小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

参院選で野党に勝機はあるのか? 日米安保はどうなる?

2019-07-01 03:42:33 | Weblog
 いま6月30日の午後4時20分。3時半過ぎ、なんとなくテレビのチャンネルをNHKに合わせたら臨時ニュースを放映していた。トランプ大統領が文大統領と、板門店で話し合っていた。北朝鮮の金委員長との面会が実現するようだ。が、なかなか金委員長が姿を見せない。3時45分頃からテレビでは4分後に面会が実現すると何度も放送していたが、金委員長はテレビ画面に登場しない。4時10分頃になってトランプ大統領が軍事境界線付近に出てきた。その後、ようやく金委員長が姿を現した。トランプ大統領が非武装地帯に足を踏み入れ、金委員長も非武装地帯に歩み寄り二人は握手した。
 そもそも、トランプ大統領がツイッターで金委員長に会おうと呼びかけたこと自体サプライズだったが、面会が実現し、しかも握手し短い挨拶をした直後にトランプ大統領が、とくに金委員長に促された様子もなく自然な感じで北朝鮮領域に足を踏み入れた。こんなこと「あり」…? サプライズにしてはできすぎ、と思った人は少なくないだろう。本当にすべてがサプライズだったのか。トランプ大統領を30分も待たせたことで、北朝鮮は米朝交渉での優位性を示したかったのかもしれない。一方、トランプ大統領としては「名を捨て実を取る」戦術を選んだのかもしれない。骨の髄からの政治家なら、実より名を重んじるが、トランプ氏は骨の髄からのビジネスマンである。実を取るためには名などさほどの意味を持たないと考えても不思議ではない。文大統領が金委員長と初めて板門店で面会した時には、まず金委員長が韓国側に足を入れ、次いで文大統領が北朝鮮側に足を踏み入れた。いずれの場合も、相手に促されて、手を携えながら境界を越えるという演出があった。そういう演出が、今回はなかった、ように見えた。そうした境界線の越え方自体を演出したのかもしれない。
 現在、北朝鮮とアメリカは休戦状態にある。トランプ大統領はG20サミットでの習近平主席との会談で、ひょっとしたら北朝鮮との終戦宣言について密約を交わしたのかもしれない。メディアはサミットでの米中交渉について貿易戦争の終結についてばかり関心を持っていたが、習近平氏は6月に入ってプーチン大統領と面談して安全保障と経済協力について二つの共同声明に署名した。共同声明の内容は日本では報道されていないが、私が6月10日のブログで書いたように、経済協力では中国の一帯一路構想とロシアのユーラシア経済連合構想の協力関係の緊密化を意味し、安全保障関係の連携が将来の軍事同盟化を視野に入れているものだとしたら、アメリカの覇権構想は根底から崩れかねない。そうした事態を回避するため、サミットでの米中首脳会談で、トランプ大統領が中国との和解を目指し、その証拠として北朝鮮に対する敵視政策を止めることを習近平主席に密約した可能性は否定できない。それを受けて習近平主席が金委員長にひそかに連絡を入れた可能性はある。習近平主席はサミットの直前、北朝鮮を訪問し、金委員長と会談している。この会談が、今回の米朝首脳のサプライズ面会の伏線になっていた可能性もある。いまのところ、メディアはそういう分析をしていないようだ。私はこれからお笑い番組の『笑点』を見る。
 いま『笑点』を見て、そのあと『バンキシャ』を見た直後に書いている。7時のNHKニュースが始まるまでに書き終えるつもり。自分もびっくりした。『笑点」は歌丸師匠の没後1周年を記念する番組だったが、司会の春風亭昇太がサプライズで結婚を発表することなど、私が知るわけがない。私が『笑点』を見ると書いたのは、かなり前に読者の一人から私のブログについて「サイトの運営者」と決めつけられたことがあり(当時は毎日長文のブログを書いていたことから人間離れした行為と思われたようだ)、そうした誤解を避けるために意図的に「これから笑点を見る」と書いただけで、それ以上の意味も、それ以下の意味もない。一応お断りしておく。
 今週4日には参院選が火ぶたを切る。すでに公職選挙法に引っかからないぎりぎりの範囲で候補者たちは「事前運動」を繰り広げてきたが、4日からは公然と選挙カーが街中を走り回り、候補者たちは駅頭や繁華街で声を張り上げることになる。私自身は消去法で投票する候補者をほぼ決めているが、無党派層が最大の票田となっている今日では無党派層の動向が選挙結果を大きく左右すると言われており、無党派層はほぼ私と同様、消去法で投票候補者を選ぶと思う。私は「競馬の予想屋」ではないので、選挙結果について予想するようなばかげたことをするつもりはないが、今回の参院選の場合、何が争点になるか、無党派層が何を基準に候補者を選択するかといったことについては大きな関心を持っており、そうしたことについてとりとめもなく書いてみたい。
