参院選も中盤に差し掛かり、マスコミ各社の世論調査によると自民の圧倒的有利は動かないようだ。それにしても野党、とくに民主と維新の停滞ぶりは、かつてこれらの政党が全国的にブームを起こした政党だったのかと思うと、ほんの数年あるいは数か月しか経っていないのに隔世の感がある。
私はこうした政治状況に、異論を差し挟むつもりもないし、また自公が衆参で過半数を超えて憲法改正の発議を行える3分の2以上の勢力を獲得するだろうことについてもむしろ歓迎しているくらいだ。かつてブログで述べたように、国会には憲法改正の権限はなく、改正の発議をできる権利しかない。国会が発議した憲法改正案を肯定するのも否定するのも国民の手にゆだねられる。国民自身が国の在り方を決める機会が生まれることになる。日本社会が、欠陥だらけの民主主義を、世界に先駆けて健全な政治システムに成熟させていく絶好の機会が訪れることになる。多数決を絶対的な基準としている民主主義の最大の欠陥を、私たち日本人がどう小さくできるかが試される。
マスコミが行ったアンケートの結果によれば、国民の多くは依然として「景気対策」を最重要視しているようだ。安倍総理はすでに景気回復策として「アベノミクス」を発表している。参院選はアベノミクスに対して下す国民の審判でもある。
11日、日銀・黒田総裁は「景気は緩やかに回復しつつある」と、日銀の景気判断を上昇修正したことを発表した。日銀が景気判断で「回復」という言葉を用いたのは実に2年半ぶりのことだ。だが、好況感を肌で感じているのは一部の資産家にまだとどまっており、中流階層にまで広まらなければ、本当に景気が回復基調に乗ったとは言い難い。
これからが安倍総理の手腕が問われることになる。衆参ねじれ状態が続いていた間は、「参院で否決された」という逃げ道があった。自公が参院でも過半数を占めることになれば、政府は背路を失うことを意味する。失政は許されない。
アベノミクスは具体的には①金融緩和によるデフレ脱却、②公共工事など大規模な財政出動による景気刺激策、③経済成長戦略、の三つである。このうち私が最も重要視しているのは①と②である。あとで述べるが②についてはこれまでブログで二度批判しており、今回のブログでは要点だけ述べる。③はまだ全体像が見えていないので、現段階での評価と私の提案にとどめる。
まず金融政策は日銀の専権事項であり、日銀が最終的に判断することであっ
て、総理が個人的に日銀に対して要望することまで異論を挟むつもりはないが、あたかも政府が金融政策を左右しているかのごとき主張を繰り返すのはいかがなものか。
金融政策を考える場合、過去の失敗を二度と繰り返さないことだ。
まずバブル経済を生んだ金融政策。その最大の責任者は澄田智(すみださとる)総裁(1984年就任)だった。澄田氏が総裁に就任した時期は日米貿易摩擦と円高圧力に日本経済界が直面していた時期だった。いわばいきなり定員オーバーの大型観光船の船長を任されたようなものだった。定員オーバーになったのは政府の無能さと日本企業のモラルなき対米輸出拡大一辺倒の姿勢にあった。またそれをチェックして金融政策でカバーしなかった日銀も責任を免れ得なかったと私は考えている。
今更自慢めいたことを書いても仕方がないが、私は日本企業のモラルの低さについて手厳しく批判したことがある。光文社発行の月刊誌『宝石』(88年10月号、のち廃刊)に掲載した松下電器産業(現パナソニック)の谷井社長とのインタビュー記事である(9ページに及ぶ異例の大インタビュー記事)。このインタビュー記事を無修正で掲載した編集長は社内で責任問題になったほどの記事だ(女性週刊誌が主要な収益源になっていた光文社にとっては、松下は大クライアントであり、ご機嫌を損ねるような記事を掲載するのはタブー中のタブーだった)。問題になった個所の一部を転記する。
(地の文で)円高が急速に進行することによって内外価格差がクローズアップされた。この問題の火付け役になったのが松下電産で、同社の輸出用コードレス電話が逆輸入され、ディスカウントショップで国内向け製品価格の八分の一という超安値で販売されたことがきっかけとなり、「どうしてそんなに価格差が生じるのか」といった疑問が、マスコミや消費者の間で噴出したのである。
松下側は「国内の認定規格とアメリカの規格が違うし、日本で販売しているタイプは省電力型で、輸出製品は微弱型という全くスペックの違う商品を単純に比較することはできない」と反論している。が、スペックの差だけでこれだけの差がつくとは、私にはどうにも考えにくい。
――現在の為替は130円台前半で一応小康状態にありますが、率直のところ高いと思われますか、それとも安いと思われますか ?
谷井 輸出比率が高いメーカーとしては、安い方がいいというのは非常にイージーですけどね。まぁ、今の段階で安い高いというより、率直なところ、やっぱり妥当というか、いい線だというふうに思いますね。だけど、企業というのは将来も含めて考えていくといたしますならば、これですむとは考えちゃいけ
ないと。
――この一年間に3回ほどアメリカに行って肌で感じてきた実感なんです。衣食住のほとんどすべてアメリカのほうが安い。私に限らず、それが消費者の実感ではないでしょうか。
谷井 それはそうでしょうねぇ。
――ということは、円は実力以上に高くなりすぎているのではないか、という気がします。実際、エコノミストの多くは170~180円が妥当じゃないかと言っていますが、消費者の貨幣感覚というか、あるいは購買力平価を基本にした考え方からすると円はちょっと高すぎるのではないかという気がするんですが……。谷井 消費者の身近な物価から行きますと、確かに、たとえば肉はこうだとか、米はこうだとか、よく言われますけれども、むしろ日本の場合、そういう面で行くと、日本の土地、電気製品、カメラ、その他もろもろの値段が為替とリンクした評価になっていないんで、全体のバランスが取れていないという面もあるんじゃないでしょうか。
(地の文で)購買力平価は、1ドル=130円とした場合、アメリカで1ドルで買えるものは日本でも130円で買えることを意味しており、すべての国があらゆる財の生産・流通・消費を自由化したときに成り立つ関係である。ただ農畜産物のように購買力平価の考え方にそぐわない財もあり、為替レートが単に貿易関係だけでなく、各国通貨の需給関係、資本移動、政府の政策の影響を強く受けている現状では、購買力平価だけを基準にして為替レートを論じることはできない。
(※この文章は1085年に書いたものであり、貿易の自由化が急速に進みつつある今日では特殊に保護された分野を除き為替レートは購買力平価を反映した基準に限りなく近づきつつある。日本がTPPに正式に参加することになると、一定の猶予期間は与えられたとしても従来のような農畜産物に対する過保護政策は継続できなくなり、安倍総理はそうした将来を見越して「強い農業」の構
築を目指していることをご理解いただきたい。昨年末の総選挙の時の公約は「強い農業」政策の発表によって事実上反故にされた)
――もちろん、すべてが購買力平価に即してバランスが取れるということはありえません。ただ、本来、日本のほうが安いはずの工業製品、たとえばカメラとかビデオとかといったものまでアメリカで買った方が安い。こういうことが起きるのはおかしいじゃないかと……。
谷井 それは、円が強くなるから、一時的にそういう現象が起こるんでしょう。ある面からいくと、じゃ、もう少し円が弱くなればバランスがとれるんだという理屈が成り立つんですよね。しかし、また一方において、アメリカの流通と日本の流通とが逆に向こうから言われるように何かおかしいんじゃないかと。だから、むしろ日本のほうが高いんじゃないかという見方もありますから、商
品によって一律には言えませんね。
また日本とアメリカでは、消費者のニーズも異なり、国内製品には機能が付加されているので単純に比較できませんけど。しかし先日、日経新聞でしたか、日米の商品の価格というものを調べられて、いろいろ出てましたけど、私どもの電気製品ではほぼバランスがとれていると、こういう記事も出ていましたし。ま、電話機のような問題もありましたけど、あれなんか、まさにスペックも違うし、弁解じゃありませんけどね。(中略)
しかし、国内、海外という、いままでのようなセパレートした仕事の姿では考えられないようなことが出てきている。まさに価格もそうだと思うんですよ。決してどこの国に安く売った、どこの国に高くという、そんな意識的な意図は働かなくても、為替の変動で結果的にそうなった。だけど、それは確かに許されることではありませんから、そういうことも含めて、世の中、端的に言えば大きく変わってきていることだし、まさに好むと好まざるとにかかわらず、世界は国際化してきているわけですね。だから価格についても、どこで買っても同じ評価される、当然そういう時代になってきたと思いますね。
(地の文で)これまでマスコミは、輸出メーカーを一貫して“円高の被害者”として扱ってきた。もちろん、円高で輸出メーカーが大きな打撃を受けたことは事実だが、単純に被害者とだけ言い切ることが出来ない要素もある。むしろ、被害者であったはずの輸出メーカー、とくに自動車メーカーと電機メーカーの行動が、実は加害者として機能している点に今回の円高問題の複雑さがあるのではないか。
――円はこの3年近くの間にほぼ倍になりました。本来ならアメリカでの日本製品の販売価格は倍になっていなければおかしいのですが、自動車が20~25%アップ、電気製品に至っては10~15%しか値上がりしていません。
どうして10%や20%の値上げに抑えることが出来たのかと聞くと、メーカー
は合理化努力の成果だと主張する。もしそうなら、日本での生産コストは半分近くに下がっていることになる(※日本企業がまだ海外に生産拠点を移すようになる前のインタビューですよ)。だったら、どうして日本の消費者はその恩恵を受けることができないのか、という点です。アメリカ人だけが、日本メーカーの合理化努力の恩恵を受けて、日本人は受けていないわけです。
また、アメリカにほとんど競争相手がいないカメラのような製品でも、円が倍になったからといって輸出価格も倍にするとアメリカ人の購買限度額を超えるバカ高い値段になってしまう。30%か35%の値上げが限界のようですね。
谷井 そうでしょうね。
――まして国内の消費者にシワ寄せできない零細輸出業者はアップアップしていますよ。
さらに今回の新貿易法案の狙いもそうですが、60年秋のG5で各国首脳がドル安基調に合意した目的は、疲弊しつつあるアメリカ産業界の競争力の回復にあったはずです。議論としては「アメリカが勝手にこけたんじゃないか」という言い分も成り立ちます。もうアメリカと仲良くしなくても、中国やソ連を相手にやっていけば日本の将来は万々歳だと思うなら、堂々と“正論”を主張して、アメリカ経済が壊滅するのをニヤニヤ笑って眺めていればいい。しかし、それでは日本経済は成り立たないわけです。
谷井 成り立ちませんね。ただ一つの歴史的背景の中で、幸いにして自動車にしてもエレクトロニクスにしても、少なくとも昭和50年代の前半までは非常にお客様に恵まれ、市場に恵まれて、高度成長してきましたね。しかしG5というものを契機として、それにブレーキがかかり、まさに大きな転機を迎えたという認識を各メーカーは持っていると思うんです。自動車にしろ、われわれ電機メーカーにしてもね。
――それにしても、アメリカの主張が自分勝手であるとないとを問わず、ここまで弱ってきたアメリカ経済の回復に日本の企業も手を貸してやる必要があるのではないか。具体的には、円が高くなった分、アメリカでの販売価格をアップして、アメリカ製品の競争力を回復させてやることです。どのみち、アメリカだって日本製品を一切輸入せずにやっていけるわけがないんですから。
