法9条に抵触すると、私は思う。私はそう思っているが、安倍が成立させた安保法制の解釈次第では「日本の唯一の同盟国であり、日本防衛の責任を負ってくれているアメリカがもし戦争に負けたら日本存亡の危機だ」という解釈が成り立ちうる。そういう解釈を前提にすれば、アメリカ防衛のために自衛隊基地をアメリカの作ることも憲法違反にはならない。
ただ問題は、自衛隊基地の設置と地位協定をアメリカが受け入れるかだ。誇り高いアメリカが日本に守ってもらう自衛隊基地設置を認めるわけがない。
日本がそういう提案をアメリカにぶつけたら、アメリカが喜ぶわけがない。当然拒否する。が、そういう状況を作ることが今の日本にとって最大の安全保障策なのだ。
なぜか。いま日本を敵視し、日本を侵略したいと考えている国が世界にあるだろうか。北朝鮮は核・ミサイル開発に狂奔しているが、日本を攻撃するためではない。しいて日本と敵対しようとする国は韓国だけだが、韓国も反日政権と親日政権が入れ代わり立ち代わり状態だから日本を攻撃したりはできない。
政府は「いま日本は戦後、最も危機的な状況にある」と主張しているが、そのリスク要因は在日米軍基地にある。これまでもアメリカはイラク戦争にしろアフガニスタンのタリバン政権攻撃にしろ、自国にとって気に入らない国には必ずしも正当性がない攻撃も行ってきた。古くは朝鮮戦争もベトナム戦争も、アメリカが攻撃されたわけでもないのにアメリカの言いなりになる国を増やすために戦争をしてきている。その成功例が唯一、日本だけだ。
そういうアメリカの戦争ビヘイビア原理は広く世界から知られている。そのため、アメリカのご機嫌を損ねて戦争を仕掛けられた国は、自国防衛の手段として米軍基地を攻撃する。そしてアジア最大の米軍基地は日本とグアムに集中しているから、アメリカがアジアの国(はっきり言えば中国と北朝鮮)と戦争を始めた場合、日本の米軍基地が真っ先に攻撃対象になる。つまり、現在の日本の安全保障上の最大のリスクは在日米軍基地の存在なのだ。
私は日本の米軍基地を全廃しろなどと主張しているわけではない。日本にとって安全保障上の大きなリスクにならない程度まで縮小すべきだと考えているだけだ。そのためにもアメリカに自衛隊基地を作らせろとアメリカに要求すべきだというのが私の考え。
すでに述べたように、誇り高きアメリカが日本に守ってもらうなどという提案を受け入れるわけがないから、そこで日本もアメリカの言いなりにならず、日本防衛に必要な場所と規模に限定して、アメリカの覇権維持のための基地は全廃してもらう。そう日本が主張できる根拠が生じる。
政治家だけでなく日本国民の多くも「日本はアメリカに守られている」と思い込んでいるようだが、実は在日米軍基地の存在が今の日本にとっては安全保障上の最大にリスク要因になっていることにそろそろ気づいてもいいのではないか。アメリカが血を流しても日本を守ってくれるわけがない。

●北朝鮮の核・ミサイルは日本を標的にしたものではない
実際日本を敵視している国が今どこにあるか。韓国はしばしば親日政権と反日政権が交互に誕生したりしているが、日本を相手に事を構えようとまでの反日政権ではないし、また韓国民が対日戦争を認めるわけもない。そもそもアメリカが絶対に阻止する。
では日本政府が「日本にとっての危機」と認識している北朝鮮、中国はどうか。少なくともロシアは日本との平和条約締結を熱望しているくらいだから危機の対象ではない。
まず北朝鮮の核・ミサイル開発やミサイル発射実験は日本にとって本当に危機なのか。2017年9月28日の臨時国会冒頭、安倍総理(当時)はその直前に北朝鮮が襟裳岬上空をかすめるミサイル発射実験を行ったことを奇貨として「国難突破解散」に打って出た。
この臨時国会ではモリカケ問題をめぐって安倍総理の「お友達優遇」政策が追及されることが必至で、当時の安倍内閣の支持率は急降下している時期だった。そういう時期に日本国民の感情を逆なでするようなミサイルを北朝鮮が発射したことにメディアも一斉に反発、解散後の衆院選では自民党が圧勝して「安倍1強体制」が確立されたという経緯がある。
が、北朝鮮は日本を挑発したり威嚇したりするために核・ミサイル開発に狂奔したり実験を行ったりしているわけではない。そもそもレーガン米大統領が格別な根拠もないのに北朝鮮を「悪の枢軸」「テロ支援国家」などと敵視発言を繰り返して北を挑発したことに北が反発したのが原因である。
しかも北にとって中国は「兄貴分」ではあっても同盟関係にはない。現に北の金正恩は「日本や韓国はアメリカの核の傘で守られているが、我が国は自力でアメリカの核の脅威から守らざるを得ない」と何度も発言している。中国が「弟分」の北をなぜ自国の核の傘で守ってやろうとしないのかは、かつての毛沢東と金日成の思想的確執にある。
戦後、旧ソ連の支援を受けて朝鮮半島北部を支配した金日成が半島すべてを共産化しようとして南部を支配していた韓国に攻め込んだのがきっかけで朝鮮戦争が始まった。
当初は北が優勢で韓国の首都ソウルを占領するなど攻勢を強めていた。中国での共産革命時には蒋介石政府を支援できる余力がなかったアメリカだが、この時は日本を占領していた「国連軍」(実態は米軍)を根こそぎ朝鮮半島に動員、戦況は一変した。そういう状況の中で北支援に乗り出したのが毛沢東で、米中間の直接的な軍事衝突を避けるため志願兵と称した軍事支援だった。戦争は3年余にわたって行われたが、1953年7月27日に休戦協定が結ばれて戦争状態はいちおう終結した。
56年2月、旧ソ連のフルシチョフがスターリン批判をはじめて西側との平和共存路線を提唱、これに毛沢東が猛反発、中ソ間に亀裂が生じだした。60年4月には人民日報が『レーニン主義万歳』論文を掲載、中ソの対立が決定的になる。その結果、中ソの板挟み状態に陥ったのが北というわけだ。
金日成は61年7月、中ソの双方と友好条約を締結すると同時に、中ソ対立には中立的立場を表明、さらに思想的にも「自主・自立・自営」をモットーとする「主体思想」を提唱して中ソとの間に一定の距離を置く政策をとった。その結果、中国は北に対して食糧など経済的支援は行うが、軍事的には同盟関係を結ばずに今日に至っている。もし中国が北と軍事同盟を結んで北を核の傘で守る姿勢を鮮明にしていたら、金正恩政権も国民生活を犠牲にしてまで核・ミサイル開発に狂奔することはなかっただろう。
そのうえすでに述べたように韓国は親日政権と反日政権が交互に誕生するような状況にあり、その政権のスタンスが北との関係にも反映されてきた。具体的には親日政権は反北政策を重視し、逆に反日政権は親北政策をとるという構造になっている。そして親日政権は米韓軍事演習を強化して北への挑発を繰り返し、反日政権は北への挑発を極力控えてきた。
そういう状況の中で北が行っている核・ミサイル開発や実験が日本を標的にしたものでないことは明々白々である。ただ、北の地政学的状況からアメリカ本土まで届くミサイルの発射実験を行う場合、津軽海峡上空以外に方向がない。日本が仮にミサイルを開発して、かなり長距離の発射実験を行う場合、どこからでもまたどの方向でも他国の領海域上空に向けた発射実験をする必要がないが、北の場合は選択肢が全くない。
そういう状況を理解したうえで、何らかの事故が起きないという保証はないのだから、日本政府としてはいたずらに「北の脅威」をがなり立てるのではなく、いかにこの地域の平和と安全を守るかという視点で解決策を講じるべきだろう。具体的にはアメリカに過度な北挑発の抑制を求め、北に核・ミサイル開発の口実を与えないことだ。核禁条約に反対して核不拡散条約を支持している日本政府の役割は「核保有国と非保有国の橋渡しをすること」だそうだが、本気で「橋渡し」をする気があるのであれば、まず米北関の「橋渡し」をすることだ。そのためにはアメリカに対しては「いたずらに北を挑発するようなことはやめてくれ。北がアメリカの挑発に乗った場合、北の核のリスクにさらされるのは日本と韓国だ。アメリカはそういう事態を同盟国に対して望んでいるのか」と主張すれば、アメリカも否定できなくなる。
一方北に対しては「実際に米北戦争になったら北は滅亡する。資金や技術力ではできるだけ日本も協力するから、核やミサイル開発など国民生活を犠牲にするような政策は辞めて、国民生活が豊かになるような経済発展を目指すべきだ」と説得するべきだ。
それが日本が果たすべき「橋渡し」だし、その結果として日本国民も北の核・ミサイルを脅威に感じなくて済むようになる。

●米中の覇権主義衝突も、日本が「橋渡し」すべきだ
北朝鮮の核・ミサイル以上に日本にとって大きなリスクは米中の衝突だ。台湾有事は日本有事だという「安倍のマジック」にメディアも国民も引っかかっているが、台湾問題はあくまで中国の国内問題だ。
1978年、アメリカはキッシンジャーの根回しによって日本の頭越しにニクソンが訪中して毛沢東や周恩来と会談、「台湾問題は中国の国内問題」を意味する「一つの中国」で一致、米中国交正常化を実現した。米中共同声明では「アメリカは中華人民共和国が中国の唯一の合法政府であることを承認する」と明記している。慌てて日本も田中角栄首相が訪中、周恩来と会談(毛沢東は会ってもくれなかった)、アメリカと同様「一つの中国」を認めて国交回復した。
が、アメリカは翌79年、議会がニクソンの「一つの中国」承認を事実上ひっくり返してしまった。「平和的な手段以外で台湾の将来を決定しようとする試みは地域の平和と安全にとって脅威だ」との決議を採択、台湾への武器供与など同盟関係の継続を承認した。その結果、台湾問題に関するアメリカのダブル・スタンダードが始まる。
もちろん現在の台湾問題は習近平による膨張政策と覇権主義の強化に端を発していることは言うまでもない。国際的にも中国領土と認められていない南沙諸島(南シナ海)を強大な軍事力によって実効支配に踏み切り、軍事拠点化によって東南シナ海地域への支配力を強化しようとしている。
そうした習近平・中国の覇権主義に対してアメリカが指を咥えてみているわけがない。まして台湾問題に関しては微妙なスタンスをとっており、中国の台湾への軍事侵攻は絶対に認めないという立場だ。
問題はこうした米中の対立の中で日本はどういう外交スタンスで臨むべきかだ。明確な根拠もなく「台湾有事は日本有事だ」と国民を煽り立てることは百害あって一利がない。
もちろん「台湾有事」はあってはならないことだ。だいいち、中国が軍事侵攻を強行しようとすれば、ウクライナ戦争の二の舞になりかねないことくらい、習近平も百も承知しているはずだ。
習近平は香港での民主派一掃経験から台湾支配にも自信を深めているかもしれないが、日本のメディアも勘違いしているようだが香港の「一国二制度」状態は変わっていない。香港政庁はいまでも香港政府として存続しているし、現に香港の法定通貨は「香港ドル」である。中国本土の州政府とは一線を画している。先ごろ閉会した全人代にも香港代表は参加していない。
そうした対香港政策と同様、習近平も「一つの中国」を実現した場合でも香港と同様の「一国二制度」にするつもりではないか。いったん、台湾の独立性は承認しつつ、香港のように親中国派が権力を掌握するのを待って民主派一掃に乗り出すと考えられる。
このような「一国二制度」での台湾の中国化が実現するか否かはもちろん不明だが、いずれにせよ台湾の人たちが決めるべきことだ。
もちろん「台湾有事」はあってはならないことだし、日本も対岸の火事扱いして傍観することは不可能だ。実際、「台湾有事」にアメリカが軍事介入した場合、米軍兵力は沖縄の米軍基地から派遣される。
いま日本でも「敵基地攻撃は自衛権の範囲だ」と主張する政治家が増えているが、「攻撃は最大の防御」(孫氏の兵法)は戦争の常識。もし米中軍事衝突が生じた場合、中国は沖縄の米軍基地を攻撃する(沖縄以外の基地からも米軍が出動すれば、火だるまになるのは沖縄だけではない)。そういう事態を避けるためにも、日本は米中間の橋渡しを外交の基本路線にすべきだろう。
実際、米中のどちらが軍事的に勝利して東南シナ海周辺の覇権を掌握したとしても、双方が受ける打撃は取り返しがつかないほど大きなものになる。それにアメリカも中国も、日本と同様経済関係は極めて深くなっている。敵対関係に陥った場合、失うものの大きさを考えたら派遣を掌握することによる利害得失をはるかに超える。
近頃中国を訪問したフランスのマクロン大統領は「アメリカの同盟国はアメリカの下僕ではない」と台湾有事に対する独自の立場をとることを表明したが、少なくとも日本政府もアメリカにしっぽを振るだけでなく、米中間の橋渡しに積極的な役割を果たすことで、この地域の平和と発展に貢献すべきではないだろうか。

●最大の安全保障策は敵国を作らないことに尽きる
言うまでもないが、最大の安全保障策は一切敵国を作らないことである。日本を敵視する国がなければ日本の平和と安全は保たれる。
いま岸田政権は軍事的防衛力の強化に必死になっている。が、仮に中国と軍事的衝突するような事態になった場合、日本はどの程度の軍事的防衛力を備えれば平和と安全を守れるだろうか。どんなに軍事力を強化しても日本に勝ち目はない。
少なくとも現時点で中国は日本を敵視してはいない。が、中国を日本政府が「仮想敵国」視して軍事力を強化すれば、当然のことだが中国の対日感情は悪化する。自公政権は「台湾有事は日本有事」と軍事力強化の口実にしているが、台湾有事が日本有事になるとしたら、台湾有事にアメリカが軍事介入し、在日米軍が対中軍事行動に出た場合のみである。その場合、中国は自衛隊基地を攻撃したりはしないが沖縄などの米軍基地は間違いなく攻撃対象になる。
そして米中衝突に自衛隊が米軍支援の軍事行動に出れば、中国は当然自衛隊基地も攻撃対象にするだろう。
ということは日本の平和と安全に寄与するために設置されているはずの米軍基地の存在が、いまや日本にとって最大の安全保障上のリスク要因になっていることを意味する。現に朝鮮戦争の時、在日米軍は根こそぎ動員され、日本は丸裸になった時期がある。当時は旧ソ連も原爆開発にまだ成功していなかったため、日本侵略の野望を抱かなかったが、もし旧ソ連が原爆開発に成功していたら日本に手を出していた可能性がかなりあったと私は思っている。実際、マッカーサーもこの時期の旧ソ連の対日侵略の可能性について強い危惧を持っていたようで、のちに自身の『回顧録』でこう記している。
「(在日米軍を根こそぎ朝鮮半島に動員した場合)日本はどうなるのか。私の第一義的責任は日本にあり、ワシントンからの最新の指令も『韓国の防衛を優先させた結果、日本の防衛を危険にさらすようなことがあってはならない』と強調していた。日本を丸裸にして、北方からのソ連の侵入を誘発しないだろうか。敵性国家が日本を奪取しようとする試みを防ぐため、現地部隊を作る必要があるのではないか」
この『回顧録』でマッカーサーが記した「現地部隊」とは今日の自衛隊であり、日本の再軍備化を示唆したものである。在日米軍は状況によっては「日本防衛の第一義的責任」を放棄してアメリカの東南アジアにおける覇権維持を優先することが明確になったと言えよう
仮に中国が台湾支配に乗り出したとしても、習近平は香港の外国資産には一切手を付けなかったように、台湾の日本企業やアメリカ企業など外国の試算や事業には一切手は出さない。仮に台湾海峡に中国の覇権が及んだとしても中国との友好な関係を継続する限り日本船舶航行の自由が脅かされるようなことはあり得ない。
アメリカが台湾防衛を重視するのはアメリカの勝手だが、日本が巻き込まれる必要は全くない。そういう意味では日本政府は米政府に対して「アメリカが軍事行動に出る場合、少なくとも在日米軍基地からの直接出動はしないでくれ。どうしても在日米軍を出動させるというなら、いったんグアムなどの米軍基地に移動したうえで作戦を展開してくれ。日本は憲法上も日本が直接攻撃対象になっていないのに自衛隊が米軍に協力して軍事行動に出ることは認められていないし、国民も許さない」と強く申し入れるべきだ。
もちろん台湾有事に際して日本がとるべき最善の外交手段は前項でも述べたように米中間の「橋渡し」をして、日米中が協力して東南アジアの平和と安全、東南アジア諸国の繁栄と経済発展に貢献すべきだと提案することだ。そのうえで台湾の帰趨は台湾の人たちが最終的に決めることと、米中の軍事的覇権争い
に歯止めをかけるよう最大の努力をすべきだろう。
 このように日本がアメリカと対等の立場を形成してアジアの平和と繁栄に貢献できるようになって初めて、「もはや日本は戦後ではない」と胸を張れるのだ。
日本がアメリカの「忠犬ハチ公」の状態を継続している間は、「日本の戦後はまだ終わっていない」と言わざるを得ない。















岸田総理の「異次元の少子化対策」は異次元のバラマキだ

2023-03-30 09:44:22 | Weblog
岸田総理が1月4日の年頭記者会見でぶち上げた「異次元の少子化対策」のたたき台がまとまった。
一言で言えば、バラマキで少子化に歯止めをかけようという「対策」でしかなく、私は効果はほとんど期待できないと考えている。
バラマキの具体策は、子育て世帯や若年夫婦を対象に住宅購入を支援するため長期固定金利の住宅ローン「フラット35」の金利を引き下げること。所得制限も設けないという。住宅関連業界にとっては盆と正月が同時に来るような話だ。
また児童手当も所得制限なしに大盤振る舞いする予定。
が、バラマキで少子化に歯止めをかけることが、果たしてできるのだろうか。

●OECD諸国はイスラエルを除いて少子化に歯止めがかからないという現実
厚労省が2月に発表した速報値によると、昨年生まれた日本の子供の数は79万9728人で初めて80万人を切った。国立社会保障・人口問題研究所の予測によれば出生数が80万人を切るのは2030年ということだったので、コロナの影響が大きかったとはいえ少子化が急速に進んでいることが明らかになった。
一人の女性が一生の間に産む子供の数の平均値を「合計特殊出生率」というが、国の人口を維持するために必要な合計特殊出生率は2.18と言われている。2.0を超えるのは子供のうちに死亡するケースがあるためだが、実際には医療技術の急速な進歩によって子供の死亡率は減少する一方、高齢者の寿命が延びているため単純に人口維持だけを基準にすると現在は合計特殊出生率は2.18を多少下回っていると考えてもいいだろう。が、子供や高齢者は国の経済活動にはあまり寄与しないから、生産人口(労働人口)の減少はかなり危機的な状況に陥りつつあると考えてもいい。
ややデータが古いがOECD34か国の2020年の合計特殊出生率で2.18を上回っているのはイスラエルだけだ。イスラエルの場合はアラブ諸国(イスラム教国)との緊張関係から、戦前・戦時中の日本のように「産めよ増やせよ」の国策が出生率に反映しているから、他のOECD諸国がイスラエルの国策をモデルにすることは不可能。
他のOECD諸国の主な国の合計特殊出生率は高い順から見ると、フランス1.83、アメリカ1.63、イギリス1.56、ドイツ1.53、カナダ1.40、日本1.34、イタリア1.24、最低の韓国に至っては0.83である。韓国については昨年の出生率が0.78まで低下したことが明らかになっており、いずれ韓国という国が消滅する危険性すら生じている。日本も昨年は1.30を割ったとみられる。
日本に限らず、各国は少子化に歯止めをかけようと必死になっているが、政府の対策は基本的にバラマキに終始しており、効果は少ない。
出生率が2.0を切っている先進国で比較的出生率が高めのフランスとアメリカはともに多民族国家であり、両国とも白人人口は減少しているようだ。「貧乏人の子沢山」は世界共通のルールと言えるかもしれない。

●バラマキでは少子化問題は解決しない、これだけの理由
他のOECD諸国の少子化の原因については不明だが、おそらく共通して言えることは女性の高学歴化と社会進出の拡大が女性の晩婚化、少子化の2大要因だと私は見ている。日本の場合は、それに加えて核家族化が子育て環境を厳しくしていると思われる。
私自身のケースで言えば、小学生の時のクラスで大学に進学した女子は1人だけだった。もう一人優秀な女子がいたが、国立大学の受験に失敗して就職した。大学に進学した女子は大地主の子供で、進学先も学費がかなりかかる私立大学だった。
一方男子は7割くらいが大学に進んだと思う。
私の年代では高卒女性の人気就職先のトップは銀行で、銀行の窓口担当は若い高卒女性のあこがれの仕事だった。いま銀行の支店の窓口を単相している若い女性はほとんどいない。子育てが終わったおばちゃんたちが大半を占めているようだ。現在はどうか。
高校進学率は女子95.7%、男子95.3%と女子のほうがやや高い。
大学進学率になると女子48.2%、男子55.6%と、男子が7.8%上回っているが、女子の8.9%が短大に進学しており、短大も含めると女子の高学歴化が際立っている。
確かに日本はいまだジェンダーギャップが大きく、世界156か国中120位にランクされているが、その理由は日本独特の年功序列・終身雇用という雇用形態に基づくと考えられる。が、そうした雇用形態も徐々に崩れつつあり、社会も女性の労働力活用を求めるようになりつつある。
こうした社会状況の変化が女性の価値観に大きな影響を与えていることは否定できない。「男は金を稼ぎ、女は子育てと家庭を守る」といった従来の男女の役割分担はもはや社会的に通用しなくなっている。女性も子育てや家庭を守ることより、自分の能力を必要としてくれる社会での活躍に生きがいを求めるようになってきた。
かつて日本でも大流行した経営理論があった。アブラハム・マズローが唱えた「人間の欲求5段階論」やダグラス・マグレガーが唱えた「X理論・Y理論」説である。
マズローは人間の欲求を5つの段階に分類して最も高度な欲求は「自己実現の欲求」だと位置づけた。なお4番目の高度な欲求は「他人や組織、社会から認めてもらいたい」欲求とした。
この欲求5段階論をベースにマグレガーが唱えたのは、人間の本質についての分析で、人間は本来怠け者で強制やアメとムチの使い分けをしないと働かないタイプ(Xタイプ)と、能力を磨き、その能力を発揮することに生きがいを求めるタイプ(Yタイプ)がいるという理論。
いずれも経営者にとってはまことに都合がいい理論で、従業員に金銭的報酬や名誉、役職などにとらわれず成果を上げること、能力を発揮することを生きがいにしろという「働きバチ人間育成」に大いに活用したものである。
ある意味では今の女性はそういう価値観に目覚めだしたと言えないこともない。能力を磨き、活かしたい。社会から、組織から認められるような仕事をしたい…。
そのうえ日本では核家族化が急速に進んだ。私たち夫婦の場合には、私の実家から車で30分もかからないところにアパートを借りて新生活を始めたこともあり、妻が二人目の子供を出産したときはかなりの長期間、第1子を父母に育ててもらった。そういうことが今は困難になっている。そのため保育園が急増したのだが、昼間預けることしかできない。所詮、保育園はおじいちゃん、おばあちゃんの代わりにはなりえない。
少子化が急速に進んだのは、そういう社会的背景があるためであって、そういう事情はカネでは解決できない。
私は子育て支援が無意味だとまでは極論しないが、そうした社会的構造の変化を止めることも不可能だ。まして日本はジェンダーギャップが大きすぎると国際社会から批判を浴びており、女性を家庭に縛り付けることなど不可能だ。
また、そうした社会的変化は高齢者の生き方も変えつつある。昔は「老いては子に従え」という格言もあったが、それは「老いたら子供の世話にならなければならないから、子供に逆らうな」という老人の知恵でもあった。が、いまは大半の高齢者が「子供の世話にはなれない、なりたくない」と考えており、地域の高齢者たちの趣味を中心にしたサークル活動が盛んになっている。
少子化問題を考えるには、そうした社会構造の変化の中でどう子育てと女性の社会活動を両立させるかの仕組みを考えないと、カネさえばらまけばいいという対症療法的手法では税金の無駄遣いになるだけだ。

