小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

北朝鮮とアメリカはどこまで「挑発ごっこ」を続けるのか。「窮鼠猫を噛む」までやるつもりなのか。

2017-09-06 09:17:03 | Weblog
 北朝鮮の、とりあえず「挑発」と書くが、核とミサイル開発の勢いが止まらない。その都度安倍政権は「圧力と制裁の国際協調」を世界に向けて発信し、それに呼応して米トランプ政権も「もう対話の時期は終わった」と軍事プレゼンスを強めている。
 ジュネーブで開かれている国連軍縮会議では、日米が連携してさらなる制裁(具体的には石油の禁輸)の発動を求めているが、中露が反発、北朝鮮も「さらなる無謀な挑発と無益な試みを続けるなら、アメリカはさらに多くのプレゼントを受け取ることになる」と、核・ミサイルの開発を継続する強固な意志を表明した。
 私はブログで、この北朝鮮の「挑発」は安倍内閣にとって「たなぼた」的プレゼントになる、と書いたが、4日大手メディアの先陣を切ってTBSが世論調査の結果を報道番組『Nスタ』で公表し、安倍内閣の支持率が8ポイントも上昇したと報じた。おそらく今週末には他の大手メディアも世論調査を行い、危険水域まで落ち込んでいた安倍内閣の支持率が急回復していることを確認することになるだろう。
 そしてアメリカでも、トランプ大統領の支持率が急上昇している可能性が高い。ただし、アメリカでも大手メディアが日本の大手メディアのように、北朝鮮の「挑発」に対して危機感をつのらせるような報道を大々的にしていれば、の話だが…。なぜか日本のメディアは韓国や中国のメディアの報道については逐一報道しているが、アメリカのメディアの反応については全く無視している。ひょっとしたら、アメリカのメディアは日本のメディアのように大騒ぎをしていないのかもしれない。だとしたら、トランプ大統領の支持率は安倍内閣のようにV字回復していないかもしれないが…。
 安倍首相は北朝鮮に対する制裁と圧力を強めるよう、しゃかりきになっている。連日、トランプ氏と電話で協調路線を確認したり、北朝鮮に対して強い影響力を持っている中国やロシアにも、圧力と制裁をさらに強めるよう働きかけている。が、圧力と制裁の強化が、どういう結果をもたらすか…。

「窮鼠猫を噛む」ということわざがある。
 先の戦争で、日本政府は最後までアメリカとの戦争だけは避けたかった。勝ち目がないことは、当時の政府はわかっていたからだ。が、ABCD包囲網により石油が禁輸され、さらにハル・ノートで追い詰められた日本は、到底勝ち目のない対米戦争に踏み切った。その時点では、一定の戦果をあげれば、アメリカが折れて日本への制裁を控えるだろうとの読みが政府にはあったと思う。が、真珠湾攻撃が日本側の不手際で不意打ちの形になってしまい、米世論が一気に硬化し、日本は泥沼の対米戦争から抜け出せなくなってしまった。その後は軍部と日本のメディア(おもに朝日新聞と毎日新聞)が結託して国民の戦意を煽り立て、あと一歩で日本国が消滅しかねないところまで戦争に突き進んでいった。窮鼠が猫を噛んでも、勝てはしないのだが…。
 「村山談話」に注目してもらいたい。「村山談話」の骨子は二つである。

①わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。(中略)ここに改めて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。
②わが国は、唯一の被爆国としての体験に踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、(中略)国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