それなのに“合理化努力”によって円高効果を灰にしてしまったのが日本メーカー。しかも、日本国内では値下げしていないんですから、アメリカ側がダンピング輸出だと怒るのは当たり前です。とくに自動車業界と家電業界。自動車ならトヨタとか日産、電気なら松下とか日立といった大メーカーの経営者はその点を自覚すべきだと思うんですが。
谷井 いまおっしゃったなかで、もちろん同感なところもあります。ただ、国によって価格差があるという点ですが、一時的には確かにあります。しかし、これは異常な為替の結果だと思うんですよ。日本で作っている製品が、船で運んで行った国で安く、むしろ日本では高いじゃないかと、恩恵を受けてないじゃないかと。一部、現象的にはそういうことは否定しませんけどね。急速な為替のしからしめた結果というのは、非常に大きいと思うんですね。もちろん、そのままで許されるわけじゃありませんよ。
※谷井社長に対する追及はまだまだ続くのだが、G5を契機にした急速な円高の中での日本を代表するメーカーの国内消費者に対する姿勢は十分に明らかにできたと思う。はっきり言えば日本の輸出産業界は、国内の消費者を犠牲にしてダンピング輸出を続け、G5合意(プラザ合意)を台無しにしたことだけは明らかにした。松下電器産業のトップを相手にここまで追求したジャーナリストは、悲しいかな日本には私以外に一人もいなかった。なお余談だが、このインタビュー記事を無修正で掲載してくれた編集長は左遷されたし、『宝石』からは二度と原稿依頼はなかった。
為替という問題を考えるとき、大切なのは各国通貨は、様々な商品やサービ
スと等価値交換ができ、かつ政府が保証する唯一の特種な商品だということを理解していただく必要がある。商品だから、売ったり買ったりすることができ、そういう売買によっていわゆる為替相場が形成されるということをご理解いただかないと、これから述べる話は読者にとってチンプンカンプンになる。
日銀の金融政策がおかしくなりだしたのは1984年に総裁に就任した澄田氏からである。澄田総裁の超金融緩和政策によってバブル景気が爆発したからだ。が、その話をする前に、どうして日本がバブル経済に突入したのか、そしてバブル崩壊後に訪れた未曾有のデフレ不況(「失われた20年」と言われている)を日銀は金融政策でなぜ克服できなかったのかを検証しておきたい。
戦後、世界経済は長く固定相場制を維持してきた。それは米政府が基軸通貨の米ドルを固定比率で金との交換を保証してきたからである。当然のことだが、世界経済の発展によって基軸通貨の米ドルの流通量も増大する。つまり米ドルが世界中に溢れ、時代の要請によって米政府は金との交換保証を続けるためには金の保有量も米ドルの増発に比例して増やす必要がある。世界経済が成長を続ける限り米ドルの増発→金の保有量増加のサイクルはとどまることがない。こうしたサイクルが限界に達したと判断した米政府(ニクソン大統領時代)は1971年、突如米ドルと金の固定比率での交換を停止すると発表した。それによって生じた世界経済の大混乱を「ニクソン・ショック」という。
さらに2年後、アメリカはこれも突如固定相場制の廃止を発表した。その結果、各国の通貨は政府が保証する唯一の等価交換機能を持つと同時に、通貨間での売買が行われる特殊な商品にもなったというわけだ。そうした二つの顔を持つ通貨の発行量を決めるのは政府ではなく、裁判所と同様、政府から完全に独立し、政府からの干渉を受けない中央銀行なのである。日本の場合、その中央銀行が日銀なのだ。従って金融緩和政策をとるか否かを決めるのは総裁を中心とする日銀の幹部(株式会社ではボード)なのである。つまり政府が「大胆な金融緩和政策によってデフレを克服する」という行為は不可能なのだ。裁判所に代わって政府が判決を下すようなことを意味するからだ。
さて日本はなぜバブル経済に突入していったのか。
澄田氏が日銀総裁に就任した翌年の85年9月、歴史的なG5が米ニューヨークの名門・プラザホテルで開かれた。G5は米・日。西独・英・仏の先進5か国の財務担当大臣・中央銀行総裁が一堂に会して財政政策について協議するのが目的で開かれるようになった国際会議である(現在はイタリア、カナダ、ロシアが加わりG8になっている)。為替が自由化されるようになった結果、各国通貨が商品になったことはすでに述べた。
通貨が商品になった結果生じたことは、投機筋による売買が避けられなくなったことである。その結果、極端な(当時としてはそう考えられていた)円安ドル高現象が生じ、米産業界が急速に競争力を失ったのである。そこで先進各国の財務担当大臣・中央銀行総裁が一堂に会し、金融政策(具体的には円買いドル売りの協調為替介入)によって米産業界の競争力の回復を協議することがG5の目的だった。その方針自体はすでにアメリカによる根回しがされていて、会議そのものは20分で終了した。つまりアメリカの根回しによって合意されていたことを確認するための儀式に過ぎなかったのだが、為替相場を投機筋が事実上支配している市場を実体経済を反映したものにしようという協調スタンスをとることを初めて決めた国際会議ゆえに歴史的会議と位置付けられ、「プラザ合意」と呼ばれるようになった。
読者に対しては誠に申し訳なかったが、実は松下の谷井社長に対する追及はこのプラザ合意を台無しにした日本企業の「自分さえよければ、他人がどんな迷惑を被ろうと知ったこっちゃない」というモラルの低さをさらけ出すことが目的だった。谷井社長とのインタビュー記事を転記する前にこのことを書いた方が、インタビューの中身をより深くご理解いただけたであろうことを百も承知で後回しにした理由は、このあと書く、なぜ日本がバブル経済に突入したのか、またその後なぜ「失われた20年」を余儀なくされたのかをご理解いただくためには、為替についての基礎知識を後回しにせざるを得なかった。本当に「ごめんなさい」と頭を下げるしかないのだが、谷井社長に対するインタビューはこのプラザ合意を台無しにした大企業のモラルを問うことが目的だったのである。
ついでに書いておくが、大企業の広報のスタンスは必ずしも一様ではない。広報自身が判断するケースもあるし、責任回避のため判断を上に回すか、また取材そのものをハナから拒否する広報もある。大新聞の大企業トップへのインタビュー記事がすべてヨイショになってしまうのは、基本的には大新聞社の経済記者のモラル低下(というよりモラルゼロ)による。
もちろん広報としては無制限に取材を受けるわけにはいかず、一応取材目的について聞いてくる。それはいいのだが、「取材趣意書を文書にして出してくれ」などという要求をする広報もある。そういう場合は、「取材した結果によって書く内容が変わることもありうるので、現段階で趣意書を書くことは不可能だ。そこまで要求するなら広報を通さずに独自に取材をするが、それでもいいか」と答えることにしている。しぶしぶ取材を認める広報もあるが、取材を拒否する広報もある。もっとも卑劣だったのは日本IBMだった。取材を申し入れたところ、広報部長のS氏が会いたいというので会った。S氏はいきなり「小林さんは当社にかなり厳しいことを書いていますね。当社へのロイヤリティを示していただかないと取材には応じられない」と言ってきた。こんなバカな要求をする広報マンには初めて会った。「確かに批判もしたが、過去のソフト資産を世界で初めて継承するコンピュータ(IBM360)をかいはつしてこんぴゅーたぎょうかいのおうざをふどうにしたについては高く評価したことも書いている。私は一切の偏見を持たずに評価することは評価し、批判すべきことは批判しているだけだ。どう書くかは取材してみないと分からない」と応じ、結局取材を拒否された。私は広報を通さずに独自取材を始めたが、IBMのガードは極めて高く、途中で独自取材を断念した。私も現在のように道楽でブログを書いていたわけではなく、取材にかける費用のもとが取れないような仕事はできない。残念だったが、あきらめた。
私は、「そこまでやるのはやりすぎだ」と批判され、途中からやめたが、企業について書いた単行本を上梓した後、広報の責任者と担当者をごちそうすることにしていた。それが仕事とはいえ、彼らの協力がなければいい取材ができなかったため、お礼の意味でごちそうさせていただいてきたのだが、さすがに広報側もごちそうになりっぱなしというわけにもいかず、「じゃ二次会は私どもで」とお誘いを受ける。それをお断りするのはいくらなんでも大人気ないので二次会はごちそうになるが、たまたま銀座のクラブでその企業のライバル企業の広報責任者たち数人がどなたかを接待していた場に出くわしてしまった。ライバル企業の広報責任者たちが知らんぷりをしてくれていたら私もわからなかったのだが、私たちの席に挨拶に来られた。挨拶されて、知らんぷりもできないので私も挨拶を返したが、先方の挨拶の仕方が気になったと見え、一人席に残っていた方が広報責任者に尋ねたらしく、突然私たちの席に来て「ご著書はいつも読ませていただいています。大変参考になります」と名刺を差し出された。その名詞に記載された肩書は「朝日新聞経済部」とあった。まだ30代前半の若造記者である。朝日新聞が大企業の広報を接待するわけがなく、その記者は担当する大企業の責任者たちから接待を受けることを自分のステータスだと思っていたようだ。そんな記者たちが書く企業記事がヨイショになるのは当たり前といえば当たり前の話だ。念のため、大企業が社会的問題を起こした時に取材に乗り出すのは経済部ではなく社会部である。そうした事実が新聞社の姿勢を何よりも雄弁に物語っている。はっきり言えば、経済部の記者の仕事は、企業にプラスになる記事を書いて新聞社の営業活動の一翼を担うことにある。そのことを私の前で正面から否定できる新聞社は、ない。
ちょっと話が横道にそれすぎた。本筋に戻す。
プラザ合意の最重要点は各国が円買い介入することだった。なぜ円が狙い撃ちされたかというと、当時のアメリカの貿易赤字(財政赤字と並んで「双子の赤字」と呼ばれていた)の最大の原因が対日貿易収支の大幅赤字にあったからである。そのため日銀も円を売ってドルを買うという協調姿勢を明確にした。それだけでなく、公定歩合を5%に据え置き、かつ無担保コールレートを6%弱から8%台に一気に引き上げるという極端な金融引き締め策に出た。円は当然だが急激に上昇し、一部のエコノミストが「円高不況になる」と警鐘を鳴らしたが、澄田総裁はそうした声に一切耳を貸さなかった。なぜか。理由は定かではないが、澄田氏は日銀プロパーではなく、大蔵省の出身で(事務次官で退官)、プラザ合意に出席した日本代表は蔵相の竹下登だった。政府による日銀コント
ロールへの道は澄田総裁が開いたのではないか、と私は思っている。
いずれにせよ、日銀の金融引き締め政策の結果、一部のエコノミストが予測した通り、日本は円高不況に入っていく。何しろプラザ合意時点の為替レートは1ドル=235円だったのが、1年後には150円台まで急上昇したのだから、企業努力でどうにかなるといった問題ではなかった。トヨタや松下をはじめ日本を代表する大企業が「合理化努力」を口実に輸出価格アップをせいぜい10~20%程度に抑えながら、国内消費者に対しては価格を据え置いて収益の確保を図ったのは紛れもない事実である。もっとはっきり言えば、日本の大企業は国内の消費者を犠牲にして自社の利益確保に走ったのである。もちろん日銀金融政策の失敗の付けを消費者に回さざるを得なかったという同情すべき事情もあるのだが……。
