10月5日(月)
朝から曇っておりますが雨は降らないようです。
月曜日でストレッチの日ですが、今日は昨日の「東海道五十三次散歩」で歩き過ぎて疲れ気味ですのでお休みです。
昨日の備忘録を書いて置きたいと思います。

立派な橋に
藤沢宿に集合して平塚宿を目指して出発です。
遊行寺では、地元のガイドさんによる説明を受けて宿場町を歩き始めましたが、昔の面影は全くありません。

藤沢宿では
旧道にはこうした説明書きがところどころにあるだけで、往時をしのばせるものは何も残っておりませんでした。

弁慶塚
全国各地に残されている弁慶伝説の中のひとつと云えますが、昔から弁慶塚と伝承されている場所だそうで庚申塔と並んで建っております。

義経首洗い井戸
こちらも昔からの伝承で、奥州から送られて来た義経の首が境川をさかのぼってこの地に着いたので村人がこの井戸で洗い清めて葬ったと伝えられているところです。
ウオーキング・リーダーは、「この村の人はどうして義経って解ったんでしょうね・・」と最後に一言。

白旗神社
元々は寒川神社と云う名称でしたが、近くに義経伝説があったため義経を合祀してから「白旗神社」と改称したそうで、何となく??ばかりですが、旅人である私たちがとやかく言う問題ではなさそうです。

大山道道標
東海道から大山道に分かれる地点に、不動明王がお堂に安置され、ここから大山道である事を示しております。

茅ヶ崎の松並木
サザンオールスターズの聖地でもある茅ヶ崎の松並木ですが、大木は隣接する家々との問題で切られてしまっておりました。
今は残すことより、人々の暮らしの権利が最優先されている時代になっている事を垣間見る事が出来ます。

相模川橋脚
鎌倉時代の橋脚が国の指定史跡になっており、説明を受けるまで異様なものでした。あれだけの巨木を使用して橋を架けたのですから相当な権力のある人だったに違いまりません。
説明によると、この橋脚跡は、関東大震災と翌年の余震によって、突如水田から出現した全国的にも珍しい遺跡だそうで、稲毛重成が妻の為に架けた橋脚と考証されたそうです。
人工的な遺構が、天然記念物に指定されるのも珍しいそうです。

南湖の左富士の碑
この日一番の見どころは、東海道で2か所しかない「左富士」の観られる場所でしたが、雲に覆われて見る事が出来ませんでした。それでもかすかに富士山らしい形を見て、「あれです!富士山です!見ましたね。見ましたね!!」と云うウオーキング・リーダーでした。
遠くまで
こんな標識を見ると、随分遠くまで来たもんだ・・・と云う実感が湧きます。

駅弁
帰りの電車内で頂いた駅弁です。
駅弁を食べながら家路に着きました。
今回は15キロ程歩きましたが、見るべきものはほとんどなく、新しく設置した説明板だけがポツリと建っておりました。
古い物を維持するのは大変な時代ですから仕方がないのかも知れません。
次回は、平塚宿から二宮宿です。
朝から曇っておりますが雨は降らないようです。
月曜日でストレッチの日ですが、今日は昨日の「東海道五十三次散歩」で歩き過ぎて疲れ気味ですのでお休みです。
昨日の備忘録を書いて置きたいと思います。

立派な橋に
藤沢宿に集合して平塚宿を目指して出発です。
遊行寺では、地元のガイドさんによる説明を受けて宿場町を歩き始めましたが、昔の面影は全くありません。

藤沢宿では
旧道にはこうした説明書きがところどころにあるだけで、往時をしのばせるものは何も残っておりませんでした。

弁慶塚
全国各地に残されている弁慶伝説の中のひとつと云えますが、昔から弁慶塚と伝承されている場所だそうで庚申塔と並んで建っております。

義経首洗い井戸
こちらも昔からの伝承で、奥州から送られて来た義経の首が境川をさかのぼってこの地に着いたので村人がこの井戸で洗い清めて葬ったと伝えられているところです。
ウオーキング・リーダーは、「この村の人はどうして義経って解ったんでしょうね・・」と最後に一言。

白旗神社
元々は寒川神社と云う名称でしたが、近くに義経伝説があったため義経を合祀してから「白旗神社」と改称したそうで、何となく??ばかりですが、旅人である私たちがとやかく言う問題ではなさそうです。

大山道道標
東海道から大山道に分かれる地点に、不動明王がお堂に安置され、ここから大山道である事を示しております。

茅ヶ崎の松並木
サザンオールスターズの聖地でもある茅ヶ崎の松並木ですが、大木は隣接する家々との問題で切られてしまっておりました。
今は残すことより、人々の暮らしの権利が最優先されている時代になっている事を垣間見る事が出来ます。

相模川橋脚
鎌倉時代の橋脚が国の指定史跡になっており、説明を受けるまで異様なものでした。あれだけの巨木を使用して橋を架けたのですから相当な権力のある人だったに違いまりません。
説明によると、この橋脚跡は、関東大震災と翌年の余震によって、突如水田から出現した全国的にも珍しい遺跡だそうで、稲毛重成が妻の為に架けた橋脚と考証されたそうです。
人工的な遺構が、天然記念物に指定されるのも珍しいそうです。

南湖の左富士の碑
この日一番の見どころは、東海道で2か所しかない「左富士」の観られる場所でしたが、雲に覆われて見る事が出来ませんでした。それでもかすかに富士山らしい形を見て、「あれです!富士山です!見ましたね。見ましたね!!」と云うウオーキング・リーダーでした。

遠くまで
こんな標識を見ると、随分遠くまで来たもんだ・・・と云う実感が湧きます。

駅弁
帰りの電車内で頂いた駅弁です。
駅弁を食べながら家路に着きました。
今回は15キロ程歩きましたが、見るべきものはほとんどなく、新しく設置した説明板だけがポツリと建っておりました。
古い物を維持するのは大変な時代ですから仕方がないのかも知れません。
次回は、平塚宿から二宮宿です。