このシリーズも今回で5回目を迎えた。ほぼ1日おきにブログを投稿してきたが、今日のブログを含めてあと2回で投票日前のシリーズを終える予定だ。選挙結果がわかり次第、シリーズ最終編として選挙総括をする。
選挙戦中盤の各メディアによる世論調査では、自民圧勝の情勢のようだ。安倍総理の「賭け」は見事に効を奏した感じだ。メディアは「まだ投票態度を決めていない有権者が4割いる。今後情勢が大きく変わる可能性もある」としているが、投票態度を決めていない人たちの大半は無党派層で、意思決定が出来ないまま棄権か白紙投票する可能性が高い。選挙結果は、ほぼメディアの調査を裏付けるだろう。が、自民が大勝しても、安倍総理の続投は望まないという声がかなりを占めている(毎日新聞)。安倍総理がそうした声を謙虚に受け止めるか、「国民の信任を得た」として「安倍一強体制」を復活させ、いったんはあきらめかけた2020年の憲法改正に向けてまっしぐらに突き進む 小林です。今日の朝日新聞の記事を貼り付けます。私がブログで予想したように前原氏の政治生命が危機的状況に追い込まれています。
小池氏はおそらく都議選と同様、選挙が終われば希望の党の代表を降りると思います。都知事と国政政党の代表という「二足のわらじ」を履き続けることが不可能だというくらいのことは分かりきったことで、小池氏も若狭氏に頼まれて選挙中だけの「選挙の顔」「人寄せパンダ」に徹することにしたことくらい、だれにでも想像がつくことで、柳の下に2匹目のドジョウはいなかったことが明白になりました。都民ファーストの会も遅かれ早かれ分解するでしょう。
前原氏、誤算続き窮地 希望への合流決断、党勢失速
衆院選で希望の党への合流を決断した民進党の前原誠司代表が、誤算の連続で窮地に追い込まれている。「排除」と分裂劇の末、政権交代に向けた一時の勢いは失速したまま回復する手立ては見つからない。民進の参院議員の間では選挙後の代表辞任を求める動きも出てきた。
「希望との合流は、安倍1強政治を倒すためだ。今の政治の流れを変えていかなくてはいけない」
前原氏は13日夜、東京都内の街頭演説で希望代表の小池百合子・東京都知事と並び立ち、民進出身者が希望に合流した意義を強調した。報道各社が希望の失速を報じる中、「政治を変えられるのはみなさんの一票です」と危機感を訴えた。
前原氏は安倍晋三首相による「不意打ち解散」を逆手にとり、希望への合流を即断。小池氏の人気に乗じて「政権交代可能な二大政党」実現を目指したが、現実は誤算の連続だった。
前原氏が9月28日の民進の両院議員総会で「誰かを排除するということではない」と説明したが、小池氏は翌日、「全員を受け入れることはさらさらない」と否定。代表代行だった枝野幸男氏は反発し、立憲民主党の立ち上げに踏み切った。
公約も明らかにされない段階で憲法改正の支持などを盛り込んだ政策協定書にサインを迫るやり方に、公認を返上し無所属で出馬する前職も。前原氏は「小池氏の立場になれば、民進が全員来ると困る。それで政策を打ち出したら思わぬ反発が出た」と周辺に困惑の色を隠さなかった。
小池氏の衆院選出馬に事態打開を託して直談判するも固辞され、党としての首相候補も定まらないまま選挙戦に突入。「政権打倒」に必須な与党候補との「1対1」で争う構図は果たせず、希望から立候補した民進出身者も「弁明から入る守りの選挙戦」(中堅の前職)を嘆く。
■参院民進に解任論も
前原氏の方針が招いた3分裂の展開に、民進に残った参院側は反発を強める。
前原氏は衆院選に立候補する前職らを先行して希望に合流させ、選挙後に参院議員や地方議員らも一体化させる方針を示してきた。
だが、小川敏夫参院議員会長は「民進党を守り、再びリベラル勢力を結集する思いで頑張る」と宣言。参院側では、希望ではなく立憲と連携することで党を存続させる道が語られている。参院幹部は「前原氏が希望との合併を提案しても、参院議員が否決する。下手に抵抗したら解任だ」と断言。前原氏は13日、記者団から再結集の可能性を問われ「今は選挙で手いっぱいです」とだけ語った。(斉藤太郎)
か、自民党内の反安倍勢力の動向がカギとなる。
今日のテーマは『安全保障(北朝鮮危機対策)と憲法改正』だ。このテーマだけで数回の分量になりかねないので、これまで述べてきたことを中心に、主なポイントに絞って書く。
安倍総理は今回の解散を「国難突破解散」と命名した。総理による「国難」は二つで「北朝鮮対策」と「少子化対策(のち少子高齢化対策に変更)」である。すでに「少子高齢化対策」については述べたので、まず北朝鮮問題について、日本を国難状態に陥れたのは安倍総理自身であることを、このブログでは立証する。
そもそも北朝鮮が核・ミサイル開発に暴走しているのは、アメリカの敵視政策(北朝鮮を「悪の枢軸」「テロ支援国家」「ならず者国家」と罵詈雑言を浴びせている)と、核を含む軍事力に対する恐怖からである。北朝鮮が、過去、他国に対して挑発的行動を行ったことは朝鮮戦争後、一度もない。むしろ北朝鮮の目と鼻の先で米韓軍事行動をどんどんエスカレートさせ、北朝鮮を挑発してきたのはアメリカだった。それでもカーター大統領の時代まではあからさまな北朝鮮に対する敵視政策をとったことはなかったが、ブッシュ大統領が初めて北朝鮮を「悪の枢軸」「テロ支援国家」「ならず者国家」と決めつけ、北朝鮮に対するあからさまな敵視政策をとるようになった。北朝鮮がキチガイじみた核・ミサイル開発に暴走するようになったのは、それ以降である。