こうして円高不況に突入した日本経済の状況を前に、翌86年には一転して公定歩合を引き下げて金融緩和策に転じた。公定歩合を引き下げだけでなく、国債を政府の言いなりになって買いまくり、国内に過剰な資金がばらまかれることになった。ところが銀行にとって最も安心できる融資先である大企業は国内での設備投資を控える一方、円高の影響を回避するため生産拠点を海外に移転し始めた。そのための資金も担保や経営者の個人補償を要求する銀行に頭を下げて借りるという従来型の間接資金調達(預金者の金を銀行を経由して借りるため「間接」という言い方をする)から、企業の信用力を背景に増資や社債発行による証券市場からの直接資金調達に方向転換していた。
困ったのはだぶついた資金の運用先を失った銀行だった。銀行が資産家に対して土地を担保に無期限のカード融資を始めたのだ。その先陣を切ったのが大蔵事務次官の頭取指定先である横浜銀行だった。横浜銀行の支店長が真っ先に勧誘に訪れたのが私の自宅だった。はっきりと覚えているわけではないが、担保の掛け目は8割(普通は7割のはず)で、金利も住宅ローン金利プラス0.5%程度の低利だったと思う。
「分かっちゃいるけどやめられない」ではないが、私自身も目がくらんだ。仕事の関係上、ゴルフ場の建設ラッシュで、これからゴルフ場を作るというジャパニーズ・ドリームを実現したアントレプレナー(起業家)たちと知り合いだったこともあり、彼らから最優遇の特別縁故会員にならないかという誘いを受け、飛びついてしまった。いまだから言えることかもしれないが、当時はゴルフ会員権は土地や株と同様、右肩上がりがまだまだ続くとみんなが信じていた。ゴルフ場は平日でもコンペでいっぱいで、ゴルフ場はまだまだ不足していると、みんなが思い込んでいた。銀行でさえ、ゴルフの会員権購入資金に関しては100%融資するという信じがたい営業活動を行っていたくらいだった。ただし、100%融資の対象は特別縁故、縁故募集の会員権購入資金までだったが……。なお私は目がくらんだことは自省しているが、私に特別縁故のゴルフ会員権を譲渡してくれた方たちのことを活字にしたことは一切ない。リクルート株を譲渡された人たちとは違う。
こんなケースもあった。私の友人からの誘いで仙台に行ったことがある。10人ほどのツアーだったと思う。ツアーの主催者は旅行会社にあらず、某大銀行(現メガバンクの母体の一つ)の支店長だった。行きも帰りもグリーン車、宿泊は超一流ホテル、ゴルフ付き、しかもツアー料金は無料。条件はたった一つ。その銀行が融資したデベロッパーが開発中の分譲地を視察すること。もちろん買う・買わないは自由ということだったので私はゴルフ目的で参加した。支店長は「この周辺の土地は1年で倍になっています。もしお買いになるなら当行が100%融資しますよ」と勧誘した。一流銀行の支店長がデベロッパーの「営業マン」になっていた時代だった。その物件は私は買わなかったが、何人かはその「うまい話」に飛びついて買ったようだ。後日談は聞いていない。
バブル経済を演出したのは、まぎれもなく日銀の澄田総裁だったし、その日銀政策に乗って銀行の支店長が先頭になってバブル商品の購入者に無責任極まりない融資を行ったという事実は永遠に消すことができない。私は幸い借金までしてゴルフ場の会員権を買うことはしなかったので、バブルがはじけた瞬間、いくつものゴルフ場会員権がただの紙切れになっただけで済んだが、銀行マンから勧められて借金までしてバブル商品を買った人たちは一体どうなったのだろうか。それほど親しく付き合っていたわけではないが、私の友人の一人は自殺した。澄田総裁は天授を全うしたし、責任をとって自殺した銀行マンの話は聞いたことがない。澄田総裁は天授を全うしただけでなく、勲一等旭日大綬章をもらい、没後には従三位になった。日本経済をめちゃくちゃにしたことが、それほど高く評価されることなのか。
ちなみに『大蔵省権力人脈』(栗林良光)によれば、総裁後半期の低金利政策のミスは、何らかの持病の影響によった可能性があるらしい。
澄田総裁は任期を全うして退任したが、後継者の日銀プロパーの三重野康総裁は、当然のことだがバブル退治に乗り出した。バブル退治に乗り出した三重野総裁を、この人以上に頭の悪い評論家はいないと私は思っている自称経済評論家の佐高信氏は三重野総裁を「平成の鬼平」と持ち上げたが、「失われた20年」をつくった張本人が、まさに三重野総裁だったのだが。
とまれ。佐高氏が三重野氏を「平成の鬼平」とまで激賞した誤りについて自己批判したという話は残念ながら聞いたことがない。ちなみに中山素平氏をモデルに戦後の日本経済の復興にあずかった日興を描いた『小説 日本興業銀行』の著者で、経済小説の第一人者の高杉良氏は、バブル期に起こした日興の不祥事について朝日新聞記者から感想を聞かれたとき「不明の至り」と、自らを責めた。中山氏の時代の日興を描いただけで、その後のバブル期に日興が起こした不祥事について自らを責める必要は全くないと思うのだが、高杉氏は硬骨の経済小説家として名を馳せただけに自らの不明と、一切抗弁しなかった。
実は三重野氏は澄田総裁のもとで副総裁の地位につき、澄田総裁の低金利政策の実行部隊の事実上の最高責任者だった。つまりバブル経済演出の片棒を担いだのが三重野氏だったのだ。その事実さえ知らずに、三重野氏を「平成の鬼平」と持ち上げた佐高氏の感覚が私には全く理解できない。だが、佐高氏同様頭の悪いマスコミ連中が、「平成の鬼平」というキャッチフレーズを作った佐高氏を高く評価したようだ。
正直なところ、私も佐高氏の「才能」の一面はそれなりに評価している。「平成の鬼平」もそうだが、小説家の安土敏氏が考案した「社畜」という名文句を広めたのも佐高氏で、コピーライターとしての能力はかなりあるのではないかと思っている。ただ従業員用の「社宅」を「家畜小屋」と名付けたのは失敗作で、どうせ安土氏考案の言葉をあたかも自作であるかのように振りまくくらいなら、いっそのこと「社畜小屋」と命名したほうがよかったのではないかと思う。また内橋克人氏や本田勝一氏らに巧みに取り入ってマスコミ界にそれなりの地位を築いた営業感覚の鋭さは、私ごときが到底太刀打ちできるものではない。つねづね佐高氏の爪の垢でも煎じて飲みたいと思っているくらいだ。
それはともかく、バブル経済に関しては澄田総裁と同罪の三重野氏は、総裁就任後それまでの金融政策を急転換、一気に金融引き締めに転じた。確かにバブル景気を収束させる必要は誰もが認めるところであった。特に地価の急上昇は、すでに土地(特に住宅地や商業用地)の所有者にとっては資産価値の増大を意味したが、一般庶民にとっては持ち家を買うことは夢のまた夢になってしまった。が、日本経済の足腰を折りかねないような急激な金融引き締めは当然大きな副作用をもたらした。三重野氏は澄田副総裁のもとでプラザ合意による円高ドル安に日銀として協力すべく、いったん金融引き締め政策を実行したが、一部のエコノミストが予測したように日本経済を「円高不況」が襲った。あわてて澄田氏と三重野氏は金融政策を大転換、公定歩合の大幅引き下げによる金融緩和策に転じたのだ。
日本経済は一気に息を吹き返したが、日銀は金融緩和を継続した。そのため行き過ぎた景気の急上昇が生じたのは当然予測されたはずなのに、澄田氏も三重野氏も無能な金融マンだった。バブル景気は「砂の上の楼閣」に過ぎないことに気づかず、日本経済の足腰の強さと信じてしまったのだろうか。だとしたら、お前らアホか、と言うしかない。
ここで日銀が行う金融政策について簡単に説明しておこう。日銀の使命は言うまでもなく日本経済が健全な成長(※あくまで健全な成長だ)を継続できるよう通貨の価値(円だけでなくドルやユーロも含まれる)をコントロールするための様々な政策を実行することにある。具体的には公定歩合の決定によって金融引き締めや金融緩和を行うことが第一。ちなみに公定歩合は日銀が銀行に貸し出す際に適用される基準金利のこと。この基準金利を元に銀行は企業への融資や住宅ローンの利率を決めることに一応なっている。「一応」と書いたのは最近、住宅ローンなど長期融資の金利が別の要因で上昇しているからだ。現在の別の要因とは、すでに述べたように通貨が投機対象の商品として機能し、円安基調が定着した結果、公定歩合は利上げしていないのに長期金利が上昇しているからである。次に適正と日銀が勝手に考えた為替相場を保つため、市場で円を買ったり(ドルを売ることと同義)、売ったり(ドルを買うことと同義)して通貨価値をコントロールすること。投機筋は売買差益を得るため通貨の売買を行うが、日銀は儲けるために通貨の売買を行うわけではない。あくまで投機筋に対抗して通貨価値を適正な範囲(※何度も言うが、「適正な範囲」とは日銀が勝手に考えた範囲のこと)に維持するために行う行為である。日銀の三番目の役割は国債(日本国債だけでなく他国の国債も対象になる)を直接あるいは市場から購入したり売却したりして国債の価値を適正水準に支えること。現在の円安は、日銀の円売り介入によるものではなく、日銀が無期限・無制限に日本国債を買うことを発表したことと、アメリカ経済が回復基調に入り失業率も改善したため、投機筋が安心してドル買い円売りに転じたためである。大きく大別すると日銀の金融政策は以上の三つである。
そうした金融政策を巧みに組み合わせてバブル化した日本経済を健全な成長持続状態に戻すため、過熱したバブル景気を軟着陸させるのが三重野総裁の使命だった。が、三重野総裁が行ったのは、そうした軟着陸を図ることではなく、公定歩合の大幅アップという劇薬を投じて一気にバブルを崩壊させてしまう方法だった。その結果、バブルは確かに退治できたが、同時に日本経済の足腰まで折ってしまうという、歴代日銀総裁の中で澄田氏と双璧をなす最低の総裁だった。
改めて言う。日本経済をバブル化した澄田氏(三重野氏も一緒)、バブル退治はしたが「失われた20年」の張本人である三重野氏。この二人の名は日銀史に燦然と輝くことだろう。ただし反面教師としてだが。
アベノミクスの第一の矢である金融緩和政策に戻る。考えてみれば、日銀とは妙な組織だ。日本経済に大きな影響を与える金融政策を、一応政府から独立した公的機関でありながら、政府出資金(資本金1億円のうち55%を政府が出資)だけでなく、残り45%の出資者の中には民間もある。株式会社でもないのに出資者が保有する「出資証券」はジャスダックに上場され株式と同様売買されている。証券コード(8301)も付与されている。が、企業と異なり出資者が株主総会のような場で経営方針について意見を言う機会は与えられていない。が、株式会社と同様利益を上げることも許され、出資者に対して配当もできる。
さらに政府から独立した財務省管轄の認可法人だが、総裁・副総裁・審議委員6人(任期はいずれも6年)は、衆参両院の同意を得て内閣が任命する。が、独立性の保証として政府に罷免権はない。位置づけは日本の中央銀行で日銀法によれば、日銀の役割は「物価の安定」と「金融システムの安定」となっている(※具体的に日銀が行う金融政策は先に述べた三つ。ほかには日本通貨の発行権がある)。
日銀の最高意思決定機関は常設の「政策委員会」であり、これには内閣が任命した3役のほか理事6人、参与3人が加わる。この政策委員会で決定されたことだけが日銀の金融政策として実行に移される。私のひねくれた性格のせいかもしれないが、「政策」という言葉に違和感を感じた。で、ウィキペディアで「政策」の意味を調べてみた。ウィキペディアではこう定義していた。
