昨日は、日本になぜ、そういう経緯で「年功序列・終身雇用」という、おそらく世界に例を見ない(※ひょっとしたら韓国も同じかもしれない)「年功序列・終身雇用」という雇用形態が形成され、そして崩壊しつつあるのかを見てきた。
「見てきた」と、勝手に書いたが、歴史的経緯はネットでいろいろなキーワードで検索してみたが、残念ながらそうした研究をした学者はいなかったようで、歴史的経緯を確認することはできなかった。したがって、昨日書いた歴史的経緯に関しては戦国時代の始まりと言える「下克上」、戦国時代の風雲児・織田信長の能力主義人事政策と秀吉の継承、そして能力主義・実力主義をはびこらせておくと徳川政権もいつ崩壊するかわからないという前2代政権の脆弱さの教訓から、「儒教」を国の規範とすることによって「年功序列・終身雇用」の雇用形態の基礎が築かれたという考え方は、私の純粋な論理的思考による結論の出し方であり、事実確認によって裏付けられたものではないことをお断りしておきたい。本来、昨日のブログで明らかにしておくべきだったが、書き忘れてしまったので、今日のブログの冒頭でお断りした次第だ。
実は30年ほど前から、儒教が日本をダメにしたと私は考えており、当時の私は儒教研究をライフワークにしようと思っていたくらいだった。その当時私は山本七兵氏が行きつけの銀座の小さなクラブで何度か山本氏と飲んだことがある。最初に偶然出版社の編集長にそのクラブで紹介されたのがきっかけであった。山本氏は一応クリスチャンということになってはいるが、日本の儒学についても緻密に研究しており、昭和の儒学研究の第一人者と言ってもいいだろうと私は思っている。
山本氏の著作は、鋭い視点で誰もがテーマにしようともしなかったことに、何らかの意味を見出して掘り下げるという手法だった。自分自身は特に主張はせず、たとえば日常的に使われている「空気」(自然界の空気のことではなく、「その場の空気」「空気が変わった」といった使用法での「空気」)とか「水」(やはり自然界の水のことではなく「水を差す」「水に流す」と言った使用法での「水」)の意味を分析したりする能力にかけては抜群であった。私が言葉にこだわるようになったのは、山本氏の著書からの影響が多分にあったと思う。
ただ、山本氏が儒学研究の第一人者でありながら、世に隠れた儒学者の功績を発掘するだけで、儒教が日本をどう変えたのか、その残滓を日本人はいまだに社会的規範として引きずっていることの指摘をしたこともなければ、日本人がそうした呪縛から自らを解放しない限り国際社会で日本は再び孤立しかねないといった視点は持っていなかった。
氏は山本書店という小さな出版社の社長兼編集長としての長い経験を積み重ねたことが、自分自身が著者になって以降も編集者的スタンスから脱皮できなかった最大の理由ではなかったかと私は思っている。私もこの年になって儒教の研究を再開しようとは思わないが、儒教の原点は支配者の権力を維持するための屁理屈をあたかも学問あるいは宗教として集大成したものにすぎず、それを家康が日本に定着することに成功した結果が、「徳川300年」の礎を築くことになったことだけは疑いようのない事実である。
「年功序列・終身雇用」の雇用形態の原点は、こうして徳川家康が導入した儒教精神を基盤に形成されてきたと私は考えている。
日本の学者の最大の欠陥は、ジャーナリストと同様、自分の専門分野のことしか調べようとしない単眼思考にある。だから、歴史学者は歴史的事実の表面しか研究しないし、雇用・賃金問題の研究者は日本の「年功序列・終身雇用」という雇用・賃金形態がバブル崩壊によって徐々に崩れつつあるという事実を丹念に調べることしかしていない。もちろん、そういう研究は研究として意味がないわけではなく必要なことだが、「では日本の雇用形態は今後、どのように変わってくのだろうか。あるいはどのように変わるべきなのか」ということまで頭が回らない。「回らない」というより「回す」ための思考力を身に付けていない。単眼思考とはそういうことを意味する。
あまり回り道をせず、結論を急ごう。
私が江戸時代にさかのぼって「年功序列・雇用形態」の原点を求めたのは、徳川政権だけでなく、さまざまなビジネス社会にとっても極めて都合のいいシステムになったからだ。たぶん「徒弟制度」(年季奉公制度あるいは親方制度、丁稚制度とも)は江戸時代に作られたと私は想像している。そう考えないと論理的整合性が取れないからだ。
