今更ブログで書くまでもないことだが、23日に行われた東京都議選で、マスコミ各社による事前の世論調査通り自公が圧勝した。しかし、ここまでの圧勝とはマスコミも含めだれも予想しなかっただろう。私自身も、まさか自民の立候補者59人、公明の立候補者23人が全員当選するとは思いもよらない結果だった。民主の15人は、そんなものだろうと思っていたが、予想が大きく外れたのは維新のたった2人、共産の大躍進(17人)だった。その結果、都議会の新勢力は定数127のうち自公が82を占め、なんと3分の2に近い大勢力になった。都議会は1院制だから3分の2に達したとしても衆院とは意味が全く違うが、それにしても国政と都政が同じ方向を向いて走り出すことになるのは間違いない。
予想以上だったのは、維新の大惨敗である。結局、橋下氏の従軍慰安婦発言が世論の反発を買ったことがもろに出たと言えるのだろうが、ことさらに橋下氏の発言を誇大解釈して世論を誘導したマスコミのモラルの実態をも明らかにした選挙結果だった。私は別に橋下氏を擁護したわけではないが、歴史の真実を私なりに調べて何度もブログで報告してきた。マスコミが歴史的真実をきちんと検証したうえで、橋下氏の失言は失言として厳しく批判するのはいいが、マスコミの世論誘導の結果、どういう事態が生じたかをマスコミはきちんと自らを検証すべきだった。が、そうした自己検証をしたマスコミは1社もなかった。結果として、マスコミが橋下氏の失言を誇大報道して世論を誘導したことを奇貨として、米軍沖縄基地司令部が行ったのは、基地配属の米兵士の厳しい外出規制を緩め、再び米兵士による性犯罪が沖縄で続発する可能性に道を開いたことだった。今のところ米兵士の犯罪は報道されていないが、時間の問題で沖縄が再び米兵にとっては不法地帯に戻るのは避けられない。そうなった場合の全責任はマスコミにあることだけ、ここで明らかにしておきたい。
もう一つの意外性は、共産の躍進だった。改選前の8から17へと2倍を超える議席を獲得した。共産はその結果自公に次ぐ第3政党になり、議会での発言力はかなり増したと言えよう。今日(24日)の朝刊では共産党議員の得票率はまだわからないが、仮に獲得議席率を指標とすれば13.4%の都民からの支持を得たということになる。マスコミ各社が毎月行う全国の政党支持率では共産は2%台だから、獲得議席率を政党支持率と短絡するのは明らかにおかしいが、実はマスコミ各社の今回の都議選の結果についての分析方法は、こういうおかしさを反映したものになっている。今回は全国紙5紙の社説でそのことを検証してみよう。大新聞社の論説委員の論理的思考力とはこの程度のものだと思って新聞を読んでいただければいい。
まず各紙に共通しているのは7月の参院選(未定だが4日公示、21日投票が有力視されている)の前哨戦として都議選を位置付けていることだ。なぜ都議選が参院選の前哨戦になるのかの説明は各紙とも一切ない。
参院選からネット選挙運動が解禁になる。ネット選挙運動が始まると、これまでの選挙戦とは全く違う局面が生じる可能性は否定できない。従来型の組織や後援団体など人手と人脈に頼る運動が果たしてどこまで有効性を維持できるのか、その検証をマスコミは全くしようともしていない。もちろん日本での検証作業は不可能だが、すでにネット選挙が解禁されている先進国もあるわけで、それらの国の選挙運動がネット解禁によってどういう変化が生じたのかの検証作業は絶対必要なのだが、そういう検証作業が必要だという発想そのものがマスコミのお偉いさんには全くないようだ。
マスコミやインターネットでしか情報を入手できない私としては、ネット選挙運動が解禁になるとどうなるかの見当のつけようもない。実はアメリカやヨーロッパなどの先進国はすでに大半がネット選挙運動を解禁しているようだ。お隣の韓国でもとっくに解禁されている。その結果、選挙運動の在り方がどう変わり、有権者の投票行動にどう反映されたのかがマスコミ報道からは全く分からない。おそらく自民党をはじめ有力政党はとっくに先進国のネット選挙運動が従来型の選挙をどう変えたのかを徹底的に分析して参院選に備えているはずなのだが、そうした各政党の備えすら取材していないようだ(少なくとも記事にはなっていない)。だから、果たして単純に都議選が参院選の前哨戦になるという結論を短絡的に出していいのかどうか、私は各紙論説委員たちの頭をかち割って中身をのぞいてみたいという衝動に駆られたほどである。