村山談話というと、多くの人たちの記憶にあるのは①のほうだけだろう。今年7月、国連で初めて「核兵器禁止条約」の決議が採択されたが、日本は決議に参加しなかった。米英仏露中の5大国(国連安保理常任理事国)による核独占を宣言した「核不拡散条約」を優先したためである。
核、という人類が発明した最強の兵器は、独占的保有国の外交における圧倒的支配力を意味する。その核に脅かされた国は、自ら核を保有することによって脅威に対抗せざるを得なくなる。
日本はアメリカの核の傘に、いちおう守られていることになっている。しかし、アメリカ自身が核戦争に巻き込まれる危険性を冒してまで、日本を核防衛してくれるという保証はない。北朝鮮が核・ミサイル開発にしゃかりきになるのは、核に対する脅威から自らを守るため、つまり抑止力の強化が目的である。もし、日本がアメリカの核の傘の外に追いやられ、かつ核大国のロシアや中国から敵視政策をとられたら、それでも日本は抑止力としての核を持とうとはしないだろうか。日本も核武装すべきだ、と主張する政治家が絶えないのは、アメリカの核に頼り切ることの危うさがわかっているからだ。
北朝鮮の金正恩委員長も、アメリカを相手に核戦争を始めて勝てるなどと思い込むほどのバカではない。憲法9条の「改正」に政治生命をかけようとしている安倍総理も、戦前回帰して再び侵略戦争国家に日本をしようなどという妄想を抱いているわけではない。いざという時、どこまでアメリカを頼りにできるかという冷徹な判断に基づいて、二つの目的を実現しようとしているのである。ただ、あからさまにその二つの目的を言うと政局問題に発展しかねないため、真の目的をオブラートに包んでいるだけだ。結果、「自衛隊を憲法違反だとする憲法学者が7割もいる現状にかんがみて、自衛隊の存在と目的を憲法に明記したい」とおかしな口実を考え出したというわけだ。
もっとも、民進党新代表の前原氏は「憲法9条に3項を加え、自衛隊の存在と目的の明記をすべきだと主張したのは、私のほうが先だ」と、安倍総理が前原案をパクったかのような発言をしているが…。
だが、9条の2項をそのまま残して「自衛隊の存在と目的」を3項として加えることは、石破氏が主張するように明らかに整合性に欠ける。そんなことは、実は安倍総理も百も承知の上で、何が何でも衆参両院で改憲勢力が3分の2を超えている今、改憲を実現したいのだ。では、安倍総理の本音の目的は何か。
①憲法解釈の変更によって、いちおう集団的自衛権の行使容認に成功し、アメリカの日本に対する抑止力の低下に歯止めはかけたが、アメリカとの同盟関係をより双務的なものにすることにより抑止力をさらに強めること。
②アメリカの核抑止力にだけ頼ることは、ロシアや中国、中東諸国などとの独自外交に制約を受けるため、日本の個別的抑止力を強化することによってアメリカへの追随に一定の歯止めをかけ独自外交を可能にすること。
 これが、安倍総理が改憲に血道をあげている本当の目的である。実は、すでに憲法9条は事実上の空洞化から、事実上の改憲状態に移行している。憲法9条によって定められた「国の在り方」は、「戦争が出来ない国」だったが、安保法制によって日本は「戦争が出来る国」になってしまった。その証拠に、北朝鮮がミサイル4発をグアム周辺の海域に向けて発射するという計画を明らかにした時、小野寺防衛相は「グアムが攻撃されたら日本の抑止力が低下する。これは日本の存亡の危機にあたる可能性がある」とミサイル迎撃の正当性を述べたことでも明らかである。北朝鮮のミサイルを迎撃したら、それは明確な戦闘行為であり、北朝鮮に対する事実上の宣戦布告になる。だが、なぜか野党もメディアも、この小野寺発言を問題視しなかったが…。
 村山談話の要旨に話を戻すが、村山内閣以降の内閣はすべて村山談話を継承するとしているが、継承しているのは①だけで、もう一つの重要な要素である②は全く無視してきた。世界で唯一核の洗礼を受けた日本は、核を肯定したうえでアメリカの核に頼るべきではなく、国連で採択された核兵器禁止条約の旗振り役になるべきだった。そうすれば日本人の永遠の悲願である核廃絶への国際社会への訴えも、もう少し説得力が増したであろうに…。

 日本のメディアはなぜ北朝鮮の核やミサイルの実験、発射に大騒ぎするのか。
 実際、韓国では日本のメディアの大騒ぎに首をかしげているようだ。北朝鮮の核やミサイルは日本を標的にして開発しているわけではない。「挑発」「挑発」と繰り返すが、安倍政権が騒ぐのなら理解できないこともないが(政府が騒ぐ場合は、それなりに政治目的があってのこと)、メディアが政府の片棒を担いで大騒ぎしている(と思われても仕方がない)のはいかがなものか。
 トランプ大統領とメディアの「けんか」については面白おかしく報道してきたが、そうした報道もいまはバッタリ。安倍総理の度重なる要請によってトランプ政権も軍事プレゼンスを公言するようにはなった。たとえばマティス国防長官が「北朝鮮の全滅は望んでいないが、そうするだけの多くの選択肢がある」と表明、北朝鮮を威嚇して見せた。
 しかし、アメリカが北朝鮮を武力攻撃するとしたら、国際法上容認できる大義名分があるのだろうか。少なくとも国連憲章が認めている武力行使は、国際間の紛争が生じた場合、平和的手段(経済制裁など)で解決できなかった時には、国連安保理の決議による紛争を解決するための武力行使(武力行使の主体は国連軍を想定)と、安保理が紛争を解決するまでの間に行使できる自衛のための武力行使(個別的または集団的)だけが認められている。
 北朝鮮は、いずれの国に対しても侵略・武力行使をしているわけではない。また北朝鮮は核不拡散条約に加盟していないから、条約違反を口実に軍事的制裁を加えることはできない。もし、できると屁理屈をこねるなら、では核不拡散条約と同様、国連で決議採択された核兵器禁止条約に違反している核保有国も武力制裁を受けてしかるべきということになる。つまりアメリカが北朝鮮に対して「核不拡散条約違反」を口実に武力制裁を行う権利があるとするなら、核兵器禁止条約加盟国も、アメリカに対して「核兵器禁止条約違反」を口実に武力攻撃する権利があることになる。
 どの道、日本やアメリカがいくら圧力や経済制裁を加えても、北朝鮮がアメリカの核を脅威に感じ、アメリカが北朝鮮に対する敵視政策を継続する限り、アメリカの核に対する抑止力としての核・ミサイルを放棄するわけがない。

