今日、理研がSTAP研究についての最終報告書を出すようだ。そのことを知ったのは今朝7時のNHKニュースによってである。だからこの文は今朝7時過ぎに書いている。以下はすでに23,24の両日に書いたものだ。一切手を加えずに投稿することにした。
STAP騒動をどうして防げなかったのか。
私は官僚社会特有の責任たらいまわしの体質にあると考えている。
小保方晴子がようやく記者会見に姿を現し、「自分はSTAP現象の再現に200回以上成功している」「私以外にも成功した人がいるが、個人情報なので私には公表できない」「STAP細胞を作るにはちょっとしたコツとレシピが必要だが、それは特許との関係で公開できない」としゃべりまくったのは4月9日。
理研のSTAP細胞研究の最高責任者であり、小保方の上司でもあった理研の発生・再生科学総合研究センター副センター長の笹井芳樹が、沈黙を破り報道陣の前に姿を現すことにしたのは4月16日午後3時だ。その日の朝、私は「状況が一変するかもしれない」という趣旨のブログを書いた。なおその時点では会見場所は東京としか知らされていなかった。理研の組織的圧殺を避けるために、あえて笹井は会見を、研究センターがある神戸から遠く離れた東京で行い、場所も直前まで明らかにしないことにしたようだ。そのブログで私はこう書いた。
もし、笹井氏が腹をくくって記者会見に臨むというなら、おそらく理研の承認を得ずに個人的に行うつもりなのだろう。そうだとすれば、これまでは防戦一方だった小保方氏にも追い風が吹き出したのかもしれない。米ハーバード大額のチャールズ・バカンティ教授が昨日の気管支関係の国際会議の基調講演(テーマは「再生医療と幹細胞」)の中で「STAP細胞はある」と断言もしている。ハーバード大学教授というだけで世界の一流研究者の折り紙つきのようなものだが、国際会議の基調講演を行えるほどの大物ということになると、理研が束になってかかっても適いっこない。そのバカンティ教授が小保方氏を名指しで「ボストン(米ハーバード大の所在地)に戻ってこい」と呼びかけたというから、風向きが一変するかもしれない。
いずれにせよ、理研への不服申し立てを行った小保方氏が、形勢を逆転すべく自ら開いた記者会見でかえって窮地に追い込まれた感があったが、記者会見での説明が不十分だった部分を補うべく、かなり説得力があると私は認める文書をマスコミ各社に送付したこと、またおそらく理研があずかり知らない記者会見をSTAP細胞研究の最高責任者の笹井氏が、理研の発生・再生科学総合センターがある関西から遠く離れた東京でわざわざ開くという行為そのものが、今日の会見に並々ならない決意で笹井氏が望むつもりではないかと思わせるに足る十分な根拠がある。
いずれにせよ、理研が1年もかけて行うという小保方氏のSTAP現象の検証研究から、笹井氏も、肝心要の小保方氏を外したことは、もはや理研が日本屈指の研究機関というより、もう救いようがない官僚組織に成り下がってしま
ったことを意味する以外の何物でもない。笹井氏がどういう発言をするかは知る由もないが、理研は会見の前に「急きょ、検証研究に小保方氏の参加を要請することにした」と発表すべきだ。小保方氏を排除しての検証研究の結果など、発表したとたんに「やはり結論ありきだった」と世界の科学界から拒絶反応が出るのは必至である。そういう常識すら失っている理研は、もはや研究機関としてはだれも相手にしてくれなくなる。
このブログを投稿したのは4月16日である。理研は3月、笹井・小保方の二人を外した検証研究チームを発足させており、理研が小保方を独居房のような一室に閉じ込めて監視カメラ付きで研究させることにしたのは6月末である。しかも理研が小保方をすでにスタートさせていた検証研究グループとは隔離してひとりで実験させることにしたのは、文科省の圧力に屈して野依良治理事長が指示したことによる。