アメリカはだれしも認める、経済的にも軍事的にも世界最強の国である。だからと言って、アメリカの大統領が自分の気に食わない国や人々を排除する権利を持っていると思いあがっているとしたら、そのこと自体が世界の安定と平和にとって極めて危険な要素である。9.11同時多発テロ攻撃を行ったテロ集団を擁護するつもりなど毛頭ないが、彼らを自爆テロ行為に駆り立てたのは、イスラム過激派に対するブッシュ大統領の必要以上の過激な挑発的言動だった。
たとえば、ユネスコという、国連加盟国間の教育・科学・文化の交流による国際平和と福祉促進を目的とした国連の機関がある。その機関からアメリカが来年末に脱退するという。アメリカの庇護下にあるイスラエルと敵対関係にあるパレスチナが、ユネスコに加盟したのが面白くないという理由のようだ。つまりアメリカにとって気に食わない国はすべて敵視し、排除したいというのが、アメリカという国の在り方なのだ。
しかもアメリカの敵視政策は、アメリカよりはるかに弱い国に対してしか発動しない。北朝鮮に対する圧力・制裁の抜け道になっているロシアや中国に対しては、せいぜい「圧力強化に協力してください」とお願いするだけだ。「協力しないなら」と、ロシアや中国に対して軍事的挑発に出たりはしない。
日米軍事同盟や米韓軍事同盟は、小国・北朝鮮にとっては極めて脅威である。ロシアや中国が北朝鮮と軍事同盟を結んで(いちおう中北同盟はあるが)、北朝鮮を中国に核の傘で守ってもらえるという保証があれば、国民生活を犠牲にしてまで核・ミサイル開発に狂奔したりはしない。
米朝のどちらが相手に対して挑発行動を激化しているか、冷静に判断すればアメリカのほうだということが誰にでもわかる。米韓共同軍事訓練を北朝鮮の目と鼻の先で行ったり、最新鋭の戦闘機や空母を北朝鮮の領空海域に進出させたり、北朝鮮を暴発させるための挑発としか思えないようなやり方をしている。
いくら北朝鮮が憎いからと言って、アメリカが核の先制攻撃に出たら、国際世論が「やりすぎだ」と批判の的になることは目に見えているから、アメリカが先に核を使うことは考えられないが、通常兵器で軍事衝突が生じたら、北朝鮮などアメリカにとっては赤子の手をひねるより簡単なことだ。だから北朝鮮にとっては、もしアメリカとの軍事的衝突が生じたら、核でアメリカを攻撃するしか方法がない。
が、北朝鮮にはまだ米本土を核攻撃する能力はないと言われている。トランプ大統領は北朝鮮が米本土に対する核攻撃能力を擁する前に、北朝鮮の軍事力を徹底的に破壊してしまいたいと思っているようで、最近の対北挑発言動には目に余るものがある。トランプ大統領の戦略は、挑発にのって北朝鮮が先に手を出すことを期待しているのかもしれない。そうすれば堂々と北朝鮮に対する軍事行動を正当化できるからだ。
しかも、たとえ北朝鮮がすでに米本土に対する核攻撃能力を持っていたとしても、核ミサイルがアメリカに届くまでかなりの時間的余裕があるから、迎撃できる可能性は高い。が、東京にはおそらく数分で届く。実際、北朝鮮のミサイルが襟裳岬上空を通過した時も、Jアラートで住民に避難を呼びかけても避難のための時間はせいぜい1~2分しかなかったという。
ということは、万一米朝間に軍事衝突が生じたら、真っ先にとばっちりを受けるのは日本と韓国ということになる。だから、安倍総理が日本の平和を最優先で考えるなら、何とか話し合いで米朝間の緊張を解きほぐすことに全力を注ぐべきなのに、安倍総理は真逆の外交を行っている。つまり「もう対話で解決すべき時期は終わった。さらに圧力と制裁を強化して北朝鮮に核放棄を迫るべきだ」と公言、かえってトランプ大統領の対北軍事的挑発をあおったりまでしている。これが、日本の総理のやることか。
実際、そういう言動が北朝鮮をいたずらに刺激して、北朝鮮がアメリカだけでなく日本も敵国視するようになった。国難を招いたのは、ほかならない安倍総理自身だと私が断言したのはそのためだ。
北朝鮮の暴走を止めるにはどうしたらいいか。安倍総理がトランプ大統領と会って、北朝鮮に対する挑発的言辞や軍事的威嚇行動をやめるよう説得し、その足で北朝鮮の金委員長と会って平和条約交渉に入る。拉致問題を棚上げしての平和条約締結は難しいかもしれないが、「私がトランプを説得して北朝鮮に対する先制攻撃はさせないから、当面、核・ミサイル開発計画を凍結してほしい」と要請したら、間違いなく北朝鮮は応じる。
対中国への抑止力として核を開発したインド、そのインドに対する抑止力として核を持ったパキスタン。いま、この両国は核を放棄はしていないが、核開発競争の連鎖は生じていない。北朝鮮も、アメリカの脅威がなくなれば、核開発を続ける意味がなく、朝鮮半島の危機は遠のく。
安倍総理が、対米・対北外交で朝鮮半島の危機的状況をストップできれば、ノーベル平和賞の対象になる。
次に憲法問題だ。安倍総理は「憲法学者の7割が自衛隊は違憲だと言っている。だから憲法9条の1項、2項は残して3項を追加して自衛隊を明記する」と、改憲の目的を強調している。
憲法9条の2項には、二つの制約が書かれている。一つは「戦力の不保持」であり、もう一つは「交戦権の否認」である。これまで政府は「自衛隊は戦力にあらず」として「実力」という意味不明な位置づけをしてきた。「実力」が「戦力」すなわち「軍事力」を意味しないのであれば、自衛隊は張子の虎あるいは竹光でしかないことを意味しているとしか解釈できない。