実は中世ヨーロッパ(14世紀頃)にも似た制度はあった。これは産業革命を生み出す原点になった制度と思われるが、職業技能の訓練のために行われたもので、「親方制度」とも言われている。親方・職人・徒弟の3階層による技能の継承・向上を図るために確立された身分的階層制度と言われているが、親方が徒弟を住み込みで衣食を保証して技能を修得させていくが、労働に対する対価は「衣食住の提供」であり賃金は支払わない。厳密に言えば、徒弟を卒業して職人になると(結婚して一家を構えた時が職人になる条件だったようだ)、親方との間には雇用関係が生じるが、徒弟の間は雇用関係とは言えないと思う。有名なのはドイツのマイスター(親方)制度で、これは読者の方たちも高校時代に学ばれているはずだ(覚えていないかもしれないが)。
日本でも刀剣や鉄砲、農業器具(スキ・クワなど)の製造技能を訓練するという名目で低賃金(小遣い程度)の弟子を雇う仕組みは古くからあったが、年季奉公が制度化されたのは江戸時代に入ってからである。職業によって呼び方は様々だが、丁稚(でっち)、小僧、弟子、奉公人などの呼称が知られている。
ヨーロッパの雇用形態は、職人になると労働の対価としての賃金が発生し、
その基準は年功序列ではなく職務職能になる。だから労働力に価値が持続する
間は、能力に応じて賃金も上昇し、近代・現代の雇用形態に近付いて行ったと
考えられる。一方職人時代に独自のデザイン開発・製造技術の発明などに成功した職人は、資産家の支援を得て独立して親方になるケースもあった。スイスの時計メーカー、フランスやイタリアのファッションやバッグなどのメーカーは世界的に有名になっても、意外に会社としての規模がそれほど大きくないのはそのためと思われる。
それに対して日本の場合は、江戸時代に入り徳川幕府が反幕勢力の出現を防ぐため武器類の製造技術の研究開発を厳しく規制した。そのためヨーロッパのような産業革命が日本では生じなかったと考えられる。多くの工業技術の原点は武器を含む軍事技術の民間移転にあるとされるが、日本で近代工業の発展がヨーロッパに比べ大きく遅れを取ったのはそのためではないか、と私は考えている。
日本で徒弟制度が最も発展したのは商業分野であった。これはやはり江戸時代に確立した「士農工商」という身分制度が大きく作用したのではないかと思う。商業はもっとも卑しい職業と見なされ、その結果、権利・義務の関係もあまり幕府は関与することを避けたのではないだろうか。その結果、商業分野では独特な徒弟制度が生まれたと考えられる。ヨーロッパでは工業分野で発達した徒弟制度が、日本では商業分野でもっとも発達したのも、「そうした前提なしには説明できない」(理研・笹井の言葉)「暖簾分け制度」が生まれた事情が見られるからである。
これは戯言だが、理研・笹井の言葉は今年の流行語大賞の候補にしてもいいのではないかと、私はマジに思っている。
日本の商店では雇用関係は、丁稚→手代→番頭(商店の規模により小番頭・中番頭・大番頭と分けられることもある)→のれん分けによる独立、という流れになっていた。住み込みは手代までで、手代になると賃金が発生するが、丁稚時代は無給である(なおこれもネット検索では分からなかったが、日本におけるお年玉の慣習は無給の丁稚に対して、正月くらいはお小遣いをやろうという商店主の行為が始まりではないかと思う)。なおのれん分けの費用は商店主が負担しており(現代は違う)、そのためのれん分けを許された番頭は実際に独立して店舗を持つまでの間「お礼奉公」として一定期間勤務を続ける慣習があったようだ。のれん分けにあずかれるチャンスは意外に厳しく、三井家の丁稚がのれん分けまで立身出世できた確率は300分の1だったとされている。またのれん分けで独立のための費用を雇い主が負担したのは、現代における退職金としての意味だったと思う。
こうして江戸時代に基礎が確立された「年功序列・終身雇用」のいわゆる日本型雇用形態は、いったん明治維新によって事実上崩壊する。崩壊させた原因は身分制度の廃止である。
その先駆けを作ったのは高杉晋作と坂本龍馬であった。高杉は長州藩兵力を強化するため、まだ士農工商の身分制度が存続していた時代にいち早く身分制度を廃止し、武家以外の家業に就いていた人たちを武士として公募するという、封建制度破壊を試みた最初の日本人である。一方日本における株式会社の元祖とされる亀山社中(のちの海援隊)を創設した坂本は、その社是として利益至上主義を高々と掲げている。そういう意味では株式会社の元祖というより資本主義思想の先駆者と言った方がいいだろう。
