5月26日(月)
朝から曇りがちのお天気です。
西の方は大雨が降っているようですが、こちらも夕方には降り出しました。
今日月曜日はストレッチの日ですので、元気に行ってまいりました。
旅の疲れが抜けきらないのか、今頃になって出てきたのか体がなんとなく重く感じられます。
今日も昨日に続いて下北半島を巡る旅の旅行記です。
12時30分発の「夢の海中号」という名前の船ですが、この名前を聞けば誰でも今風の明るい船を想像すると思いますが、私たちが12時10分ごろ港に着くと、仏ヶ浦から帰ってくる船がありました。
普通の漁船と言った船で桟橋に横付けすると、明るい声で、「お待ちどう様でした」という声と共に、おばちゃんがひとり飛び降りて来ました。
どうやら、この船が「夢の海中号」らしいい・・・。名前とは程遠い船です。
私たちが乗ると、時間など関係ないように直ぐに出発です。
海からの仏ヶ浦
港に事務所がありませんので、お客さんが来ると止まっていた車からおばちゃんが出てきて乗船券を売ってくれます。
どうして事務所が無いかというと、この港は漁港ですので漁業に関係のない事務所は設置不可能とのことでした。
おばちゃんが切符を売って、息子が船を運転してお嫁さんが観光案内をしているそうです。
そんな訳で観光案内役の奥さんは仏ヶ浦にも上陸すらできません。なんかがんじがらめにあっているという感じがいたしました。
30分というコンパクトな仏ヶ浦観光でしたが、上陸してあちこち写真は撮れたし、このくらいで十分です。
斗南藩上陸の地を目指して13時10分牛滝港を出発。
斗南藩上陸の地
1時間ほどの移動で14時15分ごろ到着。
ここは会津から新天地となった下北半島の田名部を目指して新潟港から新政府借り上げのアメリカの船に乗り、藩士とその家族1800名が上陸した場所なのです。
会津藩がなぜこんな北の果てとも云える地に来たかというと、戊辰戦争の罪を一身に受けたことによります。
最後まで抵抗して新政府を悩ませた罰といえます。
日本各地で繰り広げられた戊辰戦争で、国替えになったのは会津だけだからですから、23万石から3万石へと石高が変わりどうして生きて行くのでしょう。
そんな事を胸に秘めての上陸したのがここなのです。
ここも、近年観光に力を入れだしたむつ市ですのでが、大通りからの案内板もありませんので、始めて行く私たちはゆっくり周りを見ながら入って行きました。近くに着くと「斗南藩上陸の地」という新しい標識が建っておりましたが、どこが目的地だかかわからずに行ったり来たりしてしまいました。
中にはこの標識だけを写真に撮って帰ってしまう人もいるそうです。
そう、標識は建っておりますが、「入口」という表記がしてありませんから、右往左往してしまうのだと思います。
私たちのように固い決意で行く人は稀でしょうから・・・。
このころになると、雨がポツリポツリと頭にあたり始めました。
ようやくたどり着いて証拠写真を撮って常念寺に向かいました。
常念寺には約束通り15時に到着。挨拶に伺うと、こちらも法事が入っているそうで、奥様が出てこられて案内してくれました。
阿弥陀如来座像
常念寺には、下北半島唯一の重文の仏像が安置されているお寺です。
大正時代に国宝に指定をされておりましたが、法律の関係で重文となりましたが、そんな人間の決める事など関係なく穏やかな仏像が迎えてくれました。
私たちを迎えてくれたご本尊は、寄木絵作られ漆を塗って、その上に金箔を置いたもので、平安時代に京都で作られたと伝えられ、清浄華院からの拝領だそうです。
阿弥陀如来座像の両脇に控える菩薩様は、いつでも人々を救済に行けるように中腰で控えておりました。珍しい菩薩様でした。
お寺さんのご厚意で真近までよってゆっくり拝観することができました。お許しを得て写真も撮らせていただきました。
菩薩様
ゆっくりと丁寧な説明をしていただき、お寺を出たのが15時30分。30分いたことになります。
拝観もこれくらいの時間が丁度良いようです。
続いて近くにある徳玄寺に行きました。
徳玄寺
斗南藩として移住してきた時に藩庁を置いたのが円通寺でありましたが、曹洞宗という戒律の厳しいところだったので、幼い藩主はこの寺で食事をしたり遊んでいたりいていたそうです。
徳玄寺のお隣が円通寺で、ここは、前日に行った恐山の本坊です。
丁度この日はお通夜が入っておりましたので、お寺さん全体の人の出入りが激しく、そっと拝観させていただきました。
雨が音をたてはじめましたが、むつ市内の観光はもう少しです。
今晩は、釜臥山からの夜景はあきらめた方がよさそうです。