その解釈が正しければ、安保法制による「集団的自衛権の行使容認」は、アメリカに対する詐欺行為を意味する。なぜなら、戦力でもなく軍事力も擁さない自衛隊に、戦闘中の米軍の周りをちょろちょろ動き回られたら、米軍にとってははた迷惑この上ないだろう。
現行憲法を改正するなら、憲法審査会で野党の意見も誠実に聞き、その議論の中身が国民に見えるようにして逐次国民の声を審査会に反映させながら、改正すべき点を明確化したうえで、最後は民主主義システムの原則に従って多数決で改正案が衆参両院で3分の2以上に達した時に改正案を発議して、国民投票にかけるべきである。
いまは野党の多くも、何が何でも憲法改正反対ではない。ちゃんと議論を尽くし、取り入れるべき要素は取り入れ、国民の多数が容認できるような憲法改正案を練り上げるのが、政治家の責務であろう。あらかじめ2020年と、改正時期を設定して、「改正ありき」の改正を強行しようとすれば、たとえ衆参両院で発議の要件を満たしたとしても、国民投票で葬り去られる。そういう結果になったら、憲法改正の機会は数十年の単位で訪れない。そんなリスクを冒す権利は安倍総理でなくても、だれにもない。
今回の選挙結果がメディアの世論調査通りになった場合、「安倍一強体制」が復活する可能性が高い。安倍総理の性格からして、自民党内でも反対意見が多い「安倍改正案」を強行しようとするだろう。その場合、公明党が総理の強硬姿勢に膝を屈するか否か、「平和の党」を自任してきた党の生命線にかかわることになる。
なおジャーナリストの田原総一郎氏が13日、日本外国特派員協会で記者会見し、安倍総理が昨年「集団的自衛権の行使を容認する安保法制が成立したことで、憲法改正の必要性がなくなった」と語っていたことを明らかにした。
その意味を簡単に解説すると、すでに述べたように憲法9条の2項は「戦力の不保持」と「交戦権の否認」をうたっている。自衛隊については「実力」であって「戦力」ではないという詭弁を弄して繕い、「専守防衛のための武力行使は憲法も禁じていない」と主張してきた。
実は憲法制定時の国会で、「自衛のための武力行使」についてはすでに議論されている。1946年6月26日の衆院議員で日本進歩党の原夫次郎議員の「自衛権まで放棄するのか」という質問に、吉田茂総理が「第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものであります」と答弁している。
さらに共産党の野坂参三議員が「戦争は侵略戦争と正しい戦争たる防衛戦争に区別できる。したがって戦争一般放棄という形ではなしに、侵略戦争放棄とするのが妥当だ」と主張したのに対しては、吉田総理は「国家正当防衛による戦争は正当なりとせられるようであるが、私はかくのごときことを認めることは有害であろうと思うのであります。近年の戦争は多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著な事実であります」と突っぱねている(6月28日)。
また社会党の森三樹二議員の「戦争放棄の条文は、将来、国家の存立を危うくしないという保証の見通しがついて初めて設定されるものだ」という批判に対しては吉田総理は「世界の平和を脅かす国があれば、それは世界の平和に対する冒犯者として、相当の制裁が加えられることになっております」と答えている(7月9日)。
つまり現行憲法が制定された時点では、政府見解として明確に、一切の戦力の不保持と、自衛権をも否定していたのだ。この憲法9条に関する当時の政府解釈についての議論が、その後行われたことは一度もない。吉田答弁を否定することもせずに、アメリカの要請によって次々に9条の空洞化が行われてきたのである。
安倍総理は田原氏に「憲法を改正する必要がなくなった」根拠として、安保法制の成立で「米側からの要請がなくなったため」と説明したという。
つまり、自衛隊は「実力」と言い繕ってみても、事実上の軍隊であることはだれも否定しようがない。だから現在の自衛隊をそのまま「国防軍」と改名すべきだという議論が自民党内でも主流になりつつあるのは当然と言えば当然だ。
問題は、集団的自衛権行使を容認することにした安保法制によって、9条2項の最後の砦であった「交戦権の否認」すら、アメリカの要請によって空洞化したという事実が明らかにされたことだ。つまり安倍政権はアメリカの忠犬ハチ公だったということを、安倍総理は迂闊にも田原氏にばらしてしまったということになる。
私は前に、現行憲法は大日本帝国憲法の定めに従って改定されており、いまだ国民の審判を得ていないという弱点を持っていることを指摘した。吉田総理は、日本独立時に現行憲法について、そのまま継承するか、あるいは改定するかを国会で議論し、国民の審判を仰ぐべきだった。そういう極めて大事な手続きを行ってこなかったことが、今日の憲法と現実とのかい離を生んでいる。
憲法議論を行う場合、この反省からスタートしないと、また国民置いてきぼりの改定になりかねない。その危惧を、私は抱いている。
最後に「抑止力」について考察しておく。抑止力というと、おそらく誰しもが「軍事的脅威に対抗する軍事的抑止力」を直反射的に思い浮かべるだろう。だが「軍事力による抑止力」効果は、かえって「軍拡競争」という負の連鎖を招きかねない。
現に、安倍総理が北朝鮮の核・ミサイル開発暴走について、「もう対話の時期は終わった。圧力を強化する以外に方法はない」と、トランプ大統領の日本総代理人のような立ち位置を明確にして以降、北朝鮮は日本に対する敵視政策をあらわにし始めた。