「政策とは、公共体が主体となって行う体系的な諸策のこと。現代社会においては、政府や政党などの施政上の方針や方策を指すこともある。なお、その策を実施することを施策(しさく)という」とある。私の頭はますますこんがらがってきた。では「公共体」とはどういう組織・機関を指すのか。やはりウィキペディアで調べてみた。が、意味がさっぱり分からない。引用するだけ無駄なのでやめる。だが常識的に考えれば、選挙の時に政党や立候補者が訴える政治方針で、国民や県民・市町村民などに幅広く選択の自由がある。そして選挙で選ばれた議員で構成される議会で可決され実行に移される施策を意味すると考えるのが自然だと思う。それなのに、国民や出資者が物申す機会もなければ、企業の役員に相当する政策委員を選ぶ権利も罷免する権利もない。最高裁判所の判事(裁判官)は総選挙の際、国民の審判を受けなければならないが、そうした国民に対する義務もない。そういう機関が金融関係に限られているが「政策」決定権限を持つ。なぜなんだろう。そういうことに疑問を持つ私がおかしいのか、疑問を持たない人たち(特にジャーナリストや経済評論家、エコノミストなど)のほうがおかしいのか、皆さん考えてみてください。
いずれにせよ、日銀が政府から独立した機関であることは日銀法に明記されている。それなのに、幹部はなぜ国会で承認され、内閣から任命されなければならないのか。現に安倍総理はデフレ脱却のために日銀人事で黒田東彦(はるひこ)氏を選び、参院で野党が多数を占めていたため、すったもんだはしたが、最終的には安倍総理のめがねにかなった黒田総裁が実現した。そうした人事で本当に日銀の独立性が保てるのか、疑問に思うのは私だけではあるまい。
黒田総裁の金融政策に対する評価をするにはまだ早すぎるが、一応無難な滑り出しをしているようだ。デフレ脱却のめどを物価上昇率2%と明確にしたのはいい。「(そのために)やれることは何でもやる姿勢を示さなければ、物価安定という最大の使命を達成できない」と、断固とした姿勢を表明したことにも好感が持てる。
ただプロがしばしばミスをするのは、振り子の原理を熟知していないことに原因があると考えられる。振り子はご承知のように、物理現象の一つである。地球上での振り子の幅は一定の範囲内で左右に振れながら、空気抵抗と振り子の重力によって次第に振れ幅が縮小し、最後には最下点で止まる。子供が遊ぶブランコも振り子の原理で揺れるのだが、第三者(父母や兄弟、友人など)が、ブランコに乗っている子供の背中を強く押すと揺れ方が大きくなりすぎて事故を起こすことがしばしばある。澄田総裁がいったん金融引き締め政策によって円高不況を招いたことまでは仕方がない。プラザ合意で円高ドル安に為替相場を誘導するためには、金融を引き締める必要があった。当時日本は世界第2位の(それもダントツの2位)経済大国であり、多少の犠牲を払っても世界経済安定のための金融政策をとらざるを得なかったのはやむを得ないことだったと思っている。だが、為替相場の動向を注意深く見守っていれば、どの時点で金融政策を再転換すべきか、また再転換の範囲はどこまでかを冷静に判断できなければ、日銀総裁としての資格に欠けると言わざるを得ない。
特に当時すでに為替相場を左右しているのは実体経済ではなく、投機マネーが90%を占めていることは明らかになっていた。投機筋は、先進国、とくに米日独の金融政策をにらみながらマネーの投機先と投機規模を操作していた。ということは、どういう金融政策を発動すれば投機マネーがどう反応するか、ということを最優先で考慮しなければならないのが総裁の責務なのだ。それを怠ってきたがゆえに、日銀の金融政策がしばしば後手後手に回り、その結果、円高傾向がはっきりするまで手をこまねき、はっきりした時は、たとえばガンでいえば末期症状状態になってしまっていて、やむを得ず重大な副作用を伴う劇薬的金融政策の発動を余儀なくされ、その結果がバブル景気を招き、行き着くところまで放置しておいて再び重大な副作用を伴う劇薬的金融政策を発動し、「失われた20年」を招来したのである。三重野総裁のあとを引き継いだ白川総裁は、さすがに二人の大先輩の政策ミスの原因が分かっていたようで、その代わり怖くて大胆な金融政策を打ち出さなくなった。ある意味では日銀歴代総裁の中で最も影の薄い総裁だったのではないか。
そうしたことを黒田総裁には十二分に認識したうえで、投機マネーの動向を視野に入れながら硬軟取り混ぜた柔軟な金融政策を発動していただきたい。一方、安倍総理は政策として「大胆な金融緩和によってデフレを脱却する」などと、日銀の独立性を否定するがごとき公約は撤回していただきたい。デフレ脱却のために日銀には日銀が果たすべき責務があり、その責務を全うできる人と考えて選んだ日銀トップの人事だ。そうであればデフレ脱却のための金融政策は日銀にげたを預け、政府は政府がなすべきことをする――それが国民の負託に応える総理の責務ではないか。総理たるもの、そのくらいの自覚は持っていただきたい。国民が今、安倍内閣に寄せている信頼度の高さは、安倍内閣ならそうした負託に応えてくれるだろうという期待感の表れである。
次に第2の矢「公共事業投資による景気刺激策」である。公共事業投資の有効性については、これまで2回ブログに書いた。
① 総選挙で大勝した自民党が作らなければならない国の形(昨年12月17日
投稿)
② 再び断言する――公共事業で景気は回復しない。ケインズ循環論は今の日
本には通用しない(3月8日投稿)
これまで主張してきたことの要点だけ書いておこう。ケインズ循環経済論は、不況の原因は失業率の高さにあり、公共事業によって雇用を増やせば内需が拡大して景気が回復に向かう。そうなれば企業は生産活動を拡大し、さらに失業者が減少し、内需がさらに拡大する。このサイクルによって不況は克服できる。極めて単純化した表現だが、1929年にはこのケインズ理論が正しかったことが証明された。アメリカがニューディール政策によって世界恐慌を克服したからである。
しかし、今日の日本ではケインズ循環経済論は通用しない(日本だけでなく先進国すべてに)。まず公共事業を行っても失業率は改善しない。その理由は二つある。一つは公共事業の担い手が人的労働力から機械化作業に転換していることだ。確かに機械を動かすには人的労働力も多少必要だが、公共事業投資額に占める人件費比率は1930年ごろとは比較にならない。また1930年ごろの労働力の大半はブルーカラー(肉体労働者のこと。高学歴の知的労働力の担い手はホワイトカラーという)だった。
しかし今日日本の進学率は極めて高くなり(有能な知的人材が増えたことを意味するわけではない)、肉体労働に従事する労働者の大半は南米などからの出稼ぎ労働者である。公共事業投資に財政出動して外国人労働者に就業機会を与えて、どういう景気回復の効果があるというのか。詳しくは先に書いたブログを読み返してほしい。
最後に第3の矢「成長戦略」である。当初は具体性が見えなかったので評価のしようがなかったが、少しずつ見えてきた。これは非常にいい経済政策である。たとえば生命科学分野への支援である。これは山中伸弥氏のノーベル賞受賞が契機になったという偶然性もあるが、世界で発展途上にとどまっていた医療分野での研究開発が飛躍的に発達する可能性が出てきた。その理由は4月8日投稿のブログ「アメリカは勝手すぎないか。日本はTPP交渉参加を新しい国造りのチャンスにせよ」で詳しく書いたが、要点だけ述べておこう。
まず、技術は需要のないところでは進化しないという技術開発の原理原則を理解していただく必要がある。医療の分野でいえば、日本はこれまで(厳密には現在もだが)国民皆保険制度を金科玉条のごとく維持してきた。国民皆保険制度を維持するためには高度医療は保険の対象にできない。保険適用外の高度医療を受ける場合、その医療に関するすべてが保険の対象から外される。これが「国民皆保険制度」と言われる中身なのである。そのため、最初から保険対象外になるような高度医療機器・薬品などの研究開発には企業が手を出しにくい環境があった。需要のない分野では技術進歩は望めない、というのはそういう事情による。
そのため山中氏が開発に成功したiPS細胞の実用化研究は、肝心の生みの親である日本が先進国の中で後れを取るというみっともない姿をさらしつつあった。そこに風穴を開けたのが安倍総理だった。保険外の高度医療を受ける際、保険が適用される医療に対しては保険で行うという制度(混合医療制度という)にしようというのである。日本医師会は混合医療に反対し続けたが、安倍総理は自民党の票田である医師会の反対を押し切って混合医療制度の導入に踏み切ろうとしている。その結果、高度医療の市場が日本に生まれれば、「需要のあるところでは技術が進歩する」という原理原則が働き、医療関連技術が飛躍的に進むことが期待されている。
またこれは公共事業にはなるがリニア新幹線の東京→名古屋→大阪間の開通
を急ぐべきだ。「先に述べたことと矛盾するではないか」と言われるかもしれないが、これは失業対策や景気刺激策としてではなく、日本が世界に誇るリニア技術を実用化することによって、世界中に日本の技術を売る絶好のチャンスになる。
アメリカはシェールガスの掘削技術を開発し、国内のエネルギー問題を解決しただけでなく、産出したシェールガスを日本などに売るだけでなく、その後発見された世界各地に埋蔵されているシェールガスの掘削事業を、アメリカ企業が独占しかねない状況になっている。本来土木建設工事の技術は日本が世界の最高峰にあったはずだ。ご承知のように日本の国土に占める平地は20%を切っている。しかも火山国であり、島国でもある日本列島は複雑な海底プレートに囲まれており、地震の脅威につねにさらされている。そうした中で培ってきた日本の土木建設技術は世界一といっても過言ではない。アメリカにシェールガスの掘削方法を先行開発されてしまったことは、私には無念でならない。日本にもシェールガスが埋蔵されていたら、間違いなく掘削方法は日本が世界に先駆けて開発していたと思う。「需要のないところに技術の進歩はない」ということが、このことでも証明された。
日本の国土面積は約37.8km2で世界60位に過ぎないが、日本政府が領有権を主張している領海・排他的経済水域(EEZ)は約447km2となっており、世界6位の広さである。その領海排他的経済水域に豊富なエネルギー資源やエレクトロニクス製品や自動車などの生産に欠かせない高価な希土類などが大量に埋蔵されていることが分かっている。しかしそれらの資源は深海に眠っており、現在の海底掘削技術ではコスト的に採算が取れないという。コスト的に採算が取れないなら、国が支援してでも深海の掘削技術を世界に先駆けて開発しなければならない。そんな資金は零細農家に支給している、事実上の「生活保護」を停止すれば、すぐ捻出できる(詳しくは3月25日投稿のブログ『日本政府はいつまでコメ農業に事実上の「生活保護」政策を続けるのか』を参照してください)。
これは二重の効果をもたらす。深海に眠っている資源は日本の領海・排他的経済水域だけではない。日本が世界に先駆けて海底掘削技術を開発すれば、他国の海底資源掘削事業を日本企業がほば独占できる。もう一つの効果は、零細農家に対する「生活保護」費の支給を停止すれば、安倍総理が目指す「強い農業」づくりが急速に進む。零細農家は農業を継続できなくなり、農地を手放さざるをえなくなる。土地への執着が強い農家は、農地を農業法人に長期貸し出し契約を結べばよい。農業法人に株式会社も含めるべきだ。商社などが喜んで大規模農業に参入を図るはずだ。そうなれば、やはり世界に冠たる農業技術を発展途上国に提供できるようになる。これはビジネスというより、将来、世界的規模で生じることが予測されている食糧難時代の到来を、日本の農業技術で克服することを最優先の目的にすべきだ。日本が世界の平和と安定に貢献できる最高の手段の一つになる。
またまた長文のブログになってしまった。最後までお付き合いいただいた読者に差し上げるべきお礼の言葉がないくらいだ。この一言で終えたい。
