小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

読売新聞読者センターはついに「白旗」を挙げた ! !

2013-01-26 06:13:02 | Weblog
 一昨日(24日)投稿したブログ記事『桜ノ宮(桜宮の誤植、手書きで原稿を書いていた時代と違ってワード、特に2010版は馬鹿な人工知能を導入したため誤変換が多く困っている。2月7日に2013版が発売されるので、バカな人工知能を除去したのであれば、マイクロソフトに無料ダウンロードを要求するつもりだ)を実名報道し、仙台育英高校や皇字山中学の校名を伏せたマスコミの報道基準はどこにあるのか』と題するブログ記事の原本を、同ブログに書いたように読売新聞読者センターに当日の早朝、別紙を付してFAXしておいた。その別紙の一部を公開する。

 前半は読み飛ばしていただいて結構です。4ページ目以降をお読みください。私がブログでウソを書いたのか、それとも読者センターの方2名がウソをついたのか、改めて検証願います。私にはウソを書く動機がありませんが読者センターのお二人にはウソをつく動機があります。身内の「弁解」を信じたフリをすることは政治家だけにしていただきたいと願っています。今日午後8時過ぎNHKのクローズアップ現代を見た後電話します。どなたが電話に出られても対応できる体制をとっておいてください。

 実際8時過ぎに読売新聞読者センターに電話した。電話口に出た方は全く聞き覚えのない若い方のようだった。私が名前を名乗った途端「FAXは読みましたが、過去のことについてはお話しできません」といきなり私の要請を拒否された。「なぜか」と問きただしたが、「記事についてのご意見があれば伺いますが、過去の問題についてはお話しできません。記事についてのご意見がなければ電話を切らせていただきます」と、一方的に電話を切られた。
 実は昨年12月、読売新聞のコンプライアンス委員会に過去の読売新聞読者センターに対して行った数回にわたる批判のブログ記事をプリントした文書を送付し、読者センターのコンプライアンス違反を告発したことがある。その告発文の要点が昨日投稿したブログで指摘した3点だった。コンプライアンス委員会からはその後何の連絡もないが、無視はしなかったのではないかと思われる節がある。
 私は読者センターに1回しか電話しなかったが、大体読者センターの担当者は50歳代後半の方が大半で、現場(記者としての)を卒業した元ベテラン記者である。時には「定年退職してアルバイトでしているんですよ」と自分の立場を明確にされる方もいるくらいである。
一昨日、電話に出られた方は40代としか思えないような若々しい声で、口調も穏やかで、問題発生当時の読者センター担当者のようなとげとげしさは全く感じなかった。多分私の告発が原因で当時の読者センター担当者の大半が総入れ替えになったのではないかと思う(これはあまり根拠のない憶測)。
 私は、別にマスコミ評論を商売にしているわけではないから、数紙を読み比べて各紙の主張に対して論評したことはない。第一全国紙5紙を読み比べる時間もないし、多額の新聞代を払うのはもったいない(商売でするなら別だが)。
 ただ、いちおう5紙のWebサイトは「お気に入り」に入れているので、大きな事件や問題(政治・社会関係)についての「社説読み比べ」は、読者からあまり受けないかもしれないが今後、月に1~2回はやってみようと考えている。
 それはともかく「過去のことはお話しできません」という断り方は、事実上私の指摘を肯定したことを意味する。どうしてそう言い切れるのか、と質問されると困るのだが、こうした逃げ方はジャーナリストの常套手段なのである。この業界の「常識」を、容認するかしないかは別として(私自身はそういう逃げ方をしたことはかつてないし、今後もブログ読者からのご批判には誠実にお答えする)、単なる事実として理解していただくしかない。