さて笹井は記者会見で真相を語ったのか。翌17日朝、私は『ノーベル賞級と言われる理研・笹井氏の釈明会見は一見理路整然に見えたが、実は矛盾だらけだった』と題するブログを投稿した。そのブログの冒頭で、私はこう書いた。
「笹井氏の記者会見は、結局理研がセットした形になってしまった。理研の理事が同席した会見なら、理研にとっては都合が悪いことを笹井氏がしゃべるわけがない。笹井氏が記者会見で説明したことは、STAP細胞研究の最終段階であり、小保方氏が論文としてまとめる段階だったから、それ以前の研究内容には責任が持てないという弁解に終始した」
この記者会見によって疑惑がますます深まったが、同時に科学論文には著作権が存在しないという重要なことも分かった。メディアは、そこまでの理解が及ばなかったようだが…。私は17日投稿のブログでこう書いた。
確かに笹井氏が京大教授から理研の発生・再生科学総合センターに副センター長として転職したのは昨年の4月であり、小保方ユニットチームのSTAP細胞研究は最終段階に入っていたことは間違いない。だから笹井氏の研究への関与は主に論文作成の手伝いにすぎなかったであろうことは否めない。
だったら、笹井氏は論文の責任共著者として名を連ねるべきではなかったはずだ。責任共著者として名を連ねた以上、論文全体に責任を負わなければならないのは、一般社会(たとえば私企業や公的組織でも)では、それが常識というものだ。(中略)
ところが、科学の世界では、こうした著作物の原則が無視されているようだ。責任共著者でありながら、「文章の改良や書き直しの指導をしただけ」だから(責任の重大性は言葉では認めながら)事実上、自分には論文の誤りについての責任はないと主張した。ということは『ネイチャー』などの科学誌に掲載された論文は著作物ではない、ということを意味している。つまり無断で引用しようと盗作しようと自由気ままにどうぞ、という世界だということになる。
笹井氏は、こうも主張した。「私は小保方氏の直属の上司ではない。(中略)私は論文の改良や書き直しの指導をしただけ」というなら、書籍や雑誌記事で言えば編集者の仕事をしただけということになる。
笹井氏はこうも弁解した。「本当は共著者にはなるべきではないと思っていたが、若山教授らに責任共著者になってほしい」と頼まれ、「いやとは言えなかった」とも述べた。少なくとも私の世界では、編集の仕事しかしていないのに共著者として名を連ねることは絶対にありえない。共著者になったら、著作物に対する責任も発生するが、権利も発生する。編集者に自分の著作物の権利(たとえば印税収入など)を頭を下げて貰ってもらうようなことは常識から考えてもあり得ない。そういった非常識な論理が、科学論文の分野ではまかり通っているということを、笹井氏の釈明は図らずも明らかにしてしまった。(中略)
笹井氏は「STAP現象は合理性が高い可能性のある仮説として再検証する必要がある」とも述べた。そしてSTAP現象が存在する可能性の高さを示す例として「STAP細胞は非常に小さい細胞で、山中先生が作ったips細胞よりはるかに小さい。再現に成功する人がいないのは、STAP細胞が小さくて電子顕微鏡で見ても発見できなかったのではないか」と述べた。また細胞は死ぬときに緑色発行するのをSTAP細胞の発光と勘違いしたのではないかという研究者たちの疑問に対しては「細胞が死ぬ時の発光とは明らかに違う発光をしており、しかも発光しながら動き回っているのを確認している」とも述べた。
それが事実だとすれば、笹井氏はSTAP細胞の存在を確認しており、「STAP現象を前提にしないと説明できないデータがある」などと回りくどい言い方をしなくても「私は自分の目でSTAP細胞の存在を確認している」と明言すればいいのではなかったのかという疑問を持たざるを得ない。(中略)