本当にありがとうございました。(このブログは実数2万字を超えました)
私はこうした政治状況に、異論を差し挟むつもりもないし、また自公が衆参で過半数を超えて憲法改正の発議を行える3分の2以上の勢力を獲得するだろうことについてもむしろ歓迎しているくらいだ。かつてブログで述べたように、国会には憲法改正の権限はなく、改正の発議をできる権利しかない。国会が発議した憲法改正案を肯定するのも否定するのも国民の手にゆだねられる。国民自身が国の在り方を決める機会が生まれることになる。日本社会が、欠陥だらけの民主主義を、世界に先駆けて健全な政治システムに成熟させていく絶好の機会が訪れることになる。多数決を絶対的な基準としている民主主義の最大の欠陥を、私たち日本人がどう小さくできるかが試される。
マスコミが行ったアンケートの結果によれば、国民の多くは依然として「景気対策」を最重要視しているようだ。安倍総理はすでに景気回復策として「アベノミクス」を発表している。参院選はアベノミクスに対して下す国民の審判でもある。
11日、日銀・黒田総裁は「景気は緩やかに回復しつつある」と、日銀の景気判断を上昇修正したことを発表した。日銀が景気判断で「回復」という言葉を用いたのは実に2年半ぶりのことだ。だが、好況感を肌で感じているのは一部の資産家にまだとどまっており、中流階層にまで広まらなければ、本当に景気が回復基調に乗ったとは言い難い。
これからが安倍総理の手腕が問われることになる。衆参ねじれ状態が続いていた間は、「参院で否決された」という逃げ道があった。自公が参院でも過半数を占めることになれば、政府は背路を失うことを意味する。失政は許されない。
アベノミクスは具体的には①金融緩和によるデフレ脱却、②公共工事など大規模な財政出動による景気刺激策、③経済成長戦略、の三つである。このうち私が最も重要視しているのは①と②である。あとで述べるが②についてはこれまでブログで二度批判しており、今回のブログでは要点だけ述べる。③はまだ全体像が見えていないので、現段階での評価と私の提案にとどめる。
まず金融政策は日銀の専権事項であり、日銀が最終的に判断することであっ
て、総理が個人的に日銀に対して要望することまで異論を挟むつもりはないが、あたかも政府が金融政策を左右しているかのごとき主張を繰り返すのはいかがなものか。
金融政策を考える場合、過去の失敗を二度と繰り返さないことだ。
まずバブル経済を生んだ金融政策。その最大の責任者は澄田智(すみださとる)総裁(1984年就任)だった。澄田氏が総裁に就任した時期は日米貿易摩擦と円高圧力に日本経済界が直面していた時期だった。いわばいきなり定員オーバーの大型観光船の船長を任されたようなものだった。定員オーバーになったのは政府の無能さと日本企業のモラルなき対米輸出拡大一辺倒の姿勢にあった。またそれをチェックして金融政策でカバーしなかった日銀も責任を免れ得なかったと私は考えている。
今更自慢めいたことを書いても仕方がないが、私は日本企業のモラルの低さについて手厳しく批判したことがある。光文社発行の月刊誌『宝石』(88年10月号、のち廃刊)に掲載した松下電器産業(現パナソニック)の谷井社長とのインタビュー記事である(9ページに及ぶ異例の大インタビュー記事)。このインタビュー記事を無修正で掲載した編集長は社内で責任問題になったほどの記事だ(女性週刊誌が主要な収益源になっていた光文社にとっては、松下は大クライアントであり、ご機嫌を損ねるような記事を掲載するのはタブー中のタブーだった)。問題になった個所の一部を転記する。
(地の文で)円高が急速に進行することによって内外価格差がクローズアップされた。この問題の火付け役になったのが松下電産で、同社の輸出用コードレス電話が逆輸入され、ディスカウントショップで国内向け製品価格の八分の一という超安値で販売されたことがきっかけとなり、「どうしてそんなに価格差が生じるのか」といった疑問が、マスコミや消費者の間で噴出したのである。
松下側は「国内の認定規格とアメリカの規格が違うし、日本で販売しているタイプは省電力型で、輸出製品は微弱型という全くスペックの違う商品を単純に比較することはできない」と反論している。が、スペックの差だけでこれだけの差がつくとは、私にはどうにも考えにくい。
――現在の為替は130円台前半で一応小康状態にありますが、率直のところ高いと思われますか、それとも安いと思われますか ?
谷井 輸出比率が高いメーカーとしては、安い方がいいというのは非常にイージーですけどね。まぁ、今の段階で安い高いというより、率直なところ、やっぱり妥当というか、いい線だというふうに思いますね。だけど、企業というのは将来も含めて考えていくといたしますならば、これですむとは考えちゃいけ
ないと。
――この一年間に3回ほどアメリカに行って肌で感じてきた実感なんです。衣食住のほとんどすべてアメリカのほうが安い。私に限らず、それが消費者の実感ではないでしょうか。
谷井 それはそうでしょうねぇ。
――ということは、円は実力以上に高くなりすぎているのではないか、という気がします。実際、エコノミストの多くは170~180円が妥当じゃないかと言っていますが、消費者の貨幣感覚というか、あるいは購買力平価を基本にした考え方からすると円はちょっと高すぎるのではないかという気がするんですが……。谷井 消費者の身近な物価から行きますと、確かに、たとえば肉はこうだとか、米はこうだとか、よく言われますけれども、むしろ日本の場合、そういう面で行くと、日本の土地、電気製品、カメラ、その他もろもろの値段が為替とリンクした評価になっていないんで、全体のバランスが取れていないという面もあるんじゃないでしょうか。
(地の文で)購買力平価は、1ドル=130円とした場合、アメリカで1ドルで買えるものは日本でも130円で買えることを意味しており、すべての国があらゆる財の生産・流通・消費を自由化したときに成り立つ関係である。ただ農畜産物のように購買力平価の考え方にそぐわない財もあり、為替レートが単に貿易関係だけでなく、各国通貨の需給関係、資本移動、政府の政策の影響を強く受けている現状では、購買力平価だけを基準にして為替レートを論じることはできない。
(※この文章は1085年に書いたものであり、貿易の自由化が急速に進みつつある今日では特殊に保護された分野を除き為替レートは購買力平価を反映した基準に限りなく近づきつつある。日本がTPPに正式に参加することになると、一定の猶予期間は与えられたとしても従来のような農畜産物に対する過保護政策は継続できなくなり、安倍総理はそうした将来を見越して「強い農業」の構
築を目指していることをご理解いただきたい。昨年末の総選挙の時の公約は「強い農業」政策の発表によって事実上反故にされた)
――もちろん、すべてが購買力平価に即してバランスが取れるということはありえません。ただ、本来、日本のほうが安いはずの工業製品、たとえばカメラとかビデオとかといったものまでアメリカで買った方が安い。こういうことが起きるのはおかしいじゃないかと……。
谷井 それは、円が強くなるから、一時的にそういう現象が起こるんでしょう。ある面からいくと、じゃ、もう少し円が弱くなればバランスがとれるんだという理屈が成り立つんですよね。しかし、また一方において、アメリカの流通と日本の流通とが逆に向こうから言われるように何かおかしいんじゃないかと。だから、むしろ日本のほうが高いんじゃないかという見方もありますから、商
品によって一律には言えませんね。
また日本とアメリカでは、消費者のニーズも異なり、国内製品には機能が付加されているので単純に比較できませんけど。しかし先日、日経新聞でしたか、日米の商品の価格というものを調べられて、いろいろ出てましたけど、私どもの電気製品ではほぼバランスがとれていると、こういう記事も出ていましたし。ま、電話機のような問題もありましたけど、あれなんか、まさにスペックも違うし、弁解じゃありませんけどね。(中略)
しかし、国内、海外という、いままでのようなセパレートした仕事の姿では考えられないようなことが出てきている。まさに価格もそうだと思うんですよ。決してどこの国に安く売った、どこの国に高くという、そんな意識的な意図は働かなくても、為替の変動で結果的にそうなった。だけど、それは確かに許されることではありませんから、そういうことも含めて、世の中、端的に言えば大きく変わってきていることだし、まさに好むと好まざるとにかかわらず、世界は国際化してきているわけですね。だから価格についても、どこで買っても同じ評価される、当然そういう時代になってきたと思いますね。
(地の文で)これまでマスコミは、輸出メーカーを一貫して“円高の被害者”として扱ってきた。もちろん、円高で輸出メーカーが大きな打撃を受けたことは事実だが、単純に被害者とだけ言い切ることが出来ない要素もある。むしろ、被害者であったはずの輸出メーカー、とくに自動車メーカーと電機メーカーの行動が、実は加害者として機能している点に今回の円高問題の複雑さがあるのではないか。
――円はこの3年近くの間にほぼ倍になりました。本来ならアメリカでの日本製品の販売価格は倍になっていなければおかしいのですが、自動車が20~25%アップ、電気製品に至っては10~15%しか値上がりしていません。
どうして10%や20%の値上げに抑えることが出来たのかと聞くと、メーカー
は合理化努力の成果だと主張する。もしそうなら、日本での生産コストは半分近くに下がっていることになる(※日本企業がまだ海外に生産拠点を移すようになる前のインタビューですよ)。だったら、どうして日本の消費者はその恩恵を受けることができないのか、という点です。アメリカ人だけが、日本メーカーの合理化努力の恩恵を受けて、日本人は受けていないわけです。
また、アメリカにほとんど競争相手がいないカメラのような製品でも、円が倍になったからといって輸出価格も倍にするとアメリカ人の購買限度額を超えるバカ高い値段になってしまう。30%か35%の値上げが限界のようですね。
谷井 そうでしょうね。
――まして国内の消費者にシワ寄せできない零細輸出業者はアップアップしていますよ。
さらに今回の新貿易法案の狙いもそうですが、60年秋のG5で各国首脳がドル安基調に合意した目的は、疲弊しつつあるアメリカ産業界の競争力の回復にあったはずです。議論としては「アメリカが勝手にこけたんじゃないか」という言い分も成り立ちます。もうアメリカと仲良くしなくても、中国やソ連を相手にやっていけば日本の将来は万々歳だと思うなら、堂々と“正論”を主張して、アメリカ経済が壊滅するのをニヤニヤ笑って眺めていればいい。しかし、それでは日本経済は成り立たないわけです。
谷井 成り立ちませんね。ただ一つの歴史的背景の中で、幸いにして自動車にしてもエレクトロニクスにしても、少なくとも昭和50年代の前半までは非常にお客様に恵まれ、市場に恵まれて、高度成長してきましたね。しかしG5というものを契機として、それにブレーキがかかり、まさに大きな転機を迎えたという認識を各メーカーは持っていると思うんです。自動車にしろ、われわれ電機メーカーにしてもね。
――それにしても、アメリカの主張が自分勝手であるとないとを問わず、ここまで弱ってきたアメリカ経済の回復に日本の企業も手を貸してやる必要があるのではないか。具体的には、円が高くなった分、アメリカでの販売価格をアップして、アメリカ製品の競争力を回復させてやることです。どのみち、アメリカだって日本製品を一切輸入せずにやっていけるわけがないんですから。
