tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

道具が茶趣を語っている

2011-05-17 19:28:32 | 道具は語る
昨日に続いて「羅生門」について書いて見たいと思います。
花入ほど種類や数がたくさんある道具は無いでしょう。そんな中特異な存在として知られる花入に「鬼の腕」があります。



何でこのような名前が付けられたか少し長くなりますが説明いたします。

鬼の腕」といえば、平家物語の「剣巻」を書かなければなりません。
「渡辺綱は一条戻り橋で見知らぬ美しい女性に「暗夜が怖いから家まで送って欲しい」と頼まれたので、馬に乗せると、その女はたちまち鬼と化して綱の髻を掴んで西天の愛宕山目指して飛び上がった。

渡辺綱は慌てず名刀「髭切」を抜き放ち鬼の右腕を切り落とすと、鬼は愛宕山に逃げ帰ったが切り落とした腕が残った。処置にこまった綱は安倍晴明に相談し占ったところ大凶あったため、綱は鬼の腕を櫃に封じてお経を読誦し7日間慎むことになった。

そして、慎みの六日目、綱の養母でもある伯母が上洛して尋ねてくると、綱は潔斎を破って対面してしまい、経緯を話し鬼の片腕をつい見せてしまったのです。
伯母は鬼を腕を眺めておりましたが、突然鬼となって、「これは吾が手だ、持っていくぞ。」と言うと飛び上がり、破風を蹴破って外に出て、光るものとなって虚空に消えました。」

沖縄ではウニヌーティー(鬼の腕)といわれ、琉球が薩摩藩占領下にあった時に、反乱を起こさぬように武器となる刀を所持する事を禁じた。武器を持てなくなった琉球の人は、慣れ親しんでいる泡盛の徳利を、いざとなった時は底を割って武器として使ったと言われ、その割れ口が「鬼の腕」に似ているところからの命名といわれております。



お茶会でであった「鬼の腕」です。

「鬼の腕」に詰めた泡盛を船蔵いっぱいに藤を巻いたり、荒縄を巻いたりして満載にして、江戸や薩摩の殿様に献上したといわれ、その素朴さから、後に、茶席の花入として珍重されたようです。

お茶席で使うようになると、「鬼の腕」という名前から、能や謡曲などの鬼を題材にした物語をお茶席に趣向として取り入れる事が多くなり、一層珍重されるようになったようです。また、優しいところでは、桃太郎や節分など鬼の出てくる童話など様々に使われております。

「鬼の腕」が飾ってあったら、まず、「趣向は何だろう?」と考えて見ましょう。きっと、何か語りかけているはずです。


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羅生門蔓(ラショウモンカズラ)名前の由来は?

2011-05-16 18:34:56 | 徒然日記
庭先に羅生門蔓(ラショウモンカズラ)が咲きました。名前にカズラが付いておりますので、蔓が伸びながら咲きます。



謡曲の「羅生門」では、源 頼光が大江山の鬼退治が終り、四天王はじめ家臣達とくつろいでいる様子と、酒盛りの最中に近頃羅生門に鬼がでるという話に、渡辺綱が鬼退治する有様が浪々と謡われております。

その渡辺綱が羅生門での鬼退治の時に切り落とした鬼の腕に、この花が似ていることからの命名だそうですが、このように可憐な花になんて凄まじい名前を付けたのでしょう。と私は思っております。


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ひとたびはポプラに伏す 宮本 輝著

2011-05-15 19:05:50 | 本棚の中から
今日はお茶のことは忘れて、私の本棚の中から、私の好きな本を紹介しようと思います。



鳩摩羅什(くまらじゅう)の足跡を追うようにシルクロードを旅した著者が、あとがきで、6700キロ、約40日間の旅は確かに長かったと書き出しております。
旅を終え帰国してから4年の間「ひとたびはポプラに伏す」の連載が続き、脱稿した時やっと旅が終った・・・。その間私の心はシルクロードのどこかを絶えずさまよっていたことになる。と記しております。

鳩摩羅什はインドで誕生した仏教を中国に持ち込み翻訳し、更に日本にまでも多大な影響をもたらした歴史上の人物です。日本の仏教用語とも云うべき様々な言葉はほとんどが鳩摩羅什が訳したものであるそうだから凄い。1610年も前の話です。

これからシルクロードを旅したいと思っている人は是非読んで見ると良いと思います。ガイドブックなどでは分からない空気や匂いそして、シルクロード独特の乾いた埃っぽさまで感じられること請け合いです。
西に進むにつれて食べ物の味が変わってゆく様子や、イスラムの文化と中国独自の文化の融合が実に面白く描かれております。
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都忘れの由来は?

