定年だ!!世界一周

サラリーマン36年、
いよいよ念願だった世界一周に出発2015年4月1日
2016年1月22日219日間27か国達成

フェルナンド先生のお父さんと

2016-03-09 21:10:27 | その他日常
Padre del maestro Fernando y fue un tour por Tokio.

今日はアルゼンチンから来られたフェルナンド先生のお父さんと東京観光をしました。

はとバス乗って、浅草行って、秋葉原、そして増上寺と東京タワー。






最後はお寿司でした。


連れまわしてお疲れ様だったでしょう。

2キロ四方に150万人のスラムが

2016-03-09 12:01:06 | 旅行記前半、アジア、アフリカ、中東

☆150万人のスラム街?!

 

大自然を満喫したアフリカの旅も間もなく終わり。その雄大な景色や動物たちに歓喜の声を挙げている「旅人」には、どうしても訪れたい場所がありました。

 

それはアフリカ最大の都市ナイロビにあるスラム街「キベラ」です。ナイロビ自体危険なのに、強盗や殺人などが日常的に起きているキベラを訪れることは危険極まりなく不可能に近い。しかし日本にいては見えない現実を「見たい、知りたい」と思うのは不思議でないと思う。そこで20年以上キベラの中で「マゴソスクール」という学校を運営している日本の女性「早川千晶」さんに事前に連絡を取り会いに行きました。

 

待ち合わせのショッピングセンターで、キベラは2キロ㎡にナイロビの人口の1/3の約150万人が住み、5つの村のような組織に分かれ運営されているが、政府や警察などが全く関与してない。そして何よりも学校関係者でも襲われるほど危険との事前説明がありました。緊張が走りました。

 

 

高級住宅地と隣り合わせにあるスラム街、入り口で武装警官3名に前後を護衛されて町の中に進んでいきます。土埃が舞い上がるメインの通りには雑貨屋、クリーニング屋、床屋、食料品店、食堂、家具工場、加治屋などが並び沢山の人が行きかう。一歩脇道に入ると迷路。見渡す限りの錆びたトタン屋根、そして泥壁の家が所狭しと並ぶ。8畳一間の一つの小屋に8人から10人が暮らす。

 

舗装されていない道には排水溝などなく汚水がそのまま流れ、ぬかるんで悪臭を放つ。水道も無く、きれいな水は通常の2倍から10倍ぐらいの値段で小分けで買うしかない。トイレに至っては5~600人に一つあるかないか、したがって袋に入れて捨てに行くか放置するかだ。

 

ゴミもいたるところに投げ捨てられ衛生状態はとても悪い。(NewYorkTimesの記事によれば、キベラに住む少女の三分の二は16歳までに食べ物のために売春をさせられていたとも。)

 

そんな迷路を進んだ先に「マゴソスクール」が現れた。そこでマゴソスクールの創始者リリアンさんを紹介されました。

 

リリアンは18人兄弟姉妹の長女、病気で両親を亡くしてからこのスラムで弟妹の生活を支え、子どもたちでだけで逞しく生き抜いてきました。やがてリリアンは同じように早くに親を失い、より所をなくした子どもたちを自分のもとに引き取り、1999年自分が暮らす長屋の一室に浮浪者20人の寺子屋をはじめたことがマゴソスクールの始まりです。

 

そこに現地で観光ガイド等をしていたケニア在住22年の早川さんが共感して長屋を買ったのが最初の校舎となりました。その後どん底のような貧困がはびこる暮らしの中でも、キベラの仲間たちは力を合わせて、スラムの貧困児童、孤児、虐待を受けた子ども達、家や家族を失い路上の浮浪者になった子ども達などを救済するセンターの役割も担って、現在幼稚園から中学生まで600人が通う学校となっています。

 

 

いろいろなバックグランドを持った子どもたちですが、元気にハツラツと学校生活を送っているように見えました。さらに学校の生徒以外にもキベラの貧困児童へも毎日朝(1食2円)、昼(1食10円)の給食を支給しています。児童たちの中には支給されたお昼の給食を食べない子が6割ぐらいいるそうです。それは家にいるお母さんや妹弟たちに持って帰るからです。