 野党はほぼ共通して年金問題での政府の失態の追及と消費税増税延期を訴えるようだ。最低賃金の大幅引き上げも公約にしている野党もあるが、私も引き上げには基本的に賛成だが、1300円とか1500円とか、現実離れした「公約」を提示されると、やはり首をかしげたくなる。確かに大幅引き上げを主張する野党の「消費活動の底上げによる経済効果」は否定できないが、バブル崩壊以降、全国各地の有効求人倍率は最高水準を更新し、失業率も最低を記録しているが、もし最低賃金を大幅引き上げしたら大企業はともかく、中小零細企業や自営業者は悲鳴を上げる。悲鳴を上げるだけで済めばいいが、軒並み人件費倒産が続出し、かえって失業者が街にあふれる結果になる可能性も否定できない。実際、お隣の韓国では極端なリベラル派の文大統領が最低賃金を大幅に引き上げる政策を実行した結果、人件費倒産する中小零細企業や自営業者が続出して、街には失業者があふれる結果を生んでいる。
 またトランプ大統領が始めた「関税戦争」(※貿易戦争や貿易摩擦より的確な表現だと思う。私の発案)の結果、アメリカではGMが工場を閉鎖したり(輸入原材料費が高騰して、コスト増を販売価格に転嫁すると消費者にそっぽを向かれるから、というのが工場閉鎖の理由)、最近では米調査会社のトレード・パートナーシップ社がアメリカが対中第4次関税戦争を発動した場合、アメリカの平均家計支出(4人家族)は年間2294ドル(約25万円)増え、失業者が215万人出る(※私見だが、コスト増による企業倒産や事業縮小の結果と推定できる)との予測を公表している。
 私はブログで何度も、自分自身いやになるほど書いてきたが、「いかなる政策もメリットだけではない。必ず副作用を伴う。副作用を明らかにせずメリットだけを強調するような政治姿勢が、国民の政治不信を招いている最大の要因」である。副作用を明らかにしたうえで、メリットとのバランスをどうとるか、また少子化に歯止めをかけることが絶対不可能な歴史的流れの中で、どういう痛みに国民は耐えなければならないかを、政治家自身が痛みを国民と共有する姿勢を示さなければ、政治不信は増幅するばかりだ。日本だけではなく世界の一応「民主主義国家」を自認している先進国の政治家が、まず「政治屋」を脱皮しなければ、民主主義は永遠に「青い鳥」のままだ。そうした観点から、参院選について、今回のブログでは最大の争点になるであろう「年金問題」と「消費税増税延期」について、前回のブログの続編として改めて考察してみたい。
 なお、G20サミットの直前、トランプ大統領が突然「対日敵視発言」を始めた。この発言(安保条約問題だけではない)を映像で伝えたのは6月27日のNHKニュースウォッチ9だが、この重要発言を他のメディアは伝えていないようだし(本来なら菅官房長官の記者会見で大問題化すべきことだが、すべてのメディアが不問にしている)、この重要発言についても、この稿の【追記】として書く。
【年金問題について】まず問題が一気に拡大した金融庁審議会の報告書だが、前回のブログで書いたように、厚生年金に加入していたサラーリーマンの夫が65歳で定年退職し、その時点で60歳専業主婦の妻との老後生活(30年間)を21万8000円の年金受給額だけでは維持できず、月5.5万円が不足するという前提で、5.5×12×30=1980で、約2000万円が不足するという試算にメディアや野党が直反発し、国民も「年金100年安心はうそだったのか」と首相官邸に抗議デモまで行うという事態になり、こともあろうに金融庁に諮問した責任者の麻生金融相までもが「政府のスタンスと違うから、報告書は受け取らない」とバカ丸出しの答弁をし、しかも麻生氏をたしなめるどころか政府が「大臣が受け取らないのだから報告書はなかったことにして国会で議論しない」と闇に葬るという稚拙この上ない対応に終始したことによって国民の政治不信がますます増大したのが、年金問題の本質である。本来野党は麻生発言について「政府のスタンスと違うから受け取らない」という大臣としての姿勢を問題にする前に(それはそれで追及すべきだが)、麻生氏が言う「政府のスタンス」とは何かを問うべきだった。そうしていれば、年金問題について政府、というより麻生という大うつけ者を、いくら盟友の安倍総理としてもかばいきれない状況に追い込むことができたと思う。結局、麻生氏が発言した年金問題についての「政府のスタンス」は明らかにされないまま、年金問題が最大の争点となる参院選に突入してしまうことになった。
 与党側は「安定した政治」をキャッチフレーズに憲法改正問題を争点にしようと躍起になっているが、事実上、憲法改正は棚上げ状態が続いており、「争点外し」という批判が噴出するだろうことは間違いない。私が前回書いたブログを参考にして「もともと年金だけで老後生活を保障するなどと言ったことは一度もない」と、年金100年安心プランの目的を改めて明確にしたうえで、金融庁審議会の試算方式の間違い(※「単純平均値」の試算だから)という政府の指摘も間違い)をきちんと説明していたら、煙のうちに火種を消すことができていた。政策がその場しのぎの対症療法でしかないから、政策自体の有効性より副作用のほうが拡大する局面になっても、場当たり的な対処しかできないという、いいお手本と言えよう。