STAP細胞が小さすぎて発見しにくいことを確認しているなら、せめて「理研の再検証研究チームに小保方氏も加えるべきだ。小保方氏でなければ再検証研究をしてもSTAP細胞の存在を確認できないおそれがある」と主張してほしかった。笹井氏に、科学者としての良心が爪の垢ほどでもあったなら、という話だが…。
私は小保方、笹井両氏の記者会見を見て、この「研究」は世紀の科学的詐欺事件だという確信を持った。以降、私は両氏には「氏」という敬称を付けず、呼び捨てにして犯罪者として扱うことにした。その後、しばらくの間は安保法制懇が提出した「集団的自衛権行使のための憲法解釈変更」論に対する批判に集中してきた。再びSTAP騒動をブログで取り上げたのは6月5日に投稿した『小保方晴子のSTAP細胞研究は科学史上、空前の虚偽だったことがほぼ確実になった』である。
実はその前日、小保方が『ネイチャー論文』の取り下げに同意したというニュースが報じられた。それまで小保方とバカンティは論文取り下げにあくまで同意しないと言い張ってきた。理研が小保方にどういう圧力をかけたのかは知らないが、小保方に何らかの餌を与えることで論文取り下げの同意を取り付けたのだろう。理研、という官僚組織を維持するために、理事長の野依は死にもの狂いになったのではないか。この日投稿したブログでこう書いた。
このヒチコック映画さながらのどんでん返しは、いったい何を意味するのか。純粋に論理的に考えれば結論は一つしかない。
理研改革委による、STAP細胞の有無を調べる検証実験に小保方を参加させるべきだという要請を受け、理研が小保方に「検証実験への参加」を打診したのではないか。その打診を受けて、小保方もとうとう嘘をつきとおすことは不可能になったと諦めたのではないか。
小保方が記者会見で強気だったのは、理研が検証実験から小保方を外すという決定をしていたため、言いたい放題デタラメを話してもバレないと思い込んでいたからではないか。
刑事コロンボの推理ではないが、このどんでん返しの理由はそれしか考えられない。そうなると、小保方も笹井もバカンティも、若山氏を除くすべての論文共著者は世界中の科学者を手玉に取った科学史上まれにみる大犯罪の共犯者ということになる。
言っておくが、理研は私的研究機関ではない。小保方の研究は税金を注ぎ込んで行われてきた。理研の調査活動も検証実験もすべて税金で賄われている。メディアは小保方の主論文撤回によって「STAP細胞研究が白紙に戻った」としているが、そんな生易しいことではない。(中略)
私も小保方が、初めから詐欺的研究をするつもりだったとは考えていない。が、偶発的に生じたSTAP現象(※突然変異のこと)を何とか正当化しようとして行った行為ではないかと思ってはいる。が、自分の功名心のために多くの人を騙し、税金をむさぼり使ってきた行為は、明確な意図のもとに行われたと解釈できる。彼らは国家権力(具体的には警察)によって徹底的に取り調べられるべきであろう。そうでもしなければ、この問題の真相は永遠に明るみにでない。
改めて言っておくが、このブログを投稿したのは6月5日である。このブログを最後に、私はSTAP騒動についてのブログ投稿を休止してきた。8月5日、STAP細胞研究の最高責任者である笹井芳樹が、首つり自殺をしたためだ。自業自得とは言え、「死者に鞭打たず」の倫理観が根強い日本社会で、死後も笹井に鞭打つようなブログはさすがに私も書けなかった。
理研は最終的にSTAP研究に終止符を打つという。が、それで済ませていいのか。昨日(24日)私は文科省著作権課に電話した。「科学論文には著作権がないことが分かったが、勝手に盗用しようと剽窃しようと自由ですよね」と聞いた。
著作権課の担当者は「いえ、著作権はあります。盗用や剽窃は困ります」と答えた。
「ふざけるな」
私は怒鳴り返した。著作者の権利は、著作物に対して責任を持つことが大前提だ。権利だけあって、問題が生じたときには責任は取ろうとしない――それが科学論文の世界だ。