二人とも明治維新が実現する前に高杉は病死、坂本は暗殺という形で生涯を閉じたが、この二人の思想が明治維新以降の新政府の政策に継承され、いったん日本は米欧型の実力主義の世界に入る。ただ、人材育成の目的もあって、「年功序列・終身雇用」の雇用形態は薄らいだが、学歴社会が始まった。私事で恐縮だが、私の父は旧帝国大学を卒業して就職したため、現在では考えられないような優雅な生活を終戦までは送ったようだ。東京都世田谷区の東急沿線で一軒家の社宅を与えられ、子供ができたときは乳母を雇っていたという。
先を急ぐ。戦後、日本は民主化され(かなり左翼主義的な民主化)、「なんでも平等が民主主義だ」という風潮が日本社会全体を覆うようになった。教育もそうなら、国民皆保険制度もそう、雇用形態も「民主化」された。今はそんなことはないと思うが、一流企業の社長の平均給料が大卒新入社員の30倍でしかないということが報道され、それが消費税導入の引き金になったといういきさつもある。その結果、定着したのが実力主義ではなく、みんな一緒に幸せになりましょうという「年功序列・終身雇用」の雇用形態だった。安倍総理が座長を務める産業競争力会議は、そうした日本型雇用形態を一変させるための労働基準法改定を考えているのだろうか。
もしそうだとしたら、おかしなことがある。現在の時間外労働(残業や休日出勤)に対する割増賃金は基本給を基準に計算されている。だから、大半の企業の「労働基準法違反」をまず是正してからの話であるべきだろう。労働基準法は、賞与や退職金の算定基準については何も決めていない。企業の自由な裁量に任せている。が、時間外労働に対する割増賃金の算定基準は決めている。その基準は、基本給ではなく基準内賃金である。昨日のブログに書いたように、基準内賃金とは基準外賃金(扶養家族手当・住宅手当・通勤手当など仕事に関係ない要素の賃金)を除いたすべての、つまり労働に対するすべての賃金のことである。
一方、基本給は年齢・勤続年数・学歴の3要素によって決められている。本来、こうした要素の賃金は労働力の価値と直結した賃金ではない。むしろ基準外に相当する賃金と考えるのが合理的である。が、ほとんどの企業が時間外手当手の算定基準を基本給にしている。つまり労働基準法の精神に違反しているということだ。現に欧米の給与体系に、日本のような基本給があるだろうか。メディアは欧米の給与体系について一切報道しないが、メディアの社員自身が日本型給与体系の恩恵を被っているから報道しないのでは…と思うのは勘ぐりすぎだろうか。
私は憲法にせよ法律にせよ、条文の解釈より条文に盛り込まれている本来の精神の方を重視すべきだと考えている。「法の精神」という言葉があるが、「解釈」によって肝心の「法の精神」を台無しにしてしまう行為がまかり通るのは「法治国家」とは言えない。中国が自らを「法治国家」と称しているのは「独裁権力による統治」を法の精神にしているからだろう。
朝日新聞は、4月28日付朝刊の社説で「残業と賃金 成果主義を言う前に」
と題する社説の冒頭でこう述べた。「何時間働いたかではなく、どんな成果を上げたかで賃金が決まる。それ自体は、合理的な考え方だ」と。その書き出しに続いて、朝日新聞はこう主張した。「だが、過大な成果を求められれば、長時間労働を余儀なくされ、命や健康がむしばまれかねない。その危機感が薄いのが心配だ」と。笑ってしまったよ、思わず。
自分が勤めている会社(朝日新聞社)が労働基準法に違反して、何時間働いたかを基準に賃金を支払っているのに、それに抗議もできない論説委員が「時間ではなく成果で賃金が決まること自体は合理的だ」などとよく言えたものだ。
一般的に言われていることだが、従業員の3割は会社に貢献し、3割は足を引っ張り、残りの4割は可もなし不可もなしだ。つまり足を引っ張っている3割の従業員は、会社に貢献している3割の従業員を搾取していることになる。それが実は「年功序列・終身雇用」の日本型雇用形態が生み出した結果なのだ。成果主義とは、会社に貢献した者が報われる雇用形態に変えようということなら、まずもって「年功序列・終身雇用」の温床になっている基本給制度を廃止することが先だ。