 ただ野党の追及も、国民の多くが誤解していることをいいことに「それ幸い」とばかりに悪乗りして、国民の誤解をさらに増幅させるような政府批判を繰り返しているのはいかがなものかとも思う。まず麻生氏に対する追及も手ぬるい。手ぬるいどころか、私に言わせれば完全な的外れ。まずは「年金100年安心プラン」についての誤解がある。以降「プラン」と略すが、このプランを作成したのは小泉政権時代の2004年に公明党・坂口厚労相が苦労して作成したものだが、当時100年後までの人口動態の統計学による予測をもとに年金制度の安定を図る目的で作った。そうした発想の最初の出発点が、そもそも間違っている。統計学が有効なのは、比較的近い将来の予測までである。100年後の人口動態がどうなっているかなど、いくら最新の統計学の手法を活用しても予測などできるわけがない。もし有効なものにするなら、数えきれないくらいの前提条件がすべて満たされた場合にのみ可能であり、例えば100年後の年金世代の平均余命の科学的推定、少子化現象(合計特殊出生率)の科学的予測、日本経済の発展(あるいは停滞、減退の可能性も)、100年後の高齢者の生活様態、高齢者世代の住居環境(特に地方の過疎化がどう進んでいるか)など、数え上げていけばきりがない。プラン作成過程において、そうした数々の科学的予測をどこまで厚労省は行ったのか。もしやっていなかったとしたら、しょせんプランは最初から「絵に描いた餅」に過ぎなかったと言わざるをえない。
 そんな「絵に描いた餅」を、政府への国民の信頼を高めるために利用してきたとしたら、そのしっぺ返しが国民の「我々の老後をどうしてくれえるのだ」という感情的反発である。そのことを政府・与党、とりわけ公明党は国民の前に明確にしなければならない。だから私は前回のブログを投稿した後、公明党本部事務局に電話して「山口代表が100年安心プランというキャッチフレーズが国民に年金制度改定についての誤解を与え、大変申し訳なかったと記者会見を開いて謝罪すべきだ」と申し入れたが、「執行部に伝えます」という返事だけで、一向に公明党はこの問題について明確な説明をしていない。
 で、再度6月28日(先週末)に電話をして同じことを申し入れたが、その時対応した事務局員は「100年安心プランは公明党が作ったキャッチフレーズではない。マスコミが勝手に作ったものだから公明党に責任はない」との回答があった。で、改めてネット検索してみた。その結果、そんな言い逃れは不可能だということが判明したので明らかにしておく。まず6月23日の東京新聞朝刊にはこうある。中根政人記者の署名入り記事を貼り付け転載させていただく。

 安倍政権では、公的年金制度が将来も持続していくことを強調する際に「百年安心」という決まり文句をよく使うようになった。だがその取り扱いは、時々の政権で都合よく変わっている。
 「百年安心」を最初に用いたのは、小泉政権当時の公明党だ。二〇〇三年の衆院選に向け「年金百年安心プラン」を提案。同党の坂口力厚生労働相(当時)のもとで翌〇四年に公的年金制度改革を実施した。
 この改革で、物価や賃金の上昇よりも年金の支給額の伸びを抑える「マクロ経済スライド」を導入。年金の給付水準維持や保険料の上限も定めた。これが現行制度の基盤になっている。坂口氏は当時の国会答弁で、年金を「百年安心にしたい」と明言していた。
 「百年安心」は政権の共通理解になっていたわけではない。〇九年に麻生太郎首相(当時)は「政府としてうたったことはない」と指摘。第二次安倍政権でも歴代厚労相は、政府として公式に使っていないとの答弁を維持。安倍晋三首相も国会答弁で使うことを極力避けてきた。
 一転して「百年安心」を使い始めたのは、老後資金に二千万円が必要とした金融庁審議会の報告書をきっかけに、安倍政権が公的年金制度の信頼性を強調せざるを得なくなったからだ。
 安倍首相は今月十日の参院決算委員会で「マクロ経済スライドによって百年安心の制度ができた」と訴えた。麻生金融担当相は十八日の参院財政金融委員会で「百年安心」の定義を問われ「年金をもらう側の立場に立ってもかなりの部分が賄える」と答弁。給付の面でも問題ないと独自の見解も示している。 (中根政人)
 では公明党自信はプランついてどう説明しているか。公明党はホームページのQ&Aでこう説明している。やはり重要な個所を貼り付け転載する。
 様々な世論調査を見ても、政府が最優先で取り組むべき課題として、「景気対策」と並んで「年金や医療など社会保障政策」が挙げられています。特に「年金制度」は高齢者だけでなく、子どもから働き盛りのすべての国民にとって重要な課題です。若い人々の中には年金など将来もらえる訳がないとして全く払わない方も多いようですが、これはとんでもない誤りです。基礎年金は確かに給付額としては満足のいくものではありませんが、これを掛けておかなかったために働けなくなってから苦しんでいる人も多いのです。また働ける時に十分な貯蓄をしてその元本と利息だけで老後を食べていけるような人は極めて稀でしょう。経済が低成長の時代こそ、高齢社会を安心して生きてゆけるように、みんなで助け合う年金制度を維持する必要があります。
