tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

能登半島周遊の旅二日目は・・・

2017-06-01 18:13:10 | 旅行
6月1日(木)
薄曇りですが、蒸し暑い一日でした。
明日のお稽古の準備の日ですので、朝から動き回り、やっと終わりホッとしております。

今日も昨日に続いて能登半島周遊の旅の備忘録です。

   
   朝市

輪島の朝市は、三大朝市に数えられている朝市です。
八時から始まるというので朝食を済ませてから行って見ました。

ここの朝市を見るのは40数年ぶりですが、私の記憶では、あの頃の方が活気があったような気がしております。

   
   阿岸本誓寺

能登で最大最古と云われている浄土真宗のお寺さんで、前田家からの通知があると、この地方の寺院に伝達をする「触頭」(ふれがしら)の格付けを持った由緒ある寺でしたが、今では、往時の風格は巨大な茅葺の本堂に面影を残すのみです。

      
   本堂

茅葺の屋根には大小の草が生えて、哀れなほどの姿をさらしておりますが、むしろこれが良いと云ってお参りに来る方もいるとか・・・私たちもその一人です。

屋根に草が生え、階段も草で覆われております。

   
   黒島町の家並み

この町は、昔の家並みがそのまま残っているとこです。
私達は30分くらい散策をしておりましたが、町の人に合う事はありませんでした。まるで、映画のセットの中を歩いているようでした。

   
   掛戸

掛戸とは、火事になった時に「掛け」と云われる物を外して「戸」を倒して延焼を防ぐための知恵だそうです。
戸が倒れると土壁になっているそうです。


国の保存地区に指定されているために、サッシなど近代的な建具も使う事ができずに、その景観を守っております。

   
   総持寺祖院

総持寺祖院は能登を代表する寺院ですが、10年程前の地震で大きなダメージを受け、復興の真っ最中でした。
シンボルでもある山門が20mほど移動して基礎工事をしておりました。

建物をひとつずつ修復して行くのだそうです。
禅寺の最も大切な、座禅堂は一番に建て直したそうですが、周りと馴染まないでおりました。

私達は、少しですが瓦一枚ずつ寄進してまいりました。

   
   峨山道

我山道は、前日に行った永光寺の住職である「峨山禅師」が、永光寺でお勤めを済ませると、総持寺に行き、お勤めを済ませると、再び永光寺に帰って来たと伝えられる道です。

禅師は、住職を兼務していたために、およそ60キロを毎日往復したといわれております。

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   千枚田

ここは有名な千枚田です。
正式には「白米千枚田」というそうで、一番小さな田は新聞紙一枚だそうで、結構有名人がオーナーになっているそうです。

この日はお天気が良すぎて、写真はよく写りませんでした。
 簑の下 耕し残る 田二枚  こんな句が残っております。

   
   上時国家

「平家にあらずんば 人にあらず」と公言していた平時忠の五男が継いだ家柄だと伝えられております。
今ではすっかり観光化されて、私たちが行った時も大型観光バスが止まっており、大勢の人々がガイドの案内に耳を傾けておりました。

敗れた平家が流罪になった経緯は諸説あるようですが、義経が絡みほとんどが伝説の中で膨らんだお話のようですが、この辺り一帯、その伝説が生き生きと生き続けているようです。

   
   昼食

暑い日でしたので、もり蕎麦を注文したところ、どんぶりで持って来たので、「冷たい蕎麦です」というと、「ハイ、冷たい蕎麦です」とのことでした。

この地方では、もり蕎麦は無いそうで、どんぶりに冷たい汁をかけた蕎麦を云うそうです。
勉強になりました。


まだまだ旅は続いております。


コメント (2)
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