別に「基本給」という名目の給与を失くせと言っているわけではない。時間外労働に対する割増賃金の算出基準を労働基準法が定めている基準内賃金にすれば、事実上企業にとって基本給は意味を持たなくなる。意味を持たないどころか、むしろ基本給制度を存続させれば企業にとっては業績を悪化させる大きな要因になる。否応なく米欧型の「同一労働同一賃金」に移行せざるをえなくなる。そうなった場合、企業業績の足を引っ張っている3割の従業員が人並みの給料をもらうためには、長時間労働によって会社への貢献度を高めるしかない。朝日新聞は、そうなることが不愉快なのか。ということは、この社説を書いた論説委員は足を引っ張っている3割の中に入っているのだろうな。ま、そうでなければ、こんな「心配」はしないだろうから。
朝日新聞の論説委員に対する嫌味はそのくらいにしておくが、米欧の「同一労働同一賃金」はキリスト教の精神から生まれたとされている(ウィキペディアによる)。キリスト教の精神とどう結びつくのかはウィキペディアでは説明していないので不明だが、日本特有の「年功序列・終身雇用」という雇用形態が儒教精神を基盤に確立されてきたことはたぶん間違いないと思う。
ただ「同一労働」の基準をどう算定するかは非常に難しい。「科学的管理法の父」と称されている米フェデリック・ウィンスロー・テイラーはミッドベール製鋼所の機械技師だったとき、当時の米産業界に蔓延していた組織的怠業問題を解決するため、単純に労働時間で賃金を決めるのではなく、個々の労働者の作業能率を基準にした賃金や工程の配置を提案するため、ストップウォッチで個々の単純作業にかかっている時間を計り、流れ作業の効率化を実現することに成功した。トヨタの「看板方式」はテイラー・モデルの現代版と言ってもいいかもしれない。
ただ「科学的管理法」の欠陥は単純作業にしか適用できないという致命的欠陥を持っている。研究者などの専門職や、デスクワークの仕事が多い知的職種の労働力の価値を算定する基準はおそらく100年研究しても作ることは出来ないだろう。
元日亜化学工業の社員だった中村修二氏(現在は米カリフォルニア大学教授)が在職中に高輝度青色発光ダイオードを発明し、発明に対する「正当な報酬」を会社に要求して話題になったことがある。この係争は東京高裁で日亜化学工業が中村氏に8億4000万円を「発明の対価」として支払うことで和解が成立し、その後次々に「発明に対する正当な報酬」の支払を会社に要求する訴訟が起こされるようになった。今は、会社が技術系社員との間に「発明に対する報酬契約」を結ぶようになり係争はなくなったが、会社の利益に貢献する仕事は発明だけではあるまい。技術系社員にのみ「会社の利益に貢献した報酬」が支払われるということになると、技術系社員はプロスポーツの選手や芸能人のように「個人事業者」扱いするのが正当であり、会社との関係も雇用関係ではなく契約関係にすべきだろう。
中村氏の場合は、当初会社から公認されていた研究開発がストップされ、アングラ研究を続けた結果として発明できたという事情があったが、研究が会社から公認されていた時代、数億円の研究開発予算を自由に使える立場にあり、会社から研究のストップを命じられたのちもアングラとはいえ事実上、ほかの名目での研究費を使っての研究活動であり、またアングラ研究を続けていた間も、そのことを会社に隠して給与を支給されていた。そう考えると「発明の対価」という考え方そのものが、技術系社員の正当な権利と言えるのかどうか、私は疑問に思っている。当時のメディアは、一斉に中村氏の肩を持ったが、技
術系社員ではなく事務系社員や営業職社員が会社の利益に大きく貢献する業績を上げた場合、会社は数億円単位の成果報酬を支払う義務が生じるはずだとは考えなかったのか。
「同一労働同一賃金」は、単純作業の従事者には最適の賃金システムだが、労働の価値をフェアに算定できない職種の場合はどうするのか、そういうことも考慮に入れた「成果主義賃金制度」なのか。米欧型の「同一労働同一賃金」制度は、知的労働に従事する社員の労働の価値に対する評価の権限は上司が握っており、上司の評価が低いという不満を持った部下は、その上司より大きな権限を持つ人とのよほどのコネでもないかぎり、自分の能力を正当に評価してくれる会社に転職してしまう。そうしたケースをとらえて一時日本では「アメリカでは転職を重ねることで給料が上がっていく転職天国の国」といった誤解が生じたが、そういうケースはほんの一握りであって、実態は権限を持つ上司に逆らえないというのがアメリカの雇用形態である。その反映として、能力の高い部下を持った上司はしばしば、部下をクビにしてしまうといった弊害もあり、米産業界でもそうした事態に対する対策をいろいろ考慮しているはずだ。何でもアメリカのシステムは正しいと思い込んだ規制改革は、日本をとんでもない社会に変えてしまう危険性もあることを指摘して、このテーマの結びとする。
