tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

中山道「北本から鴻巣宿まで」歩く・・・

2020-02-11 17:25:05 | 中山道六十九次散歩

2月11日(火)

午前中の穏やかな休日が、午後からは約束でもしていたかのように強烈な北風が吹き始めました。

今日は大学もお休みですので一日自分の時間が持てましたので、先日行って来ました「中山道散歩」を備忘録としてまとめました。

勝林寺

寛永元年に関東郡代の伊奈氏が建立した浄土宗の寺院。

このお寺さんの広場をお借りして、準備運動をして本日の街道歩きを始めました。

馬の顔を線刻で描いた馬頭観音が有名です。

浅間神社

富士塚といわれる上に建つ富士山信仰の神社です。

当時は、この小高い丘に登ると富士山が望遠できたといわれております。

一里塚の表

中山道では珍しく、大きな標識が出ておりました。

ここを入って行くと一里塚がありました。

一里塚

原馬室一里塚

本宿(北本)から分かれている古中山道沿いに残っている一里塚です。

塚上には小さな祠が祀られておりました。

一里塚ですから、一対ありましたが高崎線敷設の時に取り壊わされたそうです。

今は個人の所有になっているそうです。

 

高崎線

そこのそこのけ汽車が通る・・・線路は真っすぐです。

旧中山道や一里塚も何のそので造られたといいます。

鴻巣市

鴻巣市に入りました。 

鴻巣宿入り口

立派な道標が建っておりました。

鴻巣宿葉、日本橋から12里8町といいますから約48キロです。

慶長7年に本宿村(北本)の宿場を移して鴻巣宿と改称されました。

中山道沿いに赤い幟がはためき、人形の町を象徴しております。

 

鴻巣宿

鴻巣という名前の由来は、「昔むかし、この地に大きな木があり、その木の精霊の祟りを恐れた村人たちは、「木の神」と崇めお供えなどをして祀っていたそうです。

ある時、この大木にコウノトリが巣を作り卵を産むと、一匹の大蛇が卵を狙い卵に近づくとコウノトリは果敢に突っつき返し大蛇を殺したそうです。

以来、木の神の祟りが無くなったので喜んだ村人たちは社を建て「鴻の宮」と称したといわれております。

八幡神社の狛犬

鴻巣市人形町の旧中山道東側に鎮座しており、地名の如く、周囲には人形店が軒を並べております。

狛犬の足元の小さな狛犬がかわいい。

金剛院

真言宗のお寺です。

ご本尊

ご本尊は不動明王です。

小さな窓から覗きますが、暗くて何も見えませんでしたので、カメラの力を借りて一枚だけ撮らせていただきました。

不動明王は私の守り本尊です。

お耳さま

山門を入り右に行くと、「お首さま」と「お耳さま」という石塔があっております。

首から上の病を持つ方は、「お首さま」そして、耳の悪い方は「お耳さま」に願掛けをすると良くなるそうです。

道標

街道のあちこちに建っておりました。

後何年か後に行くと、高札場や本陣跡など整備されているかも知れません。

勝願寺

浄土宗の寺院で、開基葉700年前といわれております。

徳川家康の次男結城秀康が結城から福井に転封の際に、結城城の一部をこの寺が賜ったと伝えられ、家康の帰依も厚く関東十八壇林のひとつに数えられておりました。

30石を拝領していた大寺院出会ったそうです。

小松姫の墓

上州沼田城主の真田信之の正室が小松姫です。

城主不在の城を守った賢女として名高いお方です。

江戸から上州への旅の途中に、ここ鴻巣の地で亡くなってしまったので、ゆかりのある勝願寺にお墓が建てられたそうです。

この他に、上田市、沼田市にお墓があります。

日本一

何でも日本一はすごいのか・・・

小さい東照宮で有名だそうです。

東照宮

頭を小さく下げないと鳥居をくぐれないという珍しい東照宮です。

江戸時代には鴻巣御殿があったところに建てられたものです。

家康が見たら怒るかもしれません。

道標

鴻巣宿の道標です。

法要寺

寺紋に前田家と同じ「梅鉢」が使われております。

参勤交代の際に、加賀藩の宿所は勝願寺でありましたが、先行きの者が「門前下馬」の表示を見落としてしまい、宿泊を断られてしまったそうです。

困った前田藩は、法要寺に宿泊し事なきを得たといわれております。

この恩に報いるために家紋の使用を許したそうです。

鴻神社

コウノトリ伝説のある神社で、近くにある三か所の神社を合祀したもので、元は鴻三社と言っていたそうです。

そして、明治になってから町内各所にあった神社を合祀して、今の鴻神社と改めたといわれております。

氷川八幡神社

ここ箕田は、渡辺綱の生まれたところと伝えられており、箕田観音堂には、渡辺綱の守り本尊を安置していたと伝えられる平等寺があったそうです。

今は観音堂のみが残されておりますが、境内には嵯峨源氏の紋である「三ツ星に一文字」が随所に見られます。

ここ渡辺綱を祀る八幡宮でしたが、今は氷川神社と一緒になり、氷川八幡神社と呼ばれております。

宝持寺

曹洞宗のお寺さんで、渡辺綱が父と祖父の菩提を弔うために建立したと伝えられております。

綱が奉納したと伝えられている太刀が寺宝として保存されております。

渡辺綱の位牌

ご住職より丁寧なお話を伺うことができました。

私は渡辺綱といえば、山野草の「ラショウモンカズラ」、そして花入の「鬼の腕」を思いだします。

渡辺一族の誇り

渡辺氏は、嵯峨源氏ですので、全国に散っている渡辺一族の方々が建立した碑がありました。

今でも、渡辺さんは一文字の名前が多いそうです。

追分

今回のゴール地点です。

鵜巣から1里2町の地点で、右に行くと日光に通じる忍道、左が中山道になります。

次回は、ここからスタートになります。

 

 

 

 

コメント (1)
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