ただ言えることは、ネット選挙運動が解禁になると政党助成金の必要がなくなるはずだということだ。そのことすらマスコミ界には気付いた人がいないというのは、さびしさを通り越して悲しくなる。
政党助成金は1994年、金と選挙の関係を断ち切るために成立した政党助成法によって、企業・労組・団体からの献金を制限するための代償として、原則5人以上の国会議員を擁する政党に対して選挙運動資金を税金で支えてあげようという趣旨の金である。それは選挙に金がかかるから、という前提があって初めて成り立つ論理である。つまり企業や労組・団体などからの潤沢な資金提供を得られない弱小政党が、金のかかる選挙運動で不利にならないようにという意味で国民も納得して払っている金だ(国民一人当たり年250円)。だが、ネット選挙運動の解禁で、選挙運動の主力が金がほとんどかからないネットに移行していけば政党助成金を維持する根拠がなくなる。
きょう成立した0増5減法案に関して読売新聞は社説をはじめスキャナーなどを総動員して日本の国会議員数は先進国の中で少ない方だ(国民一人あたりの比例数)と主張し続けている。私は読売新聞に対して、国会議員数の国際比較をするなら、国会議員一人当たりにかけている歳費も国際比較をするべきだと何度も主張してきたが、そういう調査をするつもりはないようだ。いや、ひょっとしたらしているのかもしれないが、調査結果を公表すると政党助成金を税金で援助している先進国などないことがバレてしまうので公表しないのかもしれない。常に政権与党にすり寄ることを社是としている読売新聞ならではの姿勢としか思えない。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の話になるかもしれないが、ネット解禁で一気とまではいかなくても金と組織のバックがない市民運動家や市民団体が、徐々に政治のひのき舞台に躍り出る時代が来るのではないかと私自身は想像している。アメリカで黒人のオバマ氏が大統領の地位に昇りつめることができたのも、アメリカではネット社会が政治の分野にまで広がった結果ではないかと思っている。
しかもたった今見ていたNHKのニュース7で21~23日にかけて行われた内閣支持率の世論調査が報道された。調査結果によれば安倍内閣の支持率は61%で、都議選での自公の獲得議席の占有率64%とほとんど差はない。全国紙5紙が社説で自公の大勝利と騒ぐほどの選挙結果ではなかったのだ。
むしろマスコミが都議選について社説を書くならば、なぜ都議選で国政の議論が中心になったのかという疑問を呈するべきだろう。たとえば猪瀬都知事は東京オリンピックの招致に死にもの狂いになっているが、猪瀬都知事がオリンピックを東京に招致して、どういう東京都をつくろうとしているのか、私にはさっぱりわからない(私はオリンピックの招致に反対しているわけではないですよ。もし長生きできれば、夜更かししなくても日本選手の活躍をテレビで見ることが出来るから賛成はしています)。ただ、東京にオリンピックを招致することがなぜ必要なのかの説明が石原都知事の時もそうだったが、全くないことに疑問を持っているだけだ。そういうことがなぜ選挙の争点にならなかったのかが私には不思議な世界だなぁ、という感じがするというだけの話。