それなのに“合理化努力”によって円高効果を灰にしてしまったのが日本メーカー。しかも、日本国内では値下げしていないんですから、アメリカ側がダンピング輸出だと怒るのは当たり前です。とくに自動車業界と家電業界。自動車ならトヨタとか日産、電気なら松下とか日立といった大メーカーの経営者はその点を自覚すべきだと思うんですが。
谷井 いまおっしゃったなかで、もちろん同感なところもあります。ただ、国によって価格差があるという点ですが、一時的には確かにあります。しかし、これは異常な為替の結果だと思うんですよ。日本で作っている製品が、船で運んで行った国で安く、むしろ日本では高いじゃないかと、恩恵を受けてないじゃないかと。一部、現象的にはそういうことは否定しませんけどね。急速な為替のしからしめた結果というのは、非常に大きいと思うんですね。もちろん、そのままで許されるわけじゃありませんよ。
※谷井社長に対する追及はまだまだ続くのだが、G5を契機にした急速な円高の中での日本を代表するメーカーの国内消費者に対する姿勢は十分に明らかにできたと思う。はっきり言えば日本の輸出産業界は、国内の消費者を犠牲にしてダンピング輸出を続け、G5合意(プラザ合意)を台無しにしたことだけは明らかにした。松下電器産業のトップを相手にここまで追求したジャーナリストは、悲しいかな日本には私以外に一人もいなかった。なお余談だが、このインタビュー記事を無修正で掲載してくれた編集長は左遷されたし、『宝石』からは二度と原稿依頼はなかった。
為替という問題を考えるとき、大切なのは各国通貨は、様々な商品やサービ
スと等価値交換ができ、かつ政府が保証する唯一の特種な商品だということを理解していただく必要がある。商品だから、売ったり買ったりすることができ、そういう売買によっていわゆる為替相場が形成されるということをご理解いただかないと、これから述べる話は読者にとってチンプンカンプンになる。
日銀の金融政策がおかしくなりだしたのは1984年に総裁に就任した澄田氏からである。澄田総裁の超金融緩和政策によってバブル景気が爆発したからだ。が、その話をする前に、どうして日本がバブル経済に突入したのか、そしてバブル崩壊後に訪れた未曾有のデフレ不況(「失われた20年」と言われている)を日銀は金融政策でなぜ克服できなかったのかを検証しておきたい。
戦後、世界経済は長く固定相場制を維持してきた。それは米政府が基軸通貨の米ドルを固定比率で金との交換を保証してきたからである。当然のことだが、世界経済の発展によって基軸通貨の米ドルの流通量も増大する。つまり米ドルが世界中に溢れ、時代の要請によって米政府は金との交換保証を続けるためには金の保有量も米ドルの増発に比例して増やす必要がある。世界経済が成長を続ける限り米ドルの増発→金の保有量増加のサイクルはとどまることがない。こうしたサイクルが限界に達したと判断した米政府(ニクソン大統領時代)は1971年、突如米ドルと金の固定比率での交換を停止すると発表した。それによって生じた世界経済の大混乱を「ニクソン・ショック」という。
さらに2年後、アメリカはこれも突如固定相場制の廃止を発表した。その結果、各国の通貨は政府が保証する唯一の等価交換機能を持つと同時に、通貨間での売買が行われる特殊な商品にもなったというわけだ。そうした二つの顔を持つ通貨の発行量を決めるのは政府ではなく、裁判所と同様、政府から完全に独立し、政府からの干渉を受けない中央銀行なのである。日本の場合、その中央銀行が日銀なのだ。従って金融緩和政策をとるか否かを決めるのは総裁を中心とする日銀の幹部(株式会社ではボード)なのである。つまり政府が「大胆な金融緩和政策によってデフレを克服する」という行為は不可能なのだ。裁判所に代わって政府が判決を下すようなことを意味するからだ。
さて日本はなぜバブル経済に突入していったのか。
澄田氏が日銀総裁に就任した翌年の85年9月、歴史的なG5が米ニューヨークの名門・プラザホテルで開かれた。G5は米・日。西独・英・仏の先進5か国の財務担当大臣・中央銀行総裁が一堂に会して財政政策について協議するのが目的で開かれるようになった国際会議である(現在はイタリア、カナダ、ロシアが加わりG8になっている)。為替が自由化されるようになった結果、各国通貨が商品になったことはすでに述べた。
通貨が商品になった結果生じたことは、投機筋による売買が避けられなくなったことである。その結果、極端な(当時としてはそう考えられていた)円安ドル高現象が生じ、米産業界が急速に競争力を失ったのである。そこで先進各国の財務担当大臣・中央銀行総裁が一堂に会し、金融政策(具体的には円買いドル売りの協調為替介入)によって米産業界の競争力の回復を協議することがG5の目的だった。その方針自体はすでにアメリカによる根回しがされていて、会議そのものは20分で終了した。つまりアメリカの根回しによって合意されていたことを確認するための儀式に過ぎなかったのだが、為替相場を投機筋が事実上支配している市場を実体経済を反映したものにしようという協調スタンスをとることを初めて決めた国際会議ゆえに歴史的会議と位置付けられ、「プラザ合意」と呼ばれるようになった。
読者に対しては誠に申し訳なかったが、実は松下の谷井社長に対する追及はこのプラザ合意を台無しにした日本企業の「自分さえよければ、他人がどんな迷惑を被ろうと知ったこっちゃない」というモラルの低さをさらけ出すことが目的だった。谷井社長とのインタビュー記事を転記する前にこのことを書いた方が、インタビューの中身をより深くご理解いただけたであろうことを百も承知で後回しにした理由は、このあと書く、なぜ日本がバブル経済に突入したのか、またその後なぜ「失われた20年」を余儀なくされたのかをご理解いただくためには、為替についての基礎知識を後回しにせざるを得なかった。本当に「ごめんなさい」と頭を下げるしかないのだが、谷井社長に対するインタビューはこのプラザ合意を台無しにした大企業のモラルを問うことが目的だったのである。
ついでに書いておくが、大企業の広報のスタンスは必ずしも一様ではない。広報自身が判断するケースもあるし、責任回避のため判断を上に回すか、また取材そのものをハナから拒否する広報もある。大新聞の大企業トップへのインタビュー記事がすべてヨイショになってしまうのは、基本的には大新聞社の経済記者のモラル低下(というよりモラルゼロ)による。
もちろん広報としては無制限に取材を受けるわけにはいかず、一応取材目的について聞いてくる。それはいいのだが、「取材趣意書を文書にして出してくれ」などという要求をする広報もある。そういう場合は、「取材した結果によって書く内容が変わることもありうるので、現段階で趣意書を書くことは不可能だ。そこまで要求するなら広報を通さずに独自に取材をするが、それでもいいか」と答えることにしている。しぶしぶ取材を認める広報もあるが、取材を拒否する広報もある。もっとも卑劣だったのは日本IBMだった。取材を申し入れたところ、広報部長のS氏が会いたいというので会った。S氏はいきなり「小林さんは当社にかなり厳しいことを書いていますね。当社へのロイヤリティを示していただかないと取材には応じられない」と言ってきた。こんなバカな要求をする広報マンには初めて会った。「確かに批判もしたが、過去のソフト資産を世界で初めて継承するコンピュータ(IBM360)をかいはつしてこんぴゅーたぎょうかいのおうざをふどうにしたについては高く評価したことも書いている。私は一切の偏見を持たずに評価することは評価し、批判すべきことは批判しているだけだ。どう書くかは取材してみないと分からない」と応じ、結局取材を拒否された。私は広報を通さずに独自取材を始めたが、IBMのガードは極めて高く、途中で独自取材を断念した。私も現在のように道楽でブログを書いていたわけではなく、取材にかける費用のもとが取れないような仕事はできない。残念だったが、あきらめた。
私は、「そこまでやるのはやりすぎだ」と批判され、途中からやめたが、企業について書いた単行本を上梓した後、広報の責任者と担当者をごちそうすることにしていた。それが仕事とはいえ、彼らの協力がなければいい取材ができなかったため、お礼の意味でごちそうさせていただいてきたのだが、さすがに広報側もごちそうになりっぱなしというわけにもいかず、「じゃ二次会は私どもで」とお誘いを受ける。それをお断りするのはいくらなんでも大人気ないので二次会はごちそうになるが、たまたま銀座のクラブでその企業のライバル企業の広報責任者たち数人がどなたかを接待していた場に出くわしてしまった。ライバル企業の広報責任者たちが知らんぷりをしてくれていたら私もわからなかったのだが、私たちの席に挨拶に来られた。挨拶されて、知らんぷりもできないので私も挨拶を返したが、先方の挨拶の仕方が気になったと見え、一人席に残っていた方が広報責任者に尋ねたらしく、突然私たちの席に来て「ご著書はいつも読ませていただいています。大変参考になります」と名刺を差し出された。その名詞に記載された肩書は「朝日新聞経済部」とあった。まだ30代前半の若造記者である。朝日新聞が大企業の広報を接待するわけがなく、その記者は担当する大企業の責任者たちから接待を受けることを自分のステータスだと思っていたようだ。そんな記者たちが書く企業記事がヨイショになるのは当たり前といえば当たり前の話だ。念のため、大企業が社会的問題を起こした時に取材に乗り出すのは経済部ではなく社会部である。そうした事実が新聞社の姿勢を何よりも雄弁に物語っている。はっきり言えば、経済部の記者の仕事は、企業にプラスになる記事を書いて新聞社の営業活動の一翼を担うことにある。そのことを私の前で正面から否定できる新聞社は、ない。
ちょっと話が横道にそれすぎた。本筋に戻す。
プラザ合意の最重要点は各国が円買い介入することだった。なぜ円が狙い撃ちされたかというと、当時のアメリカの貿易赤字(財政赤字と並んで「双子の赤字」と呼ばれていた)の最大の原因が対日貿易収支の大幅赤字にあったからである。そのため日銀も円を売ってドルを買うという協調姿勢を明確にした。それだけでなく、公定歩合を5%に据え置き、かつ無担保コールレートを6%弱から8%台に一気に引き上げるという極端な金融引き締め策に出た。円は当然だが急激に上昇し、一部のエコノミストが「円高不況になる」と警鐘を鳴らしたが、澄田総裁はそうした声に一切耳を貸さなかった。なぜか。理由は定かではないが、澄田氏は日銀プロパーではなく、大蔵省の出身で(事務次官で退官)、プラザ合意に出席した日本代表は蔵相の竹下登だった。政府による日銀コント
ロールへの道は澄田総裁が開いたのではないか、と私は思っている。
いずれにせよ、日銀の金融引き締め政策の結果、一部のエコノミストが予測した通り、日本は円高不況に入っていく。何しろプラザ合意時点の為替レートは1ドル=235円だったのが、1年後には150円台まで急上昇したのだから、企業努力でどうにかなるといった問題ではなかった。トヨタや松下をはじめ日本を代表する大企業が「合理化努力」を口実に輸出価格アップをせいぜい10~20%程度に抑えながら、国内消費者に対しては価格を据え置いて収益の確保を図ったのは紛れもない事実である。もっとはっきり言えば、日本の大企業は国内の消費者を犠牲にして自社の利益確保に走ったのである。もちろん日銀金融政策の失敗の付けを消費者に回さざるを得なかったという同情すべき事情もあるのだが……。