 公明党と坂口厚生労働大臣はこのような観点にたって、100年先までを展望した「年金100年安心プラン」を提案致しました。マスコミはこれまで旧厚生省の年金改革案に対して抜本改革先送りであると批判的でしたが、今回の坂口試案についてはなかなか評価をしているようです。それは坂口大臣がこれまで役所が絶対手をつけなかった「年金積立金」(147兆円)を取り崩し、将来の世代が受け取る年金額の底上げに使うことを認めさせたからです。取り崩す最大の理由は、「団塊の世代とその子どもたちの年金受給が終わる2060年ごろまでの年金財政が最も苦しいので、その時に積立金を給付費に使いたい」からです。同プランではこの積立金を2100年時点で1年分約25兆円が残るようにします。
 これは大変な抜本改革です。坂口大臣と役所との激しい対立もありました。しかし、これによって年金の給付水準を「現役世代の平均収入の50%以上、できれば55%程度」を確保できるわけです。現在の水準は59%です。積立金を維持する従来の方式だと、少子化が現状程度(1.39)なら現役平均収入の52.8%、少子化が進行した場合(1.10)は47.8%と給付が5割を割り込んでしまいます。一方、積立金を使う同プランでは、少子化が進行しても51.2%、少子化が現状程度であれば54.5%を確保できます。なお同プランでは政府は5年ごとに向こう95年間の年金財政を見直して計画を作り直し、2100年以降も積立金が底をつかないようにします。
 公明党本部の事務局員が大ウソをついてまで、「100年安心プラン」が国民に与えた誤解についての責任回避に必死になったことがお分かりになったと思う。参院選で公明党がプラン問題で窮地に陥りかねないためのウソだろうと、一応「善意」に解釈しておくが、やはり国民の多くに誤解を与えたとしたら公明党の責任は軽くない。メンツなどにこだわっていないで、山口代表はさっさと謝罪記者会見を行うべきだ。ついでに言っておくが、政府は火消しのために必死に「安心とは年金制度のことで年金生活の保障ではない」と主張しているが、マクロ経済スライド制だけでいうなら、厚生年金加入者がいなくならない限り制度自体は100年どころか1万年でも続けられる。だが、プランは年金支給基準に関してマクロ経済スライド制の導入だけでなく、100年後でも現役世代手取り収入の50%は最低でも保証するとしている。その一方で、現役世代の年金保険支払い額の上限を最大でも年収の18.3%以内に収めるとしている。当然それだけでは年金支給総額を賄えないから国庫(税収)負担を現行の30%から50%に増やすとしている。税収がこの負担に耐えられるだけ増大すればいいが、減る可能性は考えないのか。現役世代でも終身雇用の廃止(※企業が社員の採用に際して終身雇用契約を結ぶケースはない。経団連会長やトヨタ自動車社長が終身雇用の廃止を言い出した本音は年功序列の賃金体系を廃止するためだ)によって、今後の生活設計を根本から見直さざるを得なくなる時代がもうすぐ来る。そういう時代の税収をどうするか、その問題を解決しないと国庫負担を50%に増加する案も「絵に描いた餅」になる可能性が高い。その場しのぎの政治は、もういい加減にやめてもらいたい。
【消費税増税延期問題】野党は軒並み揃えて消費税増税は延期すべきだと主張している。なぜか。国民、特に低所得層が増税に反対しているからか。つまり反対層の票が欲しいからか。私には野党の「反対」論は、そうとしか見えない。
 私はかねてから消費税増税には基本的に反対はしないが、ばかばかしい軽減税率制導入や、景気対策としてのわけのわからないポイント還元制はやめろと主張してきた。それに、もともと3党合意で決めた消費税増税の主目的は財政再建だった。が、今回の消費税増税の主目的は票集めのためのバラマキに代わってしまった。その最たるものが幼児教育の無償化である。
 もともと消費税は逆進税制である。つまり税負担が低所得者ほど重く、高所得者には軽い。いまさら言うまでもない常識だ。日本で消費税が導入されたのは竹下内閣の1981年である。その時同時に所得税制も大きく変わり、高額所得者の所得税が大幅に軽減された。当時、日本は「世界で最も成功した社会主義国」と言われたり、日本経済は「資本主義ではなく人本主義だ」と言われたりしていた。給与格差は小さく、経営陣と新入社員の給与格差が世界一少ないとされていたからである。で、竹下内閣が消費税導入のための論法として打ち出したのが、「日本ほど高額所得者の税負担が大きい国はない。欧米並みに税負担を軽減しなければ、高額所得者の働く意欲が失われる」というものだった。考えてみればおかしな話で、当時「自己実現論」がブームだった。人の欲望はいくつかの段階に分かれるが、最も崇高な欲望は金銭のためではなく自己実現のために働くこと、という説である。当時の「働き方改革」と言えるかもしれない。が、竹下内閣の消費税導入論は「最も崇高な欲望は、自己実現のためではなく、金銭のために働くことだ」と言ったに等しい。「働き方改革」の大転換である。この大矛盾にメディアも名だたる評論家も気づかなかった。日本人の生産性が低いのは、所詮そうした頭の悪さのせいかもしれない、と私は最近思うようになった。そんなことにこだわる私の方がバカなのか?