8月29日と9月15日、北朝鮮がミサイルを発射して襟裳岬上空を通過して太平洋上に落下して以降、安倍政権と安倍政権に追随した日本の全メディアが「挑発」と「脅威」を騒ぎ立て、我が国の「安全保障危機論」が急浮上した。「専守防衛だけでは日本を守れない。敵基地への攻撃を容認すべきだ」「日本の核武装はともかく、核持ち込み(米軍基地への核配備を意味する表現)の議論を始めるべきだ」といった発言が政府や自民党幹部から平然と語られるようになった。日本憲法の平和主義が、いま空前の灯と化しつつある。
抑止力とは何か。脅威と見なした仮想敵国の軍事力に対抗できる軍事力を整備することで、本当に実効性ある抑止効果を持てるのか。そうした発想そのものが、仮想敵国をさらなる挑発行動に駆り立て、一触即発の危機を拡大するだけではないのか。
いま一度、太平洋戦争について新しい視点で検証する必要がある。日本は「ハル・ノート」を最後通告とみなしてパールハーバーを奇襲攻撃した。この攻撃で太平洋戦争の火ぶたが切って落とされた。
当時日本は欧米列強による石油禁輸などの経済制裁を受け、資源確保のため南方に進出していた。中国とは熾烈な戦争状態にあり、ソ連軍に備えて満蒙にも関東軍を配備していた。この時期すでに世界最強の軍事力を擁していたアメリカとは、絶対に事を構えたくなかったし、そんな軍事的余力もなかった。だからアメリカ大使を二人に増やして(野村・来栖氏)、24時間体制で対米交渉にあたらせていた。
が、アメリカは日本政府の妥協案をことごとく拒否、日本が大陸の権益をすべて放棄して軍を即時撤退させよと迫った。それが「ハル・ノート」だった。アメリカはのちに「ハル・ノートは最後通告ではなかった」と主張したが、日本政府は最後通告と受け取った。もしアメリカが主張するように「ハル・ノート」が最後通告ではなかったとしたら、まぎれもなく世界史上最大の「挑発外交文書」である。
「挑発」とは前にもブログで書いたが、「相手(の感情)を刺激して事に及ばせようとする行為」のことである。弱者が強者に対して行える行為ではない。実際、当時の日本はアメリカとの交渉に際して「腫れ物に触る」ように神経を使っていた。アメリカと戦争をしても勝てるわけがないことを軍部も理解していた。が、日本が到底のめないような条件を「ハル・ノート」で突きつけられ、日本は「窮鼠、猫を噛む」対米開戦に踏み切らざるを得なくなった。アメリカがのちに弁解したように「ハル・ノート」は交渉のたたき台の一つで最後通告ではなかったとしても、その意図は日本を自暴自棄的行為に出させることが目的だったと言われてもやむを得ない内容だった。実際、東京裁判でパール判事(インド代表)は「このような文書を送られたら、非力なモナコ公国やルクセンブルク公国でもアメリカに武力で立ち向かうだろう」と判決書で述べている。
安倍政権や日本のメディアは北朝鮮の暴走を「挑発」「挑発」と非難しているが、弱者が強者に対して挑発行動に出ることはあり得ない。そして弱者が強者の挑発に対する方策は三つしかない。
①無視して相手にしないこと。
②「空威張り」して、相手の挑発をさらにエスカレートさせてしまうこと。
③挑発に乗って無謀な「窮鼠、猫を噛む」行為に出ること。
いま米朝の「挑発ごっこ」がどういう状況にあるか、火を見るよりも明らかだろう。
私はすでに書いたように、現行憲法を一字一句変えるなと主張しているわけではない。ただ、いまのように米朝関係が極度に悪化し、安倍政権がメディアの「協力」を得て国民感情が高まっている時期に憲法9条をもてあそぶことは極めて危険である。
もちろん「日本の憲法9条が抑止力になっているわけではない」という議論は間違ってはいない。日本人がアメリカをはじめとする主要国の憲法の1か条も知らないのと同様、他国の人たちも日本の憲法9条のことなどだれも知らない。また憲法は自国の権力は縛っても、他国の権力を縛ることはできない。
が、私たちは過去の戦争の反省から、日本国憲法9条の平和主義の精神を、どうやって世界平和の実現、とりわけ北朝鮮危機の解決に生かすための行動をとるべきかを真剣に考えたいと思う。「抑止力」の名のもとにアメリカの軍事的挑発行動に同調したり、「脅威」を煽り立てて軍事力の強化や核持ち込み容認を図ることが、果たして平和主義の理念に沿っているのか、冷静に考えたい。
もちろん理念だけで平和が実現するわけではないことは百も承知だ。そこで、日本にとっていかなる行動が、真の抑止力になるかを考えたい。
自衛隊を、国際災害救援隊に改組して、地球の裏側の国や体制の異なる国でも、自然災害などの災害が生じたら、真っ先に駆けつけて救助・救援活動を行うこと。また難民救済のために、ありとあらゆる活動を行うこと。もちろん難民受け入れにも積極的になること。また現地で武装勢力から難民を庇護するためには、最少最低限の武装は必要だろう。難民救援の活動が他国の軍隊に保護されながらでは、支援部隊の尊厳に傷がつく。
日本という「国の形」が世界からそう見えるようになれば、そういう日本を攻撃する国はない。「アメリカの核の傘」に守られなくても、日本にとって最大の抑止力になる。そういう議論を、真剣に進めてほしい。
そして日本のそうした「平和活動」が、最高の抑止力になることを立証できたら、世界中が日本の「国の在り方」を尊敬し、同じ道を歩むようになる。そのときNPTと核大国による軍事的威嚇で核拡散を防止しなくても、世界平和は現実のものになる。