また日本一ホームレスが多い東京をどう世界に誇れる文化的大都市にするのか、といったことの方が都議選では重要な課題になるべきではなかったのかとも思う。また石原都知事時代に作られた負の遺産である新銀行東京をどうするのかも猪瀬都知事が解決しなければならない大問題のはずだ。東京都が、中小企業向けの融資を目的にした新銀行東京は、素人銀行員の無責任な貸し出し競争によって1000億円もの大赤字を出し、融資先を都の公共事業関係先(請負企業など)に絞って黒字経営に転換できたが、何のことはない都職員の天下り対策に使われているというのが実態だ。新銀行東京をどうするのかも都議選の争点にならなかった。おかしな選挙だったという批判は、どの社説にも載らなかった。
比較的ましな社説を書いたのは朝日新聞だった。書き出しの部分でこう述べている。
「身近な都政の課題より(※肝心の身近な都政の問題には一切触れず)、安倍政権の経済運営の是非に焦点が当たった選挙だった。このところ足踏み気味の株価だが、それでも首都の有権者は、アベノミクスに一定の期待を示したといえるだろう」「ただ自民党が野党の不振に乗じた面が強いことは否定できない(※すでに述べたように内閣支持率がほぼ都議選にも反映されただけ)」
また民主の凋落については、各紙同じような分析をしている。もともと政党の体を成していない野合政党に過ぎず、政権をとるためだけに結集しただけの政党だから、党綱領すら作れず、政党支持率は8%にまで落ちている(全国)。もし政党支持率どおりだったら10人しか当選できていなかったはずで、当選者を15人も出したのは、凋落というより健闘したと言うべきだろう(※これは皮肉ではない)。
一方大躍進したのはみんなと共産だった。みんなは「しがらみがない」(本当かな?)「ぶれない」(本当かな?)の殺し文句が効いたのだろう。みんなの真実は少数野党ではなく政権党とまで行かなくてもある程度キャスティングボードを握れるようになったとき明らかになるだろう。それまではあまり無責任な批判は控えておく。
一躍自公に次ぐ第3勢力に躍り出たのが共産だ。共産の当選議員数は17人と倍増、全議員数の10%を占めた。しかし共産の全国政党支持率は2%台前半。このギャップはどうして生じたのか。共産の躍進について社説で「分析」したのは朝日新聞と毎日新聞だけ(読売新聞も共産の躍進については数文字を割いたが、分析はしていない)。朝日新聞地毎日新聞の分析はこうだ。
「反アベノミクス、原発ゼロ、憲法改正反対を明確に打ち出し、政権批判票の受け皿になったことは間違いない」(朝日新聞)
「(みんなも含め)野党でも政策の輪郭が明確な政党が健闘したといえる。安倍内閣に向かう対立軸をきちんと示せるかどうか、参院選で野党側が負う責任は重大である」(毎日新聞)
期せずして似た論調だ。だが、全国政党支持率2%そこそこの共産がなぜ10%もの議席数を獲得できたのかの疑問すら両紙の論説委員は持っていないようだ。たぶん明日になれば(このブログをお読みになっている方にとってはおそらく過去形の話になっていると思うが)分かると思うが、共産党立候補者が獲得した票は果たして全体の10%にとどいているだろうか。私は多くても3%台にとどまっているのではないかと思う。もしその程度の得票率で10%もの議席数を獲得できたのだとしたら、その理由は一つしかない。
実はNHKの政党別支持率(全国)調査では、自民が断トツの45.6%、次いで民主が8.1%と第2位を占めていたのである。3位が公明の5.5%、維新が3.3%、みんな2.0%で共産は2.4%という結果だった。つまり政党支持率が今回の都議選では直接的には反映されていなかったと言うべきであろう。ということは野党が選挙協力を組めず、各選挙区で票の奪い合いをした結果、共産が漁夫の利を得たのが共産躍進の真相だと思う(まだ共産の獲得票が不明なので)。
確かに朝日新聞や毎日新聞が主張したように自公との対立軸を共産は明確にして闘ったが、そうした選挙運動は今回に限ったことではなく、どの選挙でも共産だけは政権政党との対立軸を鮮明にして闘ってきた。もし朝日新聞や毎日新聞の主張が正しければ7月の参院選でも共産は大躍進するはずだが、そんなことは政党支持率から考えてもあり得ない。