NHK『日曜討論』で判明した日本の経済学者たちの無知無能

2023-02-21 10:00:26 | Weblog
 しばらくブログを休んでいたが、2月19日のNHK『日曜討論』で、経済学者たちがあまりにもくだらない議論に終始していたので、そのことについて書く。 周知のように4月8日、日銀の総裁が交代する。安倍元総理とタッグを組んで金融緩和政策を続けた黒田総裁に代わって元日銀審議委員の植田和男氏が就任することになった。東大で数学を専攻した経済学者という変わり種だ。 NHKは『日曜討論』に元日銀副総裁など経済学者ら10人近くを集めて新総裁の下での金融政策の在り方を議論させた。が、出席者は黒田金融緩和政策の支持者ばかりで、消費者物価2%増の安定した経済成長路線を継続すべきという主張に終始。アベノミクス批判すらこれっポッチも出なかった。 ●日本はなぜ石油ショック・超円高を乗り切れたのか 経済学の初歩の初歩だが、需要が供給を上回れば物価は上昇(インフレ)し、逆に供給が需要を上回れば物価は下落(デフレ)する。 『日曜討論』出席者たちが一様に主張したのは、「消費者物価2%上昇を目指して金融緩和政策を続けたのは間違いではない。ただ、黒田が期待していた賃金上昇が伴わなかったために需要が伸びず、2%の物価上昇という安定した持続的経済成長が実現しなかった」というアベノミクス擁護論ばかりだった。 なかには賃金が上昇しなかった理由として労働者全体に占める非正規労働者の比率が増えて賃金上昇の足を引っ張ったという事実を指摘した学者もいたが、需要が伸びなかったのは日本の労働者の平均賃金が「失われた30年間」ほぼ横ばいを続けたためだけではない。 たとえば生産人口(労働人口)の平均所得が仮に2倍になったとしても、生産人口数がその間に半減すれば総需要は増えない。 また消費者の消費意欲を刺激するようなものが次々に出現しない限り、生産人口の可処分所得が消費に回ることもない。 そうした基本原則をベースに、日本の生産人口の平均賃金が上昇したら需要が増えて物価が上昇し、生産活動が活発化して持続的な経済成長が実現するかを検証しよう。 日本が高度経済成長時代を迎えたのは1960年代以降である。その後、1990年代に入るまでの約30年間、日本経済は2度にわたる石油ショックやプラザ合意による超円高時代を乗り切って成長を続け、バブル景気の崩壊によって経済成長時代は幕を閉じた。 まず日本経済にとって石油ショックとは何だったのか。「石油ショックは日本経済にとって実は神風だった」ことを初めて指摘したのは私である。しばしば雑誌などでは単発的に書いてはきたが、92年、まだバブル景気の余韻が残り日米経済摩擦が最高潮に達していた時期に『忠臣蔵と西部劇 日米経済摩擦を解決するカギ』と題する本を上梓した。同書で私はこう書いた(概要)。 「日本は石油消費量の99.7%を輸入に依存している。日本産業界は生き残るために『省エネ省力』『軽薄短小』を合言葉にエレクトロニクス技術の革新に成功し、短期間に世界をリードする技術大国になった。一方産油大国のアメリカは日本のような危機感を持たなかった。アメリカの自動車メーカーもガソリンがぶ呑みの大型車を作り続け、アメリカ国民も危機意識を持たなかった。その結果、日本メーカーが開発に成功した省エネ小型車が世界を席巻することになった。日本のエレクトロニクス技術の恩恵を受けたのはクルマだけではなかった。電気製品や工作機など、ほとんどあらゆる工業分野で日本は世界をリードすることに成功した」 その結果、日米経済摩擦が激化していく。 1981年1月、アメリカではレーガン政権が誕生した。トランプと同様「強いアメリカの再生」を旗印にレーガンは対ソ軍拡競争を仕掛けると同時に、前大統領カーターの負の遺産ともいえる超インフレを抑え込むために政策金利上昇・通貨供給量の抑制という経済政策を採用した。 対ソ軍拡競争では見事に成功してソ連邦崩壊を導いたが、そのために財政赤字が急速に膨らんだ。一方経済政策では20%超の高金利時代を招いて極端なデフレに襲われ貿易収支は悪化の一途をたどった。つまりレーガン政権は財政赤字と貿易赤字という双子の赤字を背負い込むことになり、米産業界の立て直しが政権の急務になった。 産業界を立て直す手っ取り早い方法は為替相場をドル安に誘導して米国製品の国際競争力を回復させることだ。そこでアメリカは85年9月、ニューヨークのプラザホテルに日・独・英・仏4か国の中央銀行総裁と財務大臣を招へいし、円高・マルク高・ドル安への協調介入を頼んだのだ。誇り高きアメリカが外国に頭を下げてお願いしたのは、おそらく歴史上空前にして絶後だろう。これがいわゆる「プラザ合意」という為替介入で、英ポンドや仏フランは為替変動の対象ではなく、事実上の標的は日本円と独マルクだった。 当時、円は240円台だったが、2年後には120円台と2倍の円高になった。なのに、なぜ日本産業界は壊滅状況にならなかったのか。その理由も同書にこう書いている(概要)。 「私は自動車メーカー、電機メーカー、カメラメーカーなどの首脳にインタビューした。円が対ドルで2倍になったらドル建て輸出価格も単純に考えたら2倍にならないとおかしい。が、競争相手がほとんど海外にないカメラでもドル建て輸出価格はせいぜい2~3割アップ。自動車や電気製品に至っては2割増にも達しない。なぜかと聞くと、『乾いた雑巾をさらに絞って最後の一滴まで絞り切るほどの合理化努力で円高を乗り切った』(トヨタ)という。合理化努力によってコストダウンに成功したというなら、その恩恵をなぜ日本の消費者は受けられないのか。むしろ日本国内では『高品質化』『高性能化』を口実に値上げまでしているではないか」 ●日本社会が抱えている構造的問題 実は同書を書いた時点では私もまだ気づいていなかった日本の伝統的な雇用関係が背景にあった。当時はまだ日本は高度経済成長中であり、国内の購買力が衰えていなかった。たぶん少子化はすでに始まっていたと思うが、誰も気づかなかったし、まして高齢化社会の到来を予測した人はいなかった。 ただ同書で書いたことがあり、それは日本労働者の企業に対するロイヤリティの高さについてである。実は82年に米経営学者のトム・ピーターズとロバート・ウォーターマンが著し世界的ベストセラになった『エクセレント・カンパニー』(日本語訳は大前研一)で、IBMやGM、ゼロックスなどの優良企業では日本型の経営を取り入れているという指摘について私は「日本企業の労働者の企業に対するロイヤリティの高さは終身雇用制によって定年までの雇用が約束されているからであって、雇用や待遇についての裁量権を上司(ボス)が持っているアメリカなどではロイヤリティの対象が企業ではなく直属の上司になっているだけだ」と論評したことがある。 いずれにせよバブル崩壊以降、日本企業の経営の在り方は大きく変わった。 ちょうどこの時期、バブル景気が頂点に達しつつある89年9月から翌90年までロングランで行われた日米構造協議によってである。「アメリカのシステム」や「アメリカのビジネス・ル-ル」を日本が採用すれば日米間の諸問題はすべて解決するというアメリカ商務省の意向が強く働き、アメリカは日本に対米輸出規制の強化、市場の開放を要求し、日本は通産省(現・経産省)がアメリカの4半期決算制が企業の短期利益優先で長期投資を妨げていると、アメリカのシステムの欠陥を指摘した。が、こういう論争になるとアメリカ側のレトリックがまさる。「日本が牛肉の輸入を自由化すれば、日本人は週に2回ステーキが食べられる」とか、大規模店舗法を廃止すれば競争原理が働いて利益を得るのは日本の消費者だと攻め立て、マスコミもその論法に同調した。 日本の行政が規制緩和一色に染まったのは、この日米構造協議以降である。 そして徐々にバブル崩壊の傷が表面化するようになった。 バブル崩壊については言うなら胴体強行着陸を行ったようなものだった。当時の大蔵省が金融機関に対して不動産融資の拡大を防ぐために「総量規制」と称する行政指導を行うと同時に、日銀は三重野総裁が金融引き締めに金利政策のかじを大きく切り替えた。 基本的に大蔵省(現財務省)と日銀の役割は相容れない要素がある。財務省は国家財政の健全化が大目的であり、どちらかというと緊縮財政論が主流を占めている。ただしデフレ経済を望んでいるわけではなく、緩やかなインフレによる経済の健全化を望んでいることはリフレ派の巣窟とされる日銀とはややスタンスが違う。しいて言えば【国債発行→財政出動による公共工事→経済活性化】というアベノミクス的経済政策をモットーとするリフレ派に対して、過度の国債発行は借金のツケを子孫に回しかねないと財政の健全化を重要視する反リフレ派との違い程度と考えればいいかもしれない。 が、そもそも基本的に日本社会の構造が大きく変化していることをリフレ派は分かっていない。生産人口が減少している中で、金融緩和などの手を打っても需要が増えないだけでなく、企業が生産活動を活発化したら自分で自分の首を絞めるようなものだからだ。 たとえば諸外国の事情は知らないが、日本では若い人たちの自動車離れはすでに30年程前から始まっていることに自動車メーカーはとっくに気づいている。 電気製品にしても、高性能・高機能化しており、製品寿命は大幅に伸びている。例えばテレビ。昔のアナログ放送時代の受信機はブラウン式が主流だったし、ブラウン管方式のテレビの寿命はせいぜい7年くらいとされていた。私もアナログ時代はブラウン管テレビを見ていたが、2002年に地デジに変わった時液晶テレビに買い替えた。ブラウン管テレビはブラウン管が故障したら一瞬で真っ暗になってしまうが、液晶テレビは小さな液晶部品が無数に配列されており、おそらく何%かの液晶部品は壊れているだろうが、テレビを見るのには全く支障がない。 つまり生産人口が減少しているうえに、消費意欲を刺激する商品が今はスマホくらいしかないのだ。スマホ・マニアは毎年のように新製品に買い替えたり、複数のスマホを使い分けたりしているようだが、その程度では景気を刺激する力にはなりえない。 そのうえ、既にブログで書いたように金融庁が「老後生活には2000万円必要」などとバカげたことを言い出したため、若い人たちも「消費より貯蓄」志向を強めだした。 つまりリフレ派学者たちが主張するように、生産人口の賃金を多少上げたくらいで需要が増えるような状況には日本社会がないということなのだ。そういう状況の中で金融緩和を続ければどうなるか。 ●生産者物価が上昇しても消費者物価が上昇しないわけ ウクライナ戦争が勃発して世界経済が大混乱に陥っている。理由はヨーロッパの穀倉と言われるウクライナ産の小麦の輸出が激減し、食料品原材料価格が大幅にアップしたこと。さらに西側諸国による対ロ経済制裁によってロシア産の天然ガスや石油の供給がストップして電気代をはじめエネルギー価格が大幅に上昇したこと。 そのうえ日銀が金融緩和政策を続けたため、食料品や工業製品の輸入原材料価格が急上昇した。 このブログの冒頭に書いたがインフレかデフレかは需要と供給のギャップによるのが一般的な経済常識だが、日本の場合、原材料価格が大幅に上昇していながら製品価格に反映されているケースとされないケースがある。プラザ合意後の急激な円高の中でカメラなど日本の独壇場だった市場でも、ドル建て輸出価格にコストを反映させると輸出先の国民の購買力を超えてしまうため原価割れでも輸出価格を抑えざるを得ないケースがあった。 実はアメリカでも似たケースがあった。トランプがアメリカ産業界とりわけ自動車業界の競争力を回復させようと自動車(部品を含む)や鉄鋼・アルミ製品の輸入関税を大幅に引き上げたことがある。米自動車業界の国際競争力が回復したにもかかわらず、GMの一作業員から叩き上げで初の女性CEOに上り詰めたメアリー・パーラーが北米の5工場を閉鎖してしまった(うち1工場はカナダ)。 当然トランプは激怒したが、メアリーは平然と反論した。「確かに競争力は回復したが、輸入原材料や部品の価格が大幅に上昇し、生産コストのアップ分を製品価格に反映させたらGM車は世界中の消費者の購買力を超えてしまう。売れ残った分を政府が全部買い取ってくれるなら工場を閉鎖したりせず自動車を作り続けますよ」。 実は日本ではメアリーのようなドラスティックな経営再建は不可能なのだ。いまは従業員に占める正規社員の割合が激減し、いつでも首を切れる非正規社員を増やしているからある程度は生産調整で工場をフル稼働しなくても済むようになっているが、バブル崩壊前はパートやアルバイト、季節労働者は別として勤務体制が正規社員と同じ非正規社員はほとんどいなかった。「年功序列終身雇用」を原則としてきた日本社会では事実上会社が潰れない限り工場を閉鎖したり生産調整したりすることは極めて困難だったのだ。 そのため2年間に2倍という信じがたい円高にさらされたとき、日本企業がとった方法は、工場の稼働率を維持するためにダンピング輸出で赤字を出す一方、国内の販売価格を大幅にアップして採算をとってきたのである。そういうことができたのは、日本がまだ高度経済成長を続けており、国内購買力が依然として好調を維持していたからである。 が、同じ製品が国内で買うより海外で買うほうが安いという実態が広く知られるようになり、いったん海外に輸出した製品を逆輸入して廉価販売するという新ビジネスの「並行輸入産業」まで生まれるに至ったのだ。 一方、海外ブランド品はどうだったかと言うと、常識的には日本での販売価格は大幅に安くなるはずだが、輸入業者は「円高などどこ吹く風」だった。その理由を聞くと、「日本人は高いことに商品の価値を求めるから円高分を値下げするとかえって売れなくなる」とうそぶくありさま。 いいか悪いかは別にして日本社会の特殊性が、経済学者の思い通りにはならなかった理由である。 もう一度、冒頭のインフレ・デフレの要因に戻ると、インフレは需要が供給を上回った時に生じ、デフレは供給が需要を上回った時に生じる。誰が決めたのかは知らないが、トランプ時代のFRBパウエル議長も物価上昇2%を金融政策の目標にしていた。 トランプはより景気を過熱させたかったようで、パウエルに対してさらなる金融緩和政策をとるよう何度も迫ったが、パウエルは頑として中央銀行トップの矜持を曲げなかった。 『日曜討論』に出席した学者の一人は「日銀は政府の子会社と言われており、事実そういう面がある」と発言したが、日銀法には政府からの独立性が明記されている。黒田と安倍の関係は、親分子分の関係ではなく、たまたま黒田の考え方が安倍と一致していたにすぎないと私は見ている。 ただ問題は、日本には消費者が欲しい物はほぼ行きわたっており、消費意欲を刺激するようなものがスマホくらいしかなくなっているという状況に、二人とも気づかなかったことだ。だから安倍は春闘のたびに経済団体に大幅賃上げを要求し、正規社員の給料はそれなりに上昇していた。ただ、その上昇分が消費拡大に結び付かなかったのは、欲しいものはすでに持っているという生活満足感があったことと、金融庁の大ウソ「老後2000万円問題」で従業員の貯蓄志向が高まったせいである。 さらにコロナ禍に襲われるまでは、日本の消費力は海外からの観光や爆買い客の購買によって支えられていたからだ。このインバウンド経済効果がなかったら、アベノミクスの化けの皮はとっくに剥がれていた。 物価上昇2%を目標とする根拠はだれも説明できないし、生産人口減による自然需要減、欲しいものがないという状況の中で、なぜ物価上昇2%を目標にするのか。またその目標を達成するために続けた金融緩和の効果が全くなかった(ウクライナ戦争による超インフレ問題は別)ことに、なぜ経済学者たちは気づかないのか。そしてNHK『日曜討論』担当者たちはなぜそういう問題提起をしなかったのか。

岸田「防衛政策の転換」によって日本は中国・北朝鮮・ロシアと敵対関係になる

2022-12-20 10:09:25 | Weblog

第2次世界大戦後、平和主義を国是として「敵国」を作ってこなかった日本が、「敵国」を想定して戦前の軍事大国に回帰しようとしている。

第2次世界大戦時(日本にとってはアジア太平洋戦争)での「敵国」は中国、アメリカ、イギリス、オランダ(ABCD連合)だった。ソ連との戦争だけは何が何でも避けたかったが(実はドイツが独ソ不可侵条約を破棄してソ連と戦争を始めたとき、ドイツがソ連侵攻に成功していれば関東軍はソ連領に攻め込むつもりだった)、ソ連がドイツを撃破し、ドイツが連合国軍に無条件降伏した後、東欧諸国の支配を成し遂げたソ連がアジア支配に矛先を向け始めた。

 

  • アメリカが広島・長崎に原爆を投下した本当の理由

ソ連のアジア侵攻に危機感を抱いたのがアメリカ。ヨーロッパ戦線と太平洋戦争で疲弊しきっていたアメリカは中国の共産化を武力で阻止することができず、西側の最後の砦として日本へのソ連の侵攻だけはいかなる手段を使っても防ぐ必要を感じていた。

アメリカは今でも広島・長崎への原爆投下について二つの理由を挙げて正当化している。

  • 米軍兵士の犠牲をこれ以上増やさないため
  • 早期に戦争を終わらせるため

この二つの理由のうち、一つ目はウソ。しかし二つ目は本当だ。

太平洋戦争の転機はミッドウェー海戦(1942年6月5日)と言われている。確かにこの海戦で日本海軍は壊滅的な打撃を受け、その後は防戦一方になっていった。が、アメリカの対日戦争作戦が大きく転換したのは44年6月15日のサイパン島上陸作戦以降である。サイパン島やその周辺諸島に空軍基地を整備して以降、米軍は対日攻撃の主力を空爆に転換する。

もっとも日本軍部も陸海軍で対米戦争作戦が必ずしも同一歩調ではなかったのと同様、アメリカも戦争作戦を空爆一本に絞ったわけではなく、沖縄攻撃など対日戦争上それほど大きな意味を持たない上陸作戦に膨大な犠牲を払ったりした。実際、広島への原爆を投下した爆撃機はサイパン島周辺の空軍基地のひとつテニアン島から飛び立っている。また日本も沖縄で莫大な犠牲を払っても、その時点では降伏していない。

アメリカが上陸作戦を完全に中止したのは、沖縄作戦であまりにも多くの犠牲者を出したためである。実際、沖縄作戦以降、アメリカの対日上陸作戦を停止している。なお東京大空襲は44年11月から断続的に始めたが、米軍の沖縄上陸作戦は翌45年4月1日からである。日本は首都・東京を空襲されても手も足も出なかったのに、アメリカが沖縄上陸作戦にこだわった理由は分からない。米軍部も一枚岩ではなかったのだろう。

また空襲は東京だけでなく、大阪、横浜など日本中の大都市いたるところに行われた。当然これらの空襲作戦では米軍兵士の犠牲はほとんど生じていない。沖縄を占拠することに何らかの軍事的意味があったのかは、日米いずれの戦史家も検証していない。太平洋戦争史を紐解く場合、最も無意味な作戦だった。

要するにアメリカの日本の大都市に対する集中的な空爆作戦は44年から始めており、沖縄上陸作戦以外には米軍の人的被害はほとんど出していない。だから「これ以上、米軍兵士の犠牲を出さないため」という原爆投下の理由は全くのウソであり、こじつけにもならない。

が、もう一つの理由である「早期に戦争を終結させるため」というのは間違いなく、そうせざるを得ない状況にアメリカはあった。その目的はソ連のアジアへの侵略の野望をどうやって阻止するかにあった。

東欧諸国を支配下におさめたソ連スターリンは米ルーズベルトに対して対日参戦する条件として北海道をアメリカとソ連で分割支配しようという提案をしている。さすがにルーズベルトはこの提案は拒否したが、スターリンの野望をアメリカは知ることになった。

日本に無条件降伏を要求したポツダム宣言は45年7月に行われたが、この時の宣言にはスターリンは署名していない。この時点では日ソ中立条約がまだ有効だったため、スターリンに代わって中国の蒋介石が署名した。が、東欧を支配したソ連がアジアに触手を伸ばすだろうことは目に見えており、アメリカはソ連が対日参戦に踏み切る前に日本を降伏させる必要があった。ただ無意味な大量殺人しか意味を持たない広島・長崎への原爆投下は、日本をソ連に占領させないためにアメリカにとっては必要欠くべからざる作戦だったのだ。

実際、アメリカが広島に原爆を投下した直後の8月8日、ソ連はポツダム宣言に署名すると同時に日ソ中立条約を破棄して対日宣戦布告し、満州や北方領土など日本の支配下にあった地域を侵略する。この行為の違法性は、日ソ中立条約破棄より、ポツダム宣言の署名国になっていながら、日本が宣言を受諾したのちも日本への侵略をやめなかったことである。

 

  • 日本の「敵国」は中国か北朝鮮か、それともロシアか

岸田内閣は12月16日、わが国の安全保障・国防政策の基本方針「国家安全保障政策(NSS)」を記した3文書を閣議決定し発表した。

NSSは「わが国は戦後最も厳しく複雑な安全保障環境のただなかにある」と位置づけ、その根拠として「これまでになり最大の戦略的挑戦」(中国)、「従前よりも一層重大かつ差し迫った脅威」(北朝鮮)、「安全保障上の強い懸念」(ロシア)とした。

つまり、この3国は「日本の敵国である」と国際的に宣言したに等しい。

が、この3国から日本は敵視政策をとられてきたと言えるのだろうか。

例えば北朝鮮。まだ核弾頭は搭載していないようだが(ミサイルに搭載できるほど核の小型化には成功していないためと思われる)、ミサイルをしばしば発射している。日本にとっては迷惑極まりない行為だが、日本を標的にした発射実験ではない。国民生活が疲弊しきっているのに核ミサイル開発に北朝鮮はなぜ狂奔するのか。

実はアメリカがレーガン大統領の時代に、旧ソ連と軍拡競争を行った。その軍拡競争で敗北した旧ソ連は体制崩壊に追い込まれたのだが、その時旧ソ連圏でアメリカに一番近い国である北朝鮮に対して「悪の枢軸」「ならず者国家」「テロ支援国家」と名指して非難を繰り返した(金日成時代)。

朝鮮戦争時代、北朝鮮は中国から軍事支援を受けていたが、金日成は毛沢東思想とは別の主体思想を掲げ、中国の支配下に入ることを拒んだ。その結果、日本や韓国のようにアメリカの支配下に入ることによってアメリカの核の傘に守られるといった安全保障策をとることができず、アメリカの核の脅威の前に自前で核ミサイルを開発せざるを得なくなったというわけだ。もし金日成が日本や韓国のように主権国家としての矜持を捨てて中国の支配下に入っていれば、レーガンが北朝鮮に対する敵視政策をあらわにしたとき、中国は「もし北朝鮮が攻撃されたら、我々が核で北を守る」とアメリカをけん制していただろうし、北朝鮮も中国が核の傘で保護してくれていれば、あえてアメリカに対抗して核ミサイルの開発に狂奔することはなかったはずだ。中国と北朝鮮のこうした微妙な関係を私たち日本も理解しておく必要がある。

また、もし日本がアメリカの支配下に入ることを拒んで主権国家としての矜持を維持する道を選択していたら、日本は旧ソ連や中国の核ミサイルの脅威に直接さらされていただろうし、例えば毛沢東やスターリンから「悪の枢軸」「ならず者国家」「テロ支援国家」などと露骨な敵視政策をとられていたら、日本も核ミサイル開発に狂奔せざるを得なくなっていたはずだ。

確かに金正恩は一時「朝米有事の際は、日本と韓国が真っ先に火だるまになる」と、日本を敵視するような発言をしたことがあったが、それはまだグアムや米本土まで届くミサイルが開発できず、日本や韓国の米軍基地を攻撃するという意味で、それ以上でも、それ以下でもなかった。だから、この発言に日本が過激に反応したことで、それ以降、北朝鮮は日本をいたずらに刺激するような発言は慎んでいる。

 

  • 「台湾有事は日本有事になる」というレトリックのウソ

台湾をめぐってはアメリカと日本の立場は微妙に違う。ニクソンが日本の頭越しに中国を訪問し、毛沢東・周恩来との間で国交を正常化したとき、ニクソンは「一つの中国」を認めた。当時、ベトナム戦争は激化の一途をたどっていたが、中国側は「一つの中国」の見返りにアメリカの北ベトナム攻撃を容認、アメリカは北ベトナムへの海上封鎖や北爆を再開している。その結果、北ベトナムと中国の関係は悪化し、北ベトナムは旧ソ連に接近する。

この「一つの中国」容認はアメリカ議会で紛糾し、アメリカと台湾の政治的関係は表向き遮断したが、外交機関は名称を変えて台湾に存続させ、台湾との軍事同盟関係も継続することにした。アメリカの対台湾政策がダブル・スタンダードと言われているのはこうした経緯による。

一方、日本は米中国交正常化に驚き、田中角栄総理が慌てて中国を訪問、周恩来との間で国交正常化を果たす。日本は直ちに在台湾の日本大使館を閉鎖し、以降政治的外交関係は消滅した。なお毛沢東はニクソンとは会談したが、田中は会うことさえ許されなかった。

台湾有事のリスクが表面化したのは習近平が覇権主義を強めだしたことによる。香港の民主派弾圧や新疆ウイグル族の中国化強行も習近平の覇権路線の一環と言えるが、台湾に対する「一つの中国化」政策がアメリカを強く刺激した。

インド太平洋地域の覇権を中国に奪われたくないアメリカは「力による現状変更は認められない」と習近平の「一つの中国」化政策に強く反発、アメリカの支配下にある日本も「一つの中国」路線をかなぐり捨てることにした。12月10日には萩生田政調会長が訪台、蔡英文総統と会談して「日台の安全保障協力の強化」を約束した。日本のメディアでは報道されていないが、ダブル・スタンダードに転換した日本に習近平は怒っているはずだ。

 

言っておくが、台湾有事が自動的に日本有事になるわけではない。私は中国による台湾支配には反対の立場だが、基本的には「一つの中国」化を容認するか否かは台湾の人々が決めることと考えている。ただ実際には、そう簡単に中国による台湾支配は成功しないだろうと思っている。

たとえばウクライナ戦争。ロシアとの戦力比較の上では圧倒的にロシアのほうが有利と思われていたが、実際の戦況はウクライナ有利に進んでいる。台湾でも蔡英文総統の支持率は極めて高く、中国統一を望む「国民」は圧倒的に少数派だ。もし習近平が軍事力で台湾の中国統一を強行しようとした場合、ウクライナ戦争の二の舞になりかねない。それにロシアと違って中国はEU諸国との関係も今のところ良好だが、もし中国が台湾に軍事侵攻でもしたら、関係が一気に悪化しかねない。習近平もアメリカとの衝突がEU諸国との関係が最悪の状態になりかねないことは百も承知のはずで、そういうリスクを冒してまで台湾の軍事的統一を強行したりするほどのバカではない。もし台湾統一を強行するとしたら、台湾政府を香港のように親中国派が占める事態が生じたときだろう。