こうして円高不況に突入した日本経済の状況を前に、翌86年には一転して公定歩合を引き下げて金融緩和策に転じた。公定歩合を引き下げだけでなく、国債を政府の言いなりになって買いまくり、国内に過剰な資金がばらまかれることになった。ところが銀行にとって最も安心できる融資先である大企業は国内での設備投資を控える一方、円高の影響を回避するため生産拠点を海外に移転し始めた。そのための資金も担保や経営者の個人補償を要求する銀行に頭を下げて借りるという従来型の間接資金調達(預金者の金を銀行を経由して借りるため「間接」という言い方をする)から、企業の信用力を背景に増資や社債発行による証券市場からの直接資金調達に方向転換していた。
困ったのはだぶついた資金の運用先を失った銀行だった。銀行が資産家に対して土地を担保に無期限のカード融資を始めたのだ。その先陣を切ったのが大蔵事務次官の頭取指定先である横浜銀行だった。横浜銀行の支店長が真っ先に勧誘に訪れたのが私の自宅だった。はっきりと覚えているわけではないが、担保の掛け目は8割(普通は7割のはず)で、金利も住宅ローン金利プラス0.5%程度の低利だったと思う。
「分かっちゃいるけどやめられない」ではないが、私自身も目がくらんだ。仕事の関係上、ゴルフ場の建設ラッシュで、これからゴルフ場を作るというジャパニーズ・ドリームを実現したアントレプレナー(起業家)たちと知り合いだったこともあり、彼らから最優遇の特別縁故会員にならないかという誘いを受け、飛びついてしまった。いまだから言えることかもしれないが、当時はゴルフ会員権は土地や株と同様、右肩上がりがまだまだ続くとみんなが信じていた。ゴルフ場は平日でもコンペでいっぱいで、ゴルフ場はまだまだ不足していると、みんなが思い込んでいた。銀行でさえ、ゴルフの会員権購入資金に関しては100%融資するという信じがたい営業活動を行っていたくらいだった。ただし、100%融資の対象は特別縁故、縁故募集の会員権購入資金までだったが……。なお私は目がくらんだことは自省しているが、私に特別縁故のゴルフ会員権を譲渡してくれた方たちのことを活字にしたことは一切ない。リクルート株を譲渡された人たちとは違う。
こんなケースもあった。私の友人からの誘いで仙台に行ったことがある。10人ほどのツアーだったと思う。ツアーの主催者は旅行会社にあらず、某大銀行(現メガバンクの母体の一つ)の支店長だった。行きも帰りもグリーン車、宿泊は超一流ホテル、ゴルフ付き、しかもツアー料金は無料。条件はたった一つ。その銀行が融資したデベロッパーが開発中の分譲地を視察すること。もちろん買う・買わないは自由ということだったので私はゴルフ目的で参加した。支店長は「この周辺の土地は1年で倍になっています。もしお買いになるなら当行が100%融資しますよ」と勧誘した。一流銀行の支店長がデベロッパーの「営業マン」になっていた時代だった。その物件は私は買わなかったが、何人かはその「うまい話」に飛びついて買ったようだ。後日談は聞いていない。
バブル経済を演出したのは、まぎれもなく日銀の澄田総裁だったし、その日銀政策に乗って銀行の支店長が先頭になってバブル商品の購入者に無責任極まりない融資を行ったという事実は永遠に消すことができない。私は幸い借金までしてゴルフ場の会員権を買うことはしなかったので、バブルがはじけた瞬間、いくつものゴルフ場会員権がただの紙切れになっただけで済んだが、銀行マンから勧められて借金までしてバブル商品を買った人たちは一体どうなったのだろうか。それほど親しく付き合っていたわけではないが、私の友人の一人は自殺した。澄田総裁は天授を全うしたし、責任をとって自殺した銀行マンの話は聞いたことがない。澄田総裁は天授を全うしただけでなく、勲一等旭日大綬章をもらい、没後には従三位になった。日本経済をめちゃくちゃにしたことが、それほど高く評価されることなのか。
ちなみに『大蔵省権力人脈』(栗林良光)によれば、総裁後半期の低金利政策のミスは、何らかの持病の影響によった可能性があるらしい。
澄田総裁は任期を全うして退任したが、後継者の日銀プロパーの三重野康総裁は、当然のことだがバブル退治に乗り出した。バブル退治に乗り出した三重野総裁を、この人以上に頭の悪い評論家はいないと私は思っている自称経済評論家の佐高信氏は三重野総裁を「平成の鬼平」と持ち上げたが、「失われた20年」をつくった張本人が、まさに三重野総裁だったのだが。
とまれ。佐高氏が三重野氏を「平成の鬼平」とまで激賞した誤りについて自己批判したという話は残念ながら聞いたことがない。ちなみに中山素平氏をモデルに戦後の日本経済の復興にあずかった日興を描いた『小説 日本興業銀行』の著者で、経済小説の第一人者の高杉良氏は、バブル期に起こした日興の不祥事について朝日新聞記者から感想を聞かれたとき「不明の至り」と、自らを責めた。中山氏の時代の日興を描いただけで、その後のバブル期に日興が起こした不祥事について自らを責める必要は全くないと思うのだが、高杉氏は硬骨の経済小説家として名を馳せただけに自らの不明と、一切抗弁しなかった。
実は三重野氏は澄田総裁のもとで副総裁の地位につき、澄田総裁の低金利政策の実行部隊の事実上の最高責任者だった。つまりバブル経済演出の片棒を担いだのが三重野氏だったのだ。その事実さえ知らずに、三重野氏を「平成の鬼平」と持ち上げた佐高氏の感覚が私には全く理解できない。だが、佐高氏同様頭の悪いマスコミ連中が、「平成の鬼平」というキャッチフレーズを作った佐高氏を高く評価したようだ。
正直なところ、私も佐高氏の「才能」の一面はそれなりに評価している。「平成の鬼平」もそうだが、小説家の安土敏氏が考案した「社畜」という名文句を広めたのも佐高氏で、コピーライターとしての能力はかなりあるのではないかと思っている。ただ従業員用の「社宅」を「家畜小屋」と名付けたのは失敗作で、どうせ安土氏考案の言葉をあたかも自作であるかのように振りまくくらいなら、いっそのこと「社畜小屋」と命名したほうがよかったのではないかと思う。また内橋克人氏や本田勝一氏らに巧みに取り入ってマスコミ界にそれなりの地位を築いた営業感覚の鋭さは、私ごときが到底太刀打ちできるものではない。つねづね佐高氏の爪の垢でも煎じて飲みたいと思っているくらいだ。
それはともかく、バブル経済に関しては澄田総裁と同罪の三重野氏は、総裁就任後それまでの金融政策を急転換、一気に金融引き締めに転じた。確かにバブル景気を収束させる必要は誰もが認めるところであった。特に地価の急上昇は、すでに土地(特に住宅地や商業用地)の所有者にとっては資産価値の増大を意味したが、一般庶民にとっては持ち家を買うことは夢のまた夢になってしまった。が、日本経済の足腰を折りかねないような急激な金融引き締めは当然大きな副作用をもたらした。三重野氏は澄田副総裁のもとでプラザ合意による円高ドル安に日銀として協力すべく、いったん金融引き締め政策を実行したが、一部のエコノミストが予測したように日本経済を「円高不況」が襲った。あわてて澄田氏と三重野氏は金融政策を大転換、公定歩合の大幅引き下げによる金融緩和策に転じたのだ。
日本経済は一気に息を吹き返したが、日銀は金融緩和を継続した。そのため行き過ぎた景気の急上昇が生じたのは当然予測されたはずなのに、澄田氏も三重野氏も無能な金融マンだった。バブル景気は「砂の上の楼閣」に過ぎないことに気づかず、日本経済の足腰の強さと信じてしまったのだろうか。だとしたら、お前らアホか、と言うしかない。
ここで日銀が行う金融政策について簡単に説明しておこう。日銀の使命は言うまでもなく日本経済が健全な成長(※あくまで健全な成長だ)を継続できるよう通貨の価値(円だけでなくドルやユーロも含まれる)をコントロールするための様々な政策を実行することにある。具体的には公定歩合の決定によって金融引き締めや金融緩和を行うことが第一。ちなみに公定歩合は日銀が銀行に貸し出す際に適用される基準金利のこと。この基準金利を元に銀行は企業への融資や住宅ローンの利率を決めることに一応なっている。「一応」と書いたのは最近、住宅ローンなど長期融資の金利が別の要因で上昇しているからだ。現在の別の要因とは、すでに述べたように通貨が投機対象の商品として機能し、円安基調が定着した結果、公定歩合は利上げしていないのに長期金利が上昇しているからである。次に適正と日銀が勝手に考えた為替相場を保つため、市場で円を買ったり(ドルを売ることと同義)、売ったり(ドルを買うことと同義)して通貨価値をコントロールすること。投機筋は売買差益を得るため通貨の売買を行うが、日銀は儲けるために通貨の売買を行うわけではない。あくまで投機筋に対抗して通貨価値を適正な範囲(※何度も言うが、「適正な範囲」とは日銀が勝手に考えた範囲のこと)に維持するために行う行為である。日銀の三番目の役割は国債(日本国債だけでなく他国の国債も対象になる)を直接あるいは市場から購入したり売却したりして国債の価値を適正水準に支えること。現在の円安は、日銀の円売り介入によるものではなく、日銀が無期限・無制限に日本国債を買うことを発表したことと、アメリカ経済が回復基調に入り失業率も改善したため、投機筋が安心してドル買い円売りに転じたためである。大きく大別すると日銀の金融政策は以上の三つである。
そうした金融政策を巧みに組み合わせてバブル化した日本経済を健全な成長持続状態に戻すため、過熱したバブル景気を軟着陸させるのが三重野総裁の使命だった。が、三重野総裁が行ったのは、そうした軟着陸を図ることではなく、公定歩合の大幅アップという劇薬を投じて一気にバブルを崩壊させてしまう方法だった。その結果、バブルは確かに退治できたが、同時に日本経済の足腰まで折ってしまうという、歴代日銀総裁の中で澄田氏と双璧をなす最低の総裁だった。
改めて言う。日本経済をバブル化した澄田氏(三重野氏も一緒)、バブル退治はしたが「失われた20年」の張本人である三重野氏。この二人の名は日銀史に燦然と輝くことだろう。ただし反面教師としてだが。
アベノミクスの第一の矢である金融緩和政策に戻る。考えてみれば、日銀とは妙な組織だ。日本経済に大きな影響を与える金融政策を、一応政府から独立した公的機関でありながら、政府出資金(資本金1億円のうち55%を政府が出資)だけでなく、残り45%の出資者の中には民間もある。株式会社でもないのに出資者が保有する「出資証券」はジャスダックに上場され株式と同様売買されている。証券コード(8301)も付与されている。が、企業と異なり出資者が株主総会のような場で経営方針について意見を言う機会は与えられていない。が、株式会社と同様利益を上げることも許され、出資者に対して配当もできる。
さらに政府から独立した財務省管轄の認可法人だが、総裁・副総裁・審議委員6人(任期はいずれも6年)は、衆参両院の同意を得て内閣が任命する。が、独立性の保証として政府に罷免権はない。位置づけは日本の中央銀行で日銀法によれば、日銀の役割は「物価の安定」と「金融システムの安定」となっている(※具体的に日銀が行う金融政策は先に述べた三つ。ほかには日本通貨の発行権がある)。
日銀の最高意思決定機関は常設の「政策委員会」であり、これには内閣が任命した3役のほか理事6人、参与3人が加わる。この政策委員会で決定されたことだけが日銀の金融政策として実行に移される。私のひねくれた性格のせいかもしれないが、「政策」という言葉に違和感を感じた。で、ウィキペディアで「政策」の意味を調べてみた。ウィキペディアではこう定義していた。