さらに各紙が社説でどこも触れなかった重要な視点が別にある。それは都議選で大敗北した民主や維新が、みんなにも呼び掛けて大規模野党選挙協力を実現できるかどうかが、参院選を占う大きなカギとなる。もし大協力が実現すれば、解禁されるネット運動が莫大な効力を発揮するのではないかという気がする。その可能性を生み出したのが、今回の都議選の最大のポイントとなる。ただ「ぶれない」ことを旗印にしてきたみんなが野党大協力に参加できるか、まさにふたを開けてみなければわからないことだが。
予想以上だったのは、維新の大惨敗である。結局、橋下氏の従軍慰安婦発言が世論の反発を買ったことがもろに出たと言えるのだろうが、ことさらに橋下氏の発言を誇大解釈して世論を誘導したマスコミのモラルの実態をも明らかにした選挙結果だった。私は別に橋下氏を擁護したわけではないが、歴史の真実を私なりに調べて何度もブログで報告してきた。マスコミが歴史的真実をきちんと検証したうえで、橋下氏の失言は失言として厳しく批判するのはいいが、マスコミの世論誘導の結果、どういう事態が生じたかをマスコミはきちんと自らを検証すべきだった。が、そうした自己検証をしたマスコミは1社もなかった。結果として、マスコミが橋下氏の失言を誇大報道して世論を誘導したことを奇貨として、米軍沖縄基地司令部が行ったのは、基地配属の米兵士の厳しい外出規制を緩め、再び米兵士による性犯罪が沖縄で続発する可能性に道を開いたことだった。今のところ米兵士の犯罪は報道されていないが、時間の問題で沖縄が再び米兵にとっては不法地帯に戻るのは避けられない。そうなった場合の全責任はマスコミにあることだけ、ここで明らかにしておきたい。
もう一つの意外性は、共産の躍進だった。改選前の8から17へと2倍を超える議席を獲得した。共産はその結果自公に次ぐ第3政党になり、議会での発言力はかなり増したと言えよう。今日(24日)の朝刊では共産党議員の得票率はまだわからないが、仮に獲得議席率を指標とすれば13.4%の都民からの支持を得たということになる。マスコミ各社が毎月行う全国の政党支持率では共産は2%台だから、獲得議席率を政党支持率と短絡するのは明らかにおかしいが、実はマスコミ各社の今回の都議選の結果についての分析方法は、こういうおかしさを反映したものになっている。今回は全国紙5紙の社説でそのことを検証してみよう。大新聞社の論説委員の論理的思考力とはこの程度のものだと思って新聞を読んでいただければいい。
まず各紙に共通しているのは7月の参院選(未定だが4日公示、21日投票が有力視されている)の前哨戦として都議選を位置付けていることだ。なぜ都議選が参院選の前哨戦になるのかの説明は各紙とも一切ない。
参院選からネット選挙運動が解禁になる。ネット選挙運動が始まると、これまでの選挙戦とは全く違う局面が生じる可能性は否定できない。従来型の組織や後援団体など人手と人脈に頼る運動が果たしてどこまで有効性を維持できるのか、その検証をマスコミは全くしようともしていない。もちろん日本での検証作業は不可能だが、すでにネット選挙が解禁されている先進国もあるわけで、それらの国の選挙運動がネット解禁によってどういう変化が生じたのかの検証作業は絶対必要なのだが、そういう検証作業が必要だという発想そのものがマスコミのお偉いさんには全くないようだ。
マスコミやインターネットでしか情報を入手できない私としては、ネット選挙運動が解禁になるとどうなるかの見当のつけようもない。実はアメリカやヨーロッパなどの先進国はすでに大半がネット選挙運動を解禁しているようだ。お隣の韓国でもとっくに解禁されている。その結果、選挙運動の在り方がどう変わり、有権者の投票行動にどう反映されたのかがマスコミ報道からは全く分からない。おそらく自民党をはじめ有力政党はとっくに先進国のネット選挙運動が従来型の選挙をどう変えたのかを徹底的に分析して参院選に備えているはずなのだが、そうした各政党の備えすら取材していないようだ(少なくとも記事にはなっていない)。だから、果たして単純に都議選が参院選の前哨戦になるという結論を短絡的に出していいのかどうか、私は各紙論説委員たちの頭をかち割って中身をのぞいてみたいという衝動に駆られたほどである。