実は香港も、多くの人たちが勘違いしているようだが、いまでも「一国二制度」は維持されている。法律も本土とは違うし、いまでも香港は資本主義体制である。現に香港の法定通貨は中国元ではなく香港ドルである。

もちろん習近平が香港の中国化の野望を捨てたわけではなく、「一つの中国」への地ならしとして国安法を制定して香港の民主派を弾圧したことは周知の事実だが、それも香港の政権が親中国派で安定していたからできたことで、いまの台湾に対して国安法を適用しようとしても簡単ではない。だいいち、香港の警察権力と違って台湾の警察権力が国安法による民主派の人々を取り締まるようなことは絶対にしないからだ。

そういう意味では日本にとっては台湾有事はウクライナ有事と同様、日本有事にはなりえない~~はずだった。が、萩生田氏が蔡英文と安全保障についての協力関係を強化する約束をした以上、台湾有事が生じたら、日本に飛び火するのではなくアメリカと一緒に台湾有事に軍事的に参加することになる。つまり自ら日本有事にすることを意味し、中国が反発するのは当然といえよう。

 

  • ロシアを「平和国家」にするカギは日本が握っている

ロシアがウクライナに侵攻した理由については諸説あるが、メディアがロシア側の情報をあまり流さないので不明なことは多々ある。

ただかつてはウクライナは親ロ政権が君臨し、ロシア系住民が多く住んでいた東部地域ではかなりおいしい思いをしていたようだ。親EU政権が誕生して東部地域で騒擾が頻発し、圧迫されるようになったロシア系住民がロシア政府に助けを求め、彼らを保護するという名目でウクライナに侵攻したようだ。

周知のように、ロシアは広大な土地と豊富なエネルギー資源に恵まれている。工業立国を目指すには最高の条件を有している。が、産業革命でエネルギー資源の重要性がクローズアップされるまで、ロシアは貧しい農業国家だった。土地は広いが、いわゆる「北の大地」で肝心の農作物の収穫が少なかった。土地の広さに比べて人口があまり増えなかったのはそのためだ。

いまも、ロシアの主要産業はエネルギー資源の輸出以外は兵器産業くらいだ。しかし宇宙開発ではしばしばアメリカを追い抜くなど、最先端技術の素地はある。日本とは北方領土問題が残っているが、ロシアにとっては財政的に北方領土はお荷物になっているはずだ。実際、たとえ北方領土が日本に返還されても、日本にとっても漁業拠点にするくらいしか利用価値はない。なまじ日本人が居住するようになると日本政府は大変な財政負担を背負うことになる。こうした事情は別に北方領土だけのことではなく、日本以外でも寒村やへき地に住んでいる人たちのための財政負担はかなり大きい。

確かに大都市は公共の利便性が大きい。公共サービスや行政に注がれる税金も膨大である。が、大都市に住む人の数で割れば一人当たりへの負担額は寒村へき地住民の類ではない。

そういう観点からロシアの将来を考えると、ウクライナに住んでいるロシア系住民には母国に帰ってもらって、近代工業の担い手になってもらい、平和国家への道を歩んでもらいたい。そのお手伝いを、日本ならできる。また日本が仲介してアメリカとの軍事対立も縮小に向かえば、ロシアにとっても北方領土の維持は軍事的には意味を持たなくなり、新たな展開も考えられる。

ロシアとロシア人が豊かになる道は、こういう方法があるよと、日本はプーチンに働きかけるべきだ。ロシアが平和国家を目指すようになれば、NATOも必要がなくなるし、ヨーロッパ全域が平和になる。ヨーロッパが平和になれば、核やミサイルも必要なくなるではないか。

 

  • 日本の「抑止力強化」はアジアの軍事的緊張を高める、これだけの理由

17,18日に毎日新聞が行った世論調査によれば、防衛費を大幅に増やすことに賛成48%、反対41%だった。また反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有については賛成59%、反対27%。ただし財源については増税でが23%、反対69%という結果だった。

この世論調査の結果を見てつくづく思ったのは、政府のマインド・コントロールにメディアも国民も容易に左右されるということ。

マインド・コントロールという言葉は旧統一教会問題をめぐって広く流布されるようになり、私は今年の流行語大賞に選ばれるのではないかとさえ思っていたくらいだ。が、その言葉の意味するところは安倍元総理が野党の政府批判を「印象操作」と切り捨てたこととほとんど同意だ。そして印象操作を最も有効に駆使して1強体制を作り上げたのが、実は安倍氏だった。

たとえばモリカケ問題で安倍内閣が窮地に陥った時、棚ボタ的な幸運を利用した。北朝鮮が襟裳岬上空をかすめるミサイルを発射したため、これ幸いと「国難突破解散」に打って出て衆院選で大勝、1強体制を築いた。

北朝鮮のミサイルは日本を標的にしたものではない。ただ北朝鮮は地政学的に遠距離ミサイルの発射実験をする場合、当初は高度を上げることで飛距離を計測していた。実際、当時の北朝鮮はミサイル実験を否定し、「衛星打ち上げのロケットだ」と主張していたほどだ。

今回の防衛政策転換で日本もミサイルを持つことになりそうだが、日本の場合は他国の領空域を通過しないでミサイル発射実験をいくらでも行えるが、北朝鮮は不可能で。日本を敵視していない証拠に、北朝鮮が太平洋目指してミサイルを発射する場合、日本の陸地上空は避けて津軽海峡上空を通過するように配慮している。北朝鮮の目的は明らかで、もしアメリカと軍事衝突に至った時は、アメリカもただでは済まないぞということをアメリカに知らしめるためだ。

実際、米韓軍事演習に対してきたが厳しく対応しているのは、米韓軍事演習が北を標的にしたものだからだ。

同様に、もし日本政府が本当に中国や北朝鮮、ロシアの軍事力を脅威に感じるのであれば、日米軍事演習を日本海や東シナ海、オホーツク海で行わなければ中・北・ロに対する抑止力にならない。たとえば「台湾有事は日本有事だ」という論理が正当であるならば、中国の狙いは「台湾の次は尖閣諸島だ」という前提をたてないと論理的整合性が取れない。

中国が尖閣への野望を持っていることは事実だが、尖閣諸島を日本領土として確定するには、アメリカの歴代大統領が「尖閣は安保条約5条の範疇だ」と口約束してくれている間に尖閣諸島に自衛隊基地を設置するとか漁業拠点や灯台を設置して実効支配に踏み切るべきだ。少なくとも中国の尖閣周辺海域への軍用船の不法侵入に対して日米軍事演習で中国を威嚇すべきではないか。

が、ミサイルをいくら買っても、日本は日本海や東シナ海、オホーツク海への発射実験はしないだろうし、日米軍事演習も従来通り太平洋でしか行わない。つまり多額の費用を払ってミサイルなどをアメリカから買っても、肝心の実用的発射実験などできもしないのだ。

しかし、中国や北朝鮮、ロシアは日本の防衛政策転換を、「日本はわが国を敵視することにした」と間違いなく受け止めるし、国内に抱えている諸問題から国民の目を「反日」にそらそうとすることだけは間違いない。つまり、日本の防衛政策の転換は、日本の安全保障上のリスクがより高まることを意味するのだ。

あまりいい例えとは言えないが、良好な関係にある二つの暴力団が、関係良好なうちは互いに武力を強化しようとはいないが、いったん関係がこじれると双方が軍拡競争を始める。国家間の関係も同じで、いま日韓関係は戦後最悪と言える状況にあるが、それが軍事衝突に至らないのは両国がともにアメリカに忠実な属国であるため、それが両国にとって最大の安全保障になっているからだ。暴力団同士の対立も、この暴力団がともに巨大な暴力団の支配下にあったら衝突は未然に防げる。国際社会における国家間の関係も暴力組織同士の関係とあまり変わらないといってよい。

 

なお岸田総理は防衛政策の転換に際し、「安全保障上のあらゆるリスクを想定し、防衛対策のシミュレーションを行った」と説明したが、日本から「敵国視」された中国、北朝鮮、ロシアとの関係は悪化せざるを得なくなる。ウクライナ戦争が思うように進まないプーチンが核兵器の使用をほのめかすようなリスクを岸田総理は想定しなかったのか。

万が一、これら「敵国」との関係が悪化して、核を有していない日本に対して核の脅しをかけてくることは想定外だったのか。少なくとも私だったら、日本が「防衛」を口実にしたとしても軍事力を強化した場合、そういう事態は当然想定する。そのうえで日本国民が核武装することまで「防衛力の強化」を容認するか、を深く考慮する。

そして日本の安全保障を高めるためには、軍事力の強化ではなく、あらゆる国と国隣国との良好な外交・経済・文化などの関係を構築することで、安全保障上のリスクを軽減する方法を選択する。たとえアメリカが不快に思ってもだ。

 

 

 


日本の消費者物価が欧米並みに高騰しない本当の理由を、NHK『日曜討論』の識者たちは分かっていない

2022-10-17 05:32:02 | Weblog

10月3日にアップした前回のブログ『ケインズ経済理論は賞味期限切れか~金融政策ではインフレもデフレも克服できない、これだけの理由』が、かなりの長文であったうえ、テーマもショッキングだったせいか、訪問者・閲覧者ともになかなか減らず、今回のブログ記事の投稿が遅くなった。

私は占い師でもなければ競馬の予想屋でもない。が、私が前回のブログで予測したとおり、政府・日銀の為替介入は「焼け石に水」で、かえって円安に拍車がかかっている。いまは専門家も150円台突入を疑う者はいない。

数日前、ヤフコメで為替介入の効果についてこうコメントした。

 

  • 投機筋の「円売り」攻勢の要因は何か~

アメリカでは「頭打ち」との声もないではないが、消費者物価は依然として高水準で高騰を続けている。 理論上は「円安/ドル高」はいくら金利差を反映したとしても、ちょっと異常ではある。 が、「過度の投機は認めない」(鈴木財務相)と言ったところで、投機ファンド(ヘッジファンド)の流れは止めようがない。主要国の協調介入が期待できない現状、政府・日銀単独の「円買い」介入は火に油を注ぐ結果にしかならないと思う。

 このコメントに対して知ったかぶりのzzz氏から「介入しなかったらもっと酷かったと理解すらできないで語るな」との批判が寄せられた。私は直ちにこう反論した。「なまじ『威力のない介入』をしたことで、投機筋の『円売り』マインドにかえって安心感を与えた。 中途半端な介入は火に油を注ぐだけ。 金融のことに全く無知なくせに、偉そうな批判をするな、ZZZくんよ」と。

 

 為替に限らず、行き過ぎた変動は必ず揺り戻しがある。ただ、いつ、なにをきっかけに揺り戻しが始まるのかは「神のみぞ知る」だ。投機筋も、いまの急激すぎる【円売りドル買い】にそろそろ警戒感を抱き始めていると思う。ただ、政府・日銀によるさらなる為替介入がそのきっかけになるとは到底考えられない。前回の介入でも一時的に流れが変わったかに見えたが、結局投機筋に金儲けの機会を与えただけに終わった。政府・日銀がさらなる為替介入をしても、投機筋は「また金儲けのチャンスだ」と受け取る可能性のほうが高い。

 なぜか。日本も物価高が問題になってはいるが、それでも欧米に比して物価水準は国民生活を死活の瀬戸際まで追いつめるところまでは行っていないと投機筋は見ている。実際日本の生産者物価は輸入原材料費の高騰もあって9月には9,7%も上昇しているのに、消費者物価の上昇率は2.8%(8月)と欧米に比べれば緩やかである。日本経済の底力について、生産者物価の上昇(コスト増)を消費者価格に反映しなくてもやっていける余裕がまだあるとみるか、反映したら路頭に迷う人が続出して反映したくてもできないとみるか。

 おそらく投機筋は、「過去の円は実力以上に買われすぎていた」とみていると思う。アベノミクスによる金融緩和で一時120円台まで円安になったが、円安の恩恵を受けたはずの輸出産業(自動車、電機など)の輸出が思ったほど伸びなかったこと、設備投資意欲も限定的で、企業は為替利益を内部留保して従業員に還元せず、その結果として消費も伸びず消費者物価指数も上昇しなかった。

 さらにウクライナ戦争をきっかけとした物価高で欧米諸国が苦しんでいる中で、日本の消費者物価の上昇率が鈍いことも、投機筋には「まだまだ円は耐えられる」とみる要因になっている可能性が高い。だから、投機筋の「円売り」マインドを一変させるほどの経済変動でも生じない限り、小手先の為替介入といったその場しのぎの手法では未曽有の「円安」攻勢をしのぐことは難しい。

 

  • 専門家たちの、あまりにもレベルが低すぎる「物価高」対策議論

NHKは9日の『日曜討論』で「値上げの秋 暮らしをどう守る」をテーマに、食料品を中心とした今月1日からの値上げラッシュ対策を取り上げた。識者たちが値上げラッシュに政治がどう向き合うべきかといった重厚なテーマについての活発な議論を行った。そのこと自体はタイムリーだし、『日曜討論』として取り上げたことはよかったと思っている。

が、出演者のレベルが低すぎたのか、司会者の議論の進め方に問題があったのか、当日私はNHKふれあいセンターのスーパーバイザーに、2度も「出演者のレベルが低すぎる」と抗議の電話をした。

なお出演者は西村康稔・経産大臣、栗田美和子・総菜会社経営者、清水秀幸・連合事務局長、武田洋子・三菱総研理事(マクロ経済担当)、中空麻奈・経済財政諮問会議メンバー(証券会社経営者)である。

なぜ出演者のレベルが低い、と断じたのか。実は日本の消費者物価上昇率は8月が前年同月比2.8%増と5か月連続で上昇している。それでも、日本の物価上昇率は欧米に比して4分の1程度でしかない。一方、生産者物価(コスト)は9%も上昇している(※9.4%に修正。9月は9.7%)。

生産コストはかなり上昇しているのに、店頭価格(消費者物価)の上昇率はコスト増の3分の1でしかない。コスト増を販売価格に転嫁できない構造的原因がある、というのは出演者全員の共通認識だったが、出演者たちの主張は総じて「コスト増を販売価格に転嫁し、そのことによって生じた利益の増加分を賃上げに回して消費を回復させるべき」という単純なもの。そうすれば「いいインフレが進む」と考えているようだったが、インフレもデフレも需給バランスが崩れたときに生じる経済現象。

前回のブログで詳述したが、世界的規模で需要が減少している今、金融対策ではインフレもデフレも克服はできないのだ。そのことに気づいている人は出演者の中には皆無。その重要認識にかけた経済議論は当然レベルが低くなる。

 

  • 消費停滞の最大の「戦犯」は金融庁だ

前回のブログ記事と重複する部分があるが、今回のブログでは日本固有の事情について書く。

需要が増えなければインフレになりようがない――というのは近経に限らず経済の基本原則。日米のインフレ要因について多少理解されているのは武田氏だが(アメリカのインフレ要因はコロナ克服による急激な需要の回復とウクライナ危機による生産者物価上昇の複合作用、日本は生産者物価の上昇が販売価格に反映されていない中での限定的インフレという見立て)、なぜ日本ではコスト増を販売価格に転嫁できないか、あるいは転嫁せずにやっていけるのかというマクロ経済学的分析はゼロ。

で、今回はその構造的原因を明らかにしてみたい。

この稿を読み進める前に、皆さん、なぜ日本人はお金を使わなくなったのか、ちょっと考えてみてください。

数年前のことだが、当時立憲の代表だった枝野氏が我が家の近くの公会堂で講演を行った。アジテーターとしては有能な政治家だが、ひとしきりしゃべった後、「給料は増えているのに、なぜ消費が伸びないのか」と聴衆に質問を投げかけた。会場はシーンと静まり返ったままだったが、枝野氏は「老後生活が不安なため、将来のためにお金を貯蓄に回してしまうからではないでしょうか」と声を張り上げた。

実はその少し前、金融庁が「老後生活を支えるためには厚生年金だけでは2000万円不足する」という老後生活設計の試算を発表していた(2019年)。

その日以降、テレビでもネットでも証券会社などの金融機関が一斉に「老後生活のための資産形成」を呼びかけ始めた。実は、金融庁の「老後生活設計の試算」は、まったくのでたらめだったにもかかわらずにだ。

私は「老後2000万円問題」が浮上したとき、金融庁の、この試算を行った部署の担当者に電話で「試算の根拠とした計算方式」を尋ねた。そして、あきれ返った。私があきれた理由は既にブログで当時書いたが、繰り返す。

金融庁官僚が試算の根拠としたのは、夫が65歳で定年退職し、専業主婦の妻は60歳、収入は厚生年金のみという前提で、定年後30年間生きるとして厚生年金だけでは月5.5万円不足するという前提で計算したという。ちなみに月額5.5万円不足の根拠は17年の家計調査によって年金収入と実際の支出額の差を採用したという。確かに、そういう前提をたてると、30年間の不足額は

 【5.5×12×30=1980】

で、ほぼ2000万円になる。が、ちょっと待ってほしい。定年直後の生活を30年間続けることなど、そもそも可能だろうか。

私は今年82歳になったが、国民年金収入は年金基金分も含めて月額8万円余(健康保険料や介護保険料は引かれた実質手取り額)。そこからマンションの管理費・修繕積立金の計1万6千円が引き落とされて、実質可処分所得は6万5千円ほど。コロナ禍のせいで外食や趣味のカラオケ通いや週1のゴルフも自粛しているから、かかるのは食費、光熱費、医療費など。エンゲル係数はかなり高いと思うが、肉類などあまり食べなくなったから、むしろ余るくらい。コロナ禍以前はカラオケやゴルフ三昧だったら、わずかな貯金を取り崩さなければならなかったが、いまはぜいたくもしようがないから年金収入でお釣りが出る。

私の場合、会社勤めは若いころの5~6年間だったが、サラリーマンの定年退職時と同じ65歳ころは同年配の友人との付き合いもあったし、持ち出しはかなりあった。が、コロナの問題を除いても、友人たちと飲む機会も70代前半には激減するようになったし、妻との外食や旅行も60代後半に比べると「面倒くさい」と激減した。

私自身の生活体験や同年配の友人たちにも聞いたが、やはり「60代後半までは貯金を取り崩す生活が続いたが、70年代前半には黒字に転換する」ことが明らかになった。60代後半の赤字幅も年々縮小し、70年代後半からの余裕金は逆に年々増えることも明らかになった。仮に定年退職時に月額5.5万円の不足があったとしても、退職後30年間生きたとすると預貯金は逆にかなり増えるという老後生活の実態も明らかになった。

このことを金融庁に指摘すると、担当者は「自分にも両親がいて、両親の生活ぶりを見ていると、ご指摘の通りだと思います」と言っていたが、その後、社会にいたずらに騒動を起こした「老後生活2000万円」問題を訂正したことはない。役所という官僚機構は、謝りを自ら訂正しようとは絶対にしない。

こうした老後生活の実態認識が、『日曜討論』の出席者には皆無であった。

 

  • 第2の「戦犯」は年金のマクロ経済スライドを政府に導入させた公明党だ

2004年、公明党の強い主張によって「100年もつ年金制度」が導入された。「マクロ経済スライド」という新年金制度で、この制度を続ける限り、100年どころか千年でも万年でも持つ制度である。従来の年金制度は「物価・賃金スライド」制で。支給される年金額は物価や現役世代の賃金上昇を反映させて年金生活者の生活水準を維持しようという考え方に基づいていた。

が、医療技術の進歩、食生活の改善、核家族化によって老後生活は自己責任という現役世代の責任回避による高齢者の健康志向の高まり、などを背景に高齢化社会が急速に進んで高齢者人口が全人口に占める割合も急増。一方出生率低下によって現役世代が納める年金支払総額は減少する一方。

こうして年金制度継続が危ぶまれてきた中で、公明党が打ち出したのが「マクロ経済スライド」制であった。一言で言えば、「収入の範囲内で支出を決める」(入るを計りて出ずるを制す)というのがこの制度の特徴。つまり年金機構に入ってくる年金(企業と従業員が半分ずつ負担)の総額プラス運用益で、年金支給の総額を賄おうというもの。このマクロ経済スライドで年金支給の総額に枠をはめてしまえば、年金基金が破綻に追い込まれることは理論上あり得ず、制度としては100年どころか千年でも万年でも持つことになる。

が、この制度の致命的欠陥は、年金を支払う現役世代が年々減少しているために年金基金の収入も減少しており、一方高齢化で年金受給者は年々増加、したがってみんなで「貧乏を分かち合おう」という制度になることが必至という点にある。

そうなると、年金世代だけでなく、定年を間近に控えた中高年の現役世代も、老後生活を支えるために預貯金を少しでも増やしたいと考えるのはごく自然な流れ。彼らが生活費以外の余剰資金を消費に回そうとしないのも当然だ。

かくして消費活動の停滞を招いたB級「戦犯」はマクロ経済スライド制度をごり押しした公明党ということになる。

 

  • 「シャウプ税制」が日本人の消費需要をけん引した

さらに致命的なのは、いまの若い人たちにとって「あこがれ」となる、需要喚起の起爆剤が見当たらないということだ。

「世界の奇跡」と言われた戦後の日本経済の驚異的回復の要因はいくつもある。

戦後の吉田内閣の経済政策「傾斜生産方式」(2大基幹産業の鉄鋼・石炭産業に、あらゆる経営資源を重点配分する)によって産業基盤の立て直しを図ったことで、朝鮮特需を契機に工業生産力が急速に回復したこと、戦後の世界的好景気の波に日本の低賃金(当時)がうまくマッチして「世界の工場」の地位を占めることができたこと、さらに世界を襲った2度の石油ショックを日本は「神風」に変えることに成功したこと(「省エネ省力」「軽薄短小」を合言葉に強力に技術革新を進め、IT革命を先導した)~~など。

そういったいくつかの「外的プラス要因」も日本経済の発展に大きく寄与したが、なんといっても日本経済をけん引した最大の要因は所得格差の小ささと、中間所得層の購買意欲を刺激した「3種の神器」や「3C」だった。

そうした要因のうち、まず「所得格差」が消費活動に与えた影響の大きさを検証する。

戦後の日本はGHQの占領下におかれ、あらゆる分野で「民主化」が進んだ。日本における「民主化」の基本は前回ブログで明らかにしたように「弱者救済横並び」に置かれた。所得格差を縮小するための超累進課税制度の「シャウプ税制」もその一つ。

多くの無知な経済学者は、日本産業界の復興の最大の要因を工業製品の輸出増に求めているが、国内の消費マーケットの拡大が果たした役割のほうがはるかに大きかった。

日本の輸出産業にとって1ドル=360円の固定相場制が、日本経済復興に大きく寄与したと一般には思われているが、実は戦後の為替は商品ごと、また同じ商品でも輸出入の量によって交渉で決まるという不安定な状態だった。1ドル=360円の固定相場制が定められたのは1949年4月に入ってからであり、産業界からは不満が続出したほどだったのである。当時の日本産業界の実力からすれば、1ドル=360円でも相当の円高水準だったようだ。

日本産業界にとって僥倖だったのは、翌50年6月に勃発した朝鮮戦争である。この時期、日本防衛が使命だったはずの在日米軍は根こそぎ朝鮮半島に動員され、GHQによって軍事力をすべて解体されていた日本は、丸裸状態になった。たまたま旧ソ連・スターリンに日本侵略の余裕がなかったからよかったが、戦後の日本にとって唯一と言える安全保障上の危機だった。

ついでに、もう一つ、摩訶不思議なことを、この際指摘しておく。

おそらく、この疑問を抱いている日本人(海外も)は私一人かもしれない。「戦争」とはどういう性質の軍事衝突を意味する言葉か、ということである。『広辞林』によれば「国家間における武力による争闘」と定義されている。この定義に当てはまらない2つ(たぶん)の「戦争」がある。お分かりかな~

朝鮮戦争とベトナム戦争だ。いずれも国内における権力争奪の争い、つまり「戦争」ではなく内乱もしくは内紛と位置付けるべき共産勢力と非共産勢力の支配権をめぐる軍事衝突だ。それが、なぜ「戦争」と冠されているのか。私には納得がいかない。なのに、戦後の中国での同様の軍事衝突については「中国戦争」とは呼ばれないのはなぜか。

アメリカが関与したから、という人がいるかもしれない。が、いずれも「戦争」も、アメリカがその国の政権と軍事衝突したわけではない。むしろベトナム戦争の場合などは、アメリカは時の政権(ゴ・ディン・ジェム)を支援するために軍事行動に出ている。また共産圏でも旧ソ連が反共産勢力を戦車で踏み潰したハンガリー動乱や「プラハの春」(チェコスロヴァキア)などもある。

朝鮮もベトナムも、共産勢力が「新国家」宣言をしていたが、だから「国家間の争闘」とするならば、そういう事例も山ほどある。アフガンスタンのタリバンにせよ、イラクのISにせよ、彼らの「国家権力」との争闘を誰も「戦争」とは位置付けていない。

私には解けない、この疑問をどなたかが解いていただくことを期待したい。

 