 消費税の逆進性は、高所得層のエンゲル係数と低所得層のエンゲル係数を見れば一目瞭然である。統計局の調査でも所得に応じてエンゲル係数がリンクしていることが確認されており、同局のホームページには「所得が高く(低く)なるにつれ、エンゲル係数は低く(高く)なるというエンゲルの法則は、約150年たった現在の日本においても成り立っていることがうかがえます」と書かれている。1億総中流意識を持っていた時代と異なり、竹下内閣以降の自民党政権による高所得者優遇政策によって格差が拡大の一方をたどっている日本では、逆進性をさらに増幅する軽減税率制(※高所得層にしか手が出せない国産ブランド牛のひれ肉やサーロインと、低所得層が主な購入者であるオージービーフの切り落としが同じ軽減税率の対象になっていること自体がその証明)は絶対に容認すべきではない。
 もっと訳が分からないのがポイント制の導入。キャッシュレス化推進というのが建て前の理由だが、本音は違う。実は現行の消費税制は、売上高1000万円以下の自営業者には特例として免除されている。顧客から受け取った消費税を国に納めなくてもいいというのではなく、顧客に消費税を求めなくてもいいというのが「免除」の内容。竹下内閣の時は免除対象が3000万円以下だったが、益税業者が続出したため売上高の上限を1000万円に引き下げた。だが、店舗を構えて売上高が1000万円以下で営業が可能かどうか考えるまでもない。商店街に店舗など構える必要がない自由業者の場合は印税などの収入がほぼ100%に近いが、竹下内閣による消費税導入時には出版社やレコード会社、映画制作社などは著者や作曲家、作詞家、歌手、出演者などへの消費税支払いをどうするか、かなり問題化した。年収3000万円を超える自由業者はそう多くはいないが、業界別に話し合った結果、自由業者の年収を把握することは不可能という結論になり、すべて印税に消費税を加算することにした。結果、自由業者にとっては消費税は収入になったが、小売業者の場合の益税対策は後手後手になった。
 零細小売業者を対象とするポイント還元制導入(ポイント還元期間は9か月、期限が過ぎると還元はなくなる)の目的は、実はキャッシュレス化の推進でもなければ景気対策でもない。消費税は小売業者の収入ではなく、顧客からの預かり金で、国に納付する義務があるのだが、そうした認識を持っている小売り業者は少なく、顧客に対する請求金額に上乗せできる利益と「錯覚」している向きが多い。実際、消費税を5%にアップした時、橋本内閣は内税方式(小売価格に消費税を含ませる)を採用したが、そうすることによって売上高を把握すれば小売店が顧客から預かった消費税額も把握できるという計算があった。この時メディアは「将来の消費税引き上げ時の消費者の反発を抑えるため」と解釈していたが、まったくの的外れの読みでしかなかった。益税をあぶりだすのが内税方式の本当の狙いだった。
 が、政府の読みも浅かった。小売店や飲食業者は当然ながら商品(メニュー)1点ごとに消費税を加算した料金提示をする。顧客の支払いは消費税込みの単価の総額を払えばいいということになる。この消費税徴収方法が実は違法なのだ。消費税は竹下内閣の導入時から、1回の買い物すべて、1回の飲食すべてに消費税率をかけて徴収することになっていた(※この事実を知っている人は極めて少ないと思う。メディアも知っていたら、内税方式は違法だと言えたはずだ)。だから安倍内閣が行った8%への増税時には内税方式を廃止したのだ。で、スーパーなどでは商品ごとに本体価格と消費税込み価格の両方を表示することにした。消費税は1円未満切り捨てだから、実際にレジで支払う金額は、消費税込み単価の総額より多くなるのだ。例えば本体価格88円の商品を2個買ったとする。この商品の消費税込み価格は1個90円だが、2個買うとレジでの支払額は181円になる。私はなぜ内税方式を止めたのか、政府の意図を確認するため、実際に某スーパーで検証買い物をしてみた。間違いなく税込み商品単価より多く請求され、「では1個ずつ清算してくれ」と頼んだところ、支払金額が減っただけでなく、レジ袋不要ポイントも買った商品の数分だけ加算してくれた。そんな面倒くさい検証は、そのとき1回しかしていないが、メディアの記者たちは要人の発言や学者や専門家の意見を集めることだけでなく、どういう検証をすれば政府の政策意図を明らかにできるかをもっと考えるべきだ。結論を言えば、ポイント還元制度は益税小売業者をあぶりだすのが目的で、だからキャッシュレス決済用のレジスターを無料で配布したり、軽減税率と一般税率を容易に区分け計算できるレジスターに交換する場合の補助金を大盤振る舞いしたりしているのだ。お分かりかな、自称ジャーナリストの諸君。 