選挙戦中盤の各メディアによる世論調査では、自民圧勝の情勢のようだ。安倍総理の「賭け」は見事に効を奏した感じだ。メディアは「まだ投票態度を決めていない有権者が4割いる。今後情勢が大きく変わる可能性もある」としているが、投票態度を決めていない人たちの大半は無党派層で、意思決定が出来ないまま棄権か白紙投票する可能性が高い。選挙結果は、ほぼメディアの調査を裏付けるだろう。が、自民が大勝しても、安倍総理の続投は望まないという声がかなりを占めている(毎日新聞)。安倍総理がそうした声を謙虚に受け止めるか、「国民の信任を得た」として「安倍一強体制」を復活させ、いったんはあきらめかけた2020年の憲法改正に向けてまっしぐらに突き進む 小林です。今日の朝日新聞の記事を貼り付けます。私がブログで予想したように前原氏の政治生命が危機的状況に追い込まれています。
小池氏はおそらく都議選と同様、選挙が終われば希望の党の代表を降りると思います。都知事と国政政党の代表という「二足のわらじ」を履き続けることが不可能だというくらいのことは分かりきったことで、小池氏も若狭氏に頼まれて選挙中だけの「選挙の顔」「人寄せパンダ」に徹することにしたことくらい、だれにでも想像がつくことで、柳の下に2匹目のドジョウはいなかったことが明白になりました。都民ファーストの会も遅かれ早かれ分解するでしょう。
前原氏、誤算続き窮地 希望への合流決断、党勢失速
衆院選で希望の党への合流を決断した民進党の前原誠司代表が、誤算の連続で窮地に追い込まれている。「排除」と分裂劇の末、政権交代に向けた一時の勢いは失速したまま回復する手立ては見つからない。民進の参院議員の間では選挙後の代表辞任を求める動きも出てきた。
「希望との合流は、安倍1強政治を倒すためだ。今の政治の流れを変えていかなくてはいけない」
前原氏は13日夜、東京都内の街頭演説で希望代表の小池百合子・東京都知事と並び立ち、民進出身者が希望に合流した意義を強調した。報道各社が希望の失速を報じる中、「政治を変えられるのはみなさんの一票です」と危機感を訴えた。
前原氏は安倍晋三首相による「不意打ち解散」を逆手にとり、希望への合流を即断。小池氏の人気に乗じて「政権交代可能な二大政党」実現を目指したが、現実は誤算の連続だった。
前原氏が9月28日の民進の両院議員総会で「誰かを排除するということではない」と説明したが、小池氏は翌日、「全員を受け入れることはさらさらない」と否定。代表代行だった枝野幸男氏は反発し、立憲民主党の立ち上げに踏み切った。
公約も明らかにされない段階で憲法改正の支持などを盛り込んだ政策協定書にサインを迫るやり方に、公認を返上し無所属で出馬する前職も。前原氏は「小池氏の立場になれば、民進が全員来ると困る。それで政策を打ち出したら思わぬ反発が出た」と周辺に困惑の色を隠さなかった。
小池氏の衆院選出馬に事態打開を託して直談判するも固辞され、党としての首相候補も定まらないまま選挙戦に突入。「政権打倒」に必須な与党候補との「1対1」で争う構図は果たせず、希望から立候補した民進出身者も「弁明から入る守りの選挙戦」(中堅の前職)を嘆く。
■参院民進に解任論も
前原氏の方針が招いた3分裂の展開に、民進に残った参院側は反発を強める。
前原氏は衆院選に立候補する前職らを先行して希望に合流させ、選挙後に参院議員や地方議員らも一体化させる方針を示してきた。
だが、小川敏夫参院議員会長は「民進党を守り、再びリベラル勢力を結集する思いで頑張る」と宣言。参院側では、希望ではなく立憲と連携することで党を存続させる道が語られている。参院幹部は「前原氏が希望との合併を提案しても、参院議員が否決する。下手に抵抗したら解任だ」と断言。前原氏は13日、記者団から再結集の可能性を問われ「今は選挙で手いっぱいです」とだけ語った。(斉藤太郎)
か、自民党内の反安倍勢力の動向がカギとなる。
今日のテーマは『安全保障(北朝鮮危機対策)と憲法改正』だ。このテーマだけで数回の分量になりかねないので、これまで述べてきたことを中心に、主なポイントに絞って書く。
安倍総理は今回の解散を「国難突破解散」と命名した。総理による「国難」は二つで「北朝鮮対策」と「少子化対策(のち少子高齢化対策に変更)」である。すでに「少子高齢化対策」については述べたので、まず北朝鮮問題について、日本を国難状態に陥れたのは安倍総理自身であることを、このブログでは立証する。
そもそも北朝鮮が核・ミサイル開発に暴走しているのは、アメリカの敵視政策(北朝鮮を「悪の枢軸」「テロ支援国家」「ならず者国家」と罵詈雑言を浴びせている)と、核を含む軍事力に対する恐怖からである。北朝鮮が、過去、他国に対して挑発的行動を行ったことは朝鮮戦争後、一度もない。むしろ北朝鮮の目と鼻の先で米韓軍事行動をどんどんエスカレートさせ、北朝鮮を挑発してきたのはアメリカだった。それでもカーター大統領の時代まではあからさまな北朝鮮に対する敵視政策をとったことはなかったが、ブッシュ大統領が初めて北朝鮮を「悪の枢軸」「テロ支援国家」「ならず者国家」と決めつけ、北朝鮮に対するあからさまな敵視政策をとるようになった。北朝鮮がキチガイじみた核・ミサイル開発に暴走するようになったのは、それ以降である。