余談はともかく、朝鮮戦争特需で息を吹き返した日本産業界では、復興の成果が広く労働者に分配された。シャウプ税制のおかげである。

敗戦ですべてを失い、文化的生活に飢えていた日本の一般家庭に大きな需要の波が押し寄せた。50年代半ばから国内需要が激増した「3種の神器」と言われた【冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビ】がそれだ。

56年の『経済白書』が「もはや戦後ではない」と高らかに宣言し、58年には国民の祝福を受けて当時の皇太子が美智子さんと結婚、そのパレードを見るために我が家にも初めて白黒テレビが茶の間に鎮座した。

決して豊かではなかった私の少年時代、テレビの人気番組だった大相撲や巨人・阪神戦、力道山のプロレスなどは、お金持ちの友達の家にお邪魔したり、当時のヒット商品のソフトクリームを蕎麦屋で食べながら視聴した。いまの若い人には想像もつかないだろうが、ソフトクリームをはやらせたのは日本蕎麦屋だったのだ。

こうして経済成長の波になった日本が、「3C」(カー・クーラー・カラーテレビ)時代を迎え、国民生活は一気に豊かさを享受するようになる。そして70年代に入り、国民の生活意識調査でほぼ9割の国民が自分たちの生活水準について「中流」意識を持っていることが明らかになり、日本経済は高度経済成長時代に突入していく。

が、その先に「落とし穴」が待っていた。

 

  • 「失われた30年」は「失われた40年、50年」へと続く

その後のバブル景気と、バブル崩壊、そして「失われた10年」が「20年」「30年」へと続き、さらに「40年」「50年」へと続くであろうことは、前回のブログで詳述したので、あまり深入りはしない。

が、9日の『日曜討論』に出席した識者たちの問題意識のレベルの低さは、「対策」にも反映されている。

彼らが一様に問題視したのは、生産者物価の上昇と、そのコスト増分が販売価格に反映(転嫁)されていない現状への「憂い」である。

もちろん、生産者(メーカーだけでなく最終販売業者に至るまでを含めて)がコスト増分を販売価格に転嫁できない事情は、識者も多少はご存じではある。

なぜ私が「多少はご存じ」と書いたのかというと、そのことへの対策がなっていないからである。彼らが主張した「対策」はほぼ同じで「コスト増分は販売価格に転嫁すべき」「消費者がそれを受け入れられるように賃金をアップすべき」という短絡的解決法に尽きる。何事も「べき」で解決できるのなら、こんな楽な世の中はない。

この短絡的主張の根拠は「給料を上げれば購買力も増大するから、生産者側もコスト増を販売価格に転嫁しても売れる」という「1+1=2」という小学1年生並みの数字のもて遊びでしかないことが最大の問題。

この主張は、言い換えれば「価格が安ければ売れる」という短絡思考に基づいている。が、消費が増えないのは、そんな単純な理由ではない。例えば11日からスタートした「全国旅行支援」。人気が殺到しているらしいが、高いプランから枠が埋まっている。このことは何を意味するか。「安いから売れる」からではないことを意味している。

討論で西村経産大臣は需要を喚起するための重要な課題として「イノベーション」の必要性をしきりに訴えていた。「さすが西村大臣」と高く評価したいのだが、中身に具体性が何もない。

すでに述べたが、戦後日本経済をけん引してきたのは「3種の神器」であり「3C」だった。これらの工業製品のうち、カーを除く生活必需品はすべての家庭に行き渡っており、いまは「買い替え需要」しか期待できない。若い人たちを中心に「クルマ離れ」が進行し始めたのは、20年近く前からであり、その理由は「クルマが買えないほど若い人たちの手が届かない高額商品」になったからではない。都市部の住民は、公共交通機関の発達によって生活利便性が車を不必要にしたこと、レンタカーにとって代わって地域の「カーシェア」システムが整備され、「クルマを必要とする時だけ利用すればいい」という合理性志向が強まったせいである。

実際、私が若かったころは、クルマを持つことがステータスであり、憧れでもあった。いまでも数千万する高級外車は、マニアにとっては垂涎の的のようだが、少なくとも都市部の住民にとってはクルマは生活必需品ではなくなった。一方、公共交通機関が十分ではない地方の住民にとってはクルマは「足」であり生活必需品だから、需要が減少することはない。

クルマに限ったことではなく、耐久消費財を取り巻く環境も激変した。例えばカラーテレビ。すでに書いたが、我が家に白黒テレビが鎮座したのは1958年。それから30年後にはカラーテレビが「1家に1台」から「1人1台」になり、2003年の地デジ放送開始と同時に私はブラウン管テレビから液晶テレビに買い替えた(そういう家庭が多かったようだ)。ブラウン管テレビの平均寿命は7年と言われているが、我が家の液晶テレビは20年になる今も健在である。

それには理由がある。ブラウン管テレビの場合、525本の走査線が画像を映し出しているのだが、ブラウン管の場合、寿命が尽きるとたちまち画面が真っ暗になって何も映らなくなる。が、液晶の場合は顕微鏡で見ないとわからないくらいの小さな画素の集積のため、それらの画素が少しずつ失われても、テレビを見ているほうは気がつかない。一度に半分もの画素が機能を停止でもしたら、画面の鮮明さが一気に失われるからすぐにわかるが、顕微鏡で見なければ見分けがつかないほど微細な画素が少しずつ機能を停止しても、ほとんどの人は気が付かない。

ほかの家電製品にしてもそうだ。冷蔵庫や洗濯機、エアコン、掃除機、炊飯器なども、品質や性能の向上によって寿命が延びている。メーカーは買い替え需要を喚起するため、品質向上より性能向上や使い勝手に「イノベーション」の力を入れているが、それに成功しているのはせいぜい掃除機くらいではないだろうか。後は日当たりが決して良くない家や共稼ぎで日中留守にする家庭での必需品になってきた洗濯乾燥機が売れているくらいだ。

いずれにせよ、「3C」以後に生活必需品になった新ジャンルの商品は携帯電話くらいしかない。携帯電話(スマホ)はクルマに似た「買い替え」需要が生じている商品で、一定の年数がたつと、まだ使えるのに新製品に買い替える人が多いようだ。こういう商品の市場には必然的に「中古市場」が生まれ、中古専門の販売店もできる。車の買い替え需要は高額製品だけに経済への影響もそれなりに大きいが、スマホの場合は高くても10万円そこそこだから、買い替え需要が景気をけん引するほどにはならない。

スマホを話題にしたついでに、この際私憤をぶつける。ドコモショップの、この上ないえげつない商売のやり方について告発しておきたい。

 

  • ドコモの「出張営業」の悪質さを告発する

電電公社が分割民営化されたとき、子会社としてドコモやNTTコミュニケーションズが生まれた。NTTコミュニケーションズは主に法人向けに長距離・国際通信事業を提供している会社で、フリーダイヤルの0120局番や、悪評さんざんのナビダイヤル0570局番の事業を行っているが、最近、個人向けの携帯電話事業に進出した。

同社の商品は「OCNモバイルONE」という格安スマホである。「売り」の定額プランは500メガで月額500円(税込み550円)。500メガの容量だと、ほぼ事実上スマホというよりガラ携としての利用が前提になるが、電話代は通常(従量制)が30秒10円(税込み11円)、オプションとして月額850円(税込み935円)コースと1300円(税込み1430円)の2コースが用意されている。通話時間無制限の「完全かけ放題」は1300円のコースで「オススメ」と推奨している。しかもこのコースだけとくに目立つように「すべての国内通話 無制限かけ放題」と、あたかも他社の「かけ放題」とは異なり、ナビダイヤルもタダと錯覚しそうな表記さえ強調している。明らかな景品表示法違反だ。

が、これまでNTTコミュニケーションズは個人向けビジネスをしていなかったこともあり、また大手携帯会社のドコモ、au、ソフトバンク(Yモバイルを含む)、楽天のようなショップ網をこれから自前で構築するのは困難と考えたのか、販売をドコモショップに全面委託したことで、大きな問題が生じた。

ドコモショップは実はすべて「代理店」方式である(「直営店もある」と主張する営業マンもいるが、「では、直営店を教えてほしい」と聞くと「私は知りません」と答える)。さらにドコモショップの営業エリアは、そのショップが存在する都道府県内の全域。例えば、東京・銀座のドコモショップが奥多摩まで出張営業してもいいのだ。もちろん出張営業した先でのアフターフォローも責任持つのなら、どこに出張営業しようと、利用者の利便性に問題は生じないのだが、それはしない。売りっぱなしで、「後は野となれ山となれ」商法なのだ。

売るときは「アフターは地元のショップで対応します」と言うのだが、それぞれのショップが独立した代理店だから事実上、できない仕組みになっている(ただし大企業が複数のショップを経営しているケースもあり、その場合は系列ショップでフォローすることも皆無ではないようだが、一般の消費者にはどのショップがフォローしてくれるのかはわからない)。

実際、私は自宅近くのスーパーにかなり遠方(3系統のバス、電車を乗り継がないと行けない)のショップから出張営業に来ていた営業マンから商品説明を聞いて「これは私のような者にはすごく有利だ」と思って契約した。

私はこのような長文のブログを書くし、またネットでの調べ物も多いし、高齢のせいで小さな字を目で追うのも困難(新聞もペーパーではなくデジタル版を購読している)という事情から、ネットや文章作成はデスクトップのパソコンでするから「ガラ携」としての利用しかしない、と営業マンに伝えたにもかかわらず、私に無断でアプリの「dテレ」を入れられた。500メガの容量で、どうやってdテレの映画やドラマなどを見ることができるのか。

なお現場で交付された書類にもNTTコミュニケーションズから送られてきた書類にも「dテレ」契約に関する記載は一切ない(書類はすべて取ってある)。

私は「dテレ」の利用料が口座から引き落とされているのに気が付いて、直ちに担当営業マンに電話で「dテレ」の解約を申し入れた。「解約するから店まで来い」というあきれた対応。やむを得ず最寄り駅の別のショップに持ち込んだが、「契約した店に行ってください」というつれない対応。再度、「せめて最寄りショップで対応してくれるよう、手配してもらいたい」と頼んだが、「他店に頼むことはできない。こっちに来てくれ」の一点張り。

こうまでされたら、私も意地になり対抗手段として、まだ引き落としされていない請求分について「引き落とし停止」の措置をとった。すると敵もさるもの、私を個人信用情報機構に載せた。おかげでクレジットカードの「ジャックスカード」が使用停止になり(ほかの大手カードは使える)、ジャックスカードにためたポイントも消滅。ジャックスには何の迷惑もかけておらず、ジャックスカードで支払った先に迷惑をかけるのは本意ではないのでジャックスカードの引き落としは止めなかったが、いくらポイント・サービスがよくてもジャックスのような自己責任能力のないカードは使用しないほうが身のためという貴重な経験をした。

なお、なぜドコモショップがわざわざ遠隔地で出張営業するのか。ショップ側の言い分としては、「待ちの営業ではお客様がなかなか足を運んでくれないから」ということだが(私が被害にあった当該ショップだけでなく、出張営業先のスーパーではほぼ毎週末に各地のドコモショップが出張営業に来ており、どのショップも同じ回答をする)、そのようなことはあり得ない。

もし、そういう理由に正当性があるとしたら、なぜ肝心の本業であるドコモのスマホを出張営業しないのか、ということになる。地元のドコモショップでOCNモバイルONEを販売したら、ドコモのスマホと完全にバッティング(競合)するため、他店の営業エリアに泥足で踏み込んで営業していると考えるのが最も合理的である。自分たちの利益のためなら、お客様にどんな迷惑をかけても、知ったこっちゃないという姿勢が見え見えではないか。

確かに「OCNモバイルONE」はガラ携やLINEがほとんどの利用目的という高齢者には有利な商品だが、テレビCMは全くしていない。なぜか。テレビでCMを流し、扱い店はドコモショップであることを明らかにしたら、消費者はどっと最寄りのドコモショップに押し寄せる。そうなると、ドコモの商品と完全にバッティングしてしまう。そこで苦肉の策として考えたのが、遠方への出張営業という手法なのだろう。ソフトバンクが系列格安スマホの販売店として「Yモバイル店」を設置しているのと比べると、明らかに卑劣と言わざるを得ない。

 

ことのついでに、なぜ各携帯大手がそれぞれ別個に基地局を設置するのか。まったく理に合わないことをしている、と私は考えている。

菅元総理は携帯料金の引き下げに尽力されたが、単に「もっと安くできるはずだ」と権力をかさに着て携帯各社に圧力をかけただけだ。

フェアな競争状況を官が整備し、そのもとで各社が平等公平な競争を繰り広げ、「知恵」を絞った結果として料金が下がり、サービスもよくなるための工夫をするのが行政の仕事ではないか。

実は数年前から、私はそういう提案を総務省にしてきたし、総務省の携帯電話担当の職員も「非常にいいご意見だと思います。参考にさせていただきます」というのだが、実現の見込みは全くない。実際、携帯電話会社の社員に私のアイデアについて意見を聞いたら、全員が「そうなったら劇的に携帯料金は下がりますね。お客さんの囲い込みもできなくなるし、サービス競争も激化して、間違いなくお客さんにとってはプラスになります」と言う。

言ってみれば、どうというほどのアイデアではなく、基地局を1本化すればいいだけの話。現に、テレビ局はスカイツリーや放送衛星を共同で利用しているではないか。テレビの場合はあらかじめ、放送各局に電波を割り当てる必要があるが、携帯の基地局の場合、電波の割り当てなどする必要もない。基地局の空き電波帯を早い者勝ちでだれでも、どの会社の携帯を使っていようが、まったく平等・公平に利用できることになる。

東日本大震災の時、ソフトバンクが「つながりやすさNO.1」とCMを打ったことがあるが、私はすぐ同社広報に電話をして「いまはソフトバンクの携帯のシェアが低いため一番つながりやすいかもしれないが、それを当てにして加入者がどっと増えたときでもNO.1を維持できるのか。電波帯を加入者が増えたとき広げられるのでなければ、詐欺的CMになるよ」とクレームをつけ、ソフトバンクもこのCMを中止した。

要は、携帯各社が平等に利用できる基地局を官が指導して日本全国に設置すれば、それで済む話なのだ。知床沖で観光船が遭難したときでも、観光船の船長の携帯がauで遭難地域が「電波の届かない場所」だったということだが、基地局を一本化していれば、どの会社の携帯を使っていてもSOSを発信できたはず。単に携帯料金を安くできるだけでなく、人の命にもかかわることだ。頭は生きているうちに使ってほしい。

 

  • 日本型雇用関係(終身雇用・年功序列)は大きな曲がり角を迎えた

話が横道にそれすぎた。なお、ドコモショップに関する記事は13日、総務省電気通信課にメール送信した。総務省が、この問題をどう処理するかは私の知ったことではない。この記事では悪質なドコモショップについての具体的情報は記載しなかったが、総務省あてのメールではショップ名・営業担当者名も含めて明らかにした。でっち上げではないことの証明である。

本論に戻る。

生産者物価は9.7%も上昇し(9月)、消費者物価も2.8%上昇したにもかかわらず賃金は上がらない。『日曜討論』で識者たちは、なぜ賃金が上がらないのかという問題意識すら持っていなかった。私の前回のブログを読んでいれば、多少はそういう問題意識を持てたはずだが、私が強制するわけにはいかない。もう一度簡単に振り返っておこう。

1985年のプラザ合意を受けて【ドル/円】相場は2年間で240円台から120円台へと2倍に高騰した。もし為替相場を輸出価格に転嫁していれば日本製品のアメリカでの販売価格は2倍になり、日本企業は国際競争力を完全に失っていた。というよりそこまで円が高騰するまでに、バランスが取れた水準で円高はストップしていたはずだ。この時の日本企業のビヘイビアが急激な円高を招いたと言えなくない。

日本企業は為替水準を輸出価格に反映せず、輸出価格の上昇率をせいぜい10~20%に抑えた。海外とくにアメリカからは「ダンピング輸出だ」という厳しい非難が殺到したが、日本企業は「必死の合理化努力によってコストダウンを実現した結果だ」とうそぶいた。

もし合理化努力によってコストダウンに成功したのであれば、日本の消費者もその恩恵を受けるべきだった。が、日本では「高性能化・高品質化」を口実にかえって価格を上げたのだ。その結果、日本では並行輸入業者が乱立し、海外の安い輸出品を日本に逆輸入するビジネスが爆発的にはやった。私自身もアメリカ旅行するたびにゴルフ用品を買って帰ったものだ。

日本企業は、なぜそういったビヘイビアに出たのか。工場の生産量を維持することが日本企業にとって最大の経営課題になったからだ。最近でこそ日本型雇用の柱でもある「年功序列」による昇進昇給制度は徐々に崩壊しつつあるが、当時はまだ昇進も昇給も年功が大きな要素を占めていた。

そのうえ、終身雇用制度が日本の経営者の足を縛っていた。ヤフコメでそういうことをコメントすると、たちまち「終身雇用を義務付けた法律はない」という批判が殺到したが、確かに終身雇用を義務づけた法律は直接的にはないが、労働者に対する過保護な労働基準法(労基法)という法律があり、これが経営者の手足を縛っている。

アメリカで前大統領のトランプがアメリカの自動車産業を保護することを目的に、自動車(部品も)や鉄鋼・アルミ製品などに高率関税を課したが、一工場作業員からGMのCEOに上り詰めた初の女性CEOのメアリー・バークは全米で5工場を閉鎖してトランプを激怒させた。「せっかくアメリカの自動車産業のために競争力を回復させてやったのに~」という理由だったが、メアリーは平然と反論した。

「確かに米自動車産業の競争力は回復したが、材料や部品の輸入価格がアップしコストが相当上がった。そのコストアップ分を自動車の販売価格に転嫁したらアメリカ人の平均購買力を上回ってしまう。だからやむを得ず工場を閉鎖した。工場を閉鎖し従業員をリストラに追い込んだのはトランプ、あんただ」と。

こういう経営が、日本では事実上できない。不採算工場を閉鎖したり、従業員をリストラするには、日産のようにプロの経営者を海外から招へいしたり、シャープのように会社ごと海外の企業に身売りして彼らの手で大胆な合理化を進めさせるしかないのだ。そうした経営決断ができずに、いまだにっちもさっちもいかない状態に陥っているのが東芝。

経団連が日本企業の経営の自由度を増すために「終身雇用制の廃止」を求めているが、そのためには労働者過保護の労基法を改正しなければ不可能。おそらく経団連もそのことに気づいてはいるのだろうけど、さすがに「労基法改正」を打ち出せない。労働者にとっての憲法のような存在だからだ。

高度経済成長時代、「日本型資本主義は人本主義だ」と喝破した経営学者がいたが、日本企業は利益より従業員の雇用を維持すること、そのためには工場の生産量を維持することを最重要視せざるを得ない。プラザ合意以降の円高局面では生産量を維持するために海外にはダンピング輸出をして、そこで生じる赤字分は国内販売で賄った。アベノミクスによる円安で国際競争力が回復しても、輸出価格を下げて輸出量を増やすという選択肢をとらなかったのは、生産量の拡大によるリスクの増大を避けるためであり、だから輸出価格を据え置いて輸出量を維持し、生産量も増やそうとしなかったのである。その結果、輸出企業の内部留保だけが膨大に膨れ上がったというわけ。

 

  • まとめ~~需給関係だけで価格が決まるわけではない

そろそろまとめに入ろう。これまでるる述べてきた日本企業のビヘイビア・ルールを理解しないと、『日曜討論』の識者たちのレベルの低さがわからない。

はっきり言えば、金融庁の「老後2000万円」問題や、年金の「マクロ経済スライド」移行問題、「少子化」及び「高齢化」問題などが、消費意欲を冷え込ませているうえ、「3種の神器」や「3C」のような景気をけん引するような魅力的な商品が存在しないといった現状が、「消費より貯蓄」の流れを作っている。

そうした状況下で、コスト増を価格に反映させたら、ますます売れなくなることを、経営者は肌で感じている。ただし、コストアップ分を価格に反映できている商品もあれば、ずうずうしいことに「値上げのチャンス」とばかりに便乗値上げしている商品もあるのだ。

今年の秋はサンマが不漁で、価格が高騰したかというと、消費者の選択は「サンマが高いのならイワシで十分」。その結果、サンマは出血販売を余儀なくされ、代替品のイワシが高騰した。

実際、代替が効かない生活必需品はかなり便乗値上げされている。トイレットペーパーや洗剤などだ。生産者だけでなくスーパーなど小売業者も仕入れ価格の上昇分を販売価格に転嫁できない商品は薄利で販売し、価格を上げても買い控えができない商品を便乗値上げするなど工夫しているようだ。

前にもブログで書いたことがあるが、「豊作貧乏」は昔から言われてきた市場原理だが、ほどほどの不作なら利益が上がるが、極端な不作になるとかえって買い控えを生み大儲けどころか出血販売を余儀なくされ、コストすら回収できないケースもある。

市場価格が「需要と供給」の関係で決まるというのは確かに経済学の原則だが、供給量によって需要が大きく変動するため、それほど単純に需給関係だけで価格が変動するわけではない。

つまりコストを販売価格に反映したら需要が激減するから、生産者はコストを販売価格に転嫁できないのであって、『日曜討論』の識者たちが口をそろえたように、企業が従業員の給与をアップすればコスト増を反映した商品に消費者が手を出すようになるかというと、そういうものでもない。増えた収入の使い道の優先度は、やはり「将来への不安」が消えない限り、そして魅力的な新しい商品が誕生しない限り、消費者の「貯蓄」志向に変化は生じない。

 

【追記】16日の『日曜討論』は「防衛費・反撃能力 安全保障政策を問う」と題して主要政党の代表者7人(全員衆院議員)による討論だった。彼らのほとんどは北朝鮮のミサイルを脅威とみなし、日本への挑発という前提で抑止力強化を目指すべきという点では共通した認識を持っていた。

実際政府の「北の脅威」に対するプロパガンダの効果は抜群で、日本人の多くは抑止力強化が必要と考えているようだ。

が、安全保障問題では何度も機会あるたびに書いてきたが、私は最善の安全保障策は「抑止力強化」ではなく「敵国を作らないこと」に尽きると考えている。そういう意味ではインドのような「八方美人」的外交がいいのだが、日本はアメリカとの同盟関係を構築しており、この関係は維持したうえで日本はどういう外交を展開すべきか。

私自身はアメリカとの同盟関係を維持しながら「敵国を作らない」ための外交の要諦として、アメリカの外交方針とは一線を画すべきと考えている。

例えば、北朝鮮のミサイルが日本領海(津軽海峡など)上空を飛翔したとしても、あえて「脅威」ととらえる必要は全くない。北が日本を標的としたミサイル発射を頻発しているのなら別だが、北のミサイルの標的はあくまでアメリカである。北もいたずらに日本を刺激しないように、日本の陸地上空の通過は避けている。まして北のミサイルの脅威をことさらにおあり立てて「抑止力」強化を「対北」政策として押し進めた場合、北にとっては「日本の抑止力」が脅威になりかねない。

もちろん北の「火遊び」に対しては日本は厳重に抗議すべきだが、いまの日本の安全保障政策を考えると、北の「脅威」を口実にして軍事力強化を図ろうとしているかに見える。それこそ、危険な「火遊び」である。

米中の覇権争いにしてもそうだ。万一、米中が軍事的に衝突した場合、日本はその衝突に関与すべきではないし、ましてアメリカの覇権争奪戦の片棒を担ぐべきではない。むしろ、日本が置かれている地政学的有利性を背景に、米中に対して「覇権争いでどちらが勝ったにせよ、失うものは共に大きい。両大国が協力してアジア・インド洋の平和とこの地域の経済的発展、国民生活の向上に貢献すべきだ」と米中和平への説得を行うべきだと思う。

日本は過去の十字架をいまだに背負っているだけに、いたずらに「抑止」の名において軍事力の強化を図れば、北や中国だけでなくアジアの周辺国に対して警戒心をあおるだけの結果になる。

しばしば言われることだが、「敵の敵は味方」だが、同時に「敵の味方は敵」でもある。米中がアジア・インド洋の覇権をめぐって衝突した場合、あまりアメリカに肩入れしすぎると、中国にとって日本は「敵の味方だから敵」という位置づけをされかねない。

もちろん、アメリカが一方的に他国から不当な攻撃を受けた場合は、同盟国として日本もアメリカ防衛に可能な限りの実力行使を行うべきだと私は考えているが(その場合でも憲法を改正しないと無理)、少なくとも同盟国としてアメリカを防衛する義務は、日米安保条約に基づいてアメリカが日本に対して負っている防衛義務の範疇を超えるものであってはならない。日米安保条約においてアメリカが負っている日本防衛の義務は、第5条に明記されているように日本の領土が不法に侵犯された場合のみである。日本が他国と軍事衝突を生じた場合、またその結果として日本が領土を攻撃されたとしてもアメリカは日本防衛の義務は負っていない。

米軍は日本の「傭兵」ではないし、日本がアメリカ防衛のために実力行使に出る場合でも、自衛隊はアメリカの「傭兵」としてではない。

16日の『日曜討論』でも、参加者全員が政治家というせいもあるだろうが、安全保障の要諦を「軍事的抑止力」に置きすぎているきらいがあり、日本が再びおかしな方向に歩みだしかねない危惧を感じた。

 

 

 

 

 

 


ケインズ経済理論は賞味期限切れか~インフレもデフレも金融政策では克服できない、これだけの理由

2022-10-03 04:32:15 | Weblog

 