「政策とは、公共体が主体となって行う体系的な諸策のこと。現代社会においては、政府や政党などの施政上の方針や方策を指すこともある。なお、その策を実施することを施策(しさく)という」とある。私の頭はますますこんがらがってきた。では「公共体」とはどういう組織・機関を指すのか。やはりウィキペディアで調べてみた。が、意味がさっぱり分からない。引用するだけ無駄なのでやめる。だが常識的に考えれば、選挙の時に政党や立候補者が訴える政治方針で、国民や県民・市町村民などに幅広く選択の自由がある。そして選挙で選ばれた議員で構成される議会で可決され実行に移される施策を意味すると考えるのが自然だと思う。それなのに、国民や出資者が物申す機会もなければ、企業の役員に相当する政策委員を選ぶ権利も罷免する権利もない。最高裁判所の判事(裁判官)は総選挙の際、国民の審判を受けなければならないが、そうした国民に対する義務もない。そういう機関が金融関係に限られているが「政策」決定権限を持つ。なぜなんだろう。そういうことに疑問を持つ私がおかしいのか、疑問を持たない人たち(特にジャーナリストや経済評論家、エコノミストなど)のほうがおかしいのか、皆さん考えてみてください。
いずれにせよ、日銀が政府から独立した機関であることは日銀法に明記されている。それなのに、幹部はなぜ国会で承認され、内閣から任命されなければならないのか。現に安倍総理はデフレ脱却のために日銀人事で黒田東彦(はるひこ)氏を選び、参院で野党が多数を占めていたため、すったもんだはしたが、最終的には安倍総理のめがねにかなった黒田総裁が実現した。そうした人事で本当に日銀の独立性が保てるのか、疑問に思うのは私だけではあるまい。
黒田総裁の金融政策に対する評価をするにはまだ早すぎるが、一応無難な滑り出しをしているようだ。デフレ脱却のめどを物価上昇率2%と明確にしたのはいい。「(そのために)やれることは何でもやる姿勢を示さなければ、物価安定という最大の使命を達成できない」と、断固とした姿勢を表明したことにも好感が持てる。
ただプロがしばしばミスをするのは、振り子の原理を熟知していないことに原因があると考えられる。振り子はご承知のように、物理現象の一つである。地球上での振り子の幅は一定の範囲内で左右に振れながら、空気抵抗と振り子の重力によって次第に振れ幅が縮小し、最後には最下点で止まる。子供が遊ぶブランコも振り子の原理で揺れるのだが、第三者(父母や兄弟、友人など)が、ブランコに乗っている子供の背中を強く押すと揺れ方が大きくなりすぎて事故を起こすことがしばしばある。澄田総裁がいったん金融引き締め政策によって円高不況を招いたことまでは仕方がない。プラザ合意で円高ドル安に為替相場を誘導するためには、金融を引き締める必要があった。当時日本は世界第2位の(それもダントツの2位)経済大国であり、多少の犠牲を払っても世界経済安定のための金融政策をとらざるを得なかったのはやむを得ないことだったと思っている。だが、為替相場の動向を注意深く見守っていれば、どの時点で金融政策を再転換すべきか、また再転換の範囲はどこまでかを冷静に判断できなければ、日銀総裁としての資格に欠けると言わざるを得ない。
特に当時すでに為替相場を左右しているのは実体経済ではなく、投機マネーが90%を占めていることは明らかになっていた。投機筋は、先進国、とくに米日独の金融政策をにらみながらマネーの投機先と投機規模を操作していた。ということは、どういう金融政策を発動すれば投機マネーがどう反応するか、ということを最優先で考慮しなければならないのが総裁の責務なのだ。それを怠ってきたがゆえに、日銀の金融政策がしばしば後手後手に回り、その結果、円高傾向がはっきりするまで手をこまねき、はっきりした時は、たとえばガンでいえば末期症状状態になってしまっていて、やむを得ず重大な副作用を伴う劇薬的金融政策の発動を余儀なくされ、その結果がバブル景気を招き、行き着くところまで放置しておいて再び重大な副作用を伴う劇薬的金融政策を発動し、「失われた20年」を招来したのである。三重野総裁のあとを引き継いだ白川総裁は、さすがに二人の大先輩の政策ミスの原因が分かっていたようで、その代わり怖くて大胆な金融政策を打ち出さなくなった。ある意味では日銀歴代総裁の中で最も影の薄い総裁だったのではないか。
そうしたことを黒田総裁には十二分に認識したうえで、投機マネーの動向を視野に入れながら硬軟取り混ぜた柔軟な金融政策を発動していただきたい。一方、安倍総理は政策として「大胆な金融緩和によってデフレを脱却する」などと、日銀の独立性を否定するがごとき公約は撤回していただきたい。デフレ脱却のために日銀には日銀が果たすべき責務があり、その責務を全うできる人と考えて選んだ日銀トップの人事だ。そうであればデフレ脱却のための金融政策は日銀にげたを預け、政府は政府がなすべきことをする――それが国民の負託に応える総理の責務ではないか。総理たるもの、そのくらいの自覚は持っていただきたい。国民が今、安倍内閣に寄せている信頼度の高さは、安倍内閣ならそうした負託に応えてくれるだろうという期待感の表れである。
次に第2の矢「公共事業投資による景気刺激策」である。公共事業投資の有効性については、これまで2回ブログに書いた。
① 総選挙で大勝した自民党が作らなければならない国の形(昨年12月17日
投稿)
② 再び断言する――公共事業で景気は回復しない。ケインズ循環論は今の日
本には通用しない(3月8日投稿)
これまで主張してきたことの要点だけ書いておこう。ケインズ循環経済論は、不況の原因は失業率の高さにあり、公共事業によって雇用を増やせば内需が拡大して景気が回復に向かう。そうなれば企業は生産活動を拡大し、さらに失業者が減少し、内需がさらに拡大する。このサイクルによって不況は克服できる。極めて単純化した表現だが、1929年にはこのケインズ理論が正しかったことが証明された。アメリカがニューディール政策によって世界恐慌を克服したからである。
しかし、今日の日本ではケインズ循環経済論は通用しない(日本だけでなく先進国すべてに)。まず公共事業を行っても失業率は改善しない。その理由は二つある。一つは公共事業の担い手が人的労働力から機械化作業に転換していることだ。確かに機械を動かすには人的労働力も多少必要だが、公共事業投資額に占める人件費比率は1930年ごろとは比較にならない。また1930年ごろの労働力の大半はブルーカラー(肉体労働者のこと。高学歴の知的労働力の担い手はホワイトカラーという)だった。
しかし今日日本の進学率は極めて高くなり(有能な知的人材が増えたことを意味するわけではない)、肉体労働に従事する労働者の大半は南米などからの出稼ぎ労働者である。公共事業投資に財政出動して外国人労働者に就業機会を与えて、どういう景気回復の効果があるというのか。詳しくは先に書いたブログを読み返してほしい。
最後に第3の矢「成長戦略」である。当初は具体性が見えなかったので評価のしようがなかったが、少しずつ見えてきた。これは非常にいい経済政策である。たとえば生命科学分野への支援である。これは山中伸弥氏のノーベル賞受賞が契機になったという偶然性もあるが、世界で発展途上にとどまっていた医療分野での研究開発が飛躍的に発達する可能性が出てきた。その理由は4月8日投稿のブログ「アメリカは勝手すぎないか。日本はTPP交渉参加を新しい国造りのチャンスにせよ」で詳しく書いたが、要点だけ述べておこう。
まず、技術は需要のないところでは進化しないという技術開発の原理原則を理解していただく必要がある。医療の分野でいえば、日本はこれまで(厳密には現在もだが)国民皆保険制度を金科玉条のごとく維持してきた。国民皆保険制度を維持するためには高度医療は保険の対象にできない。保険適用外の高度医療を受ける場合、その医療に関するすべてが保険の対象から外される。これが「国民皆保険制度」と言われる中身なのである。そのため、最初から保険対象外になるような高度医療機器・薬品などの研究開発には企業が手を出しにくい環境があった。需要のない分野では技術進歩は望めない、というのはそういう事情による。
そのため山中氏が開発に成功したiPS細胞の実用化研究は、肝心の生みの親である日本が先進国の中で後れを取るというみっともない姿をさらしつつあった。そこに風穴を開けたのが安倍総理だった。保険外の高度医療を受ける際、保険が適用される医療に対しては保険で行うという制度(混合医療制度という)にしようというのである。日本医師会は混合医療に反対し続けたが、安倍総理は自民党の票田である医師会の反対を押し切って混合医療制度の導入に踏み切ろうとしている。その結果、高度医療の市場が日本に生まれれば、「需要のあるところでは技術が進歩する」という原理原則が働き、医療関連技術が飛躍的に進むことが期待されている。
またこれは公共事業にはなるがリニア新幹線の東京→名古屋→大阪間の開通
を急ぐべきだ。「先に述べたことと矛盾するではないか」と言われるかもしれないが、これは失業対策や景気刺激策としてではなく、日本が世界に誇るリニア技術を実用化することによって、世界中に日本の技術を売る絶好のチャンスになる。
アメリカはシェールガスの掘削技術を開発し、国内のエネルギー問題を解決しただけでなく、産出したシェールガスを日本などに売るだけでなく、その後発見された世界各地に埋蔵されているシェールガスの掘削事業を、アメリカ企業が独占しかねない状況になっている。本来土木建設工事の技術は日本が世界の最高峰にあったはずだ。ご承知のように日本の国土に占める平地は20%を切っている。しかも火山国であり、島国でもある日本列島は複雑な海底プレートに囲まれており、地震の脅威につねにさらされている。そうした中で培ってきた日本の土木建設技術は世界一といっても過言ではない。アメリカにシェールガスの掘削方法を先行開発されてしまったことは、私には無念でならない。日本にもシェールガスが埋蔵されていたら、間違いなく掘削方法は日本が世界に先駆けて開発していたと思う。「需要のないところに技術の進歩はない」ということが、このことでも証明された。
日本の国土面積は約37.8km2で世界60位に過ぎないが、日本政府が領有権を主張している領海・排他的経済水域(EEZ)は約447km2となっており、世界6位の広さである。その領海排他的経済水域に豊富なエネルギー資源やエレクトロニクス製品や自動車などの生産に欠かせない高価な希土類などが大量に埋蔵されていることが分かっている。しかしそれらの資源は深海に眠っており、現在の海底掘削技術ではコスト的に採算が取れないという。コスト的に採算が取れないなら、国が支援してでも深海の掘削技術を世界に先駆けて開発しなければならない。そんな資金は零細農家に支給している、事実上の「生活保護」を停止すれば、すぐ捻出できる(詳しくは3月25日投稿のブログ『日本政府はいつまでコメ農業に事実上の「生活保護」政策を続けるのか』を参照してください)。
これは二重の効果をもたらす。深海に眠っている資源は日本の領海・排他的経済水域だけではない。日本が世界に先駆けて海底掘削技術を開発すれば、他国の海底資源掘削事業を日本企業がほば独占できる。もう一つの効果は、零細農家に対する「生活保護」費の支給を停止すれば、安倍総理が目指す「強い農業」づくりが急速に進む。零細農家は農業を継続できなくなり、農地を手放さざるをえなくなる。土地への執着が強い農家は、農地を農業法人に長期貸し出し契約を結べばよい。農業法人に株式会社も含めるべきだ。商社などが喜んで大規模農業に参入を図るはずだ。そうなれば、やはり世界に冠たる農業技術を発展途上国に提供できるようになる。これはビジネスというより、将来、世界的規模で生じることが予測されている食糧難時代の到来を、日本の農業技術で克服することを最優先の目的にすべきだ。日本が世界の平和と安定に貢献できる最高の手段の一つになる。
またまた長文のブログになってしまった。最後までお付き合いいただいた読者に差し上げるべきお礼の言葉がないくらいだ。この一言で終えたい。
本当にありがとうございました。(このブログは実数2万字を超えました)