ただ言えることは、ネット選挙運動が解禁になると政党助成金の必要がなくなるはずだということだ。そのことすらマスコミ界には気付いた人がいないというのは、さびしさを通り越して悲しくなる。
政党助成金は1994年、金と選挙の関係を断ち切るために成立した政党助成法によって、企業・労組・団体からの献金を制限するための代償として、原則5人以上の国会議員を擁する政党に対して選挙運動資金を税金で支えてあげようという趣旨の金である。それは選挙に金がかかるから、という前提があって初めて成り立つ論理である。つまり企業や労組・団体などからの潤沢な資金提供を得られない弱小政党が、金のかかる選挙運動で不利にならないようにという意味で国民も納得して払っている金だ(国民一人当たり年250円)。だが、ネット選挙運動の解禁で、選挙運動の主力が金がほとんどかからないネットに移行していけば政党助成金を維持する根拠がなくなる。
きょう成立した0増5減法案に関して読売新聞は社説をはじめスキャナーなどを総動員して日本の国会議員数は先進国の中で少ない方だ(国民一人あたりの比例数)と主張し続けている。私は読売新聞に対して、国会議員数の国際比較をするなら、国会議員一人当たりにかけている歳費も国際比較をするべきだと何度も主張してきたが、そういう調査をするつもりはないようだ。いや、ひょっとしたらしているのかもしれないが、調査結果を公表すると政党助成金を税金で援助している先進国などないことがバレてしまうので公表しないのかもしれない。常に政権与党にすり寄ることを社是としている読売新聞ならではの姿勢としか思えない。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の話になるかもしれないが、ネット解禁で一気とまではいかなくても金と組織のバックがない市民運動家や市民団体が、徐々に政治のひのき舞台に躍り出る時代が来るのではないかと私自身は想像している。アメリカで黒人のオバマ氏が大統領の地位に昇りつめることができたのも、アメリカではネット社会が政治の分野にまで広がった結果ではないかと思っている。
しかもたった今見ていたNHKのニュース7で21~23日にかけて行われた内閣支持率の世論調査が報道された。調査結果によれば安倍内閣の支持率は61%で、都議選での自公の獲得議席の占有率64%とほとんど差はない。全国紙5紙が社説で自公の大勝利と騒ぐほどの選挙結果ではなかったのだ。
むしろマスコミが都議選について社説を書くならば、なぜ都議選で国政の議論が中心になったのかという疑問を呈するべきだろう。たとえば猪瀬都知事は東京オリンピックの招致に死にもの狂いになっているが、猪瀬都知事がオリンピックを東京に招致して、どういう東京都をつくろうとしているのか、私にはさっぱりわからない(私はオリンピックの招致に反対しているわけではないですよ。もし長生きできれば、夜更かししなくても日本選手の活躍をテレビで見ることが出来るから賛成はしています)。ただ、東京にオリンピックを招致することがなぜ必要なのかの説明が石原都知事の時もそうだったが、全くないことに疑問を持っているだけだ。そういうことがなぜ選挙の争点にならなかったのかが私には不思議な世界だなぁ、という感じがするというだけの話。
また日本一ホームレスが多い東京をどう世界に誇れる文化的大都市にするのか、といったことの方が都議選では重要な課題になるべきではなかったのかとも思う。また石原都知事時代に作られた負の遺産である新銀行東京をどうするのかも猪瀬都知事が解決しなければならない大問題のはずだ。東京都が、中小企業向けの融資を目的にした新銀行東京は、素人銀行員の無責任な貸し出し競争によって1000億円もの大赤字を出し、融資先を都の公共事業関係先(請負企業など)に絞って黒字経営に転換できたが、何のことはない都職員の天下り対策に使われているというのが実態だ。新銀行東京をどうするのかも都議選の争点にならなかった。おかしな選挙だったという批判は、どの社説にも載らなかった。