2011-05-14 16:52:37 | 徒然日記
今茶花で皆さんが一番重宝しているのは、「都忘れ」ではないでしょうか?


春先に植え替えたものが綺麗に咲きました。

いつも、この不思議な名前に首をかしげておりましたが、詳しく調べて見ました。この花の名前の由来は、鎌倉時代の承久3年(1221年)に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して倒幕の兵を挙げて敗れ、後鳥羽上皇は隠岐島に順徳天皇は佐渡島に流配となった。その順徳天皇が、「この花を見ると都の思いを忘れられる」といった逸話から命名されたといわれている。
因みに花言葉は「別れ」とか「しばしの憩い」などといわれているそうです。

今日で今週のお稽古は終わりました。来週のために英気を養いたいところですが色々と行事が入っておりまして中々のんびりという訳には参りません。
お稽古場のお花ですが、この花も珍しく、山深く行かないと出会えない花ですが、最近では園芸店に苗木が出回るようになり、珍しい花ではなくなりつつあります。私が始めて出合ったのはお茶会の席で、余りの珍しさに出された茶道具を全く覚えていなかったくらいですから・・・。


「深山大山蓮華」
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道具に茶趣を語らせよう

2011-05-13 19:11:02 | 道具は語る
さわやかな一日をお稽古で過ごしました。この時期になると決まって使われる道具があります。



写真の茶碗は、八橋の絵茶碗で、5月に入るとあちこちの茶席でよく使われます。
平安時代の歌人在原業平の伊勢物語の東下りの段で、業平が詠んだ歌により、三河の国八橋が一躍有名になったそうです。

杜若を見るために造られた木造の渡り板を「八橋」といい、それを意匠として使っております。茶碗の他に香合や蓋置そして、棗など幅広く描かれております。これらは総て、この話を連想させるものとして昔から使用しております。
    
 「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」

そして、この歌の有名なところは、句頭に「かきつばた」の5文字をいれて詠んだというところにあります。

道具もこれだけ語ってくれれば十分でしょう。

日にちは分かりませんが、愛知県知立市の八橋公園では、今頃盛大に杜若祭りを開催していると思います。


今日のお菓子でした。美味しかった・・・。
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初風炉の茶事~続編

2011-05-12 18:02:17 | 茶の湯
少し飛んでしまいましたが、初風炉の茶事の続きを少しだけ書きたいと思います。
前回は懐石の終ったところでまででしたので、炉の茶事と違うところを書いてみます。風炉での茶事は炭手前を懐石の後にいたします。


炭手前が終ると客の所望で香合が拝見に出されます。

出された香合は、片輪車波蒔絵の堂々とした物でした。片輪車波蒔絵は御所車の車輪を使用しない時に川の中にいれ乾燥を防いでいたという風景を意匠化したもので、香合ばかりではなく、手文庫や茶碗などの茶道具の他に着物などにもデザインとして使用されております。
また、田舎では、ひと冬納屋で放置されていた荷車の車輪を川につけてから春の農作業を始めたといわれております。
片輪車波蒔絵に出会うとどうしても「春の水温むころ・・」を連想してしまいます。春の鴨川を思い、遥か里山の小さな川に投げ込むように入れてある荷車の車輪を思い出します。

炭手前が済みますと、お菓子を頂いて仲立ですので、少しだけ足を伸ばす事が出来ます。
銅鑼の音で再びお茶室へと向かいますと、竹一重切に「黄花オドリコ草・雪笹」が迎えてくれました。




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藤の話の続き

2011-05-11 19:42:42 | 日常雑感
前回藤のことを書いてから、少し調べてみました。
日本の藤には、野田藤と山藤の2種類しか存在しないという事、そして、野田藤は右巻き。山藤は左巻きに巻きつくということも分かりました。
山藤は今頃の季節になると緑の中を一面紫に染めたように花枝を広げているのでその存在は直ぐに分かります。

さて、野田藤ですが、江戸時代には、「吉野の桜、野田の藤、高尾の紅葉」といわれるほど有名になっており、古くは、足利幕府の二代将軍足利義詮が、この地を訪ね次のような歌を残しております。