「見てきた」と、勝手に書いたが、歴史的経緯はネットでいろいろなキーワードで検索してみたが、残念ながらそうした研究をした学者はいなかったようで、歴史的経緯を確認することはできなかった。したがって、昨日書いた歴史的経緯に関しては戦国時代の始まりと言える「下克上」、戦国時代の風雲児・織田信長の能力主義人事政策と秀吉の継承、そして能力主義・実力主義をはびこらせておくと徳川政権もいつ崩壊するかわからないという前2代政権の脆弱さの教訓から、「儒教」を国の規範とすることによって「年功序列・終身雇用」の雇用形態の基礎が築かれたという考え方は、私の純粋な論理的思考による結論の出し方であり、事実確認によって裏付けられたものではないことをお断りしておきたい。本来、昨日のブログで明らかにしておくべきだったが、書き忘れてしまったので、今日のブログの冒頭でお断りした次第だ。
実は30年ほど前から、儒教が日本をダメにしたと私は考えており、当時の私は儒教研究をライフワークにしようと思っていたくらいだった。その当時私は山本七兵氏が行きつけの銀座の小さなクラブで何度か山本氏と飲んだことがある。最初に偶然出版社の編集長にそのクラブで紹介されたのがきっかけであった。山本氏は一応クリスチャンということになってはいるが、日本の儒学についても緻密に研究しており、昭和の儒学研究の第一人者と言ってもいいだろうと私は思っている。
山本氏の著作は、鋭い視点で誰もがテーマにしようともしなかったことに、何らかの意味を見出して掘り下げるという手法だった。自分自身は特に主張はせず、たとえば日常的に使われている「空気」(自然界の空気のことではなく、「その場の空気」「空気が変わった」といった使用法での「空気」)とか「水」(やはり自然界の水のことではなく「水を差す」「水に流す」と言った使用法での「水」)の意味を分析したりする能力にかけては抜群であった。私が言葉にこだわるようになったのは、山本氏の著書からの影響が多分にあったと思う。
ただ、山本氏が儒学研究の第一人者でありながら、世に隠れた儒学者の功績を発掘するだけで、儒教が日本をどう変えたのか、その残滓を日本人はいまだに社会的規範として引きずっていることの指摘をしたこともなければ、日本人がそうした呪縛から自らを解放しない限り国際社会で日本は再び孤立しかねないといった視点は持っていなかった。
氏は山本書店という小さな出版社の社長兼編集長としての長い経験を積み重ねたことが、自分自身が著者になって以降も編集者的スタンスから脱皮できなかった最大の理由ではなかったかと私は思っている。私もこの年になって儒教の研究を再開しようとは思わないが、儒教の原点は支配者の権力を維持するための屁理屈をあたかも学問あるいは宗教として集大成したものにすぎず、それを家康が日本に定着することに成功した結果が、「徳川300年」の礎を築くことになったことだけは疑いようのない事実である。
「年功序列・終身雇用」の雇用形態の原点は、こうして徳川家康が導入した儒教精神を基盤に形成されてきたと私は考えている。
日本の学者の最大の欠陥は、ジャーナリストと同様、自分の専門分野のことしか調べようとしない単眼思考にある。だから、歴史学者は歴史的事実の表面しか研究しないし、雇用・賃金問題の研究者は日本の「年功序列・終身雇用」という雇用・賃金形態がバブル崩壊によって徐々に崩れつつあるという事実を丹念に調べることしかしていない。もちろん、そういう研究は研究として意味がないわけではなく必要なことだが、「では日本の雇用形態は今後、どのように変わってくのだろうか。あるいはどのように変わるべきなのか」ということまで頭が回らない。「回らない」というより「回す」ための思考力を身に付けていない。単眼思考とはそういうことを意味する。
あまり回り道をせず、結論を急ごう。
私が江戸時代にさかのぼって「年功序列・雇用形態」の原点を求めたのは、徳川政権だけでなく、さまざまなビジネス社会にとっても極めて都合のいいシステムになったからだ。たぶん「徒弟制度」(年季奉公制度あるいは親方制度、丁稚制度とも)は江戸時代に作られたと私は想像している。そう考えないと論理的整合性が取れないからだ。