比較的ましな社説を書いたのは朝日新聞だった。書き出しの部分でこう述べている。
「身近な都政の課題より(※肝心の身近な都政の問題には一切触れず)、安倍政権の経済運営の是非に焦点が当たった選挙だった。このところ足踏み気味の株価だが、それでも首都の有権者は、アベノミクスに一定の期待を示したといえるだろう」「ただ自民党が野党の不振に乗じた面が強いことは否定できない(※すでに述べたように内閣支持率がほぼ都議選にも反映されただけ)」
また民主の凋落については、各紙同じような分析をしている。もともと政党の体を成していない野合政党に過ぎず、政権をとるためだけに結集しただけの政党だから、党綱領すら作れず、政党支持率は8%にまで落ちている(全国)。もし政党支持率どおりだったら10人しか当選できていなかったはずで、当選者を15人も出したのは、凋落というより健闘したと言うべきだろう(※これは皮肉ではない)。
一方大躍進したのはみんなと共産だった。みんなは「しがらみがない」(本当かな?)「ぶれない」(本当かな?)の殺し文句が効いたのだろう。みんなの真実は少数野党ではなく政権党とまで行かなくてもある程度キャスティングボードを握れるようになったとき明らかになるだろう。それまではあまり無責任な批判は控えておく。
一躍自公に次ぐ第3勢力に躍り出たのが共産だ。共産の当選議員数は17人と倍増、全議員数の10%を占めた。しかし共産の全国政党支持率は2%台前半。このギャップはどうして生じたのか。共産の躍進について社説で「分析」したのは朝日新聞と毎日新聞だけ(読売新聞も共産の躍進については数文字を割いたが、分析はしていない)。朝日新聞地毎日新聞の分析はこうだ。
「反アベノミクス、原発ゼロ、憲法改正反対を明確に打ち出し、政権批判票の受け皿になったことは間違いない」(朝日新聞)
「(みんなも含め)野党でも政策の輪郭が明確な政党が健闘したといえる。安倍内閣に向かう対立軸をきちんと示せるかどうか、参院選で野党側が負う責任は重大である」(毎日新聞)
期せずして似た論調だ。だが、全国政党支持率2%そこそこの共産がなぜ10%もの議席数を獲得できたのかの疑問すら両紙の論説委員は持っていないようだ。たぶん明日になれば(このブログをお読みになっている方にとってはおそらく過去形の話になっていると思うが)分かると思うが、共産党立候補者が獲得した票は果たして全体の10%にとどいているだろうか。私は多くても3%台にとどまっているのではないかと思う。もしその程度の得票率で10%もの議席数を獲得できたのだとしたら、その理由は一つしかない。
実はNHKの政党別支持率(全国)調査では、自民が断トツの45.6%、次いで民主が8.1%と第2位を占めていたのである。3位が公明の5.5%、維新が3.3%、みんな2.0%で共産は2.4%という結果だった。つまり政党支持率が今回の都議選では直接的には反映されていなかったと言うべきであろう。ということは野党が選挙協力を組めず、各選挙区で票の奪い合いをした結果、共産が漁夫の利を得たのが共産躍進の真相だと思う(まだ共産の獲得票が不明なので)。
確かに朝日新聞や毎日新聞が主張したように自公との対立軸を共産は明確にして闘ったが、そうした選挙運動は今回に限ったことではなく、どの選挙でも共産だけは政権政党との対立軸を鮮明にして闘ってきた。もし朝日新聞や毎日新聞の主張が正しければ7月の参院選でも共産は大躍進するはずだが、そんなことは政党支持率から考えてもあり得ない。
さらに各紙が社説でどこも触れなかった重要な視点が別にある。それは都議選で大敗北した民主や維新が、みんなにも呼び掛けて大規模野党選挙協力を実現できるかどうかが、参院選を占う大きなカギとなる。もし大協力が実現すれば、解禁されるネット運動が莫大な効力を発揮するのではないかという気がする。その可能性を生み出したのが、今回の都議選の最大のポイントとなる。ただ「ぶれない」ことを旗印にしてきたみんなが野党大協力に参加できるか、まさにふたを開けてみなければわからないことだが。