お約束の「なぜ円安が止まらないのか」について書く。このテーマについて書くことはすでに9月23日には決めていた。というより、前回のブログ原稿のこの個所は23日には書き終えていた。

政府・日銀が22日、急落する円を買い支えるために為替介入することを発表、米財務省がすぐ反応し「日本の行動は理解するが、アメリカは協調介入しない」とコメントした。私はヤフコメ(ヤフーが提供するニュースへのコメント)でこう書いた。

「為替介入という「伝家の宝刀」が竹光ではね~ 一時的に円は高騰したが、すでに反落が始まっている。 今週中には「元の木阿弥」に戻る。 為替介入は、投資ファンドに金儲けの「千載一遇のチャンス」を提供しただけ。なぜなら、為替市場で動いているカネは、日本の国家予算をはるかに上回る規模。日銀に、投資ファンドに逆らえるだけの資金力はない」(※「元の木阿弥」に戻ったのは翌週だったが…)。

さらに24日、ヤフーニュースで立憲・蓮舫氏が「為替介入するならアベノミクスの見直しが必要」と主張したことを知り、ヤフコメにこう書いた。

「いま、マクロ経済学の有効性が問われています。 アメリカはFRBのパウエル議長がインフレ退治のために金利を上昇させていますが、金利政策には逆効果もあります。 パウエルの期待は、金利の上昇によって需要を抑え、需給関係を供給過多にすることです。つまりデフレ政策です。 が、金利を上昇させればメーカーや流通業者のコストが跳ね上がります。そのコスト増を価格に反映したらインフレが加速します。 アベノミクスのデフレ対策は金融緩和によるインフレ政策ですが、消費が伸びなければ効果は半減します。「老後生活2000万円必要」論などもあって、消費者の買い控えがかえって進み、金融緩和効果が生じていません。アベノミクスではデフレを退治できませんでした。 皮肉なことに、その結果、日本のインフレ率は欧米に比して少ないのです。マクロ経済学の「け」の字も知らない連邦氏の「一言いいたい」姿勢の失態です」

米FRBはウクライナ戦争による急速なインフレを抑え込むために、政策金利(日本の「公定歩合」)の0.75%アップを3回立て続けに行った。計2.25%ものアップだ。この記事を書いている25日現在、このパウエル・バズーカ砲でインフレ退治ができるかどうかはまだわからないが、私は難しいと思っている。(なお、この記事をアップする時点で私の予測が外れても、この部分は修正しない。もし外れた場合は、米経済は深刻な大不況に陥るはずだ)。

 

  • 「失われた30年」の検証

実は日本は金融政策で大失態を演じた。バブル退治のための金融政策のことだ。後で検証するが、日本は1980年代半ばから80年代末まで急激な資産バブル(不動産・株式・ゴルフ会員権・絵画など)を経験した。

その結果、庶民には「持ち家」がはるかかなた手が届かないほど高騰し、中間所得層を中心に政府への不満が沸騰した。バブル景気を演出したのは日銀・澄田総裁の超低金利策(金融緩和)と、金儲けのためには節操など全く無視した金融機関による不動産関連融資の拡大だった。バブル景気が最高潮に達したのは89年末で、この年の東証大納会での日経平均は史上最高値の38,915円で引けた。

さすがに行き過ぎた株価高騰に投資家たちが警戒感を抱き始め、株価は90年初頭から下落し始め、10月1日には日経平均が一時2万円割れになった。わずか9か月で半値近くに暴落したのである。ただし資産バブルが一気に崩壊したわけではなく、またバブル崩壊の時期については諸説ある。

 

遅まきながら大蔵省(現財務省)が不動産高騰対策に乗り出したのは1990年3月。銀行など金融機関に対して不動産関連融資抑制の行政指導に乗り出したのだ。「総量規制」がそれで、金融機関に対して融資総額に占める不動産関連融資の比率に上限を設けたのだ。その結果、金融機関や不動産関連企業の株が一気に暴落をはじめ、金融機関は生き残りのために不動産関連融資の引き締めどころか超優良融資先以外の融資先には「貸し渋り」「貸し剝がし」(融資金額の一括返済を迫ること)に血道を上げだした。銀行など金融機関はしばしば「晴れているときに傘を貸し迫り、雨が降り出したら傘を取り上げる」と言われるが、まさに「ユダヤの商法」そこのけの真骨頂をこの時期なりふり構わず発揮した。

さらに89年12月、澄田の後継総裁の地位についた三重野は、就任前3.75%だった公定歩合を4.25%に引き上げ、その後も90年3月5.25%、8月6%と、わずか9か月の間に2.25%もアップした。

大蔵省による「総量規制」と日銀による金融政策のダブル・パンチを受けてバブルは一気に弾け、日本経済は「失われた30年」の時代に突入する(なお、今後も政府が経済成長を目指す政策を続ける限り「失われる期間」はさらに長期化する)。この三重野を「平成の鬼平」と高く評価したのが今やまったく時めいていない自称「経済評論家」の佐高信。佐高は大学卒業後、郷里で高校教師をした後、総会屋系経済紙の『現代ビジョン』で記者・編集長を務め、内橋克人氏に師事して売り出すことに成功した人物だ。彼が「経済評論家」を自称するのは勝手だが、経済理論をどのくらい勉強しているのかは疑問。彼の人物評論にしても、価値基準が「好き嫌い」でしかないようにしか思えない。

三重野が行き過ぎた金融引き締めによって日本経済の息の根を止めたことに、日銀がようやく気づいたのは最後の公定歩合引き上げから1年も経った91年7月。公定歩合を5.5%に引き下げ、さらに11月5%、12月4.5%、92年4月3.75%、7月3.25%、93年2月2.5%、9月1.75%と下げ続けたが、日本経済が息を吹き返すことは二度となかった。なお、佐高は三重野の金融政策転換については何も語っていない。「語っていない」のではなく、語れないのだろう。

経済は生き物と同じ、と私は考えている。がんも早期発見して早期に治療すれば大事に至らずに済むが、全身に転移してから治療を始めても取り返しがつかない。経済動向変化の初期兆候を見抜くためには直近の経済指数ばかり近視眼的に重視していてはだめだ。コロナ・パンデミックとかウクライナ戦争とかの予期し得ない事態は交通事故と同じで初期対策の取りようがないが、世界経済の大きな潮流は気候変動と同様、注意していればわかるはず。

この記事を書いている25日のNHK『日曜討論』は地球温暖化対策について専門家(学者)たちのディスカッション番組だったが、専門分野での知識や見解には耳を傾ける要素があったが、何か「隔靴掻痒」の感じがぬぐえなかった。NHKには感想を電話したが、私が感じた違和感はこういうことだ。

言うまでもなく、地球温暖化対策は喫緊の課題ではある。その大きな要因として化石燃料による二酸化炭素の排出をいかに抑えるかは、全世界的テーマであることは否定しない。が、二酸化炭素が突然一気に急増したとは考えにくいし、地球温暖化も一気に加速することもありえない。だから、今年の全世界的規模の異常気象の要因を二酸化炭素の排出だけ減らせばいいという短絡的結論にはなりえないはずと、私は視聴していて疑問を持った。SDGs(持続可能な開発目標)への取り組みの重要性を否定するつもりは毛頭ないが、今年の異常気象の要因は地球温暖化だけということは論理的にあり得ない。何がいま地球で生じているのか、その変化を見ないと「樹を見て森を語る」議論で終わりかねない。

実はそういった要素が経済動向にもあるのだ。私はとっくの昔から指摘しているのだが(私のアベノミクス批判の原点でもある)、地球的規模で進行している「少子高齢化現象」によって、もはや先進国の先端工業製品輸出中心主義の経済成長時代は終焉した、と私は考えている。そのことを前提に、これからの経済政策を考えないといけないと思う。(25日記す)

 

  • バブル景気を牽引し演出した金融機関の「お行儀」

日本がバブル退治に失敗したのは、経済の動向を見据え時間をかけて軟着陸すべきことを、「胴体着陸」のような強硬手段で短期間にバブルを退治しようとしたことが最大の要因である。言うなら「角を矯めて牛を殺してしまった」のが、当時の大蔵省の「総量規制」と日銀の「金融引き締め」政策だったのだ。

バブル景気華やかな頃は、当時のメガ銀行が不動産関連事業に無節操な融資競争を行っただけでなく、大手デベロッパーの営業すら肩代わりした。

これは私自身が経験したことだが、私の友人から誘われて某メガ銀行主催の仙台1泊旅行に行ったことがある(10人ほどの小規模「団体旅行」だった)。交通費・宿泊代は銀行持ちで支店長自ら案内役を務めた。某銀行が大蔵官僚を接待して社会的に大問題になった「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」のような派手な接待はなかったし、ホテルでの夕食後に仙台の繁華街に繰り出してのどんちゃん騒ぎの「二次会」「三次会」といったこともなかった(二次会はホテル内でのカラオケ)。問題は銀行接待の仙台旅行の目的だ(たぶん費用は大手デベロッパーが負担したと思う)。

当時仙台では、市営地下鉄の計画が進んでいて、沿線予定各駅の周辺では大手デベロッパーによる開発競争が激化していた。その分譲土地の販売営業マンを、銀行支店長が自ら買って出たのが「仙台旅行」の目的だった。市内で1泊した翌日の午前中に該当分譲地を案内した支店長は、その分譲地が投資先としていかに有望かを一生懸命にトークし、「その分譲地を担保に全額融資します」という破格の条件で購入を勧めた。私は仙台に土地勘がなかったし、借金してまでと思ったので、この話には乗らなかったが、支店長の口車に乗って大損した人も何人かいたようだ)。

バブル時代、新金融産業(「産業」と呼べるほどの規模にはならなかったが)が生まれた(バブル崩壊後、消滅したが)。雨後の筍のように誕生した「抵当証券企業」である。不動産の持ち主や買い手に不動産担保の融資を行い、担保にした不動産を有価証券化して投資家に売るという新金融事業で、このアイデアは日本生まれである。バブル崩壊で抵当証券会社はすべて倒産したが、実はこの新アイデアを利用して世界的大事業にしたのがアメリカの「サブプライムローン企業」や「リーマン・ブラザース」だった。

アメリカはバブル期、地域密着型小規模金融機関(日本の「信用金庫」のような規模と思われる)が、信用度が小さい低所得層を対象に融資して担保設定した不動産を有価証券化して投資家に販売したのがサブプライム企業。日本のバブル崩壊の影響を受けてアメリカでも不動産価値が暴落し、その証券を大量に抱えていた証券大手のリーマン・ブラザースが一手に「抵当証券事業」を引き受けて不動産価格暴落を防止、抱えこんだ「抵当証券」を世界中の金融機関などに転売、一時は大儲けしたが、所詮「厚化粧」事業に過ぎず経営破綻して世界中に金融破綻を引き起こしたのが、いわゆる「リーマン・ショック」である。

現在も、優良融資先を失った銀行がサラ金を傘下に収めたり、一流企業の正規社員を対象に「カードローン」競争を繰り広げているが、「カードローン事業」を発案したのも日本。バブル期に日本で最初に不動産を担保に融資枠を設定し、その枠内でキャッシングや返済を自由に行える金融事業で、毎月の返済額や返済期間が決まっている通常の「住宅ローン」や「自動車ローン」、クレジットカードのリボ払い」とは異質の融資事業である(現在のカードローンとは仕組みが違う)。

この事業を日本で最初に始めたのが、大蔵事務次官経験者の頭取指定席とされていた地方銀行の雄・横浜銀行で、当時小田急線・新百合ヶ丘近くの戸建て住宅に住んでいた私にも百合丘支店長自ら営業に来たことを記憶している。

手を変え品を変えて、信用度が高い(と当時は思われていた)不動産所有者に多額の融資を行った。融資先に対して「晴れの日には傘の貸し出し競争に明け暮れ、雨が降り出すと取り上げる」という銀行の習性は今も昔も変わらない。

「住銀の天皇」「住銀中興の祖」と呼ばれ、世界的権威がある「バンカー・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれた住友銀行の磯田一郎頭取にインタビューしたとき、私が「向こう傷は問わない、と積極的営業をモットーにされていますが、利益を上げるためなら何をしてもいいというわけではないでしょう。許容できる向こう傷の限界を教えてください」と質問し、同席していた広報室長が焦りまくったことを覚えている。磯田氏の答えはほとんど記憶にないが、「うまく逃げられた」という思いだけは残っている。まだジャーナリストとして未熟だったと

も反省している。が、さすがにメガ銀行の「天皇」と呼ばれるほどの人物、その貫禄には圧倒されたことを、いまも強烈な印象として記憶している。

いずれにせよ、泡として生まれ、泡として消えた「バブル景気」を演出し牽引したのは、日本でもアメリカでも金融機関であった。そうなった経緯を、日本について簡単に検証しておく。(26日記す)

 

 

  • 明治維新のパラドックスが、日本の輸出産業最優先の経済政策と軍国主義への傾斜を招いた

周知のように、明治維新の原動力となった革命運動の合言葉は「尊王攘夷」である。倒幕後、明治新政府は一応「尊王政権」(王政復古あるいは大政奉還とも)は成立したが、もう一つの旗印であった「攘夷」のたてまえは煙のように消えた。なぜか。

私は明治維新を実現した真の革命エネルギーは「王政復古」ではなく、「攘夷運動」だったと思っている。徳川幕府時代末期、アジア諸国は欧米列強による「植民地化」競争の刈り取り場になった。「眠れる獅子」の中国は、さすがに列強による植民地化は免れたが、列強に相当浸食された。

日本にとって幸いだったのは四方を海に囲まれて大陸とは陸続きでなかったこと、そのため列強の触手が日本に及んだときは1国だけでなく列強がほぼ横一線に並び、互いにけん制しあって「一抜けた」ができなかったこと、さらに言えば日本には列強が手傷を負ってまで植民地化したがるほどの優良な資源がなかったこと、などの好条件がそろったためと私は考えている。

そのうえ、「一抜けた作戦」を強行したアメリカが、あえて日本を植民地化しようとはせずに、アメリカにとって有利な通商関係を日本と結ぶことを対日政策の基本方針にしたことが大きかった。そのため、アメリカに続いた列強も日本を植民地化するという野望を捨てて、有利な通商関係を日本と結ぶ政策方針をとらざるを得なくなったと思われる。

日本にとっては「僥倖」ともいえるこの状況が、徳川幕府にとっては命取りになる。徳川政権は歴代、鎖国政策をとってきた。「開国」が逃れられない世界の潮流ではあったが、列強の軍事的威圧下で幕府が不利な通商条約を結んだことで、日本中に燎原の火のごとく広がったのが「攘夷運動」。

しかも当時の朝廷内で、徳川政権の「弱腰外交」を非難する勢力が台頭する。この状況を「好機」ととらえたのが、「関が原の戦い」敗北以降、幕府への怨念を抱き続けてきた長州藩。「これ幸い」と朝廷の攘夷派公卿たちを取り込み、討幕運動を始めた。ただ、長州藩の「闘士」たちは私怨を旗印に倒幕運動を展開できるほどの戦力は持っていない。討幕の「同志」を募るためには、大義名分になりうる旗印を立てる必要があった。で、長州藩の「闘士」たちが利用したのが当時の「攘夷」ブームだったというわけ。

が、攘夷運動のリーダーになるには、攘夷の実績を作る必要があった。そのための「攘夷」行動が、1963年5月に田浦港に停泊していた非武装の米商船ペングローブ号に対する一方的な砲撃だった。ペングローブ号は逃げて無傷だったが、これを戦果と喧伝して意気を高めた討幕派藩士たちは、続いて仏キャンシャン号、蘭メデューサ号にも砲撃、さらに下関海峡を閉鎖した。徳川幕府は長州藩を叱責したが、それではことは収まらず、英が米仏蘭に働きかけて四国連合艦隊を結成、長州軍を攻撃して撃破、倒幕闘士たちはいったん下野する。

下関戦争には敗れたが、この戦いで一躍長州藩は「攘夷運動」のリーダー的地位の確立には成功した。長州藩の倒幕闘士たちが、ホンモノの「攘夷派」だったとは、私は思っていない。

実は「攘夷運動」ではなかったが、下関戦争の前に薩摩藩が生麦事件をきっかけにイギリスと戦争して大敗している。が、薩摩藩は薩英戦争を契機に、逆にイギリスと友好関係を構築して若手藩士をイギリスに留学させるなど、近代産業育成と軍事近代化政策を進めた「開国派」だった。政権構想については「王政復古」(尊王)ではなく「公武合体」主義だった。実際、薩摩藩の実権を当時握っていた「公武合体派」は、攘夷派藩士を京都・寺田屋で襲撃している(寺田屋事件)。

政権構想で相反する立ち位置にあった薩長間を調停して同盟関係に導いたのは坂本龍馬だというのが司馬遼太郎説だが、その詮索はこの稿ではしない。

もともと「ホンモノ」攘夷派ではなかった長州の討幕派だったから、薩摩と同盟関係を結ぶについて、倒幕の旗印にしていた「攘夷」を放棄し、一方、「攘夷」を放棄した長州に配慮して「公武合体」の旗印を降ろして「尊王」に藩政方針を転換したのが薩摩、というのが私の論理的結論。私は歴史学者ではないので、この説を唱える歴史学者がいるか否かは知らないが、おそらく「新説」ではないかと自負している。

少なくとも、そういう歴史認識に立たないと、明治維新が実現した途端、維新実現の最大のエネルギーだった「攘夷」が煙のように消えた合理的理由が説明できないはずだ。そして成立した新政府が最大の国家政策として掲げた「殖産興業・富国強兵」政策が、その後の日本の運命を左右することになった経緯も理解できない。

ただ、明治新政府が「開国&産業・軍事の近代化」政策を進め、徳川幕府が列強と締結した不平等条約を改定しうる、列強に伍する近代化を進めるための資金力は、新政府の実権を握った薩長にはなかった。で、国民から広く浅く資金を集める必要があった。

NHKの大河ドラマ『青天を衝け』は、その役割を担ったのが渋沢栄一だと解釈したようだが、彼が創設した「国立第一銀行」ははっきり言えば詐称である。もし、渋沢が銀行を現在の東京都国立(くにたち)市で創業したのであれば、「こくりつ」ではなく「くにたち」銀行であるべきだが、事実は違う。

渋沢が日本の産業近代化に貢献したことまでは否定しないが、そのための資金集めをした「国立第一銀行」は実際には「こくりつ」ではなく、私企業(株式会社)である。ただ、信用力に乏しい私企業の金融機関に「命の次に(人によっては命より)大切なカネ」を預けるもの好きはそうはいない。で、「国立」の名を冠して箔付けしたというのが真実。実際に政府の手足となって近代化政策を進めるための資金集めに最大の功績があったのは「日本資本主義の父」渋沢ではなく、日本全国に郵便局のネットワークを構築し、郵便貯金で庶民から広く浅く資金を集めた「日本郵便の父」前島密である。

ま、『青天を衝け』はドラマだから史実に必ずしも正確でなくてもいいと思うが、史実をドラマ化する場合、ちょっといかがかと思った次第。

この際、私的憤りを書かせていただくと、駒澤大学の名誉教授が始めた小さなズーム勉強会に私も誘われたことがある(今は脱会した)。その会で私が日本の金融機関が果たしてきた役割(正も負も)をお話ししたとき、「面白いから電子出版しないか。印税収入はそんなに期待できないが、電子出版社を知っているから書いてみないか」とのお誘いを受けたことがある。で、かなりの日数を割いて3万字に及ぶ原稿を書いてメール送信したが、なしのつぶて。ズーム勉強会のとき、「どうなっているか」と尋ねたところ、「お金はいくら出せる?」と言う。「金まで出して電子出版するつもりはない」というと、氏はダメダメと手を横に振って「小林さんは何十冊も書いているから名前を売り出す必要はないよね」ときた。それだけでなく、他のメンバーに対しても「お金を用意できるなら、電子出版してあげるよ」と誘っていた。旧統一教会ほどのあこぎさとまでは言わないが、ビジネスの悪質性としては五十歩百歩だ。せちがらい世の中になったものだ。

いずれにせよ、明治政府が徳川幕府の「負のレガシー」である列強との不平等条約の解消・改定を目指さざるを得なかったことが、その後の日本がたどった軍国主義への道の露払いをすることになった。具体的には、欧米列強に侵食されながらも、近代化への道を歩もうとしなかった「弱体大国」清との戦争、さらに日清戦争で獲得した利権防衛のために始めた強国ロシアとの戦争での「勝利」に酔ってしまったことが「神国神話」の国民への浸透につながり、ついには無謀な「先の大戦」に突き進む結果を生んだと考えている。

こういう歴史認識を論理的思考の基準に据えないと、「歴史は二度繰り返す」ことになりかねない。いまの世論の動向を見るとき、私はそういう危惧を持たざるを得ない。(27日記す)

 

  • プラザ合意で円は2年で倍に高騰したのに日本経済が失速しなかった

私の自称代表作である『忠臣蔵と西部劇 日米経済摩擦を解決するカギ』(1992年刊。なお売れたという意味ではない)に詳しいが、1985年9月、ニューヨークのプラザホテルに日米独英仏の主要5か国の財務大臣・中央銀行総裁が集まり(日本からは竹下蔵相と澄田日銀総裁が出席)、「円買いドル売り、マルク買いドル売り」への協調介入を決めた。

その背景は、82年に発足した米レーガン政権が、前大統領カーターの「負のレガシー」であるインフレ抑制のために行った経済政策「レーガノミクス」(超高金利20%台)によってインフレは終息させ

たが、振り子の針が振れすぎて深刻なデフレ不況に突入したため為替市場でドル高が急速に進んで膨大な貿易赤字に苦しむ。かくして米産業界の国際競争力が低下したことが、レーガンが他の主要国に為替操作の協調介入を求めた最大の理由。ちなみにレーガンの高金利政策になぞらえて真逆の超低金利政策でデフレ不況からの脱却を目指したアベノミクスが、なぜ「レーガノミクス」と比喩されたのか、私には理解できない。

アメリカ産業界がこの時期疲弊した理由はもう一つある。レーガンは、「強いアメリカの再生」をスローガンに大統領選で大勝利を収めたのだが、その公約を実現するために旧ソ連に対して猛烈な軍拡競争を仕掛けた。その結果、ソ連邦は崩壊し西側の勝利をもたらしたのだが、アメリカは軍拡競争による財政赤字に陥り(85年、アメリカは史上初めて債務超過国に転落した)、アメリカは「財政赤字と貿易赤字の双子の赤字」に陥る。

「自分が勝手にまいた種」といえなくもないが、ソ連邦を崩壊させたレーガン政策に他の主要国が負い目を感じたのか、プラザ合意でドル売りの協調介入が決まった。ドル売りの対象通貨は当時アメリカの貿易赤字に「寄与」した日本とドイツの法定通貨である。つまり「円買いドル売り」「マルク買いドル売り」の流れが為替市場を覆う。その結果、2年後の87年には円は85年当時の240円台から2倍の120円台へと一気に高騰した。

常識的に考えれば、輸出産業で稼ぎまくっていた日本産業界は大打撃を受けて失速するはずだが、そうはならなかった。「円が強いことは良いことだ」というバカげた経済論をぶつエコノミストも続出したが、その後も日本経済は成長を続けてバブル景気に突入し、さらにアメリカを怒らせて89年9月から翌90年6月にかけてのロングラン交渉「日米構造協議」になだれ込む。バブル景気を崩壊させた一因でもある。

ウクライナ戦争が始まって以降、エネルギー源の石油や天然ガスの供給不足による価格高騰、ヨーロッパの「穀倉」ウクライナの小麦の輸出減や世界的気候変動による食料品の高騰をきっかけに世界中でのインフレ促進と、主要国のインフレ対策としての金融引き締めにもかかわらず、かたくなに金融緩和政策を続ける日銀アベノミクス継続で生じた「円安不況」を、プラザ合意の危機を乗り越えた日本がなぜ乗り越えることが不可能なのかの検証を行う。

 

  • NHK特集『世界の中の日本――アメリカからの警告』が与えたショック

プラザ合意で円が2年で2倍に高騰するということは、いまだったらおよそ想像を絶するほどの事態だ。かなり知的レベルが高い私のブログ読者なら、とっくにご承知のはずだが、単純に考えれば円が倍になれば輸出競争力は半減し、一方輸入品価格は半値になるはず。実は、この為替のからくりが、円高騰の中で日本経済の成長力が衰えなかった要因の一つである。

実際には日本の自動車や電機など輸出産業は、この円高で悲鳴を上げた時期もあった(短期間ではあったが)。が、その後の「日米経済摩擦の最大の原因」になり、米産業界から猛烈な「ジャパン・バッシング」を受けることになるのだが、日本の自動車や電機メーカーはどうやってこの苦境を乗り越えたのか~

ダンピング輸出によって輸出量(つまり生産量も)を維持しようとしたのだ。

プラザ合意の翌年、86年4月26日(土)から3日間、ゴールデンウィークの幕開けにNHKは連続で、しかもゴールデンタイムに通常の放送時間枠の1回45分をはるかに超える26日1時間45分、27日1時間30分、28日にはNH9をはさむ2部構成で2時間45分の3夜で計5時間25分という空前絶後のドキュメント番組を『NHK特集』(現NHKスペシャル)として放送したことがある。このコンテンツのタイトルは『世界の中の日本――アメリカからの警告』で、キャスターはのちに都知事選に立候補した磯村尚徳氏が務めた。ゴールデンウィークのゴールデンタイムでの長時間ドキュメント番組は、『N特』スタッフにも予想外の視聴率を稼ぎ、強烈な反響があったという。