 

今また新しいクラスを作りました。それは障害を持った子供達の教室です。今までは障がいを持った子供達は親が働きに出ている間部屋に閉じ込められたり、極端な場合は最悪な事態など・・・。スラムで初めての障がい児クラス、今までと違って先生一人に生徒は二人ぐらいしか面倒が見られません。従ってお金も掛かります。それでもマゴソは新しい道を切り開いています。

 

 

他にもたくさん伝えたいことがありますが、こんな困難に直面しながらも元気で明るい子ども達、そしてそれを支える早川さん達を目のあたりにして言葉を失ってしまいました。

今ではOBの大学生が休みを利用して手伝ってくれています。

インドのコルカタで行ったマザーテレサの施設、タンザニアで会った75歳で孤児院のボランティアをしている日本の75歳のおじさん。

 

 

世界一周が終わるまでには何かの答えを出そうと思いキベラを後にしました。

次は中東へ。

 


佑介世界一周第2弾出発

2016-03-08 19:59:40 | その他日常


なんと南米のイースター島で一緒だった佑介が、今夜アイスランドに向けて出発。

その前に我が家に寄ってくれました!

アイスランドの次はスペインのサンチャゴの道など6月までだそうです。

若いっていいですね。

安全第一で元気に行ってらっしゃい^_^


アフリカ最高峰キリマンジャロ!待ってろよ

2016-03-08 14:35:27 | 旅行記前半、アジア、アフリカ、中東

☆75歳日本人ボランティアに会う

アフリカ56日間のトラックの旅も終わり今朝からまたひとり旅。トラックの時は、朝から英語で挨拶して、話しかけられたら英語で答えて、ときどき分からなくて、大変だななんて思っていましたが、いざひとりなると寂しいものです(泣)
 朝一番でサマーたちがひと足先に出発しましたが、別れた後じ~~んときました。

 

10時にホテルを出発。危険と言われるナイロビからキリマンジャロの麓の町モシ(タンザニア)に中型バスで向かいました。運賃は35米ドルと少し高いですが、ホテルでピックアップしてくれます。リバートラベルです。

 

 

バスの中で今から行くモシと言う町で孤児院のお手伝いのボランティアをされている桑波多さん75歳にお会いしました。2時間ぐらいお話を聞きました。


なんでも孤児院にはお金がなく、養鶏を手伝っているが餌代がかかってピンチ。タンザニアでは炭を焼いた後に出るクズ炭を捨てている。これを日本の昔の豆炭にして再利用しようと挑戦。しかし日本の会社が豆炭にする技術を教えてくれなくて困っている。このボランティアは71歳から始められたそうです。(驚き!)ビザの関係でときどき国外に出なければならない。先日もタンザニアの首都ダラエルサラームでタクシー強盗に遭って身包み剥がされたなど、恐ろしい話を聞きました。それでも続けるのは、頭が下がりました。

 

明日その方の定住先のロッジに泊まってお話を聞くことにしました。頑張る日本人、尊敬です。

 

☆網走の頭もスリには敵わない

 

ナイロビをバスで出発して8時間、キリマンジャロの登山口の町、モシに到着。ここでは個人登山が認められてないのでガイドやポーターを同行することが必須。登山前にツアー会社を探して決めなくてはならない。バスを降りると早速沢山の客引きがどっと押し寄せ、袖を引っ張ってきますがここは完全無視。

 

まずは一泊10米ドルの安宿に部屋を取り、昼飯がてらツアー会社を2社ほど回って情報収集と値段のリサーチ。その中で日本人が多く使うキリクライマーズ社で最終交渉。ルートは一番簡単な5泊6日間のマチャメルートを選択、そして値段交渉。一時間ほど粘って950ドルに。この中には国に納める入山料(一日70米ドル×6日)420ドルが含まれる。残りで人件費、装備レンタル、食費、チップなど。特にチップは後で揉めるのでしっかりと契約書に金額を書いてもらう。

 