アメリカはだれしも認める、経済的にも軍事的にも世界最強の国である。だからと言って、アメリカの大統領が自分の気に食わない国や人々を排除する権利を持っていると思いあがっているとしたら、そのこと自体が世界の安定と平和にとって極めて危険な要素である。9.11同時多発テロ攻撃を行ったテロ集団を擁護するつもりなど毛頭ないが、彼らを自爆テロ行為に駆り立てたのは、イスラム過激派に対するブッシュ大統領の必要以上の過激な挑発的言動だった。
たとえば、ユネスコという、国連加盟国間の教育・科学・文化の交流による国際平和と福祉促進を目的とした国連の機関がある。その機関からアメリカが来年末に脱退するという。アメリカの庇護下にあるイスラエルと敵対関係にあるパレスチナが、ユネスコに加盟したのが面白くないという理由のようだ。つまりアメリカにとって気に食わない国はすべて敵視し、排除したいというのが、アメリカという国の在り方なのだ。
しかもアメリカの敵視政策は、アメリカよりはるかに弱い国に対してしか発動しない。北朝鮮に対する圧力・制裁の抜け道になっているロシアや中国に対しては、せいぜい「圧力強化に協力してください」とお願いするだけだ。「協力しないなら」と、ロシアや中国に対して軍事的挑発に出たりはしない。
日米軍事同盟や米韓軍事同盟は、小国・北朝鮮にとっては極めて脅威である。ロシアや中国が北朝鮮と軍事同盟を結んで(いちおう中北同盟はあるが)、北朝鮮を中国に核の傘で守ってもらえるという保証があれば、国民生活を犠牲にしてまで核・ミサイル開発に狂奔したりはしない。
米朝のどちらが相手に対して挑発行動を激化しているか、冷静に判断すればアメリカのほうだということが誰にでもわかる。米韓共同軍事訓練を北朝鮮の目と鼻の先で行ったり、最新鋭の戦闘機や空母を北朝鮮の領空海域に進出させたり、北朝鮮を暴発させるための挑発としか思えないようなやり方をしている。
いくら北朝鮮が憎いからと言って、アメリカが核の先制攻撃に出たら、国際世論が「やりすぎだ」と批判の的になることは目に見えているから、アメリカが先に核を使うことは考えられないが、通常兵器で軍事衝突が生じたら、北朝鮮などアメリカにとっては赤子の手をひねるより簡単なことだ。だから北朝鮮にとっては、もしアメリカとの軍事的衝突が生じたら、核でアメリカを攻撃するしか方法がない。
が、北朝鮮にはまだ米本土を核攻撃する能力はないと言われている。トランプ大統領は北朝鮮が米本土に対する核攻撃能力を擁する前に、北朝鮮の軍事力を徹底的に破壊してしまいたいと思っているようで、最近の対北挑発言動には目に余るものがある。トランプ大統領の戦略は、挑発にのって北朝鮮が先に手を出すことを期待しているのかもしれない。そうすれば堂々と北朝鮮に対する軍事行動を正当化できるからだ。
しかも、たとえ北朝鮮がすでに米本土に対する核攻撃能力を持っていたとしても、核ミサイルがアメリカに届くまでかなりの時間的余裕があるから、迎撃できる可能性は高い。が、東京にはおそらく数分で届く。実際、北朝鮮のミサイルが襟裳岬上空を通過した時も、Jアラートで住民に避難を呼びかけても避難のための時間はせいぜい1~2分しかなかったという。
ということは、万一米朝間に軍事衝突が生じたら、真っ先にとばっちりを受けるのは日本と韓国ということになる。だから、安倍総理が日本の平和を最優先で考えるなら、何とか話し合いで米朝間の緊張を解きほぐすことに全力を注ぐべきなのに、安倍総理は真逆の外交を行っている。つまり「もう対話で解決すべき時期は終わった。さらに圧力と制裁を強化して北朝鮮に核放棄を迫るべきだ」と公言、かえってトランプ大統領の対北軍事的挑発をあおったりまでしている。これが、日本の総理のやることか。
実際、そういう言動が北朝鮮をいたずらに刺激して、北朝鮮がアメリカだけでなく日本も敵国視するようになった。国難を招いたのは、ほかならない安倍総理自身だと私が断言したのはそのためだ。
北朝鮮の暴走を止めるにはどうしたらいいか。安倍総理がトランプ大統領と会って、北朝鮮に対する挑発的言辞や軍事的威嚇行動をやめるよう説得し、その足で北朝鮮の金委員長と会って平和条約交渉に入る。拉致問題を棚上げしての平和条約締結は難しいかもしれないが、「私がトランプを説得して北朝鮮に対する先制攻撃はさせないから、当面、核・ミサイル開発計画を凍結してほしい」と要請したら、間違いなく北朝鮮は応じる。
対中国への抑止力として核を開発したインド、そのインドに対する抑止力として核を持ったパキスタン。いま、この両国は核を放棄はしていないが、核開発競争の連鎖は生じていない。北朝鮮も、アメリカの脅威がなくなれば、核開発を続ける意味がなく、朝鮮半島の危機は遠のく。
安倍総理が、対米・対北外交で朝鮮半島の危機的状況をストップできれば、ノーベル平和賞の対象になる。
次に憲法問題だ。安倍総理は「憲法学者の7割が自衛隊は違憲だと言っている。だから憲法9条の1項、2項は残して3項を追加して自衛隊を明記する」と、改憲の目的を強調している。
憲法9条の2項には、二つの制約が書かれている。一つは「戦力の不保持」であり、もう一つは「交戦権の否認」である。これまで政府は「自衛隊は戦力にあらず」として「実力」という意味不明な位置づけをしてきた。「実力」が「戦力」すなわち「軍事力」を意味しないのであれば、自衛隊は張子の虎あるいは竹光でしかないことを意味しているとしか解釈できない。
その解釈が正しければ、安保法制による「集団的自衛権の行使容認」は、アメリカに対する詐欺行為を意味する。なぜなら、戦力でもなく軍事力も擁さない自衛隊に、戦闘中の米軍の周りをちょろちょろ動き回られたら、米軍にとってははた迷惑この上ないだろう。