この番組について書いた『NHK特集を読む』(88年刊)での冒頭で私はこう書いている。

 

放送の最終回、視聴者の反応として「経済大国というが一体どこの国の話だ、私たち庶民には豊かさの実感がない」「アメリカ人に勝手なことを言わせるな」「働きすぎだから休めというが、そうはいかないよ、給料も減るからねぇ」「NHKともあろうものが、こんな屈辱的番組を作るとは何事か」といった声が上がったことを率直に伝えたほどである。が、一方では「日本の現実をよく見ている」「アメリカが日本にこれほど怒っているとは知らなかった、認識を新たにした」といった反応が、3夜合わせて1000件を超えた電話の多数を占めた。

 

このコンテンツの制作動機は、ピューリッツァ賞を受賞した米ジャーナリズム界の大物、セオドア・ホワイトがニューヨーク・タイムズ『日曜版』のカバー・ストーリーに書いた「日本からの危機」にあった。

「第2次世界大戦後45年を経た今日、日本はアメリカの産業を解体しつつ、再び史上で最も果敢な貿易攻勢を行っている。彼らがただの抜け目のない人種に過ぎないのか、それともアメリカ人より賢くなるべきことをついに学んだかは、今後10年以内に立証されよう。その時になって初めて第2次世界大戦の究極の勝者が誰であったのかを、アメリカ人は知るであろう」

このホワイト論文に衝撃を受けたのは日本経済界の重鎮たちだった。当時すでに米議会では過激な日本批判をする議員も少なくなかったし、デトロイトの自動車メーカーの従業員が日本車をハンマーで叩き壊すシーンをテレビ局が放映したり、円高にもかかわらず日本製品がアメリカ市場を席巻する状況にいら立ちを募らせるアメリカ人が少なくないことは日本でも知る人ぞ知る状況だったが、良識的で、かつ親日家としても知られていたホワイトまでもが、こうした日本に対する警戒心を強めるようになったことが、日本の財界人に与えた衝撃は大きかった。「いったい日本の何が、そこまでアメリカを怒らせたのか」という問題意識を深堀したいというのが、この大型番組制作の動機だった。

この番組が大方の高い評価を得たことは認めつつも、私は違和感も抱いた。磯村氏の判断だったのか、プロジューサー、ディレクターなど制作スタッフの思い込みだったかは知らないが、自動車、電機などの輸出メーカーは被害者だという認識が背景に濃厚にあったと思わざるを得なかったからだ。

実は同書の執筆の少し前、私は総合雑誌の編集長にトヨタか松下(現パナソニック)のトップへのインタビューを依頼し、応じてくれた松下・谷井社長とのインタビュー記事を発表していた。私の餌食になった谷井氏には気の毒だったが、私が追及した質問のさわりを引用する。

 

「円はこの3年近くの間(※プラザ合意以降の)ほぼ倍になりました。本来ならアメリカでの日本製品の販売価格は倍になっていなければおかしいのですが、自動車が20~25%アップ、電気製品に至っては10~15%しか値上がりしていません。

どうして10%や20%の値上げに抑えることができたのかと聞くと、メーカーは合理化努力の結果だと主張する。もしそうなら、日本での生産コストは半分近くに下がっていることになる。だったら、どうして日本の消費者はその恩恵を受けることができないのか、という点です。アメリカ人だけが、日本メーカーの合理化努力の恩恵を受けて、日本人は受けていないのです」

「(昭和)60年秋のG5で各国首脳がドル安基調に合意(※「プラザ合意」)した目的は、疲弊しつつあるアメリカ産業界の競争力の回復にあったはずです。

議論としては、「アメリカが勝手にこけたんじゃないか」という言い分も成り立ちます。それなら堂々と“正論”を主張して、アメリカ経済が壊滅するのをニヤニヤ笑って眺めていればいい。しかし、それでは日本経済は成り立たないわけです」

「アメリカの主張が自分勝手であるとないとを問わず、ここまで弱ってきたアメリカ経済の回復に日本の企業も手を貸してやる必要があるのではないか。具体的には、円が高くなったら、その分アメリカの販売価格をアップして、アメリカ製品の競争力を回復させてやることです。どっちみち、アメリカだって日本製品を一切輸入せずにやっていけるわけはないんですから。

それなのに、“合理化努力”によって円高効果を灰にしてしまったのが日本メーカー。しかも日本国内では値下げしていないんですから、アメリカがダンピング輸出だと怒るのは当たり前です」

私は輸出メーカーが円高の加害者になった最大の理由はシェア至上主義的体質にあると考えているが、この体質を脱皮しない限り、日本の企業の国際化はホンモノにならないであろう。そうした視点が、これまでの「世界の中の日本」シリーズには残念ながら欠落していることだけを指摘しておこう。

 

私のやり玉の標的にされた谷井氏には気の毒だったが、同書はメディアの「書評」欄で高く評価していただいた。同書はベストセラーになるほどではなかったが、3版まで重ねた。天下の松下電器のトップに、これだけ手厳しい批判を浴びせる矜持のあるジャーナリストが、今いるだろうか。

ただ総合雑誌は新聞と同様、収入源の多くを広告収入に依存している。10ページに及ぶこのインタビュー記事を、手を一切入れずに掲載してくれた編集長は気の毒に左遷された。申し訳なかったという思いは、いまも残っている。が、私がロイアリティを抱く対象は、取材対象でもなければ編集者でもない。著書にせよ雑誌記事にせよ、私の駄文を熱心に読んでくださる読者である。その姿勢だけは、ブログ執筆でも貫いている。(28日記す)

 

  • 「プラザ合意」ショックを日本が乗り切れた本当の理由

谷井氏へのインタビューのさわりは『忠臣蔵と西部劇』にも転載したが、この時点では超円高危機を日本企業が乗り越えられた本当の理由には私はまだ気づいていなかった。そのことへの理解が及んだのは、日産自動車が最高経営者にブラジル出身の「経営再建請負人」のカルロス・ゴーンを招いて血も涙もない大リストラでスリム化を実現したこと、また液晶テレビへの過剰設備投資が失敗して世界最大の製造業受託業の鴻海(ほんはい)精密工業(台湾)に会社ごと身売りして経営再建を成し遂げたこと、さらにはアベノミクスと称するデフレ脱却経済政策が失敗することの分析・解明による。

実はコロナ前、サービス業を中心に日本企業は空前の人手不足にあえいでいた。当時はまだバブル崩壊後の「失われた20年」時代で、アベノミクスへの期待も大きかった。アベノミクスの失敗が鮮明になるにつれ、失われた期間は20年から30年に延び、さらに40年、50年と続くのではないかと懸念されている。なぜか。実は日本特有の正規社員に対する「雇用形態」が、バブル崩壊後の経済停滞の根本的原因なのだ。

日本企業の伝統的雇用形態は、言うまでもなく「年功序列・終身雇用」である。高度経済成長期以降、日本では長く、転職はマイナス要因とされてきた。犯罪やカバーできないほどの不利益を会社に与えない限り、身分や給与は年功序列でアップし、会社が倒産でもしない限り職を失うことはない、と企業も従業員も信じ込んできた。その「思い込み」がいとも簡単に崩れ去ったのは、バブル崩壊とリーマン・ショックによる長い経済停滞期に日本が突入した結果である。企業は正規社員の新規採用を手控えるようになり、派遣や非正規雇用が急増した。正規社員も「年功序列・終身雇用」に胡坐をかいていられない状況になった。

現パナソニックが「従来の給与体系を望むか、それとも退職金の前払いで初任給アップを希望するか」の選択を新卒社員にゆだねたところ、「退職金前払い」を要求する新卒社員が圧倒的多数を占め、この制度をすぐ撤回したことがある。

高度経済成長期時代、日本企業の会社に対する社員のロイヤリティの高さがアメリカ企業でもうらやましがられて、『エクセレント・カンパニー』と題した、日本型経営に似た雇用形態を採用していた大企業(IBMやGM、ゼロックスなど)の経営を紹介した本がアメリカでも日本でもベストセラーになって話題を呼んだことがあったが、私は『忠臣蔵と西部劇』で日本とアメリカでは「ロイヤリティの対象が違うだけ」と書いたことがある。

日本では人事権を人事部が掌握しているのに対して、アメリカ企業には日本のような人事制度はなく、部下の採用や待遇、馘首の権限まで「ボス」が掌握している。人事部が人事権を掌握している日本企業の場合は社員のロイヤリティの対象は会社という組織になるが、「ボス」が人事権を掌握しているアメリカでは部下のロイヤリティの対象が直属の上司になるのは当たり前の話。『エクセレント・カンパニー』が取り上げた大企業の場合、成長を遂げていたため結果として年功序列的に見える状況が生まれていただけだ。

なお、日ハムの新庄監督が就任時、選手やメディアに「ビッグボス」と呼ぶことを強要したのは、MLBの経験がある新庄は、アメリカでは監督が現場の絶対的権限を行使できることから、日ハムでもそうした権限を要求した結果だ。

シャープや日産の場合、経営再建の手段として日本型雇用形態に縛られない外国企業に会社ごと身売りしたり、外国人経営者に経営権をゆだねる手法で血も涙もない大リストラに踏み切るため。社員の大リストラを避けようとして自力再建を目指している東芝が、ますます苦境に陥っているのはそのせいだ。

つまりバブル崩壊以降、日本企業が正規社員の雇用を手控え、どうしても必要な業務には非正規雇用や派遣社員を充てるようにしたのも、「年功序列・終身雇用」の束縛から逃れるためだ。そうした時代を反映して経団連などが、正規社員の身分保障を強く定めた労基法の改正を求め、「日本型雇用形態の終焉」を声高に言い出しているのも、そうした事情による。

はっきり書く。日本経済が成長を続けていた時代は、消費者の需要が供給量を上回る需給関係が継続し、需要の増加に対応すべく企業も設備投資に積極的だった。が、医療技術の進歩や食生活の向上、核家族化による高齢者の健康志向などによる高齢化社会の進行、さらには女性の高学歴化とそれに伴う女性の自立志向の高まりなどによる少子化によって、需要層が激減したのがデフレ不況の原因だ。これは日本だけの特異な現象ではなく、世界中の先進国や発展途上国(所得水準が比較的高い国)に共通した現象であり、アベノミクスによる円安誘導で輸出競争力を高めても海外の需要増に直結しなかったというわけ

そのうえ日本企業には年功序列型「昇進昇給制度」は徐々に崩壊しつつあるが、正規社員保護を重視した「終身雇用」制度は維持されたまま。いいか悪いかは別にして、この制度が企業の手かせ足かせになって、目先の需要増に応えるための設備投資活発化はかえってリスクの増大を意味するため、円高時のダンピング輸出とは正反対の理由に基づく輸出量維持のために輸出先価格を据え置いて為替差益を増加させたのが今の日本企業経営の実態。アベノミクスによる輸出製品の競争力アップにもかかわらず企業がなかなか設備投資に踏み切らなかったのはそのせい。

いま自動車産業界では設備投資ラッシュになっているが、これはアベノミクス効果によるのではなく、たまたま地球温暖化対策SDGsの潮流で電気自動車が人気化しつつあり、他業界からの参入も相次ぐ状況下での設備投資ラッシュに過ぎない。裾野が広い自動車産業は、日本でも基幹産業のため景気のけん引力は大きいが、それでも景気回復への機関車的役割を期待するのは困難。

実際、国土が広く人口が分散していて自動車が生活必需品であるアメリカでも、トランプ前大統領が米自動車産業再建のために自動車及び関連製品などに高率関税を課して自動車産業を保護しようとしたが、米最大手のGMが国内4工場を閉鎖してトランプを激怒させた。が、GM側は、「輸入原材料や部品の価格が高騰し、コストアップ分を製品価格に反映させたらアメリカ国民の購買力の限界を超える。苦渋の決断だが、工場を閉鎖して供給量を抑えるしかない」と猛反発した。こうした大リストラが、日本の正規社員に対する保護政策のために日本では不可能。安倍元総理がいくら笛を吹いても、メーカーが踊ろうとしなかったのは、そのせい。

翻って日米経済摩擦が激化していた時期、日本企業が円高分を輸出価格に反映しようとせず、ダンピング輸出せざるを得なかった根本的理由も、社員のリストラを伴う生産量の削減が不可能で、赤字輸出のツケを国内消費者に付け回したのが真相。たまたま、その時期は国内消費がまだ活発で、赤字輸出による減益分を国内消費でカバーできたからだ

日銀が超円安状況化にもかかわらず、金融引き締めに政策転換できない理由の一つは、円安に歯止めをかけたところで国内消費が回復しそうにないと見極めているためだ。

そしてもう一つの要因は、金融引き締めで金利を上昇させると、MMT理論を信奉し続けた「リフレ派」の主導による国債乱発のツケの、次世代への先送りが不可能になり、下手をするとギリシャのように国家財政が破綻しかねないからだ。(29日記す)

 

  • 超円安下でMMT理論が破綻した理由

簡単に経済用語について説明しておく。この稿の小見出しに使った「MMT」とは、独自通貨を発行している国はいくら国債を発行しても、過度のインフレにならない限り財政破綻することはない、という積極財政論。比較的最近(といっても、第2次安倍政権初期のころ)米経済学者が言い出しっぺの経済政策で、アベノミクスの経済政策を「成功例」と持ち上げたことがある。

1種の「ねずみ講(無限連鎖)」とも言えなくはない経済理論で、発行済みの国債の償還期限が来たら、償還分に相当する新規国債をまた発行すれば財政破綻することはないという「自転車操業経済政策」。国家財政がギリシャのように破綻しなければ、理論上は成り立つが…。

赤字国債を「国民財産の増加」と、バカげた解釈をする自称「経済学者」もいるが、国債は返済義務を負う国(政府)の借金。「借金がなぜ財産なのか」そういう解釈をする人の頭を疑う。「財産」は自分の所有物であり、返済義務はない。返済義務を伴わない借金ができるなら、自己破産する人は皆無になる。もっとも個々人に通貨発行権利はないけど、しかしそれに近い金融資産として流通しているのが「仮想通貨(暗号資産)」で、少なくとも日本では商取引の決済手段としてはほぼ使えない。ま、ネット上で売買されている、ポケモンなどネットゲームのアイテムのようなものと理解するのが正解。

アベノミクスの効果については賛否いろいろあるので、この稿であまり立ち入るつもりはないが、一時株価が上昇したことは確かだが、そもそも「株価上昇」がアベノミクスの目的ではない。デフレ脱却による消費者物価2%上昇が目的で、目標達成はウクライナ戦争による超インフレ到来まで全くなかった。MMTを提唱した米経済学者は、何を根拠に日本を成功例にしたのか、摩訶不思議。まさか、株投資家の儲けを根拠にしたわけではないと思うが…。

このMMTを信奉したのが「リフレ派」といわれる日銀・黒田総裁一派。「無制限に国債買い入れ」を公言し、「ゼロ金利政策」を、今も続けている。リフレ派とは、金融緩和政策によって適度なインフレを生じさせるという経済論を重視する人たちのこと。「適度」のインフレ率の数値(消費者物価上昇率)は時代背景によって異なるが、ウクライナ紛争が始まる以前は米FRB パウエル議長も日銀・黒田総裁も2%上昇を目標数値にしていた。トランプ時代、アメリカはほぼ目標数値を達成していたが、トランプはさらなるインフレにしたかったようで、パウエルに金融緩和圧力をかけ続けていた。

ここで私が提起したいのは、近代マクロ経済学の「常識」がもはや通用しない時代を、人類は迎えているのではないかという問題意識である。ケインズも、またケインズに続くマクロ経済学者たちも、先進国や発展途上中の経済成長を遂げつつある国も、「少子化」(合計特殊出生率が減少すること)時代が全世界的規模で進行することなど、まったく想定すらしていなかったのだ。

言うまでもなく、インフレによる経済成長が可能になるのは、人口が増え続けることによる需給関係が逼迫することを前提に構築された理論である。「少子化」とほぼ同時に進行している「高齢化」によって、これまでは人口減少はそれほど目立たなかったが、ついに死亡率が出生率を上回る時代に突入し、人口減が誰の目にも明らかになるようになった。

この事態に私が警鐘を鳴らしだしたのは、結果が明らかになりつつある昨今ではない。アベノミクスに対する批判、MMTが日本でも話題になりだした時期にブログで書いている。だから「結果論」で書いているのではない。私自身の名誉のために書いておく。

さらに言うまでもなく、消費者物価は需給関係によって上下する。この大原則だけは少子高齢化社会になっても変わらない。需給関係は、需要の増減と供給の増減をもろに反映する。たとえ人口が減少しなくても、消費量が少なくなる高齢者が増え、消費需要の中核である若い人たちや現役世代の人口が減少すれば、消費市場は減少しデフレが進行する。また格差拡大が進み、人口減にならなくても、消費したくてもできない低所得層の占める割合が増大したら消費市場は縮小してデフレになる。

こんな基本的なことを理解できないのが、いまの「リフレ派」なのだ。日本も含めて、先進国や経済成長を続けている発展途上国は、「少子化」による人口減と格差拡大による消費市場の縮小というダブル・パンチを受けているさなかだ。そういう時期にいくら金融緩和しても、少子化に歯止めがかかるわけがないし、低所得層は金融緩和の恩恵とは永遠に無縁だ。金融緩和によって消費市場が回復するという幻想が、「夢のまた夢」でしかないことが、さすがに「リフレ派」の方たちにもご理解いただけたのでは…。

需要を拡大して消費者物価を「適度」な水準に引き上げるには、消費市場を拡大するしかない。消費市場を拡大する方法は、これまた合計特殊出生率の向上と、格差是正以外に打つ手はない。

 

また長い記事になった。書くほうも疲れたが、読んでいただいた方たちもお疲れになったと思う。

私に批判や反論があれば、どしどし「コメント」をお寄せいただきたい。罵詈雑言の類以外は削除しないし、私も誠意をもってお答えする。(30日記す)

 

【追記】 10月2日(日)のNHK『日曜討論』は、翌日10月3日から始まる臨時国会に向けて「旧統一教会と政治の関係」「インフレ対策の経済政策」「安全保障」の3つをテーマにした与野党の政調会長クラスによる議論だった。あえて無意味だったとは言わないが、米中覇権争いが激化しつつある今日、「日中国交回復50周年」を迎えて日本の対中外交政策が問われているにもかかわらず、その問題はパス。あいも変わらず、与野党議員の「対策」は対症療法に終始した。私はNHKに抗議したが、問題は与野党議員の無能さではなく、討論を仕切ったNHKの司会者(キャスター)の無能さにある。

ただ順繰りに発言機会を与野党議員に割り振ることしか考えていないキャスター。旧統一教会問題の「悩ましさ」や、「敵の味方は相手国から敵視され、かえって安全保障上のリスクを高めるだけ」という私の問題意識は既にブログで提起したので、あえて触れないが、討論の大半の時間を割いた「経済対策」についての議論を深めるべきキャスターの資質を、私は厳しくNHKに電話で批判した。その要点は以下の通り。

 

インフレ対策は賞味期限切れのマクロ経済理論では克服できない。インフレかデフレかの経済状況は言うまでもなく「需給関係」のバランスが崩れた結果である。

従来のケインズ以降の「マクロ経済理論」は、金融政策によって需給バランスの回復を図ることを重視している。が、この理論の限界は需要人口の減少という事態を全く想定していないことに基づく。いま生じているのは、本文でも書いたように、世界的規模での「需要層人口の減少」という事態だ。

その原因は二つある。一つは「少子高齢化」。女性の高学歴化に伴う「社会が女性の能力の活用を求めるようになったこと」また「女性の価値観も、家庭や子育てより社会での自己実現を重視する自立に重点を移しつつあること」に原因があり、はっきり言えば合計特殊出生率を政策によって回復することは不可能という現実を踏まえ、その中で需要減少による需給バランスの崩れをいかに軟着陸させるかが重要な課題。

少子化現象によって需要人口の減少は避けようもなく、一方高齢化現象によって人口減はあまり目立たなかったが、高齢者の消費活動は年齢とともに減少する。にもかかわらず、金融庁が「年金生活維持のためには定年時2000万円の金融資産が必要」といったバカげた試算を発表したため、現役世代も消費より貯蓄を重視するようになったことが消費活動の停滞を招いている。

私はかつて金融庁に「2000万円必要の計算方法」を質問したことがあり、その内容は既にブログで書いたが、「夫65歳、専業主婦60歳で定年生活に入り、その後30年生きるとして、厚生年金だけでは不足する生活費を算出した」ということだった。確かに定年退職直後は、現役時代の付き合いも多少継続するし、夫婦での旅行や外食機会も増えるので、年金収入だけでは赤字になるだろうが、そういう生活が30年間続くという発想が官僚らしいと言えば言えなくもないが、そんなことはあり得ない。私自身の生活体験からすると、たぶん70年代に入れば支出は大幅に減少し、70年代半ば以降は「黒字生活」に入る(大病でもした場合は別)。定年退職時に2000万円の金融資産があれば、30年後にはかなりの金融資産が残るはず。そのことを金融庁の担当者に指摘したら「ご指摘の通りだと思います」と言ったが、試算の見直しや訂正はしていない。メディアも金融庁のアホな試算に気づいていない。

したがって、近代マクロ経済理論が前提としてきた「人口減はあり得ない」という状況が崩れてきたという認識で新たなマクロ経済理論を構築する必要があるのだが、そういう問題意識が『日曜討論』の司会キャスターには皆無だったことが一つ。

もう一つは、格差の拡大が進んでいることが需給バランスの崩壊につながっているという認識の欠如。

高度経済成長時代、日本人の大半が「中流」意識を持っていた。欲しいものがたくさんあり、消費意欲が高まって経済が活発だった時代のことだ。3C(カー・クラー・カラーテレビ)が日本経済の機関車的役割を果たした時代のこと。いま消費意欲を掻き立てるものは何もない。かつ、消費活動の中核をなす現役世代の可処分所得は30年間増えていない。

そういう時代に「経済成長至上主義」の経済政策を志向したのが「アベノミクス」。だから失敗するのは当たり前。消費活動が停滞すればデフレ経済になるのは、それも当たり前。この難問に向き合うには、「経済成長至上主義」を捨てて、いかに軟着陸させるかに経済政策の重点を置かなければならない。そして軟着陸させるには、中間所得層人口の減少に歯止めをかけ、かつ中間所得層の可処分所得を増やすしかない。そのためには、大胆な税制改革が必要になる。

大企業の内部留保が増加している理由については本文で書いたが、内部留保は法人所得税を納めた後に残った資産。それに課税しろという乱暴な主張も垣間見るが、私たち個人が納税後の貯蓄に課税しろというに等しい乱暴な考え。そんなことができるわけがない。

方法は一つしかない。法人税をアップして、「税金で持っていかれるくらいなら有能な人材の給与を増やして将来に備えたほうが得」という空気を経済界に作ること。もう一つは日本の高度経済成長を支えた超累進課税制度の復活によって可処分所得を高額所得層から中間所得層に移すこと。消費税導入前の最高税率80%というシャウプ税制まで戻せとまではさすがに言わないが、せめて今の最高税率(住民税を含む)を50%から60-65%程度まで引き上げても罰は当たらない。

そういう問題意識をもって、経済対策を与野党議員に問うのがキャスターの資格条件。が、そんな認識のかけらすらないのが高給取りのNHK高級職員。私を『日曜討論』の司会キャスターにしろ~ (10月2日記す)

 

【緊急追記】 4日午前7時22分頃、北朝鮮が津軽海峡上空を通過する弾道ミサイル(ICBM)を発射、太平洋上に落下したようだ、と報道された。

メディアや政府にとって衝撃だったのは、ミサイル発射の兆候をキャッチできなかったことらしいが、「核実験準備」については韓国が情報を出していたので、ミサイル発射の兆候をアメリカも韓国も日本もキャッチできなかったというのは問題ではある。

日本上空を通過した北朝鮮のミサイル発射は2017年以来だが、この時は「モリカケ疑惑」が浮上して安倍内閣支持率が急降下したときの、北朝鮮による安倍内閣への棚ボタ的「援護射撃」になった。

実際、安倍総理(当時)は総理の専権である衆院解散を行い、「国難突破」を掲げて選挙で大勝した。いま自民党と旧統一教会の「腐れ縁」の根深さが洗い出されて内閣支持率が急降下している岸田内閣だが、安倍氏の手法を繰り返すことは難しい。

もちろん、北朝鮮の挑発行為は断じて許すことはできないし、これまで繰り返してきた「遺憾の意」表明で済まされる事態ではないことを前提に、北の挑発を誘導したのは日本でもなければ韓国でもなく、アメリカだという事実も冷静に見ておく必要がある。

米レーガン政権時代、前大統領のカーターの経済政策(超金融緩和)の副作用である超インフレ対策としての金融引き締め策(レーガノミクス)が有名だが、本稿で指摘したように旧ソ連に対する軍拡競争で旧ソ連を解体したとき、北朝鮮にも過度の敵視政策を発動して「悪の枢軸」「テロ支援国家」と根拠がない糾弾を行って北を挑発し続けたことが、北の挑発行動の口実を与えたことも私たちは忘れてはならない。