たとえば、殺人犯が警察の捜査に追い詰められて自殺したとする。笹井の自殺は、私に言わせれば、そうした行為となんら変わることはない。だとしたら、自殺した殺人犯も、笹井と同様同情の目で見られるべきだろう。
最大の問題は理研のトップ、野依良司だ。笹井の自殺についても他人事のようなコメントを出したが、理研の決定を受けて辞表を提出した小保方晴子に対しても、他人事のようなコメントを出した。野依のコメントはこうだ(毎日新聞より)。
「STAP論文が公表されてからこの10か月余り、小保方晴子氏にはさまざまな心労が重なってきたと思います。このたび退職願いが提出されましたが、これ以上の心の負担が増すことを懸念し、本人の意思を尊重することとしました。前途ある若者なので、前向きに新しい人生を歩まれることを期待しています」
小保方に、研究者としての前途なんかあるわけがない。たとえば佐野眞一氏や猪瀬直樹氏に、ノンフィクション作家としての将来が絶たれたのと同じだ。理研の最高責任者である野依も、かつてはノーベル賞の栄誉に輝いたが、STAP細胞騒動についての対処の不始末によって晩節を汚すことになった。
まず新年度を迎えて管轄の文科省が取り組むべきは、野依の懲戒免職と理研の完全解体だ。理研は日本最高の研究機関とされてきた。優秀な科学者・研究者には引く手があまたになる。理研が解体されても、小保方のようなペテン師でなければ研究の場はいくらでもある。民間企業の中村修二氏のような研究者でも、日本に研究の場がなければアメリカはもろ手を挙げて迎えてくれる。
ちょっと気になることは、小保方が提出した退職願が受理されたということは、おそらく規定にのっとった退職金も支払われるということだろう。
理研の最後の仕事は、小保方の退職願の受理を取消し、懲戒解職扱いにすることだ。年末に差し掛かって、こんな不愉快なブログで締めくくることになるとは、つゆ思っていなかった。
明日から長期休暇に入られる方も多いようだが、私のブログの読者には年末年始もない方が多いと思うが、来年はこんな不愉快な気持ちで年越しをしたくないものだ。
「よい、お年を」
STAP騒動をどうして防げなかったのか。
私は官僚社会特有の責任たらいまわしの体質にあると考えている。
小保方晴子がようやく記者会見に姿を現し、「自分はSTAP現象の再現に200回以上成功している」「私以外にも成功した人がいるが、個人情報なので私には公表できない」「STAP細胞を作るにはちょっとしたコツとレシピが必要だが、それは特許との関係で公開できない」としゃべりまくったのは4月9日。
理研のSTAP細胞研究の最高責任者であり、小保方の上司でもあった理研の発生・再生科学総合研究センター副センター長の笹井芳樹が、沈黙を破り報道陣の前に姿を現すことにしたのは4月16日午後3時だ。その日の朝、私は「状況が一変するかもしれない」という趣旨のブログを書いた。なおその時点では会見場所は東京としか知らされていなかった。理研の組織的圧殺を避けるために、あえて笹井は会見を、研究センターがある神戸から遠く離れた東京で行い、場所も直前まで明らかにしないことにしたようだ。そのブログで私はこう書いた。
もし、笹井氏が腹をくくって記者会見に臨むというなら、おそらく理研の承認を得ずに個人的に行うつもりなのだろう。そうだとすれば、これまでは防戦一方だった小保方氏にも追い風が吹き出したのかもしれない。米ハーバード大額のチャールズ・バカンティ教授が昨日の気管支関係の国際会議の基調講演(テーマは「再生医療と幹細胞」)の中で「STAP細胞はある」と断言もしている。ハーバード大学教授というだけで世界の一流研究者の折り紙つきのようなものだが、国際会議の基調講演を行えるほどの大物ということになると、理研が束になってかかっても適いっこない。そのバカンティ教授が小保方氏を名指しで「ボストン(米ハーバード大の所在地)に戻ってこい」と呼びかけたというから、風向きが一変するかもしれない。