現行憲法を改正するなら、憲法審査会で野党の意見も誠実に聞き、その議論の中身が国民に見えるようにして逐次国民の声を審査会に反映させながら、改正すべき点を明確化したうえで、最後は民主主義システムの原則に従って多数決で改正案が衆参両院で3分の2以上に達した時に改正案を発議して、国民投票にかけるべきである。
いまは野党の多くも、何が何でも憲法改正反対ではない。ちゃんと議論を尽くし、取り入れるべき要素は取り入れ、国民の多数が容認できるような憲法改正案を練り上げるのが、政治家の責務であろう。あらかじめ2020年と、改正時期を設定して、「改正ありき」の改正を強行しようとすれば、たとえ衆参両院で発議の要件を満たしたとしても、国民投票で葬り去られる。そういう結果になったら、憲法改正の機会は数十年の単位で訪れない。そんなリスクを冒す権利は安倍総理でなくても、だれにもない。
今回の選挙結果がメディアの世論調査通りになった場合、「安倍一強体制」が復活する可能性が高い。安倍総理の性格からして、自民党内でも反対意見が多い「安倍改正案」を強行しようとするだろう。その場合、公明党が総理の強硬姿勢に膝を屈するか否か、「平和の党」を自任してきた党の生命線にかかわることになる。
なおジャーナリストの田原総一郎氏が13日、日本外国特派員協会で記者会見し、安倍総理が昨年「集団的自衛権の行使を容認する安保法制が成立したことで、憲法改正の必要性がなくなった」と語っていたことを明らかにした。
その意味を簡単に解説すると、すでに述べたように憲法9条の2項は「戦力の不保持」と「交戦権の否認」をうたっている。自衛隊については「実力」であって「戦力」ではないという詭弁を弄して繕い、「専守防衛のための武力行使は憲法も禁じていない」と主張してきた。
実は憲法制定時の国会で、「自衛のための武力行使」についてはすでに議論されている。1946年6月26日の衆院議員で日本進歩党の原夫次郎議員の「自衛権まで放棄するのか」という質問に、吉田茂総理が「第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものであります」と答弁している。
さらに共産党の野坂参三議員が「戦争は侵略戦争と正しい戦争たる防衛戦争に区別できる。したがって戦争一般放棄という形ではなしに、侵略戦争放棄とするのが妥当だ」と主張したのに対しては、吉田総理は「国家正当防衛による戦争は正当なりとせられるようであるが、私はかくのごときことを認めることは有害であろうと思うのであります。近年の戦争は多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著な事実であります」と突っぱねている(6月28日)。
また社会党の森三樹二議員の「戦争放棄の条文は、将来、国家の存立を危うくしないという保証の見通しがついて初めて設定されるものだ」という批判に対しては吉田総理は「世界の平和を脅かす国があれば、それは世界の平和に対する冒犯者として、相当の制裁が加えられることになっております」と答えている(7月9日)。
つまり現行憲法が制定された時点では、政府見解として明確に、一切の戦力の不保持と、自衛権をも否定していたのだ。この憲法9条に関する当時の政府解釈についての議論が、その後行われたことは一度もない。吉田答弁を否定することもせずに、アメリカの要請によって次々に9条の空洞化が行われてきたのである。
安倍総理は田原氏に「憲法を改正する必要がなくなった」根拠として、安保法制の成立で「米側からの要請がなくなったため」と説明したという。
つまり、自衛隊は「実力」と言い繕ってみても、事実上の軍隊であることはだれも否定しようがない。だから現在の自衛隊をそのまま「国防軍」と改名すべきだという議論が自民党内でも主流になりつつあるのは当然と言えば当然だ。
問題は、集団的自衛権行使を容認することにした安保法制によって、9条2項の最後の砦であった「交戦権の否認」すら、アメリカの要請によって空洞化したという事実が明らかにされたことだ。つまり安倍政権はアメリカの忠犬ハチ公だったということを、安倍総理は迂闊にも田原氏にばらしてしまったということになる。
私は前に、現行憲法は大日本帝国憲法の定めに従って改定されており、いまだ国民の審判を得ていないという弱点を持っていることを指摘した。吉田総理は、日本独立時に現行憲法について、そのまま継承するか、あるいは改定するかを国会で議論し、国民の審判を仰ぐべきだった。そういう極めて大事な手続きを行ってこなかったことが、今日の憲法と現実とのかい離を生んでいる。
憲法議論を行う場合、この反省からスタートしないと、また国民置いてきぼりの改定になりかねない。その危惧を、私は抱いている。
最後に「抑止力」について考察しておく。抑止力というと、おそらく誰しもが「軍事的脅威に対抗する軍事的抑止力」を直反射的に思い浮かべるだろう。だが「軍事力による抑止力」効果は、かえって「軍拡競争」という負の連鎖を招きかねない。
現に、安倍総理が北朝鮮の核・ミサイル開発暴走について、「もう対話の時期は終わった。圧力を強化する以外に方法はない」と、トランプ大統領の日本総代理人のような立ち位置を明確にして以降、北朝鮮は日本に対する敵視政策をあらわにし始めた。