ま、ちょっときつい言い方だったと、口先だけで謝罪しておく。橋本内閣が内税方式で諸費税を増税した時、日本の最高学歴者たちのトップエリート官僚集団の大蔵省(当時)の中でも最高エリートの巣窟・主税局のキャリア官僚も、内税方式が違法だったことに気づいていなかったのだから、巨大メディアの経済記者クラスが疑問を抱かなかったのも無理はないかもしれない。あなたたちの能力を買いかぶりすぎた劣等生の私の不明でした。消費税問題については書き足りないこともあるが、関心のある方は昨年12月30日に投稿したブログ『今年最後のブログ――消費税増税とアベノミクスの再検証』を参照してください。
【追記】衝撃的なニュースが飛び込んできたのはG20サミットの直前だった。まず米通信社のブルーンバーグが6月25日、「トランプ大統領が日米安保条約を破棄する可能性について側近に漏らした」と報じた。ニュース・ソースは明らかにしなかったが、日米両政府は「あり得ないこと」と火消しに躍起になった。が、その翌日26日には録音されていることを承知の上で、トランプ大統領がアメリカで数少ない好意的なメディアの一つであるFOXビジネスニュースの電話インタビューに応じ、「日本が攻撃されたときアメリカは第3次世界大戦を戦い猛烈な犠牲を払うことになるが、アメリカが攻撃されて救援が必要なとき日本はソニーのテレビで見物するだけだ」と日米安保条約の片務性への不満をぶつけた。
 この報道を受け、菅官房長官は27日午前の記者会見で日米安保条約について「片務的ではなく、お互いにバランスが取れている条約だと思う」と述べたが、アメリカ国内では日米安保条約についてトランプ大統領と同様な感情的思い込みをしている人たちがいまでも大半である。はっきり言って、日米安保条約をめぐっての日米のパーセプション・ギャップは地球と月の距離くらい大きい。両国政府がそれぞれの国民に対して条約が目的としている本来の意図を正確に説明していないからだ。
 例えば普天間基地の移設問題についても、安倍総理は繰り返し「普天間は世界一危険な基地と言われている。その危険性を除去するために1日も早く普天間基地を撤去したい」と言う。ここまでの話なら、沖縄県民も誰一人として反対しないだろう。が、普天間基地を撤去するとして、その代替地がなぜ辺野古しかないのか。民主党政権の初代総理の鳩山氏も当初「最低でも県外移設」を公約していたが、結局アメリカの圧力に負けて辺野古移設を認めた。安倍政権になってからは「日本の安全保障の観点からも、辺野古が唯一の選択肢だ」と繰り返し主張するが、「なぜ辺野古が唯一の選択肢なのか」の説明責任は総理以下誰も果たしていない。かつて大阪府の橋下知事が「大阪で引き受ける」とアホなことを言ったことがあるが、政府は耳も貸さなかった。
 今年6月には秋田で県と防衛省の間で軋轢が生じた。イージス・ショアの配備を山口県と秋田県の2か所に決めた防衛省の設置場所を選ぶための調査に誤りがあったことが明らかになったが、安倍総理のおひざ元である山口県では問題化していないようだが、秋田県では大騒動になった。調査に誤りがあったことを認めながら、配備計画の見直しはしないという防衛省の姿勢に秋田県民が猛反発したのだ。イージス・ショアの配備についてはおそらくアメリカから秋田県と山口県にしろという要請(命令に近い)があったためと思われるが(北朝鮮のミサイルがハワイに向けて発射された場合は秋田で撃ち落とすしかなく、グアムに向けて発射された場合は山口で撃ち落とすしかないから)、そうした事情については政府も防衛省も口が裂けても言えない。
 つまり、米軍基地の立地にしても、イージス・ショアの配備計画にしても、すべて日本の安全保障は二の次でアメリカの軍事的覇権構想の中で策定されていることについて、トランプ大統領があまりにも無知で(大統領になるまで政治経験が全くなく、側近でトランプが最も信頼している家族も政治経験はゼロ)、日本に対する「リメンバー・パースハーバー」の国民感情が対日政策の基本になっているためとしか考えられない。菅官房長官が「バランスが取れている」というなら、単に米軍基地に対する金銭的負担の大きさを理由にするのではなく、普天間基地移設問題にしてもイージス・ショア配備計画にしても、日本はアメリカの言いなりになっているではないかと反論するならわかる。
 ところがトランプ大統領はC20サミットに出発する直前の26日、野外で記者会見に応じ、「アメリカを利用してきたいろんな国の連中に会うよ。中国・ロシア・日本など多くの国と何が起きるか見てみよう」(NHK訳)と発言した。
