5月25日(日)
各地で夏日を観測しておりますが、家の中はまだそれほどではありません。
今日も下北半島を巡る旅の続きです。
旅の記録の備忘録として書いておこうと思っておりますので、少し長めですがお読みいただければ幸いです
5月20日に泊まった旅館は昔ながらのお宿という感じが強く、今どきの便利な物は何一つありません。それでも温泉が良くて、おかみさんの人情が良くて、そして料理が美味しくて、そんな旅館の三要素を家族みんなで守っているお宿です。
宿の前でおかみさんと一緒の写真を撮って、大間へ向かいました。
本州最北の碑
大間には30分もかからないで到着しましたが物凄い風です。
同行の誰もが強い風には慣れているはずなのに、誰もがビックリです。
それでも意を決して車から降りると、横殴りの冷たい風が頬を容赦なく叩き付けて行きます。
記念写真と云いますが、昨日の尻屋崎から誰云うとはなしに「証拠写真」と言うようになりました。

本州最北端の地マグロ
カメラを構える手が風共に揺れてしまいます。
本州最北の碑の前に一人ずつ交代で証拠写真を撮って退散ですが、道を挟んで開いているお土産屋さんのおばちゃんもあきらめ顔です。「昨日はよかったんだよね~」
次に向かったのが戊辰戦争後、斗南に移住させられた会津藩士の末裔が、家に伝わる会津藩時代から斗南藩に至るまでの貴重な資料を公開している会津斗南藩資料館「向陽処」です。
曽祖父が斗南藩士だったというご主人の案内で館内を見せていただきましたが、どの話も、静かにそして正確に語り伝えようとしている姿に会津武士の誇りを感じずにはいられませんでした。
そして、会津藩士の屋敷割り図には、山川大蔵や西郷頼母などの中に、木村さんの曽祖父木村重孝の名前もあり、話に重みが加わります。
斗南藩では「史生」という藩の記録を残す役職だったそうで、木村家には貴重な資料が残っているのだそうです。
入り口から一つずつ丁寧に説明をしてくれますので、かなりの時間が必要になります。
これ程の資料があるとは予想外というべきか、時間をあまり取っていなかったため、説明半ばで失礼しなければなりませんでした。
私たちも、この旅行ではある目的を持っておりましたから、事前にかなり勉強をしておりましたので、木村さんが説明してくださることに意見や質問などしておりましたから、木村さんも嬉しかったようで、説明半ばで帰る事になったら凄い残念がっており、「もっと見てほしかった・・・」と、車まで見送ってくれました。

長福寺
斗南藩資料館を半ばで失礼したのは、このお寺さんを10時という約束をしておりましたので仕方ありませんでした。
長福寺には知る人ぞ知る、円空作の「十一面観音立像」が安置されております。
円空仏としては珍しく181㎝という長身で、30歳代の作品ではないかと言われております。
正面から見ただけではわかりませんが、板のような薄さで、円空さん独特の荒っぽさが無い綺麗な仏像です。
ご住職が法事のため不在でしたが、事前に約束しておりましたので、奥様が快く案内してくれました。そして、ご長男のお嫁さんが私たちと同郷だというのでまたびっくりしましたが、そんなご縁で十分過ぎるほどのご案内でした。
予定通り10時30分に長福寺を出発して、ここの名物だという「ウニ丼」を頂くために「ぬいどう食堂」へ行きました。

ウニ丼
長福寺からは一山超えるため30分ほどかかりましたが、時間通り11時にはテーブルに付くことができました。
11時でしたのでまだ外のお客さんはおりませんでしたが、私たちが頂いていると次から次とお客さんが続々です。
地元の方はおらず全員が観光客ばかりですので、お目当てはウニ丼です。
地元の人は1,000円のお昼はたべません・・・ね。
ウニ丼といってもご飯茶碗をひと回り大きくしたくらいのもので、丼物のどんぶりにしては小ぶりと言ったところでしょうか。
写真の通りウニが山ほど乗っておりますが、前日下風呂温泉の宿で、美味しいウニを頂いておりますから、皆さん多分舌の上で比較をしてしまいます。
私は何とか食べ切りましたが半分くらい残してしまった人もおりました。やはり美味しい物は少しで良いようです。
仏ヶ浦
12時10分に牛滝港に着きました。
ここから船で仏ヶ浦に向かいます。
一般的には佐井港から船で行きますが、1時間30分もかかってしまいますので、私たちは、牛滝港から出る「夢の海中号」というロマンチックな名前の付いた船で仏ヶ浦に向かいました。
ここですと30分で観光が済んでしまいます。
仏ヶ浦に上陸して30分も遊ぶ必要はありませんからこれで十分です。