「いにしえの ゆかりを今もむらさきの 藤なみかかる野田の玉川」



写真のように、野田藤は成長すると花の房が地面に届くほど長くなり、優雅に薄紫の房を爽やかな風に任せて揺れている様は見る者を圧倒するそうです。



最近では、足利フラワーパークの大藤が有名ですが、これが野田藤だそうです。私も見たことがありませんが一見価値ありだそうです。



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傾く滝 杉本苑子著

2011-05-09 18:06:35 | 本棚の中から
一時期の騒ぎが嘘のようになった市川海老蔵さんですが、ここへ来て、舞台復帰の話題で再び注目されております。
襲名披露の時と同じ出し物で「勧進帳」だそうです。
舞台では、物凄い形相で空の勧進帳を読み上げ、挙句の果てに主人である義経まで躊躇することなく打ち据え、関守の富樫を欺いて関所を突破しました。当代の海老蔵さんも上手く難を逃れたようです。

今日はその海老蔵さんのご先祖様である江戸天保年間の歌舞伎役者七代市川団十郎の物語です。



江戸時代の歌舞伎の世界を背景にした団十郎の生き様を杉本苑子さんの独特の切り口で描いており、歌舞伎の生い立ちや微妙な身分をさらりと書いております。

「傾く滝」は、今日友人のMさんが綺麗な滝のような藤の写真を送ってくれたので思い出したからです。Mさんには事後承諾で写真を掲載いたします。



藤はマメ科の植物で、本当の名前は、野田藤が正式な名称だといわれ、大阪府西成郡野田藤の宮(市町村合併で変わっているかも知れません)の藤が有名であった事からの命名だそうです。藤は「吹き散る」という意味だそうで、日本産の藤属は、この他に山藤の二種類しか存在しないそうです。

また、野田藤は他の植物に右巻きに絡み、山藤は左巻きに絡むという特徴があるので直ぐに解るそうです。
さて、この藤はどっちに絡んでいるのでしょう。後でMさんに聞いて見なくては・・・・。



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キリスト教会の礼拝 初体験

2011-05-08 18:32:54 | 徒然日記
今日は友人のKさんに誘われてキリスト教会の礼拝に参列させて頂きました。



初めて伺った山の小さな教会ですが何の違和感も緊張感もなく素直な気持ちで入って行けました。教会内にはすでに数人の方がおられ、勧められるままに前の方に着席をしての礼拝となりました。
礼拝にもプログラムがあり日本でいう所の式次第というところでしょうか。今日はKさんが司会担当だそうで、普段では見られない背広姿で進行役を務めており、中々新鮮さを感じさせてくれました。

賛美歌を歌い祈り賛美歌を歌い祈る、をくり返し続けておりました。皆さん綺麗な声で聖歌を歌っておりました。そして、今日のテーマに沿った聖書の箇所を開き「説教」が開始され皆さんメモを取りながら、言われるページを探しては聞き入っておりました。

私は皆さんのようにページを追いかける事が出来ずに戸惑うばかりですが、聖書を読んでいるとすごく面白い事に気がつきました。
そして、今私の一番気になっている事の答えともいえる箇所がありましたので写真を撮ってきました。






今しきりに云われているボランテアで少し考えさせられる事があり、聖書のこの一説を拝見して何だかスッキリいたしました。
写真では読みにくいと思いますが・・・。読んで見て下さい。
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禅語 「薫風自南来」

2011-05-07 16:34:20 | 禅語今昔
爽やかな5月に入り、風炉のお稽古が始まりました。
お稽古場には「薫風自南来」のお軸が掛けられており、皐月の爽やかな風を感じてのお稽古となりました。

禅語「薫風自南来」ですが、この時期にはよく床に掛けられます。「薫風、南より来る」と読みますが、大方の人は「薫風自南来」を棒読みしますが、どちらでも意味は同じですからそのままでよろしいという事になっております。



このお軸は5月の定番といわれるほど、昔から茶人の間で好んで掛けられております。意味は、前記したように爽やかな5月の風を感じていただければよいことですが、やはり禅語です。もっともっと深い意味が横たわっております。

唐の文宗皇帝が、「人皆苦炎熱 我愛夏日永」(人は皆炎熱に苦しもうと、我は夏日の長きを愛す)と吟じたそうです。すると、近習の文人が「薫風自南来 殿閣生微涼」(薫風、南より来る 殿閣微涼を生ず)と二句をつけ一躍有名になったそうです。

しかし、200年も経ってから現れた、大詩人蘇東坡により、この詩は風雅ではあるが、皇帝の詩として庶民への思いやりに欠けていると評され、自ら四句を付け加えたため、この詩は益々有名になったそうです。

こんな難しい語句ですが、私達は「薫風自南来」を拝見したら涼やかな5月の風を素直に感じられればと思います・・・・。
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