8月29日と9月15日、北朝鮮がミサイルを発射して襟裳岬上空を通過して太平洋上に落下して以降、安倍政権と安倍政権に追随した日本の全メディアが「挑発」と「脅威」を騒ぎ立て、我が国の「安全保障危機論」が急浮上した。「専守防衛だけでは日本を守れない。敵基地への攻撃を容認すべきだ」「日本の核武装はともかく、核持ち込み(米軍基地への核配備を意味する表現)の議論を始めるべきだ」といった発言が政府や自民党幹部から平然と語られるようになった。日本憲法の平和主義が、いま空前の灯と化しつつある。
抑止力とは何か。脅威と見なした仮想敵国の軍事力に対抗できる軍事力を整備することで、本当に実効性ある抑止効果を持てるのか。そうした発想そのものが、仮想敵国をさらなる挑発行動に駆り立て、一触即発の危機を拡大するだけではないのか。
いま一度、太平洋戦争について新しい視点で検証する必要がある。日本は「ハル・ノート」を最後通告とみなしてパールハーバーを奇襲攻撃した。この攻撃で太平洋戦争の火ぶたが切って落とされた。
当時日本は欧米列強による石油禁輸などの経済制裁を受け、資源確保のため南方に進出していた。中国とは熾烈な戦争状態にあり、ソ連軍に備えて満蒙にも関東軍を配備していた。この時期すでに世界最強の軍事力を擁していたアメリカとは、絶対に事を構えたくなかったし、そんな軍事的余力もなかった。だからアメリカ大使を二人に増やして(野村・来栖氏)、24時間体制で対米交渉にあたらせていた。
が、アメリカは日本政府の妥協案をことごとく拒否、日本が大陸の権益をすべて放棄して軍を即時撤退させよと迫った。それが「ハル・ノート」だった。アメリカはのちに「ハル・ノートは最後通告ではなかった」と主張したが、日本政府は最後通告と受け取った。もしアメリカが主張するように「ハル・ノート」が最後通告ではなかったとしたら、まぎれもなく世界史上最大の「挑発外交文書」である。
「挑発」とは前にもブログで書いたが、「相手(の感情)を刺激して事に及ばせようとする行為」のことである。弱者が強者に対して行える行為ではない。実際、当時の日本はアメリカとの交渉に際して「腫れ物に触る」ように神経を使っていた。アメリカと戦争をしても勝てるわけがないことを軍部も理解していた。が、日本が到底のめないような条件を「ハル・ノート」で突きつけられ、日本は「窮鼠、猫を噛む」対米開戦に踏み切らざるを得なくなった。アメリカがのちに弁解したように「ハル・ノート」は交渉のたたき台の一つで最後通告ではなかったとしても、その意図は日本を自暴自棄的行為に出させることが目的だったと言われてもやむを得ない内容だった。実際、東京裁判でパール判事(インド代表)は「このような文書を送られたら、非力なモナコ公国やルクセンブルク公国でもアメリカに武力で立ち向かうだろう」と判決書で述べている。
安倍政権や日本のメディアは北朝鮮の暴走を「挑発」「挑発」と非難しているが、弱者が強者に対して挑発行動に出ることはあり得ない。そして弱者が強者の挑発に対する方策は三つしかない。
①無視して相手にしないこと。
②「空威張り」して、相手の挑発をさらにエスカレートさせてしまうこと。
③挑発に乗って無謀な「窮鼠、猫を噛む」行為に出ること。
いま米朝の「挑発ごっこ」がどういう状況にあるか、火を見るよりも明らかだろう。
私はすでに書いたように、現行憲法を一字一句変えるなと主張しているわけではない。ただ、いまのように米朝関係が極度に悪化し、安倍政権がメディアの「協力」を得て国民感情が高まっている時期に憲法9条をもてあそぶことは極めて危険である。
もちろん「日本の憲法9条が抑止力になっているわけではない」という議論は間違ってはいない。日本人がアメリカをはじめとする主要国の憲法の1か条も知らないのと同様、他国の人たちも日本の憲法9条のことなどだれも知らない。また憲法は自国の権力は縛っても、他国の権力を縛ることはできない。
が、私たちは過去の戦争の反省から、日本国憲法9条の平和主義の精神を、どうやって世界平和の実現、とりわけ北朝鮮危機の解決に生かすための行動をとるべきかを真剣に考えたいと思う。「抑止力」の名のもとにアメリカの軍事的挑発行動に同調したり、「脅威」を煽り立てて軍事力の強化や核持ち込み容認を図ることが、果たして平和主義の理念に沿っているのか、冷静に考えたい。
もちろん理念だけで平和が実現するわけではないことは百も承知だ。そこで、日本にとっていかなる行動が、真の抑止力になるかを考えたい。
自衛隊を、国際災害救援隊に改組して、地球の裏側の国や体制の異なる国でも、自然災害などの災害が生じたら、真っ先に駆けつけて救助・救援活動を行うこと。また難民救済のために、ありとあらゆる活動を行うこと。もちろん難民受け入れにも積極的になること。また現地で武装勢力から難民を庇護するためには、最少最低限の武装は必要だろう。難民救援の活動が他国の軍隊に保護されながらでは、支援部隊の尊厳に傷がつく。
日本という「国の形」が世界からそう見えるようになれば、そういう日本を攻撃する国はない。「アメリカの核の傘」に守られなくても、日本にとって最大の抑止力になる。そういう議論を、真剣に進めてほしい。
そして日本のそうした「平和活動」が、最高の抑止力になることを立証できたら、世界中が日本の「国の在り方」を尊敬し、同じ道を歩むようになる。そのときNPTと核大国による軍事的威嚇で核拡散を防止しなくても、世界平和は現実のものになる。
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