鷹に見える
上陸して15分くらい遊んで船に戻りますが、いろいろな名前の付いた岩がありましたが、この鷲のような岩が一番気に要りました。
同行の皆さんに、「鷲がいる」と指さすと、一斉に反応してくれました。
ここからまた車で「斗南藩上陸の地」を目指して移動です。
予定通りに進んでおります。
各地で夏日を観測しておりますが、家の中はまだそれほどではありません。
今日も下北半島を巡る旅の続きです。
旅の記録の備忘録として書いておこうと思っておりますので、少し長めですがお読みいただければ幸いです
5月20日に泊まった旅館は昔ながらのお宿という感じが強く、今どきの便利な物は何一つありません。それでも温泉が良くて、おかみさんの人情が良くて、そして料理が美味しくて、そんな旅館の三要素を家族みんなで守っているお宿です。
宿の前でおかみさんと一緒の写真を撮って、大間へ向かいました。

本州最北の碑
大間には30分もかからないで到着しましたが物凄い風です。
同行の誰もが強い風には慣れているはずなのに、誰もがビックリです。
それでも意を決して車から降りると、横殴りの冷たい風が頬を容赦なく叩き付けて行きます。
記念写真と云いますが、昨日の尻屋崎から誰云うとはなしに「証拠写真」と言うようになりました。

本州最北端の地マグロ
カメラを構える手が風共に揺れてしまいます。
本州最北の碑の前に一人ずつ交代で証拠写真を撮って退散ですが、道を挟んで開いているお土産屋さんのおばちゃんもあきらめ顔です。「昨日はよかったんだよね~」
次に向かったのが戊辰戦争後、斗南に移住させられた会津藩士の末裔が、家に伝わる会津藩時代から斗南藩に至るまでの貴重な資料を公開している会津斗南藩資料館「向陽処」です。
曽祖父が斗南藩士だったというご主人の案内で館内を見せていただきましたが、どの話も、静かにそして正確に語り伝えようとしている姿に会津武士の誇りを感じずにはいられませんでした。
そして、会津藩士の屋敷割り図には、山川大蔵や西郷頼母などの中に、木村さんの曽祖父木村重孝の名前もあり、話に重みが加わります。
斗南藩では「史生」という藩の記録を残す役職だったそうで、木村家には貴重な資料が残っているのだそうです。
入り口から一つずつ丁寧に説明をしてくれますので、かなりの時間が必要になります。
これ程の資料があるとは予想外というべきか、時間をあまり取っていなかったため、説明半ばで失礼しなければなりませんでした。
私たちも、この旅行ではある目的を持っておりましたから、事前にかなり勉強をしておりましたので、木村さんが説明してくださることに意見や質問などしておりましたから、木村さんも嬉しかったようで、説明半ばで帰る事になったら凄い残念がっており、「もっと見てほしかった・・・」と、車まで見送ってくれました。

長福寺
斗南藩資料館を半ばで失礼したのは、このお寺さんを10時という約束をしておりましたので仕方ありませんでした。
長福寺には知る人ぞ知る、円空作の「十一面観音立像」が安置されております。
円空仏としては珍しく181㎝という長身で、30歳代の作品ではないかと言われております。
正面から見ただけではわかりませんが、板のような薄さで、円空さん独特の荒っぽさが無い綺麗な仏像です。
ご住職が法事のため不在でしたが、事前に約束しておりましたので、奥様が快く案内してくれました。そして、ご長男のお嫁さんが私たちと同郷だというのでまたびっくりしましたが、そんなご縁で十分過ぎるほどのご案内でした。
予定通り10時30分に長福寺を出発して、ここの名物だという「ウニ丼」を頂くために「ぬいどう食堂」へ行きました。

ウニ丼
長福寺からは一山超えるため30分ほどかかりましたが、時間通り11時にはテーブルに付くことができました。
11時でしたのでまだ外のお客さんはおりませんでしたが、私たちが頂いていると次から次とお客さんが続々です。
地元の方はおらず全員が観光客ばかりですので、お目当てはウニ丼です。
地元の人は1,000円のお昼はたべません・・・ね。
ウニ丼といってもご飯茶碗をひと回り大きくしたくらいのもので、丼物のどんぶりにしては小ぶりと言ったところでしょうか。
写真の通りウニが山ほど乗っておりますが、前日下風呂温泉の宿で、美味しいウニを頂いておりますから、皆さん多分舌の上で比較をしてしまいます。
私は何とか食べ切りましたが半分くらい残してしまった人もおりました。やはり美味しい物は少しで良いようです。

仏ヶ浦
12時10分に牛滝港に着きました。
ここから船で仏ヶ浦に向かいます。
一般的には佐井港から船で行きますが、1時間30分もかかってしまいますので、私たちは、牛滝港から出る「夢の海中号」というロマンチックな名前の付いた船で仏ヶ浦に向かいました。
ここですと30分で観光が済んでしまいます。
仏ヶ浦に上陸して30分も遊ぶ必要はありませんからこれで十分です。

鷹に見える
上陸して15分くらい遊んで船に戻りますが、いろいろな名前の付いた岩がありましたが、この鷲のような岩が一番気に要りました。
同行の皆さんに、「鷲がいる」と指さすと、一斉に反応してくれました。
ここからまた車で「斗南藩上陸の地」を目指して移動です。
予定通りに進んでおります。