いま現にロシア・プーチンによって、核を持たない国が核の脅威にさらされているという現実を目の前にしている時、「核の傘」の保護下にない北が自国防衛のための核ミサイル開発・実験に血道を上げている状況を作り出したのはアメリカだという事実も直視する必要がある。日本が、そういうアメリカの「核の傘」に守られているという幻想を問うことは置いておくが、東側の「核の脅威」をいたずらに煽って、日本が「抑止力強化」に奔走する危険性だけは改めて指摘しておきたい。

日本が軍事予算をGDP比2%に引き上げても、北朝鮮への「抑止力」はともかく、中国やロシアに対する「抑止力」には到底なりえない。「抑止力」は仮想敵国の軍事力に対抗できるだけの軍事力がなければ意味をなさないし、中ロに対抗できる軍事力を日本が有するためには、GDPのすべてを注ぎ込むくらい軍事力強化に狂奔しなければ不可能。そんなことを国民が容認するような状況には日本はない。

何度も繰り返し書いてきたが、日本という国が置かれている地政学的ポジションからも、最高の安全保障策は対立軸の片方に軸足を置き続けるのではなく、外交努力によって「敵国」を作らないことだ。

その点、「外交の賢さ」に私自身、日本は学ぶべきと思っているのがインド。「八方美人」的360度外交で、「敵を作らず、あらゆる体制の国との友好関係」を構築している。

日本にとって最大の友好国がアメリカであることまでもは私も否定しないが、アメリカの覇権政策に日本が肩入れするのはリスクの増大しか意味しない。「敵の敵は味方」だが、同時に「敵の味方は敵」でもあり、万が一米中、米北が軍事衝突に及んだ時、旗色を鮮明にしすぎていると火の粉を被る。「アメリカとの心中なら本望」などと考えている政治家もいるようだが、私たち庶民には「有難迷惑」にもならない。

繰り返す。日本にとって最高の安全保障策は「敵国を作らないこと」である。(4日記す)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ケインズ経済理論は消費期限切れか~金融政策では、デフレもインフレも克服できない、これだけの理由

2022-10-03 02:22:23 | Weblog

 

お約束の「なぜ円安が止まらないのか」について書く。このテーマについて書くことはすでに9月23日には決めていた。というより、前回のブログ原稿のこの個所は23日には書き終えていた。

政府・日銀が22日、急落する円を買い支えるために為替介入することを発表、米財務省がすぐ反応し「日本の行動は理解するが、アメリカは協調介入しない」とコメントした。私はヤフコメ(ヤフーが提供するニュースへのコメント)でこう書いた。

「為替介入という「伝家の宝刀」が竹光ではね~ 一時的に円は高騰したが、すでに反落が始まっている。 今週中には「元の木阿弥」に戻る。 為替介入は、投資ファンドに金儲けの「千載一遇のチャンス」を提供しただけ。なぜなら、為替市場で動いているカネは、日本の国家予算をはるかに上回る規模。日銀に、投資ファンドに逆らえるだけの資金力はない」(※「元の木阿弥」に戻ったのは翌週だったが…)。

さらに24日、ヤフーニュースで立憲・蓮舫氏が「為替介入するならアベノミクスの見直しが必要」と主張したことを知り、ヤフコメにこう書いた。

「いま、マクロ経済学の有効性が問われています。 アメリカはFRBのパウエル議長がインフレ退治のために金利を上昇させていますが、金利政策には逆効果もあります。 パウエルの期待は、金利の上昇によって需要を抑え、需給関係を供給過多にすることです。つまりデフレ政策です。 が、金利を上昇させればメーカーや流通業者のコストが跳ね上がります。そのコスト増を価格に反映したらインフレが加速します。 アベノミクスのデフレ対策は金融緩和によるインフレ政策ですが、消費が伸びなければ効果は半減します。「老後生活2000万円必要」論などもあって、消費者の買い控えがかえって進み、金融緩和効果が生じていません。アベノミクスではデフレを退治できませんでした。 皮肉なことに、その結果、日本のインフレ率は欧米に比して少ないのです。マクロ経済学の「け」の字も知らない連邦氏の「一言いいたい」姿勢の失態です」

米FRBはウクライナ戦争による急速なインフレを抑え込むために、政策金利(日本の「公定歩合」)の0.75%アップを3回立て続けに行った。計2.25%ものアップだ。この記事を書いている25日現在、このパウエル・バズーカ砲でインフレ退治ができるかどうかはまだわからないが、私は難しいと思っている。(なお、この記事をアップする時点で私の予測が外れても、この部分は修正しない。もし外れた場合は、米経済は深刻な大不況に陥るはずだ)。

 

  • 「失われた30年」の検証

実は日本は金融政策で大失態を演じた。バブル退治のための金融政策のことだ。後で検証するが、日本は1980年代半ばから80年代末まで急激な資産バブル(不動産・株式・ゴルフ会員権・絵画など)を経験した。

その結果、庶民には「持ち家」がはるかかなた手が届かないほど高騰し、中間所得層を中心に政府への不満が沸騰した。バブル景気を演出したのは日銀・澄田総裁の超低金利策(金融緩和)と、金儲けのためには節操など全く無視した金融機関による不動産関連融資の拡大だった。バブル景気が最高潮に達したのは89年末で、この年の東証大納会での日経平均は史上最高値の38,915円で引けた。

さすがに行き過ぎた株価高騰に投資家たちが警戒感を抱き始め、株価は90年初頭から下落し始め、10月1日には日経平均が一時2万円割れになった。わずか9か月で半値近くに暴落したのである。ただし資産バブルが一気に崩壊したわけではなく、またバブル崩壊の時期については諸説ある。

 

遅まきながら大蔵省(現財務省)が不動産高騰対策に乗り出したのは1990年3月。銀行など金融機関に対して不動産関連融資抑制の行政指導に乗り出したのだ。「総量規制」がそれで、金融機関に対して融資総額に占める不動産関連融資の比率に上限を設けたのだ。その結果、金融機関や不動産関連企業の株が一気に暴落をはじめ、金融機関は生き残りのために不動産関連融資の引き締めどころか超優良融資先以外の融資先には「貸し渋り」「貸し剝がし」(融資金額の一括返済を迫ること)に血道を上げだした。銀行など金融機関はしばしば「晴れているときに傘を貸し迫り、雨が降り出したら傘を取り上げる」と言われるが、まさに「ユダヤの商法」そこのけの真骨頂をこの時期なりふり構わず発揮した。

さらに89年12月、澄田の後継総裁の地位についた三重野は、就任前3.75%だった公定歩合を4.25%に引き上げ、その後も90年3月5.25%、8月6%と、わずか9か月の間に2.25%もアップした。

大蔵省による「総量規制」と日銀による金融政策のダブル・パンチを受けてバブルは一気に弾け、日本経済は「失われた30年」の時代に突入する(なお、今後も政府が経済成長を目指す政策を続ける限り「失われる期間」はさらに長期化する)。この三重野を「平成の鬼平」と高く評価したのが今やまったく時めいていない自称「経済評論家」の佐高信。佐高は大学卒業後、郷里で高校教師をした後、総会屋系経済紙の『現代ビジョン』で記者・編集長を務め、内橋克人氏に師事して売り出すことに成功した人物だ。彼が「経済評論家」を自称するのは勝手だが、経済理論をどのくらい勉強しているのかは疑問。彼の人物評論にしても、価値基準が「好き嫌い」でしかないようにしか思えない。

三重野が行き過ぎた金融引き締めによって日本経済の息の根を止めたことに、日銀がようやく気づいたのは最後の公定歩合引き上げから1年も経った91年7月。公定歩合を5.5%に引き下げ、さらに11月5%、12月4.5%、92年4月3.75%、7月3.25%、93年2月2.5%、9月1.75%と下げ続けたが、日本経済が息を吹き返すことは二度となかった。なお、佐高は三重野の金融政策転換については何も語っていない。「語っていない」のではなく、語れないのだろう。

経済は生き物と同じ、と私は考えている。がんも早期発見して早期に治療すれば大事に至らずに済むが、全身に転移してから治療を始めても取り返しがつかない。経済動向変化の初期兆候を見抜くためには直近の経済指数ばかり近視眼的に重視していてはだめだ。コロナ・パンデミックとかウクライナ戦争とかの予期し得ない事態は交通事故と同じで初期対策の取りようがないが、世界経済の大きな潮流は気候変動と同様、注意していればわかるはず。

この記事を書いている25日のNHK『日曜討論』は地球温暖化対策について専門家(学者)たちのディスカッション番組だったが、専門分野での知識や見解には耳を傾ける要素があったが、何か「隔靴掻痒」の感じがぬぐえなかった。NHKには感想を電話したが、私が感じた違和感はこういうことだ。

言うまでもなく、地球温暖化対策は喫緊の課題ではある。その大きな要因として化石燃料による二酸化炭素の排出をいかに抑えるかは、全世界的テーマであることは否定しない。が、二酸化炭素が突然一気に急増したとは考えにくいし、地球温暖化も一気に加速することもありえない。だから、今年の全世界的規模の異常気象の要因を二酸化炭素の排出だけ減らせばいいという短絡的結論にはなりえないはずと、私は視聴していて疑問を持った。SDGs(持続可能な開発目標)への取り組みの重要性を否定するつもりは毛頭ないが、今年の異常気象の要因は地球温暖化だけということは論理的にあり得ない。何がいま地球で生じているのか、その変化を見ないと「樹を見て森を語る」議論で終わりかねない。

実はそういった要素が経済動向にもあるのだ。私はとっくの昔から指摘しているのだが(私のアベノミクス批判の原点でもある)、地球的規模で進行している「少子高齢化現象」によって、もはや先進国の先端工業製品輸出中心主義の経済成長時代は終焉した、と私は考えている。そのことを前提に、これからの経済政策を考えないといけないと思う。(25日記す)

 

  • バブル景気を牽引し演出した金融機関の「お行儀」

日本がバブル退治に失敗したのは、経済の動向を見据え時間をかけて軟着陸すべきことを、「胴体着陸」のような強硬手段で短期間にバブルを退治しようとしたことが最大の要因である。言うなら「角を矯めて牛を殺してしまった」のが、当時の大蔵省の「総量規制」と日銀の「金融引き締め」政策だったのだ。

バブル景気華やかな頃は、当時のメガ銀行が不動産関連事業に無節操な融資競争を行っただけでなく、大手デベロッパーの営業すら肩代わりした。

これは私自身が経験したことだが、私の友人から誘われて某メガ銀行主催の仙台1泊旅行に行ったことがある(10人ほどの小規模「団体旅行」だった)。交通費・宿泊代は銀行持ちで支店長自ら案内役を務めた。某銀行が大蔵官僚を接待して社会的に大問題になった「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」のような派手な接待はなかったし、ホテルでの夕食後に仙台の繁華街に繰り出してのどんちゃん騒ぎの「二次会」「三次会」といったこともなかった(二次会はホテル内でのカラオケ)。問題は銀行接待の仙台旅行の目的だ(たぶん費用は大手デベロッパーが負担したと思う)。

当時仙台では、市営地下鉄の計画が進んでいて、沿線予定各駅の周辺では大手デベロッパーによる開発競争が激化していた。その分譲土地の販売営業マンを、銀行支店長が自ら買って出たのが「仙台旅行」の目的だった。市内で1泊した翌日の午前中に該当分譲地を案内した支店長は、その分譲地が投資先としていかに有望かを一生懸命にトークし、「その分譲地を担保に全額融資します」という破格の条件で購入を勧めた。私は仙台に土地勘がなかったし、借金してまでと思ったので、この話には乗らなかったが、支店長の口車に乗って大損した人も何人かいたようだ)。

バブル時代、新金融産業(「産業」と呼べるほどの規模にはならなかったが)が生まれた(バブル崩壊後、消滅したが)。雨後の筍のように誕生した「抵当証券企業」である。不動産の持ち主や買い手に不動産担保の融資を行い、担保にした不動産を有価証券化して投資家に売るという新金融事業で、このアイデアは日本生まれである。バブル崩壊で抵当証券会社はすべて倒産したが、実はこの新アイデアを利用して世界的大事業にしたのがアメリカの「サブプライムローン企業」や「リーマン・ブラザース」だった。

アメリカはバブル期、地域密着型小規模金融機関(日本の「信用金庫」のような規模と思われる)が、信用度が小さい低所得層を対象に融資して担保設定した不動産を有価証券化して投資家に販売したのがサブプライム企業。日本のバブル崩壊の影響を受けてアメリカでも不動産価値が暴落し、その証券を大量に抱えていた証券大手のリーマン・ブラザースが一手に「抵当証券事業」を引き受けて不動産価格暴落を防止、抱えこんだ「抵当証券」を世界中の金融機関などに転売、一時は大儲けしたが、所詮「厚化粧」事業に過ぎず経営破綻して世界中に金融破綻を引き起こしたのが、いわゆる「リーマン・ショック」である。

現在も、優良融資先を失った銀行がサラ金を傘下に収めたり、一流企業の正規社員を対象に「カードローン」競争を繰り広げているが、「カードローン事業」を発案したのも日本。バブル期に日本で最初に不動産を担保に融資枠を設定し、その枠内でキャッシングや返済を自由に行える金融事業で、毎月の返済額や返済期間が決まっている通常の「住宅ローン」や「自動車ローン」、クレジットカードのリボ払い」とは異質の融資事業である(現在のカードローンとは仕組みが違う)。

この事業を日本で最初に始めたのが、大蔵事務次官経験者の頭取指定席とされていた地方銀行の雄・横浜銀行で、当時小田急線・新百合ヶ丘近くの戸建て住宅に住んでいた私にも百合丘支店長自ら営業に来たことを記憶している。

手を変え品を変えて、信用度が高い(と当時は思われていた)不動産所有者に多額の融資を行った。融資先に対して「晴れの日には傘の貸し出し競争に明け暮れ、雨が降り出すと取り上げる」という銀行の習性は今も昔も変わらない。

「住銀の天皇」「住銀中興の祖」と呼ばれ、世界的権威がある「バンカー・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれた住友銀行の磯田一郎頭取にインタビューしたとき、私が「向こう傷は問わない、と積極的営業をモットーにされていますが、利益を上げるためなら何をしてもいいというわけではないでしょう。許容できる向こう傷の限界を教えてください」と質問し、同席していた広報室長が焦りまくったことを覚えている。磯田氏の答えはほとんど記憶にないが、「うまく逃げられた」という思いだけは残っている。まだジャーナリストとして未熟だったと

も反省している。が、さすがにメガ銀行の「天皇」と呼ばれるほどの人物、その貫禄には圧倒されたことを、いまも強烈な印象として記憶している。

いずれにせよ、泡として生まれ、泡として消えた「バブル景気」を演出し牽引したのは、日本でもアメリカでも金融機関であった。そうなった経緯を、日本について簡単に検証しておく。(26日記す)

 

 

  • 明治維新のパラドックスが、日本の輸出産業最優先の経済政策と軍国主義への傾斜を招いた

周知のように、明治維新の原動力となった革命運動の合言葉は「尊王攘夷」である。倒幕後、明治新政府は一応「尊王政権」(王政復古あるいは大政奉還とも)は成立したが、もう一つの旗印であった「攘夷」のたてまえは煙のように消えた。なぜか。

私は明治維新を実現した真の革命エネルギーは「王政復古」ではなく、「攘夷運動」だったと思っている。徳川幕府時代末期、アジア諸国は欧米列強による「植民地化」競争の刈り取り場になった。「眠れる獅子」の中国は、さすがに列強による植民地化は免れたが、列強に相当浸食された。

日本にとって幸いだったのは四方を海に囲まれて大陸とは陸続きでなかったこと、そのため列強の触手が日本に及んだときは1国だけでなく列強がほぼ横一線に並び、互いにけん制しあって「一抜けた」ができなかったこと、さらに言えば日本には列強が手傷を負ってまで植民地化したがるほどの優良な資源がなかったこと、などの好条件がそろったためと私は考えている。

そのうえ、「一抜けた作戦」を強行したアメリカが、あえて日本を植民地化しようとはせずに、アメリカにとって有利な通商関係を日本と結ぶことを対日政策の基本方針にしたことが大きかった。そのため、アメリカに続いた列強も日本を植民地化するという野望を捨てて、有利な通商関係を日本と結ぶ政策方針をとらざるを得なくなったと思われる。

日本にとっては「僥倖」ともいえるこの状況が、徳川幕府にとっては命取りになる。徳川政権は歴代、鎖国政策をとってきた。「開国」が逃れられない世界の潮流ではあったが、列強の軍事的威圧下で幕府が不利な通商条約を結んだことで、日本中に燎原の火のごとく広がったのが「攘夷運動」。

しかも当時の朝廷内で、徳川政権の「弱腰外交」を非難する勢力が台頭する。この状況を「好機」ととらえたのが、「関が原の戦い」敗北以降、幕府への怨念を抱き続けてきた長州藩。「これ幸い」と朝廷の攘夷派公卿たちを取り込み、討幕運動を始めた。ただ、長州藩の「闘士」たちは私怨を旗印に倒幕運動を展開できるほどの戦力は持っていない。討幕の「同志」を募るためには、大義名分になりうる旗印を立てる必要があった。で、長州藩の「闘士」たちが利用したのが当時の「攘夷」ブームだったというわけ。

が、攘夷運動のリーダーになるには、攘夷の実績を作る必要があった。そのための「攘夷」行動が、1963年5月に田浦港に停泊していた非武装の米商船ペングローブ号に対する一方的な砲撃だった。ペングローブ号は逃げて無傷だったが、これを戦果と喧伝して意気を高めた討幕派藩士たちは、続いて仏キャンシャン号、蘭メデューサ号にも砲撃、さらに下関海峡を閉鎖した。徳川幕府は長州藩を叱責したが、それではことは収まらず、英が米仏蘭に働きかけて四国連合艦隊を結成、長州軍を攻撃して撃破、倒幕闘士たちはいったん下野する。

下関戦争には敗れたが、この戦いで一躍長州藩は「攘夷運動」のリーダー的地位の確立には成功した。長州藩の倒幕闘士たちが、ホンモノの「攘夷派」だったとは、私は思っていない。

実は「攘夷運動」ではなかったが、下関戦争の前に薩摩藩が生麦事件をきっかけにイギリスと戦争して大敗している。が、薩摩藩は薩英戦争を契機に、逆にイギリスと友好関係を構築して若手藩士をイギリスに留学させるなど、近代産業育成と軍事近代化政策を進めた「開国派」だった。政権構想については「王政復古」(尊王)ではなく「公武合体」主義だった。実際、薩摩藩の実権を当時握っていた「公武合体派」は、攘夷派藩士を京都・寺田屋で襲撃している(寺田屋事件)。

政権構想で相反する立ち位置にあった薩長間を調停して同盟関係に導いたのは坂本龍馬だというのが司馬遼太郎説だが、その詮索はこの稿ではしない。

もともと「ホンモノ」攘夷派ではなかった長州の討幕派だったから、薩摩と同盟関係を結ぶについて、倒幕の旗印にしていた「攘夷」を放棄し、一方、「攘夷」を放棄した長州に配慮して「公武合体」の旗印を降ろして「尊王」に藩政方針を転換したのが薩摩、というのが私の論理的結論。私は歴史学者ではないので、この説を唱える歴史学者がいるか否かは知らないが、おそらく「新説」ではないかと自負している。

少なくとも、そういう歴史認識に立たないと、明治維新が実現した途端、維新実現の最大のエネルギーだった「攘夷」が煙のように消えた合理的理由が説明できないはずだ。そして成立した新政府が最大の国家政策として掲げた「殖産興業・富国強兵」政策が、その後の日本の運命を左右することになった経緯も理解できない。

ただ、明治新政府が「開国&産業・軍事の近代化」政策を進め、徳川幕府が列強と締結した不平等条約を改定しうる、列強に伍する近代化を進めるための資金力は、新政府の実権を握った薩長にはなかった。で、国民から広く浅く資金を集める必要があった。

NHKの大河ドラマ『青天を衝け』は、その役割を担ったのが渋沢栄一だと解釈したようだが、彼が創設した「国立第一銀行」ははっきり言えば詐称である。もし、渋沢が銀行を現在の東京都国立(くにたち)市で創業したのであれば、「こくりつ」ではなく「くにたち」銀行であるべきだが、事実は違う。

渋沢が日本の産業近代化に貢献したことまでは否定しないが、そのための資金集めをした「国立第一銀行」は実際には「こくりつ」ではなく、私企業(株式会社)である。ただ、信用力に乏しい私企業の金融機関に「命の次に(人によっては命より)大切なカネ」を預けるもの好きはそうはいない。で、「国立」の名を冠して箔付けしたというのが真実。実際に政府の手足となって近代化政策を進めるための資金集めに最大の功績があったのは「日本資本主義の父」渋沢ではなく、日本全国に郵便局のネットワークを構築し、郵便貯金で庶民から広く浅く資金を集めた「日本郵便の父」前島密である。

ま、『青天を衝け』はドラマだから史実に必ずしも正確でなくてもいいと思うが、史実をドラマ化する場合、ちょっといかがかと思った次第。

この際、私的憤りを書かせていただくと、駒澤大学の名誉教授が始めた小さなズーム勉強会に私も誘われたことがある(今は脱会した)。その会で私が日本の金融機関が果たしてきた役割(正も負も)をお話ししたとき、「面白いから電子出版しないか。印税収入はそんなに期待できないが、電子出版社を知っているから書いてみないか」とのお誘いを受けたことがある。で、かなりの日数を割いて3万字に及ぶ原稿を書いてメール送信したが、なしのつぶて。ズーム勉強会のとき、「どうなっているか」と尋ねたところ、「お金はいくら出せる?」と言う。「金まで出して電子出版するつもりはない」というと、氏はダメダメと手を横に振って「小林さんは何十冊も書いているから名前を売り出す必要はないよね」ときた。それだけでなく、他のメンバーに対しても「お金を用意できるなら、電子出版してあげるよ」と誘っていた。旧統一教会ほどのあこぎさとまでは言わないが、ビジネスの悪質性としては五十歩百歩だ。せちがらい世の中になったものだ。

いずれにせよ、明治政府が徳川幕府の「負のレガシー」である列強との不平等条約の解消・改定を目指さざるを得なかったことが、その後の日本がたどった軍国主義への道の露払いをすることになった。具体的には、欧米列強に侵食されながらも、近代化への道を歩もうとしなかった「弱体大国」清との戦争、さらに日清戦争で獲得した利権防衛のために始めた強国ロシアとの戦争での「勝利」に酔ってしまったことが「神国神話」の国民への浸透につながり、ついには無謀な「先の大戦」に突き進む結果を生んだと考えている。

こういう歴史認識を論理的思考の基準に据えないと、「歴史は二度繰り返す」ことになりかねない。いまの世論の動向を見るとき、私はそういう危惧を持たざるを得ない。(27日記す)

 

  • プラザ合意で円は2年で倍に高騰したのに日本経済が失速しなかった

私の自称代表作である『忠臣蔵と西部劇 日米経済摩擦を解決するカギ』(1992年刊。なお売れたという意味ではない)に詳しいが、1985年9月、ニューヨークのプラザホテルに日米独英仏の主要5か国の財務大臣・中央銀行総裁が集まり(日本からは竹下蔵相と澄田日銀総裁が出席)、「円買いドル売り、マルク買いドル売り」への協調介入を決めた。

その背景は、82年に発足した米レーガン政権が、前大統領カーターの「負のレガシー」であるインフレ抑制のために行った経済政策「レーガノミクス」(超高金利20%台)によってインフレは終息させ

たが、振り子の針が振れすぎて深刻なデフレ不況に突入したため為替市場でドル高が急速に進んで膨大な貿易赤字に苦しむ。かくして米産業界の国際競争力が低下したことが、レーガンが他の主要国に為替操作の協調介入を求めた最大の理由。ちなみにレーガンの高金利政策になぞらえて真逆の超低金利政策でデフレ不況からの脱却を目指したアベノミクスが、なぜ「レーガノミクス」と比喩されたのか、私には理解できない。

アメリカ産業界がこの時期疲弊した理由はもう一つある。レーガンは、「強いアメリカの再生」をスローガンに大統領選で大勝利を収めたのだが、その公約を実現するために旧ソ連に対して猛烈な軍拡競争を仕掛けた。その結果、ソ連邦は崩壊し西側の勝利をもたらしたのだが、アメリカは軍拡競争による財政赤字に陥り(85年、アメリカは史上初めて債務超過国に転落した)、アメリカは「財政赤字と貿易赤字の双子の赤字」に陥る。

「自分が勝手にまいた種」といえなくもないが、ソ連邦を崩壊させたレーガン政策に他の主要国が負い目を感じたのか、プラザ合意でドル売りの協調介入が決まった。ドル売りの対象通貨は当時アメリカの貿易赤字に「寄与」した日本とドイツの法定通貨である。つまり「円買いドル売り」「マルク買いドル売り」の流れが為替市場を覆う。その結果、2年後の87年には円は85年当時の240円台から2倍の120円台へと一気に高騰した。

常識的に考えれば、輸出産業で稼ぎまくっていた日本産業界は大打撃を受けて失速するはずだが、そうはならなかった。「円が強いことは良いことだ」というバカげた経済論をぶつエコノミストも続出したが、その後も日本経済は成長を続けてバブル景気に突入し、さらにアメリカを怒らせて89年9月から翌90年6月にかけてのロングラン交渉「日米構造協議」になだれ込む。バブル景気を崩壊させた一因でもある。