いずれにせよ、理研への不服申し立てを行った小保方氏が、形勢を逆転すべく自ら開いた記者会見でかえって窮地に追い込まれた感があったが、記者会見での説明が不十分だった部分を補うべく、かなり説得力があると私は認める文書をマスコミ各社に送付したこと、またおそらく理研があずかり知らない記者会見をSTAP細胞研究の最高責任者の笹井氏が、理研の発生・再生科学総合センターがある関西から遠く離れた東京でわざわざ開くという行為そのものが、今日の会見に並々ならない決意で笹井氏が望むつもりではないかと思わせるに足る十分な根拠がある。
いずれにせよ、理研が1年もかけて行うという小保方氏のSTAP現象の検証研究から、笹井氏も、肝心要の小保方氏を外したことは、もはや理研が日本屈指の研究機関というより、もう救いようがない官僚組織に成り下がってしま
ったことを意味する以外の何物でもない。笹井氏がどういう発言をするかは知る由もないが、理研は会見の前に「急きょ、検証研究に小保方氏の参加を要請することにした」と発表すべきだ。小保方氏を排除しての検証研究の結果など、発表したとたんに「やはり結論ありきだった」と世界の科学界から拒絶反応が出るのは必至である。そういう常識すら失っている理研は、もはや研究機関としてはだれも相手にしてくれなくなる。
このブログを投稿したのは4月16日である。理研は3月、笹井・小保方の二人を外した検証研究チームを発足させており、理研が小保方を独居房のような一室に閉じ込めて監視カメラ付きで研究させることにしたのは6月末である。しかも理研が小保方をすでにスタートさせていた検証研究グループとは隔離してひとりで実験させることにしたのは、文科省の圧力に屈して野依良治理事長が指示したことによる。
さて笹井は記者会見で真相を語ったのか。翌17日朝、私は『ノーベル賞級と言われる理研・笹井氏の釈明会見は一見理路整然に見えたが、実は矛盾だらけだった』と題するブログを投稿した。そのブログの冒頭で、私はこう書いた。
「笹井氏の記者会見は、結局理研がセットした形になってしまった。理研の理事が同席した会見なら、理研にとっては都合が悪いことを笹井氏がしゃべるわけがない。笹井氏が記者会見で説明したことは、STAP細胞研究の最終段階であり、小保方氏が論文としてまとめる段階だったから、それ以前の研究内容には責任が持てないという弁解に終始した」
この記者会見によって疑惑がますます深まったが、同時に科学論文には著作権が存在しないという重要なことも分かった。メディアは、そこまでの理解が及ばなかったようだが…。私は17日投稿のブログでこう書いた。
確かに笹井氏が京大教授から理研の発生・再生科学総合センターに副センター長として転職したのは昨年の4月であり、小保方ユニットチームのSTAP細胞研究は最終段階に入っていたことは間違いない。だから笹井氏の研究への関与は主に論文作成の手伝いにすぎなかったであろうことは否めない。
だったら、笹井氏は論文の責任共著者として名を連ねるべきではなかったはずだ。責任共著者として名を連ねた以上、論文全体に責任を負わなければならないのは、一般社会(たとえば私企業や公的組織でも)では、それが常識というものだ。(中略)
ところが、科学の世界では、こうした著作物の原則が無視されているようだ。責任共著者でありながら、「文章の改良や書き直しの指導をしただけ」だから(責任の重大性は言葉では認めながら)事実上、自分には論文の誤りについての責任はないと主張した。ということは『ネイチャー』などの科学誌に掲載された論文は著作物ではない、ということを意味している。つまり無断で引用しようと盗作しようと自由気ままにどうぞ、という世界だということになる。
笹井氏は、こうも主張した。「私は小保方氏の直属の上司ではない。(中略)私は論文の改良や書き直しの指導をしただけ」というなら、書籍や雑誌記事で言えば編集者の仕事をしただけということになる。