 ここで、村山談話の①についてもちょっと触れておきたい。村山談話の特徴は、謝罪の相手がアジアの諸国とその国民に限定されていることだ。つまりアメリカや、アジアを侵略した時その国を支配していたヨーロッパ列強に対してはいっさい謝罪していないということだ。これは歴史認識の重要なポイントでもあるので、ちょっと整理しておきたい。
 先の戦争については、アジア侵略と太平洋戦争(対米)は、いちおう分けて考える必要がある。対米戦争は「自衛戦争」と主張する向きもあるが、「自衛」の概念はどこまで容認されるかという問題は、国際法上も未解明のままだ。
 確かに日本のアジアにおける覇権主義を恐れた欧米がABCD(アメリカ・イギリス・中国・オランダ)による包囲網(石油の禁輸)や、日本が「最後通告」と受け取ったハル・ノートを根拠に、逆立ちしても勝てっこないアメリカとの戦争は「やむを得ざる自衛のための戦争」と主張できる可能性もないではない。が、そういう理由付けは「窮鼠猫を噛む」はネズミの正当防衛行為であると主張しているにすぎず、逆説的に言えば「ネズミをそこまで追い込んだ猫の責任」は不問に付してもいいのか、という問題が生じる。
 今国連安保理で議論されている、さらなる北朝鮮への制裁と圧力が、北朝鮮に核とミサイルを放棄させることが出来なかった場合、「窮鼠猫を噛む」で北朝鮮が暴発する可能性も否定できない。
 日本やアメリカは、北朝鮮が「レッド・ラインを超えた」と主張しているが、北朝鮮にとっては日米のさらなる圧力・制裁の強化は、それこそ「レッド・ラインを超えた」ことを意味するかもしれない。日本やアメリカは北朝鮮を暴発させ、それを口実に北朝鮮の体制崩壊を狙っているのか。そうとられても仕方がないところまで日本とアメリカは北朝鮮を追い詰めすぎているのではないか。
 一方、中国とロシアは「対話による解決」を主張している。だが、対話によって北朝鮮にどうしろというのか。落としどころがまったく見えていない。
 とりわけ中国は北朝鮮と軍事同盟を結んでいる。これは日米安保条約とは違って、完全に双務的な同盟関係の条約だ。中国が他国から攻撃された場合、北朝鮮は自国が攻撃されたとみなして中国軍と一体になって中国防衛の任に当たることになっている。そうした条約を結んでいるにもかかわらず、中国が日米と一緒に圧力・制裁を加えている。北朝鮮が中国に対する不信感を抱いているのはそのためだ。
 日本政府が「アメリカの核の傘による抑止力」を心底からは信じていないのと同様、北朝鮮もいざというとき中国がどこまで北朝鮮のために血を流してくれるかという疑念をぬぐえない。現に、「対話による解決」を主張している中露だが、6か国協議を再開しても北朝鮮が核やミサイルを手放す保証はどこにもない。時間を浪費している間に、北朝鮮の核・ミサイル開発の技術はどんどん進んでいく。
「窮鼠猫を噛む」のたとえで北朝鮮の立場について書いたが、今度は猫の側について考えてみる。つまりアメリカだ。
 アメリカも厄介な問題を抱えてしまった。振り上げたこぶしを、どうするかだ。アメリカも引かず、北朝鮮も引かず、互いに挑発を繰り返していくと、挑発そのものが目的化し、相手の挑発を上回る挑発をしなければ、と際限なくエスカレートしていく。その「挑発ごっこ」が沸騰点に達すると、取り返しのつかない事態が生じる。戦争というのは、そうして起こることが少なくない。
 いまは帝国主義(あるいは植民地主義)が跋扈していた時代ではない。実際、先の大戦以降、侵略戦争は一度も生じていない。あえて例外をあげれば、湾岸戦争のきっかけになったイラクのクウェート侵攻だが、それ以外は国内の民族対立や宗教対立、権力闘争などの内紛だけである。戦争で勝利したところで、得るものは何もない。他国を植民地化して支配下に置くための侵略戦争は、もはや不可能な時代になっている。
 北朝鮮の核も、戦争をするためのものではない。同じく軍事力の強化に奔走している日本も侵略戦争を再開したいためではない。ただ、困ったことに「抑止力」のための軍備拡張も、北朝鮮とアメリカの「挑発ごっこ」と同じく、どこまで強化してもこれで十分というゴールがないことだ。際限なくエスカレートするのが必然の「挑発ごっこ」「抑止力ごっこ」に、どうやって歯止めをかけられるか。人類の英知が試されているといってもよい。その英知を出せるのは、先の大戦で大きな過ちを犯した日本とドイツが、同じ過ちを二度と繰り返す愚を防ぐために協力し、知恵を出し合うことではないかと、私は思う。