 トランプにとっては日本は中国やロシアなど、アメリカにとって「仮想敵国」である中国やロシアと同列の存在でしかないことが、この発言ではっきりした。この発言を問題にしたのは、たぶんこのブログが初めてだと思う。発言内容を正確に知るためNHKに問い合わせたが、最初電話口に出たコミュニケーターの女性はすぐ「テープを巻き戻して調べます」と素直に応じたが、しばらく待たされた挙句「今お答えできかねます。明日もう一度お電話ください」との返答だった。私は「あなたに答えられないなら、今すぐスーパーバイザーに代わってくれ」と要求し、スーパーバイザーに調べてもらった内容である。
 最近、社内で地殻変動が生じているのかどうかはわからないが、安倍政権への追及姿勢に甘さが感じられる朝日新聞は、この重大発言について28日付朝刊で短く伝えた。朝日が報じたトランプ発言は「多くの国が米国を利用してきたが、もうすぐなくなる」だけで、この発言について署名記者は「トランプ氏は今回のG20期間中の首脳会談で、日本を含めた同盟国に対しても、貿易や安全保障で米国の負担が大きく不公平という批判を強めていく可能性がある」と解釈した。ノーテンキな報道としか言いようがない。この記者はトランプがなぜ日本を名指しで中国やロシアと同列に扱ったのかという問題意識のかけらも持っていないようだ。朝日新聞が軽減税率の対象になったことで政府に感謝感激したせいなのか、記者のレベルが落ちたのか、私には知る由もない。
少し古い話になるが、日米貿易摩擦が火をふいていた時期の1989年1月、ソニー会長の盛田昭夫氏と石原慎太郎氏の共著『「NO」と言える日本』が出版された。刊行当時はさほど話題にならなかったが、アメリカで同書が翻訳され(ただし海賊版)、「反米的だ」と議会で問題になったため日本でも爆発的なベストセラーになった。この本は二人の対談をゴーストライターが対談本としてではなく、各章を二人が別々に書くという形式をとって共著という形にした。盛田氏が書いたことになっている個所では特に反米的要素はなかったが、石原氏の箇所が問題にされた。石原氏は『文藝春秋』などで「アメリカの人種差別というタブーに触れたことが反発を受けたようだ」と釈明したが、事実は違う。石原氏は同書で日本の半導体技術が世界に冠たることを誇ったうえで、「日本が、半導体をソ連に売ってアメリカに売らないと言えば、それだけで軍事バランスががらりと様相を変えてしまう」と書いたことが、「日本はそういうことをする国か」と米議会で問題視されたのだ。当時、石原氏は「将来の総理候補第1人者」と国内では見られていたが、この本のせいで総理の目が消え、東京都知事への道を選んだのだろう。
 一方、割を食ったのは盛田氏率いるソニーである。同年9月、ソニーは米映画会社コロンビアを買収した時、米国内で「アメリカの魂まで買うのか」と猛烈な非難を浴びた。ソニーはその前の87年には世界最大のレコード会社CBSレコードを買収していたが、そのときにはむしろ歓迎されていた。また89年3月からソニーが交渉を進めていたMGMの買収が失敗に終わり(豪マードックが破格の条件で買収に成功したため)、やはり売りに出されていたコロンビア買収にかじを切り替えただけのことである。トランプ大統領が図らずも「アメリカ有事の際に日本人はソニーのテレビを見ているだけだ」と、ソニーの名を出したのも、トランプ氏の頭の中には、この当時の日米貿易摩擦で刻み込まれた日本観がいまだ根付いたままなのかもしれない。
 はっきり言って日米安保条約は間違いなく片務的ではある。平和ボケした学者や評論家は「日本もちゃんと対価を払っているではないか」と主張するが、金銭的対価で安保条約が双務的になったわけではない。日本が攻撃されたとき米軍は血を流して日本を守らなければならないが、アメリカが攻撃されても自衛隊はアメリカを守る必要がないことを片務的だとトランプは主張しており、その主張は疑いもなく正しい。そんな同盟関係など、世界史を紐解いても全くない。日本の政治家や評論家、メディアが「同盟」「同盟」と日米関係を強調するから、トランプ大統領も日ごろから頭にきているのだろう。実際、自民党の重鎮(例えば石破茂氏)も「日本が有事に際した時、本当に米軍が血を流して日本を守ってくれるという保証はない」と、冷静な見方をしている。そりゃそうだ。アメリカの軍人も人間だ。アメリカがいざという時一緒に戦ってくれない日本のために、なぜ我々だけが血を流さなければならないのかと考えるのはごく自然の感情だ。