実は中世ヨーロッパ(14世紀頃)にも似た制度はあった。これは産業革命を生み出す原点になった制度と思われるが、職業技能の訓練のために行われたもので、「親方制度」とも言われている。親方・職人・徒弟の3階層による技能の継承・向上を図るために確立された身分的階層制度と言われているが、親方が徒弟を住み込みで衣食を保証して技能を修得させていくが、労働に対する対価は「衣食住の提供」であり賃金は支払わない。厳密に言えば、徒弟を卒業して職人になると(結婚して一家を構えた時が職人になる条件だったようだ)、親方との間には雇用関係が生じるが、徒弟の間は雇用関係とは言えないと思う。有名なのはドイツのマイスター(親方)制度で、これは読者の方たちも高校時代に学ばれているはずだ(覚えていないかもしれないが)。
日本でも刀剣や鉄砲、農業器具(スキ・クワなど)の製造技能を訓練するという名目で低賃金(小遣い程度)の弟子を雇う仕組みは古くからあったが、年季奉公が制度化されたのは江戸時代に入ってからである。職業によって呼び方は様々だが、丁稚(でっち)、小僧、弟子、奉公人などの呼称が知られている。
ヨーロッパの雇用形態は、職人になると労働の対価としての賃金が発生し、
その基準は年功序列ではなく職務職能になる。だから労働力に価値が持続する
間は、能力に応じて賃金も上昇し、近代・現代の雇用形態に近付いて行ったと
考えられる。一方職人時代に独自のデザイン開発・製造技術の発明などに成功した職人は、資産家の支援を得て独立して親方になるケースもあった。スイスの時計メーカー、フランスやイタリアのファッションやバッグなどのメーカーは世界的に有名になっても、意外に会社としての規模がそれほど大きくないのはそのためと思われる。
それに対して日本の場合は、江戸時代に入り徳川幕府が反幕勢力の出現を防ぐため武器類の製造技術の研究開発を厳しく規制した。そのためヨーロッパのような産業革命が日本では生じなかったと考えられる。多くの工業技術の原点は武器を含む軍事技術の民間移転にあるとされるが、日本で近代工業の発展がヨーロッパに比べ大きく遅れを取ったのはそのためではないか、と私は考えている。
日本で徒弟制度が最も発展したのは商業分野であった。これはやはり江戸時代に確立した「士農工商」という身分制度が大きく作用したのではないかと思う。商業はもっとも卑しい職業と見なされ、その結果、権利・義務の関係もあまり幕府は関与することを避けたのではないだろうか。その結果、商業分野では独特な徒弟制度が生まれたと考えられる。ヨーロッパでは工業分野で発達した徒弟制度が、日本では商業分野でもっとも発達したのも、「そうした前提なしには説明できない」(理研・笹井の言葉)「暖簾分け制度」が生まれた事情が見られるからである。
これは戯言だが、理研・笹井の言葉は今年の流行語大賞の候補にしてもいいのではないかと、私はマジに思っている。
日本の商店では雇用関係は、丁稚→手代→番頭(商店の規模により小番頭・中番頭・大番頭と分けられることもある)→のれん分けによる独立、という流れになっていた。住み込みは手代までで、手代になると賃金が発生するが、丁稚時代は無給である(なおこれもネット検索では分からなかったが、日本におけるお年玉の慣習は無給の丁稚に対して、正月くらいはお小遣いをやろうという商店主の行為が始まりではないかと思う)。なおのれん分けの費用は商店主が負担しており(現代は違う)、そのためのれん分けを許された番頭は実際に独立して店舗を持つまでの間「お礼奉公」として一定期間勤務を続ける慣習があったようだ。のれん分けにあずかれるチャンスは意外に厳しく、三井家の丁稚がのれん分けまで立身出世できた確率は300分の1だったとされている。またのれん分けで独立のための費用を雇い主が負担したのは、現代における退職金としての意味だったと思う。
こうして江戸時代に基礎が確立された「年功序列・終身雇用」のいわゆる日本型雇用形態は、いったん明治維新によって事実上崩壊する。崩壊させた原因は身分制度の廃止である。
その先駆けを作ったのは高杉晋作と坂本龍馬であった。高杉は長州藩兵力を強化するため、まだ士農工商の身分制度が存続していた時代にいち早く身分制度を廃止し、武家以外の家業に就いていた人たちを武士として公募するという、封建制度破壊を試みた最初の日本人である。一方日本における株式会社の元祖とされる亀山社中(のちの海援隊)を創設した坂本は、その社是として利益至上主義を高々と掲げている。そういう意味では株式会社の元祖というより資本主義思想の先駆者と言った方がいいだろう。