ウクライナ戦争が始まって以降、エネルギー源の石油や天然ガスの供給不足による価格高騰、ヨーロッパの「穀倉」ウクライナの小麦の輸出減や世界的気候変動による食料品の高騰をきっかけに世界中でのインフレ促進と、主要国のインフレ対策としての金融引き締めにもかかわらず、かたくなに金融緩和政策を続ける日銀アベノミクス継続で生じた「円安不況」を、プラザ合意の危機を乗り越えた日本がなぜ乗り越えることが不可能なのかの検証を行う。

 

  • NHK特集『世界の中の日本――アメリカからの警告』が与えたショック

プラザ合意で円が2年で2倍に高騰するということは、いまだったらおよそ想像を絶するほどの事態だ。かなり知的レベルが高い私のブログ読者なら、とっくにご承知のはずだが、単純に考えれば円が倍になれば輸出競争力は半減し、一方輸入品価格は半値になるはず。実は、この為替のからくりが、円高騰の中で日本経済の成長力が衰えなかった要因の一つである。

実際には日本の自動車や電機など輸出産業は、この円高で悲鳴を上げた時期もあった(短期間ではあったが)。が、その後の「日米経済摩擦の最大の原因」になり、米産業界から猛烈な「ジャパン・バッシング」を受けることになるのだが、日本の自動車や電機メーカーはどうやってこの苦境を乗り越えたのか~

ダンピング輸出によって輸出量(つまり生産量も)を維持しようとしたのだ。

プラザ合意の翌年、86年4月26日(土)から3日間、ゴールデンウィークの幕開けにNHKは連続で、しかもゴールデンタイムに通常の放送時間枠の1回45分をはるかに超える26日1時間45分、27日1時間30分、28日にはNH9をはさむ2部構成で2時間45分の3夜で計5時間25分という空前絶後のドキュメント番組を『NHK特集』(現NHKスペシャル)として放送したことがある。このコンテンツのタイトルは『世界の中の日本――アメリカからの警告』で、キャスターはのちに都知事選に立候補した磯村尚徳氏が務めた。ゴールデンウィークのゴールデンタイムでの長時間ドキュメント番組は、『N特』スタッフにも予想外の視聴率を稼ぎ、強烈な反響があったという。

この番組について書いた『NHK特集を読む』(88年刊)での冒頭で私はこう書いている。

 

放送の最終回、視聴者の反応として「経済大国というが一体どこの国の話だ、私たち庶民には豊かさの実感がない」「アメリカ人に勝手なことを言わせるな」「働きすぎだから休めというが、そうはいかないよ、給料も減るからねぇ」「NHKともあろうものが、こんな屈辱的番組を作るとは何事か」といった声が上がったことを率直に伝えたほどである。が、一方では「日本の現実をよく見ている」「アメリカが日本にこれほど怒っているとは知らなかった、認識を新たにした」といった反応が、3夜合わせて1000件を超えた電話の多数を占めた。

 

このコンテンツの制作動機は、ピューリッツァ賞を受賞した米ジャーナリズム界の大物、セオドア・ホワイトがニューヨーク・タイムズ『日曜版』のカバー・ストーリーに書いた「日本からの危機」にあった。

「第2次世界大戦後45年を経た今日、日本はアメリカの産業を解体しつつ、再び史上で最も果敢な貿易攻勢を行っている。彼らがただの抜け目のない人種に過ぎないのか、それともアメリカ人より賢くなるべきことをついに学んだかは、今後10年以内に立証されよう。その時になって初めて第2次世界大戦の究極の勝者が誰であったのかを、アメリカ人は知るであろう」

このホワイト論文に衝撃を受けたのは日本経済界の重鎮たちだった。当時すでに米議会では過激な日本批判をする議員も少なくなかったし、デトロイトの自動車メーカーの従業員が日本車をハンマーで叩き壊すシーンをテレビ局が放映したり、円高にもかかわらず日本製品がアメリカ市場を席巻する状況にいら立ちを募らせるアメリカ人が少なくないことは日本でも知る人ぞ知る状況だったが、良識的で、かつ親日家としても知られていたホワイトまでもが、こうした日本に対する警戒心を強めるようになったことが、日本の財界人に与えた衝撃は大きかった。「いったい日本の何が、そこまでアメリカを怒らせたのか」という問題意識を深堀したいというのが、この大型番組制作の動機だった。

この番組が大方の高い評価を得たことは認めつつも、私は違和感も抱いた。磯村氏の判断だったのか、プロジューサー、ディレクターなど制作スタッフの思い込みだったかは知らないが、自動車、電機などの輸出メーカーは被害者だという認識が背景に濃厚にあったと思わざるを得なかったからだ。

実は同書の執筆の少し前、私は総合雑誌の編集長にトヨタか松下(現パナソニック)のトップへのインタビューを依頼し、応じてくれた松下・谷井社長とのインタビュー記事を発表していた。私の餌食になった谷井氏には気の毒だったが、私が追及した質問のさわりを引用する。

 

「円はこの3年近くの間(※プラザ合意以降の)ほぼ倍になりました。本来ならアメリカでの日本製品の販売価格は倍になっていなければおかしいのですが、自動車が20~25%アップ、電気製品に至っては10~15%しか値上がりしていません。

どうして10%や20%の値上げに抑えることができたのかと聞くと、メーカーは合理化努力の結果だと主張する。もしそうなら、日本での生産コストは半分近くに下がっていることになる。だったら、どうして日本の消費者はその恩恵を受けることができないのか、という点です。アメリカ人だけが、日本メーカーの合理化努力の恩恵を受けて、日本人は受けていないのです」

「(昭和)60年秋のG5で各国首脳がドル安基調に合意(※「プラザ合意」)した目的は、疲弊しつつあるアメリカ産業界の競争力の回復にあったはずです。

議論としては、「アメリカが勝手にこけたんじゃないか」という言い分も成り立ちます。それなら堂々と“正論”を主張して、アメリカ経済が壊滅するのをニヤニヤ笑って眺めていればいい。しかし、それでは日本経済は成り立たないわけです」

「アメリカの主張が自分勝手であるとないとを問わず、ここまで弱ってきたアメリカ経済の回復に日本の企業も手を貸してやる必要があるのではないか。具体的には、円が高くなったら、その分アメリカの販売価格をアップして、アメリカ製品の競争力を回復させてやることです。どっちみち、アメリカだって日本製品を一切輸入せずにやっていけるわけはないんですから。

それなのに、“合理化努力”によって円高効果を灰にしてしまったのが日本メーカー。しかも日本国内では値下げしていないんですから、アメリカがダンピング輸出だと怒るのは当たり前です」

私は輸出メーカーが円高の加害者になった最大の理由はシェア至上主義的体質にあると考えているが、この体質を脱皮しない限り、日本の企業の国際化はホンモノにならないであろう。そうした視点が、これまでの「世界の中の日本」シリーズには残念ながら欠落していることだけを指摘しておこう。

 

私のやり玉の標的にされた谷井氏には気の毒だったが、同書はメディアの「書評」欄で高く評価していただいた。同書はベストセラーになるほどではなかったが、3版まで重ねた。天下の松下電器のトップに、これだけ手厳しい批判を浴びせる矜持のあるジャーナリストが、今いるだろうか。

ただ総合雑誌は新聞と同様、収入源の多くを広告収入に依存している。10ページに及ぶこのインタビュー記事を、手を一切入れずに掲載してくれた編集長は気の毒に左遷された。申し訳なかったという思いは、いまも残っている。が、私がロイアリティを抱く対象は、取材対象でもなければ編集者でもない。著書にせよ雑誌記事にせよ、私の駄文を熱心に読んでくださる読者である。その姿勢だけは、ブログ執筆でも貫いている。(28日記す)

 

  • 「プラザ合意」ショックを日本が乗り切れた本当の理由

谷井氏へのインタビューのさわりは『忠臣蔵と西部劇』にも転載したが、この時点では超円高危機を日本企業が乗り越えられた本当の理由には私はまだ気づいていなかった。そのことへの理解が及んだのは、日産自動車が最高経営者にブラジル出身の「経営再建請負人」のカルロス・ゴーンを招いて血も涙もない大リストラでスリム化を実現したこと、また液晶テレビへの過剰設備投資が失敗して世界最大の製造業受託業の鴻海(ほんはい)精密工業(台湾)に会社ごと身売りして経営再建を成し遂げたこと、さらにはアベノミクスと称するデフレ脱却経済政策が失敗することの分析・解明による。

実はコロナ前、サービス業を中心に日本企業は空前の人手不足にあえいでいた。当時はまだバブル崩壊後の「失われた20年」時代で、アベノミクスへの期待も大きかった。アベノミクスの失敗が鮮明になるにつれ、失われた期間は20年から30年に延び、さらに40年、50年と続くのではないかと懸念されている。なぜか。実は日本特有の正規社員に対する「雇用形態」が、バブル崩壊後の経済停滞の根本的原因なのだ。

日本企業の伝統的雇用形態は、言うまでもなく「年功序列・終身雇用」である。高度経済成長期以降、日本では長く、転職はマイナス要因とされてきた。犯罪やカバーできないほどの不利益を会社に与えない限り、身分や給与は年功序列でアップし、会社が倒産でもしない限り職を失うことはない、と企業も従業員も信じ込んできた。その「思い込み」がいとも簡単に崩れ去ったのは、バブル崩壊とリーマン・ショックによる長い経済停滞期に日本が突入した結果である。企業は正規社員の新規採用を手控えるようになり、派遣や非正規雇用が急増した。正規社員も「年功序列・終身雇用」に胡坐をかいていられない状況になった。

現パナソニックが「従来の給与体系を望むか、それとも退職金の前払いで初任給アップを希望するか」の選択を新卒社員にゆだねたところ、「退職金前払い」を要求する新卒社員が圧倒的多数を占め、この制度をすぐ撤回したことがある。

高度経済成長期時代、日本企業の会社に対する社員のロイヤリティの高さがアメリカ企業でもうらやましがられて、『エクセレント・カンパニー』と題した、日本型経営に似た雇用形態を採用していた大企業(IBMやGM、ゼロックスなど)の経営を紹介した本がアメリカでも日本でもベストセラーになって話題を呼んだことがあったが、私は『忠臣蔵と西部劇』で日本とアメリカでは「ロイヤリティの対象が違うだけ」と書いたことがある。

日本では人事権を人事部が掌握しているのに対して、アメリカ企業には日本のような人事制度はなく、部下の採用や待遇、馘首の権限まで「ボス」が掌握している。人事部が人事権を掌握している日本企業の場合は社員のロイヤリティの対象は会社という組織になるが、「ボス」が人事権を掌握しているアメリカでは部下のロイヤリティの対象が直属の上司になるのは当たり前の話。『エクセレント・カンパニー』が取り上げた大企業の場合、成長を遂げていたため結果として年功序列的に見える状況が生まれていただけだ。

なお、日ハムの新庄監督が就任時、選手やメディアに「ビッグボス」と呼ぶことを強要したのは、MLBの経験がある新庄は、アメリカでは監督が現場の絶対的権限を行使できることから、日ハムでもそうした権限を要求した結果だ。

シャープや日産の場合、経営再建の手段として日本型雇用形態に縛られない外国企業に会社ごと身売りしたり、外国人経営者に経営権をゆだねる手法で血も涙もない大リストラに踏み切るため。社員の大リストラを避けようとして自力再建を目指している東芝が、ますます苦境に陥っているのはそのせいだ。

つまりバブル崩壊以降、日本企業が正規社員の雇用を手控え、どうしても必要な業務には非正規雇用や派遣社員を充てるようにしたのも、「年功序列・終身雇用」の束縛から逃れるためだ。そうした時代を反映して経団連などが、正規社員の身分保障を強く定めた労基法の改正を求め、「日本型雇用形態の終焉」を声高に言い出しているのも、そうした事情による。

はっきり書く。日本経済が成長を続けていた時代は、消費者の需要が供給量を上回る需給関係が継続し、需要の増加に対応すべく企業も設備投資に積極的だった。が、医療技術の進歩や食生活の向上、核家族化による高齢者の健康志向などによる高齢化社会の進行、さらには女性の高学歴化とそれに伴う女性の自立志向の高まりなどによる少子化によって、需要層が激減したのがデフレ不況の原因だ。これは日本だけの特異な現象ではなく、世界中の先進国や発展途上国(所得水準が比較的高い国)に共通した現象であり、アベノミクスによる円安誘導で輸出競争力を高めても海外の需要増に直結しなかったというわけ

そのうえ日本企業には年功序列型「昇進昇給制度」は徐々に崩壊しつつあるが、正規社員保護を重視した「終身雇用」制度は維持されたまま。いいか悪いかは別にして、この制度が企業の手かせ足かせになって、目先の需要増に応えるための設備投資活発化はかえってリスクの増大を意味するため、円高時のダンピング輸出とは正反対の理由に基づく輸出量維持のために輸出先価格を据え置いて為替差益を増加させたのが今の日本企業経営の実態。アベノミクスによる輸出製品の競争力アップにもかかわらず企業がなかなか設備投資に踏み切らなかったのはそのせい。

いま自動車産業界では設備投資ラッシュになっているが、これはアベノミクス効果によるのではなく、たまたま地球温暖化対策SDGsの潮流で電気自動車が人気化しつつあり、他業界からの参入も相次ぐ状況下での設備投資ラッシュに過ぎない。裾野が広い自動車産業は、日本でも基幹産業のため景気のけん引力は大きいが、それでも景気回復への機関車的役割を期待するのは困難。

実際、国土が広く人口が分散していて自動車が生活必需品であるアメリカでも、トランプ前大統領が米自動車産業再建のために自動車及び関連製品などに高率関税を課して自動車産業を保護しようとしたが、米最大手のGMが国内4工場を閉鎖してトランプを激怒させた。が、GM側は、「輸入原材料や部品の価格が高騰し、コストアップ分を製品価格に反映させたらアメリカ国民の購買力の限界を超える。苦渋の決断だが、工場を閉鎖して供給量を抑えるしかない」と猛反発した。こうした大リストラが、日本の正規社員に対する保護政策のために日本では不可能。安倍元総理がいくら笛を吹いても、メーカーが踊ろうとしなかったのは、そのせい。

翻って日米経済摩擦が激化していた時期、日本企業が円高分を輸出価格に反映しようとせず、ダンピング輸出せざるを得なかった根本的理由も、社員のリストラを伴う生産量の削減が不可能で、赤字輸出のツケを国内消費者に付け回したのが真相。たまたま、その時期は国内消費がまだ活発で、赤字輸出による減益分を国内消費でカバーできたからだ

日銀が超円安状況化にもかかわらず、金融引き締めに政策転換できない理由の一つは、円安に歯止めをかけたところで国内消費が回復しそうにないと見極めているためだ。

そしてもう一つの要因は、金融引き締めで金利を上昇させると、MMT理論を信奉し続けた「リフレ派」の主導による国債乱発のツケの、次世代への先送りが不可能になり、下手をするとギリシャのように国家財政が破綻しかねないからだ。(29日記す)

 

  • 超円安下でMMT理論が破綻した理由

簡単に経済用語について説明しておく。この稿の小見出しに使った「MMT」とは、独自通貨を発行している国はいくら国債を発行しても、過度のインフレにならない限り財政破綻することはない、という積極財政論。比較的最近(といっても、第2次安倍政権初期のころ)米経済学者が言い出しっぺの経済政策で、アベノミクスの経済政策を「成功例」と持ち上げたことがある。

1種の「ねずみ講(無限連鎖)」とも言えなくはない経済理論で、発行済みの国債の償還期限が来たら、償還分に相当する新規国債をまた発行すれば財政破綻することはないという「自転車操業経済政策」。国家財政がギリシャのように破綻しなければ、理論上は成り立つが…。

赤字国債を「国民財産の増加」と、バカげた解釈をする自称「経済学者」もいるが、国債は返済義務を負う国(政府)の借金。「借金がなぜ財産なのか」そういう解釈をする人の頭を疑う。「財産」は自分の所有物であり、返済義務はない。返済義務を伴わない借金ができるなら、自己破産する人は皆無になる。もっとも個々人に通貨発行権利はないけど、しかしそれに近い金融資産として流通しているのが「仮想通貨(暗号資産)」で、少なくとも日本では商取引の決済手段としてはほぼ使えない。ま、ネット上で売買されている、ポケモンなどネットゲームのアイテムのようなものと理解するのが正解。

アベノミクスの効果については賛否いろいろあるので、この稿であまり立ち入るつもりはないが、一時株価が上昇したことは確かだが、そもそも「株価上昇」がアベノミクスの目的ではない。デフレ脱却による消費者物価2%上昇が目的で、目標達成はウクライナ戦争による超インフレ到来まで全くなかった。MMTを提唱した米経済学者は、何を根拠に日本を成功例にしたのか、摩訶不思議。まさか、株投資家の儲けを根拠にしたわけではないと思うが…。

このMMTを信奉したのが「リフレ派」といわれる日銀・黒田総裁一派。「無制限に国債買い入れ」を公言し、「ゼロ金利政策」を、今も続けている。リフレ派とは、金融緩和政策によって適度なインフレを生じさせるという経済論を重視する人たちのこと。「適度」のインフレ率の数値(消費者物価上昇率)は時代背景によって異なるが、ウクライナ紛争が始まる以前は米FRB パウエル議長も日銀・黒田総裁も2%上昇を目標数値にしていた。トランプ時代、アメリカはほぼ目標数値を達成していたが、トランプはさらなるインフレにしたかったようで、パウエルに金融緩和圧力をかけ続けていた。

ここで私が提起したいのは、近代マクロ経済学の「常識」がもはや通用しない時代を、人類は迎えているのではないかという問題意識である。ケインズも、またケインズに続くマクロ経済学者たちも、先進国や発展途上中の経済成長を遂げつつある国も、「少子化」(合計特殊出生率が減少すること)時代が全世界的規模で進行することなど、まったく想定すらしていなかったのだ。

言うまでもなく、インフレによる経済成長が可能になるのは、人口が増え続けることによる需給関係が逼迫することを前提に構築された理論である。「少子化」とほぼ同時に進行している「高齢化」によって、これまでは人口減少はそれほど目立たなかったが、ついに死亡率が出生率を上回る時代に突入し、人口減が誰の目にも明らかになるようになった。

この事態に私が警鐘を鳴らしだしたのは、結果が明らかになりつつある昨今ではない。アベノミクスに対する批判、MMTが日本でも話題になりだした時期にブログで書いている。だから「結果論」で書いているのではない。私自身の名誉のために書いておく。

さらに言うまでもなく、消費者物価は需給関係によって上下する。この大原則だけは少子高齢化社会になっても変わらない。需給関係は、需要の増減と供給の増減をもろに反映する。たとえ人口が減少しなくても、消費量が少なくなる高齢者が増え、消費需要の中核である若い人たちや現役世代の人口が減少すれば、消費市場は減少しデフレが進行する。また格差拡大が進み、人口減にならなくても、消費したくてもできない低所得層の占める割合が増大したら消費市場は縮小してデフレになる。

こんな基本的なことを理解できないのが、いまの「リフレ派」なのだ。日本も含めて、先進国や経済成長を続けている発展途上国は、「少子化」による人口減と格差拡大による消費市場の縮小というダブル・パンチを受けているさなかだ。そういう時期にいくら金融緩和しても、少子化に歯止めがかかるわけがないし、低所得層は金融緩和の恩恵とは永遠に無縁だ。金融緩和によって消費市場が回復するという幻想が、「夢のまた夢」でしかないことが、さすがに「リフレ派」の方たちにもご理解いただけたのでは…。

需要を拡大して消費者物価を「適度」な水準に引き上げるには、消費市場を拡大するしかない。消費市場を拡大する方法は、これまた合計特殊出生率の向上と、格差是正以外に打つ手はない。

 

また長い記事になった。書くほうも疲れたが、読んでいただいた方たちもお疲れになったと思う。

私に批判や反論があれば、どしどし「コメント」をお寄せいただきたい。罵詈雑言の類以外は削除しないし、私も誠意をもってお答えする。(30日記す)

 

【追記】 10月2日(日)のNHK『日曜討論』は、翌日10月3日から始まる臨時国会に向けて「旧統一教会と政治の関係」「インフレ対策の経済政策」「安全保障」の3つをテーマにした与野党の政調会長クラスによる議論だった。あえて無意味だったとは言わないが、米中覇権争いが激化しつつある今日、「日中国交回復50周年」を迎えて日本の対中外交政策が問われているにもかかわらず、その問題はパス。あいも変わらず、与野党議員の「対策」は対症療法に終始した。私はNHKに抗議したが、問題は与野党議員の無能さではなく、討論を仕切ったNHKの司会者(キャスター)の無能さにある。

ただ順繰りに発言機会を与野党議員に割り振ることしか考えていないキャスター。旧統一教会問題の「悩ましさ」や、「敵の味方は相手国から敵視され、かえって安全保障上のリスクを高めるだけ」という私の問題意識は既にブログで提起したので、あえて触れないが、討論の大半の時間を割いた「経済対策」についての議論を深めるべきキャスターの資質を、私は厳しくNHKに電話で批判した。その要点は以下の通り。

 

インフレ対策は賞味期限切れのマクロ経済理論では克服できない。インフレかデフレかの経済状況は言うまでもなく「需給関係」のバランスが崩れた結果である。

従来のケインズ以降の「マクロ経済理論」は、金融政策によって需給バランスの回復を図ることを重視している。が、この理論の限界は需要人口の減少という事態を全く想定していないことに基づく。いま生じているのは、本文でも書いたように、世界的規模での「需要層人口の減少」という事態だ。

その原因は二つある。一つは「少子高齢化」。女性の高学歴化に伴う「社会が女性の能力の活用を求めるようになったこと」また「女性の価値観も、家庭や子育てより社会での自己実現を重視する自立に重点を移しつつあること」に原因があり、はっきり言えば合計特殊出生率を政策によって回復することは不可能という現実を踏まえ、その中で需要減少による需給バランスの崩れをいかに軟着陸させるかが重要な課題。

少子化現象によって需要人口の減少は避けようもなく、一方高齢化現象によって人口減はあまり目立たなかったが、高齢者の消費活動は年齢とともに減少する。にもかかわらず、金融庁が「年金生活維持のためには定年時2000万円の金融資産が必要」といったバカげた試算を発表したため、現役世代も消費より貯蓄を重視するようになったことが消費活動の停滞を招いている。

私はかつて金融庁に「2000万円必要の計算方法」を質問したことがあり、その内容は既にブログで書いたが、「夫65歳、専業主婦60歳で定年生活に入り、その後30年生きるとして、厚生年金だけでは不足する生活費を算出した」ということだった。確かに定年退職直後は、現役時代の付き合いも多少継続するし、夫婦での旅行や外食機会も増えるので、年金収入だけでは赤字になるだろうが、そういう生活が30年間続くという発想が官僚らしいと言えば言えなくもないが、そんなことはあり得ない。私自身の生活体験からすると、たぶん70年代に入れば支出は大幅に減少し、70年代半ば以降は「黒字生活」に入る(大病でもした場合は別)。定年退職時に2000万円の金融資産があれば、30年後にはかなりの金融資産が残るはず。そのことを金融庁の担当者に指摘したら「ご指摘の通りだと思います」と言ったが、試算の見直しや訂正はしていない。メディアも金融庁のアホな試算に気づいていない。

したがって、近代マクロ経済理論が前提としてきた「人口減はあり得ない」という状況が崩れてきたという認識で新たなマクロ経済理論を構築する必要があるのだが、そういう問題意識が『日曜討論』の司会キャスターには皆無だったことが一つ。

もう一つは、格差の拡大が進んでいることが需給バランスの崩壊につながっているという認識の欠如。

高度経済成長時代、日本人の大半が「中流」意識を持っていた。欲しいものがたくさんあり、消費意欲が高まって経済が活発だった時代のことだ。3C(カー・クラー・カラーテレビ)が日本経済の機関車的役割を果たした時代のこと。いま消費意欲を掻き立てるものは何もない。かつ、消費活動の中核をなす現役世代の可処分所得は30年間増えていない。

そういう時代に「経済成長至上主義」の経済政策を志向したのが「アベノミクス」。だから失敗するのは当たり前。消費活動が停滞すればデフレ経済になるのは、それも当たり前。この難問に向き合うには、「経済成長至上主義」を捨てて、いかに軟着陸させるかに経済政策の重点を置かなければならない。そして軟着陸させるには、中間所得層人口の減少に歯止めをかけ、かつ中間所得層の可処分所得を増やすしかない。そのためには、大胆な税制改革が必要になる。

大企業の内部留保が増加している理由については本文で書いたが、内部留保は法人所得税を納めた後に残った資産。それに課税しろという乱暴な主張も垣間見るが、私たち個人が納税後の貯蓄に課税しろというに等しい乱暴な考え。そんなことができるわけがない。

方法は一つしかない。法人税をアップして、「税金で持っていかれるくらいなら有能な人材の給与を増やして将来に備えたほうが得」という空気を経済界に作ること。もう一つは日本の高度経済成長を支えた超累進課税制度の復活によって可処分所得を高額所得層から中間所得層に移すこと。消費税導入前の最高税率80%というシャウプ税制まで戻せとまではさすがに言わないが、せめて今の最高税率(住民税を含む)を50%から60-65%程度まで引き上げても罰は当たらない。

そういう問題意識をもって、経済対策を与野党議員に問うのがキャスターの資格条件。が、そんな認識のかけらすらないのが高給取りのNHK高級職員。私を『日曜討論』の司会キャスターにしろ~ (10月2日記す)