ただトランプ大統領は日本だけでなく同盟国すべてに対して不満を持っている。「自分の国を守るのに米軍の力を必要とするなら、そのためにアメリカが負担している費用は全額、アメリカに守ってもらっている国が負担すべきだ」という考えが根底にあるからだ。日本側は「基地を提供しているではないか。また米軍基地維持のために日本が負担しているコスト比率は世界で最大だ」と反論する。この反論が正当だとするならば「辺野古をはじめ米軍基地は日本の安全保障のためだ」というこれまでの説明が、100%ひっくり返ってしまう。
 だから、トランプが願っているように、本当に日米安保条約を双務的な条約にしようというなら、憲法を改正すると同時に日米安保条約も改正して、日本もアメリカを守るためにアメリカ国内に、日本にとって都合のいい場所に自衛隊基地を設置し、アメリカとの間に地位協定も結ぶ。もちろん地位協定の内容は日本における米軍の地位協定に準ずるものとする。そのために憲法改正するというなら、私は大賛成だ。ただし、私が言う憲法改正論は、安倍さんの対米従属関係をより深めるために、集団的自衛権の行使を容認しただけでなく、米軍有事の際、アメリカのために実際に集団的自衛権を行使して自衛隊の軍事行動を可能にするための憲法改正論では毛頭ない。だから言うまでもないが、現行憲法9条2項で規制されているように、交戦権は否認したままでいい。どうせアメリカを攻撃できる国など世界中に1か国もないのだから。もちろん、アメリカに駐留する自衛隊はアメリカの軍事行動に従う必要は全くない。アメリカの国土が他国から攻撃されたときのみ、米軍と一緒になってアメリカを防衛すればいいのだから、こんなに楽な任務はない。極端に言えば、持っていく防衛装備品も「張り子のトラ」で十分だ。実際に使用しなければならないリスクは天文学的確率で限りなくゼロに近いからだ。もとより、アメリカがアメリカの都合で始めた軍事行動には知らん顔をしていい。とにかく日本における駐留米軍の役割以上の義務を駐留自衛隊も負う必要はないのだから。自衛隊基地の設置場所は、例えばディズニーランドの周辺とか、ハワイ・オアフ島のホノルル周辺とかが最適ではないだろうか。どこに設置したところで「世界一安全な基地」になることは間違いないのだから、派遣する自衛隊員は日本だけでなく世界各地で災害救助に命をかけて活躍した人たちに「ご苦労さまでした」という意味を込めて派遣すればいい。日本の自衛隊員は規律に関しては厳しく教育されているから、派遣地域(海外も含めて)の現地の人たちとトラブルを生じることもほとんどなく、歓迎されているという。アメリカに派遣される自衛隊員の行動にアメリカ人が接すれば、米国内にいまだ残っている対日悪感情も一気に解消するだろう。こういう趣旨の改憲論であれば、平和ボケした絶対平和主義者も反対しまい。
 なおG20でトランプ大統領は安倍総理との首脳会談で安保条約の改定を要求したようだ。現在の安保条約は「不公平・不平等だ」というのがトランプ大統領の言い分だ。私もトランプ大統領の言い分の正当性は認める。日本側は思いやり予算や地位協定の存在を根拠に反論するだろうが、そんな反論は反論にならない。トランプが言っているのは「アメリカ人は日本を守るために血を流さなければならないのに、日本人はアメリカのために血を流そうとはしない」ということだ。思いやり予算や地位協定は、アメリカ人が流すかもしれない血の対価にはなりえない。絶対平和主義者たちの、日本は二度と戦争をすべきではない、という主張には私も共感するが、ただ憲法改正反対を叫ぶだけでは国民の同意は得なれない。
戦争は絶対にしたくない
日本は非同盟中立にする
 それはそれで一つの選択肢であることは私も認める。が、その場合はスイスのように国民皆武装・国連非加盟という選択肢しかない。当然徴兵制が必要になる。戦争はしたくないが、自分で自分の身を守ることもしたくない。そんな手前勝手な絶対平和主義が世界で通用するとでも思っているのか。
 ただ、その可能性がかすかではあるが、一つだけある。自衛隊を「国際災害救援隊」に改組して、世界のどこでも災害が発生した場所に避難民を救助するための組織であることを世界に宣言することだ。救援の対象は自然災害だけでなく、テロなどの被害を受けている避難民の救援も行う。その場合、血を流さなければならないことも当然ありうる。だとしても、武器を一切持たずに救援に行く。そういう実績を積めば、そういう国を攻撃する国は世界からなくなる。絶対平和主義を貫くためには、そういう覚悟を国民に求めなければならない。ただ憲法改正に反対するだけでは絶対平和主義は実現できない。