二人とも明治維新が実現する前に高杉は病死、坂本は暗殺という形で生涯を閉じたが、この二人の思想が明治維新以降の新政府の政策に継承され、いったん日本は米欧型の実力主義の世界に入る。ただ、人材育成の目的もあって、「年功序列・終身雇用」の雇用形態は薄らいだが、学歴社会が始まった。私事で恐縮だが、私の父は旧帝国大学を卒業して就職したため、現在では考えられないような優雅な生活を終戦までは送ったようだ。東京都世田谷区の東急沿線で一軒家の社宅を与えられ、子供ができたときは乳母を雇っていたという。
先を急ぐ。戦後、日本は民主化され(かなり左翼主義的な民主化)、「なんでも平等が民主主義だ」という風潮が日本社会全体を覆うようになった。教育もそうなら、国民皆保険制度もそう、雇用形態も「民主化」された。今はそんなことはないと思うが、一流企業の社長の平均給料が大卒新入社員の30倍でしかないということが報道され、それが消費税導入の引き金になったといういきさつもある。その結果、定着したのが実力主義ではなく、みんな一緒に幸せになりましょうという「年功序列・終身雇用」の雇用形態だった。安倍総理が座長を務める産業競争力会議は、そうした日本型雇用形態を一変させるための労働基準法改定を考えているのだろうか。
もしそうだとしたら、おかしなことがある。現在の時間外労働(残業や休日出勤)に対する割増賃金は基本給を基準に計算されている。だから、大半の企業の「労働基準法違反」をまず是正してからの話であるべきだろう。労働基準法は、賞与や退職金の算定基準については何も決めていない。企業の自由な裁量に任せている。が、時間外労働に対する割増賃金の算定基準は決めている。その基準は、基本給ではなく基準内賃金である。昨日のブログに書いたように、基準内賃金とは基準外賃金(扶養家族手当・住宅手当・通勤手当など仕事に関係ない要素の賃金)を除いたすべての、つまり労働に対するすべての賃金のことである。
一方、基本給は年齢・勤続年数・学歴の3要素によって決められている。本来、こうした要素の賃金は労働力の価値と直結した賃金ではない。むしろ基準外に相当する賃金と考えるのが合理的である。が、ほとんどの企業が時間外手当手の算定基準を基本給にしている。つまり労働基準法の精神に違反しているということだ。現に欧米の給与体系に、日本のような基本給があるだろうか。メディアは欧米の給与体系について一切報道しないが、メディアの社員自身が日本型給与体系の恩恵を被っているから報道しないのでは…と思うのは勘ぐりすぎだろうか。
私は憲法にせよ法律にせよ、条文の解釈より条文に盛り込まれている本来の精神の方を重視すべきだと考えている。「法の精神」という言葉があるが、「解釈」によって肝心の「法の精神」を台無しにしてしまう行為がまかり通るのは「法治国家」とは言えない。中国が自らを「法治国家」と称しているのは「独裁権力による統治」を法の精神にしているからだろう。
朝日新聞は、4月28日付朝刊の社説で「残業と賃金 成果主義を言う前に」
と題する社説の冒頭でこう述べた。「何時間働いたかではなく、どんな成果を上げたかで賃金が決まる。それ自体は、合理的な考え方だ」と。その書き出しに続いて、朝日新聞はこう主張した。「だが、過大な成果を求められれば、長時間労働を余儀なくされ、命や健康がむしばまれかねない。その危機感が薄いのが心配だ」と。笑ってしまったよ、思わず。
自分が勤めている会社(朝日新聞社)が労働基準法に違反して、何時間働いたかを基準に賃金を支払っているのに、それに抗議もできない論説委員が「時間ではなく成果で賃金が決まること自体は合理的だ」などとよく言えたものだ。
一般的に言われていることだが、従業員の3割は会社に貢献し、3割は足を引っ張り、残りの4割は可もなし不可もなしだ。つまり足を引っ張っている3割の従業員は、会社に貢献している3割の従業員を搾取していることになる。それが実は「年功序列・終身雇用」の日本型雇用形態が生み出した結果なのだ。成果主義とは、会社に貢献した者が報われる雇用形態に変えようということなら、まずもって「年功序列・終身雇用」の温床になっている基本給制度を廃止することが先だ。
別に「基本給」という名目の給与を失くせと言っているわけではない。時間外労働に対する割増賃金の算出基準を労働基準法が定めている基準内賃金にすれば、事実上企業にとって基本給は意味を持たなくなる。意味を持たないどころか、むしろ基本給制度を存続させれば企業にとっては業績を悪化させる大きな要因になる。否応なく米欧型の「同一労働同一賃金」に移行せざるをえなくなる。そうなった場合、企業業績の足を引っ張っている3割の従業員が人並みの給料をもらうためには、長時間労働によって会社への貢献度を高めるしかない。朝日新聞は、そうなることが不愉快なのか。ということは、この社説を書いた論説委員は足を引っ張っている3割の中に入っているのだろうな。ま、そうでなければ、こんな「心配」はしないだろうから。