笹井氏はこうも弁解した。「本当は共著者にはなるべきではないと思っていたが、若山教授らに責任共著者になってほしい」と頼まれ、「いやとは言えなかった」とも述べた。少なくとも私の世界では、編集の仕事しかしていないのに共著者として名を連ねることは絶対にありえない。共著者になったら、著作物に対する責任も発生するが、権利も発生する。編集者に自分の著作物の権利(たとえば印税収入など)を頭を下げて貰ってもらうようなことは常識から考えてもあり得ない。そういった非常識な論理が、科学論文の分野ではまかり通っているということを、笹井氏の釈明は図らずも明らかにしてしまった。(中略)
笹井氏は「STAP現象は合理性が高い可能性のある仮説として再検証する必要がある」とも述べた。そしてSTAP現象が存在する可能性の高さを示す例として「STAP細胞は非常に小さい細胞で、山中先生が作ったips細胞よりはるかに小さい。再現に成功する人がいないのは、STAP細胞が小さくて電子顕微鏡で見ても発見できなかったのではないか」と述べた。また細胞は死ぬときに緑色発行するのをSTAP細胞の発光と勘違いしたのではないかという研究者たちの疑問に対しては「細胞が死ぬ時の発光とは明らかに違う発光をしており、しかも発光しながら動き回っているのを確認している」とも述べた。
それが事実だとすれば、笹井氏はSTAP細胞の存在を確認しており、「STAP現象を前提にしないと説明できないデータがある」などと回りくどい言い方をしなくても「私は自分の目でSTAP細胞の存在を確認している」と明言すればいいのではなかったのかという疑問を持たざるを得ない。(中略)
STAP細胞が小さすぎて発見しにくいことを確認しているなら、せめて「理研の再検証研究チームに小保方氏も加えるべきだ。小保方氏でなければ再検証研究をしてもSTAP細胞の存在を確認できないおそれがある」と主張してほしかった。笹井氏に、科学者としての良心が爪の垢ほどでもあったなら、という話だが…。
私は小保方、笹井両氏の記者会見を見て、この「研究」は世紀の科学的詐欺事件だという確信を持った。以降、私は両氏には「氏」という敬称を付けず、呼び捨てにして犯罪者として扱うことにした。その後、しばらくの間は安保法制懇が提出した「集団的自衛権行使のための憲法解釈変更」論に対する批判に集中してきた。再びSTAP騒動をブログで取り上げたのは6月5日に投稿した『小保方晴子のSTAP細胞研究は科学史上、空前の虚偽だったことがほぼ確実になった』である。
実はその前日、小保方が『ネイチャー論文』の取り下げに同意したというニュースが報じられた。それまで小保方とバカンティは論文取り下げにあくまで同意しないと言い張ってきた。理研が小保方にどういう圧力をかけたのかは知らないが、小保方に何らかの餌を与えることで論文取り下げの同意を取り付けたのだろう。理研、という官僚組織を維持するために、理事長の野依は死にもの狂いになったのではないか。この日投稿したブログでこう書いた。
このヒチコック映画さながらのどんでん返しは、いったい何を意味するのか。純粋に論理的に考えれば結論は一つしかない。
理研改革委による、STAP細胞の有無を調べる検証実験に小保方を参加させるべきだという要請を受け、理研が小保方に「検証実験への参加」を打診したのではないか。その打診を受けて、小保方もとうとう嘘をつきとおすことは不可能になったと諦めたのではないか。
小保方が記者会見で強気だったのは、理研が検証実験から小保方を外すという決定をしていたため、言いたい放題デタラメを話してもバレないと思い込んでいたからではないか。
刑事コロンボの推理ではないが、このどんでん返しの理由はそれしか考えられない。そうなると、小保方も笹井もバカンティも、若山氏を除くすべての論文共著者は世界中の科学者を手玉に取った科学史上まれにみる大犯罪の共犯者ということになる。