朝から曇りがちのお天気です。
西の方は大雨が降っているようですが、こちらも夕方には降り出しました。
今日月曜日はストレッチの日ですので、元気に行ってまいりました。
旅の疲れが抜けきらないのか、今頃になって出てきたのか体がなんとなく重く感じられます。
今日も昨日に続いて下北半島を巡る旅の旅行記です。
12時30分発の「夢の海中号」という名前の船ですが、この名前を聞けば誰でも今風の明るい船を想像すると思いますが、私たちが12時10分ごろ港に着くと、仏ヶ浦から帰ってくる船がありました。
普通の漁船と言った船で桟橋に横付けすると、明るい声で、「お待ちどう様でした」という声と共に、おばちゃんがひとり飛び降りて来ました。
どうやら、この船が「夢の海中号」らしいい・・・。名前とは程遠い船です。
私たちが乗ると、時間など関係ないように直ぐに出発です。
海からの仏ヶ浦
港に事務所がありませんので、お客さんが来ると止まっていた車からおばちゃんが出てきて乗船券を売ってくれます。
どうして事務所が無いかというと、この港は漁港ですので漁業に関係のない事務所は設置不可能とのことでした。
おばちゃんが切符を売って、息子が船を運転してお嫁さんが観光案内をしているそうです。
そんな訳で観光案内役の奥さんは仏ヶ浦にも上陸すらできません。なんかがんじがらめにあっているという感じがいたしました。
30分というコンパクトな仏ヶ浦観光でしたが、上陸してあちこち写真は撮れたし、このくらいで十分です。
斗南藩上陸の地を目指して13時10分牛滝港を出発。
斗南藩上陸の地
1時間ほどの移動で14時15分ごろ到着。
ここは会津から新天地となった下北半島の田名部を目指して新潟港から新政府借り上げのアメリカの船に乗り、藩士とその家族1800名が上陸した場所なのです。
会津藩がなぜこんな北の果てとも云える地に来たかというと、戊辰戦争の罪を一身に受けたことによります。
最後まで抵抗して新政府を悩ませた罰といえます。
日本各地で繰り広げられた戊辰戦争で、国替えになったのは会津だけだからですから、23万石から3万石へと石高が変わりどうして生きて行くのでしょう。
そんな事を胸に秘めての上陸したのがここなのです。
ここも、近年観光に力を入れだしたむつ市ですのでが、大通りからの案内板もありませんので、始めて行く私たちはゆっくり周りを見ながら入って行きました。近くに着くと「斗南藩上陸の地」という新しい標識が建っておりましたが、どこが目的地だかかわからずに行ったり来たりしてしまいました。
中にはこの標識だけを写真に撮って帰ってしまう人もいるそうです。
そう、標識は建っておりますが、「入口」という表記がしてありませんから、右往左往してしまうのだと思います。
私たちのように固い決意で行く人は稀でしょうから・・・。
このころになると、雨がポツリポツリと頭にあたり始めました。
ようやくたどり着いて証拠写真を撮って常念寺に向かいました。
常念寺には約束通り15時に到着。挨拶に伺うと、こちらも法事が入っているそうで、奥様が出てこられて案内してくれました。
阿弥陀如来座像
常念寺には、下北半島唯一の重文の仏像が安置されているお寺です。
大正時代に国宝に指定をされておりましたが、法律の関係で重文となりましたが、そんな人間の決める事など関係なく穏やかな仏像が迎えてくれました。
私たちを迎えてくれたご本尊は、寄木絵作られ漆を塗って、その上に金箔を置いたもので、平安時代に京都で作られたと伝えられ、清浄華院からの拝領だそうです。
阿弥陀如来座像の両脇に控える菩薩様は、いつでも人々を救済に行けるように中腰で控えておりました。珍しい菩薩様でした。
お寺さんのご厚意で真近までよってゆっくり拝観することができました。お許しを得て写真も撮らせていただきました。
菩薩様
ゆっくりと丁寧な説明をしていただき、お寺を出たのが15時30分。30分いたことになります。
拝観もこれくらいの時間が丁度良いようです。
続いて近くにある徳玄寺に行きました。
徳玄寺
斗南藩として移住してきた時に藩庁を置いたのが円通寺でありましたが、曹洞宗という戒律の厳しいところだったので、幼い藩主はこの寺で食事をしたり遊んでいたりいていたそうです。
徳玄寺のお隣が円通寺で、ここは、前日に行った恐山の本坊です。
丁度この日はお通夜が入っておりましたので、お寺さん全体の人の出入りが激しく、そっと拝観させていただきました。
雨が音をたてはじめましたが、むつ市内の観光はもう少しです。
今晩は、釜臥山からの夜景はあきらめた方がよさそうです。