長旅の疲れもあったので出発は3日後。街をぶらぶらしながら地元の床屋へ。黒人は1ミリも無いくらい剃り上げに近い状態にバリカンで刈ります。私も一応長めと言いましたが、だんだん床屋の親父、気合いが入ってこんな状態です。あっという間に五輪刈り。なんだか網走帰りみたい。別に懺悔をした訳ではありません。まもなく本当の懺悔が来るとは思ってもみなかった。

 

 

その後有名なキリマンジャロコーヒーを飲みに行く途中、しつこい二人の客引きに絡まれ、やっと振り払ってお店に入った瞬間。あっ。斜め掛けのバックのチャックが空いている?やられましたiPhone。盗難証明書を警察に頼むと、なんと賄賂70米ドルを要求されやむなく払う。追い打ち。悔しい。

 

今朝は朝からサンダルの紐が切れたりして、何かを暗示していた。お恥ずかしい話ですが、初心者の旅行者みたい。パスポートも財布も無事です。iPhoneはなくてもIPADがあります。いままでこのIPAD重いからいらないと邪険にしていました。IPADもやっとお役に立てましたと胸を張っているように見えました。

神様が気を引き締めろと言っているのでしょう。慢心しないで7月末まで旅します。


さらに今日行く予定だった孤児院の桑波多さんの定宿も戻ってみれば泥棒に入られてそれどころでは無いと手紙が置いてあったのです。(6日後お宿までお邪魔して2日間たっぷり聞かせていただきました)


☆行くぞキリマンジャロ!待ってろよ!

 

 

気を取り直して7月4日登頂開始。ツアーのお客は私一人。

 

一日目:チーフガイドと足りない装備をレンタル。使ったあと洗ってないようで猛烈に汗臭い。途中でポーターのお兄ちゃん達を車で集めながら出発ゲートへ。

 

どうもこのチーフ初めてのようで手続きに戸惑う。1,790mからゆっくりとした坂道を4時間歩き、今夜のキャンプ地マチャメ3,010mに到着。しかし先に来ているはずのポーター2名とコックが大幅に遅れて到着、夕食は20時に。先が思いやられる。

 

 

二日目:8時30分出発、13時30分にはキャンプ地シラー3,845mに到着。もう富士山を超えている。今日もポーターが後から来る。こんなツアーはないらしい。ガイドがしきりに謝る。謝られてもこちらも困る。

 

三日目:一気に1,000m近く登りラバータワー4,640mに。今度は700m降りてキャンプ地バランコ3,960mへ。高度順応にはいいが疲れる。途中で偶然アフリカで一緒だったチェに出会う。元気が出た。4,000mを超えると草木も見当たらない。風も強くなり夜には激しい雨。

 

四日目:道は岩壁になり這うようにして登る。バラフキャンプ4,640mここがベースキャンプに。仮眠、夕食、仮眠(ほとんど寝れなかったが)

 

五日目:夜中の11時30分猛烈な寒さの中頂上アタック開始。持ってきた防寒具を目いっぱい着込む。5,000mを超えると空気は極端に薄くなり、高山病の危険性も高まる。五歩歩いては休む、また五歩と。やめようと何度も思う。体がやたら重くなる。

 

出発から約7時間、午前6時24分遂に登頂5,890m。アフリカ大陸で一番高いところに今立っている。感激。日の出も。そこでアフリカを共にした仲間の二人にも遭遇。神様の祝福か。

 

ガイドがすぐに降りようという。確かに写真撮るために出した指が5分で凍傷になりそうになる。8時45分ベースキャンプに。2時間仮眠して一気に3,080mまで下山。

 

ところが途中から激しく胃が痛む。こんなの初めて。歩けない。ガイドが救急隊に連絡すると言い出すが断る。脂汗出しながら二倍の時間かけて到着。白湯だけ飲んで寝るも夜中に痛みのためのた打ち回る。

 

 

六日目:まだ激痛がするも1,630mのムウェカゲートに到着。ガイドたちに登頂成功の感謝を込めてチップを50ドル追加。緊張が続き疲れも出ない。エベレストと違い頂上に立った満足感は何と言っても大きい。次の日久しぶりにシャワーを浴びビールで乾杯。アフリカ万歳万歳万々歳!さあ次へ・・・・・

 

このハットの寄せ書きはサマー、デイビッドなどトラックの若者達が登頂成功を願って寄せ書きしてくれたのもです。お陰で登頂成功!