言っておくが、理研は私的研究機関ではない。小保方の研究は税金を注ぎ込んで行われてきた。理研の調査活動も検証実験もすべて税金で賄われている。メディアは小保方の主論文撤回によって「STAP細胞研究が白紙に戻った」としているが、そんな生易しいことではない。(中略)
私も小保方が、初めから詐欺的研究をするつもりだったとは考えていない。が、偶発的に生じたSTAP現象(※突然変異のこと)を何とか正当化しようとして行った行為ではないかと思ってはいる。が、自分の功名心のために多くの人を騙し、税金をむさぼり使ってきた行為は、明確な意図のもとに行われたと解釈できる。彼らは国家権力(具体的には警察)によって徹底的に取り調べられるべきであろう。そうでもしなければ、この問題の真相は永遠に明るみにでない。
改めて言っておくが、このブログを投稿したのは6月5日である。このブログを最後に、私はSTAP騒動についてのブログ投稿を休止してきた。8月5日、STAP細胞研究の最高責任者である笹井芳樹が、首つり自殺をしたためだ。自業自得とは言え、「死者に鞭打たず」の倫理観が根強い日本社会で、死後も笹井に鞭打つようなブログはさすがに私も書けなかった。
理研は最終的にSTAP研究に終止符を打つという。が、それで済ませていいのか。昨日(24日)私は文科省著作権課に電話した。「科学論文には著作権がないことが分かったが、勝手に盗用しようと剽窃しようと自由ですよね」と聞いた。
著作権課の担当者は「いえ、著作権はあります。盗用や剽窃は困ります」と答えた。
「ふざけるな」
私は怒鳴り返した。著作者の権利は、著作物に対して責任を持つことが大前提だ。権利だけあって、問題が生じたときには責任は取ろうとしない――それが科学論文の世界だ。
たとえば、殺人犯が警察の捜査に追い詰められて自殺したとする。笹井の自殺は、私に言わせれば、そうした行為となんら変わることはない。だとしたら、自殺した殺人犯も、笹井と同様同情の目で見られるべきだろう。
最大の問題は理研のトップ、野依良司だ。笹井の自殺についても他人事のようなコメントを出したが、理研の決定を受けて辞表を提出した小保方晴子に対しても、他人事のようなコメントを出した。野依のコメントはこうだ(毎日新聞より)。
「STAP論文が公表されてからこの10か月余り、小保方晴子氏にはさまざまな心労が重なってきたと思います。このたび退職願いが提出されましたが、これ以上の心の負担が増すことを懸念し、本人の意思を尊重することとしました。前途ある若者なので、前向きに新しい人生を歩まれることを期待しています」
小保方に、研究者としての前途なんかあるわけがない。たとえば佐野眞一氏や猪瀬直樹氏に、ノンフィクション作家としての将来が絶たれたのと同じだ。理研の最高責任者である野依も、かつてはノーベル賞の栄誉に輝いたが、STAP細胞騒動についての対処の不始末によって晩節を汚すことになった。
まず新年度を迎えて管轄の文科省が取り組むべきは、野依の懲戒免職と理研の完全解体だ。理研は日本最高の研究機関とされてきた。優秀な科学者・研究者には引く手があまたになる。理研が解体されても、小保方のようなペテン師でなければ研究の場はいくらでもある。民間企業の中村修二氏のような研究者でも、日本に研究の場がなければアメリカはもろ手を挙げて迎えてくれる。
ちょっと気になることは、小保方が提出した退職願が受理されたということは、おそらく規定にのっとった退職金も支払われるということだろう。
理研の最後の仕事は、小保方の退職願の受理を取消し、懲戒解職扱いにすることだ。年末に差し掛かって、こんな不愉快なブログで締めくくることになるとは、つゆ思っていなかった。
明日から長期休暇に入られる方も多いようだが、私のブログの読者には年末年始もない方が多いと思うが、来年はこんな不愉快な気持ちで年越しをしたくないものだ。
「よい、お年を」