朝日新聞の論説委員に対する嫌味はそのくらいにしておくが、米欧の「同一労働同一賃金」はキリスト教の精神から生まれたとされている(ウィキペディアによる)。キリスト教の精神とどう結びつくのかはウィキペディアでは説明していないので不明だが、日本特有の「年功序列・終身雇用」という雇用形態が儒教精神を基盤に確立されてきたことはたぶん間違いないと思う。
ただ「同一労働」の基準をどう算定するかは非常に難しい。「科学的管理法の父」と称されている米フェデリック・ウィンスロー・テイラーはミッドベール製鋼所の機械技師だったとき、当時の米産業界に蔓延していた組織的怠業問題を解決するため、単純に労働時間で賃金を決めるのではなく、個々の労働者の作業能率を基準にした賃金や工程の配置を提案するため、ストップウォッチで個々の単純作業にかかっている時間を計り、流れ作業の効率化を実現することに成功した。トヨタの「看板方式」はテイラー・モデルの現代版と言ってもいいかもしれない。
ただ「科学的管理法」の欠陥は単純作業にしか適用できないという致命的欠陥を持っている。研究者などの専門職や、デスクワークの仕事が多い知的職種の労働力の価値を算定する基準はおそらく100年研究しても作ることは出来ないだろう。
元日亜化学工業の社員だった中村修二氏(現在は米カリフォルニア大学教授)が在職中に高輝度青色発光ダイオードを発明し、発明に対する「正当な報酬」を会社に要求して話題になったことがある。この係争は東京高裁で日亜化学工業が中村氏に8億4000万円を「発明の対価」として支払うことで和解が成立し、その後次々に「発明に対する正当な報酬」の支払を会社に要求する訴訟が起こされるようになった。今は、会社が技術系社員との間に「発明に対する報酬契約」を結ぶようになり係争はなくなったが、会社の利益に貢献する仕事は発明だけではあるまい。技術系社員にのみ「会社の利益に貢献した報酬」が支払われるということになると、技術系社員はプロスポーツの選手や芸能人のように「個人事業者」扱いするのが正当であり、会社との関係も雇用関係ではなく契約関係にすべきだろう。
中村氏の場合は、当初会社から公認されていた研究開発がストップされ、アングラ研究を続けた結果として発明できたという事情があったが、研究が会社から公認されていた時代、数億円の研究開発予算を自由に使える立場にあり、会社から研究のストップを命じられたのちもアングラとはいえ事実上、ほかの名目での研究費を使っての研究活動であり、またアングラ研究を続けていた間も、そのことを会社に隠して給与を支給されていた。そう考えると「発明の対価」という考え方そのものが、技術系社員の正当な権利と言えるのかどうか、私は疑問に思っている。当時のメディアは、一斉に中村氏の肩を持ったが、技
術系社員ではなく事務系社員や営業職社員が会社の利益に大きく貢献する業績を上げた場合、会社は数億円単位の成果報酬を支払う義務が生じるはずだとは考えなかったのか。
「同一労働同一賃金」は、単純作業の従事者には最適の賃金システムだが、労働の価値をフェアに算定できない職種の場合はどうするのか、そういうことも考慮に入れた「成果主義賃金制度」なのか。米欧型の「同一労働同一賃金」制度は、知的労働に従事する社員の労働の価値に対する評価の権限は上司が握っており、上司の評価が低いという不満を持った部下は、その上司より大きな権限を持つ人とのよほどのコネでもないかぎり、自分の能力を正当に評価してくれる会社に転職してしまう。そうしたケースをとらえて一時日本では「アメリカでは転職を重ねることで給料が上がっていく転職天国の国」といった誤解が生じたが、そういうケースはほんの一握りであって、実態は権限を持つ上司に逆らえないというのがアメリカの雇用形態である。その反映として、能力の高い部下を持った上司はしばしば、部下をクビにしてしまうといった弊害もあり、米産業界でもそうした事態に対する対策をいろいろ考慮しているはずだ。何でもアメリカのシステムは正しいと思い込んだ規制改革は、日本をとんでもない社会に変えてしまう危険性もあることを指摘して、このテーマの結びとする。
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