 皆さんもよくご存じのように、政治家は「秘書が」「妻が」と、何か問題(特に不正な金銭的問題が明らかになった時)を追及された時の「逃げ口上」にすることは彼らの常套手段である。もっとも有名なのは、リクルート事件だった。
 日本中がバブル景気に沸いていた時、リクルートはマンション事業に進出し、その事業を担当するリクルートコスモス(現コスモスイニシア)という子会社を作った。その会社の株式を公開するに先立ち、リクルートの創業者の江副浩正氏が未公開株を政財界の大物に広くばらまき、いわゆる「リクルート事件」として今もよく知られている。その時リクルートコスモス株を譲渡された大物政治家は全員「妻が」「秘書が」を連発し、自分は知らなかったと責任逃れを図ったが、国会野党やマスコミの追及に屈して当時内閣総理大臣だった竹下登が退陣を余儀なくされたことは皆さんよく御存じだと思う。この時リクルートコスモス株を譲渡された大物政治家は、竹下以外にも中曽根康弘、宮澤喜一、森善朗、安倍晋太郎、渡辺美智雄、加藤孝などそうそうたる連中であった。また政治家だけでなく、NTT会長の真藤恒、日本経済新聞社社長の森田康などもおり、いずれも引責辞任に追い込まれた。なぜか警察大学長(金子仁英 ?--「仁英」の漢字名はうろ覚えなので正確ではない可能性がある)も譲渡を受けていたが表面化することがなかった。また経済小説家として名をはせていた清水一行は自分の取材スタッフ兼代筆者(小説家が代筆者を使うのは奇妙に思われるかもしれないが、純文学は別として、大量に作品を書いている大衆小説家の場合は代筆者を使うケースが多いのは出版社の編集者なら絶対否定しない。なお代筆者の一般的職業名は「フリーライター」、業界用語では「ゴーストライタ-」と呼ぶ)の名前で譲渡されていたが、清水一行の名前は伏せられた。マスコミの情報管理も自社の利害関係が絡んでくると社会的使命を忘れるという特技を有しているようだ。
 ま、マスコミというのはそういう体質を堅持していることをご理解いただければ、それで結構。
 ことのついでに日本の裁判は過去の苦い経験から冤罪者を出さないために物質的証拠がないと、簡単に無罪判決を下してしまいがちである。その典型的ケースが、近くは小沢一郎の政治資金規正法違反の容疑についての無罪判決である。小沢は父親からの遺産相続について税理士や弁護士を総動員して手練手管を駆使し、相続税逃れをしてきたことは周知のことでありながら(そのことを違法とは言っていない)、4億円もの大金を担保に入れて本来不必要な金利を払ってまで銀行から預けた金と同額の金を借りるという摩訶不思議な手法で不動産を購入するといった行為について小沢は、終始一貫「秘書任せにしてきたことで私は何も知らない」と弁明、この摩訶不思議さに日本の裁判官は目をつぶってしまった。
 また三浦和義事件では、二人の妻がいずれもアメリカで他殺され、しかも二人の妻には多額の保険金が掛けられていたという、小説でも描けないようなケース(そういうケースが生じうる確率は天文学的確率になる)ですら状況証拠だけでは「疑わしきは被告に有利に」という裁判の原則を拡大解釈して無罪にしてしまった(その後、アメリカでは執拗に捜査を続けていたようで、ついに三浦を逮捕、三浦は確実な証拠をつかまれたと思い獄中自殺したが)。
 
 いずれにせよ「過去のことについてはお話しできない」という逃げ方は、事実上私の追及に屈したことを意味することだけ分かっていただければ、私の目的は十分達した。マスコミ関係者なら私の解釈が正しいことを認めてくれるはずである。
 読売新聞読者センターがそういう回答をした以上、この問題でこれ以上読売新聞読者センターを追求することはやめる。事実上「白旗」を挙げた相手をそれ以上追及するほどの事件ではないと思うからだ。
 ただ読売新聞読者センターに対する追及はやめるが、
読売新聞の社説や記事に対する批判の手を緩めることは一切しないことを読者の皆さんにお約束する。
 

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