56日間アフリカオーバーランドツアー終わったぞ!

2016-03-07 17:52:14 | 旅行記前半、アジア、アフリカ、中東

☆今度はサイ

 

感動のゴリラの後は2日掛けて約1,000キロ移動してウガンダ最大の国立公園「マーチンソン・フォールズ」に来ました。ここではまずサイを探しにゲームドライブです。ご存じサイは大きく凶暴です。近くに行くと「カァハ~ハァハ~」と鼻息が聞こえます。迫力満点。

 

☆チンパンジーは何を考える

 

 ゴリラツアーと同じく2班に分かれてツアーに出ました。森の中に突然チンパンジーの親子が現れました。自分の中ではチンパンジーの方が見慣れているせいか、緊張はしません。その分心の余裕が。そして日本の動物園で見るよりとても自然さを感じました。当たり前か。こちらを見つめるチンパンジーは何を考えているのか。

 

☆白ナイルはどこから

 

 公園の中央部を流れるナイル川のマーチンソン・フォールズがある。川幅50mのビクトリア・ナイルが僅か5mにまで狭められ、轟音とともに落差42mを流れ落ちる。響き渡る轟音の迫力はお腹に響く。この滝を境にビクトリア・ナイルは白ナイルと名を変えて遙か彼方のエジプトまで6,695kmを流れていく。滝の先は静かな幅広のナイル川だった。

 

☆Ziwa Rhino & Wildlife Ranch

 

 最後のサファリに行きました。何度も見た光景、しかし途中サファリの車が泥沼にはまったり、毎日のトラックが故障したり色々ありましたが、とっても貴重な体験となりました。

 

 いよいよ最後の町ナイロビが近くなってきました。アフリカの町には日本の中古車が沢山は走っています。ボディの漢字はそのまま。アフリカが日本と同じ左側通行、きっとこれが関係してるのでしょう。

 

このツアーも最終日が見えてきて皆さん次の予定の話が多くなってきた。私も次の宿や交通手段をネットで調べ始めました。なんだかソワソワ感が。

 

☆終点ケニアへ。

ケープタウンからケニアまで、9カ国56日間1万4000キロにも及んだアフリカトラックの旅も終わりました。結局最後まで一緒だったのは4人、寝食共にした戦友とシャンペンで乾杯。よくやったね!!

 

☆夫婦・恋人・姉妹・特別な関係

 

このアフリカのトラックの旅には何組かの夫婦、恋人、同性愛、そしてこの旅の中での恋愛を見てきました。

 

まず夫婦、外国人はとにかく何かあると抱き合いスキンシップを異常にします。しかしその割にはすぐケンカをする。あんなに密着していた2人が朝食の時バラバラに座ったり、トラックの席を離したりします。


見ているとわざとしているのは見え見えです。恋人同士も、同性愛の人も同じです。カップルで旅行中、一週間に一度もケンカしなかった組は無かったように思います。あの異常なスキンシップや大袈裟な愛の表現は何を意味しているのでしょうか^_^

 

そして旅行中の恋愛、今回は明治のカールおじさんのような大声の男と気の強い女。気の強い女は、猛アタックして、カールおじさんが恋人のように馴れ馴れしくしていた看護師さんから自分に乗り換えさせました。しかし最終日、これまた元のさやに戻りそう~と思ったらまた逆転!?
参考までにこのお気の強いベルギーの女性、女性仲間からも評判が悪く最後は誰も口をきかなくなりました。

など旅行ってきっと24時間一緒だから難しいのかも(笑)

男も女もやっぱり日本人が一番優しいかもしれません。(しかし愛の表現、日本人は下手ですね(笑))

☆変わった外国人達

 

バスの中で何時間でも口笛を吹き続ける人がいます。どうも日本人には耳障り、誰も文句言いえませんがどうなのでしょうか?ちなみにこの人、とっても沢山食べます、大体人の三倍、さらにどんなに時間が掛かっても急ぎませんので、この人のお陰で最後の食器は残ります。

 そして写真の女性、なんと180センチぐらいあります。私も方を向いているのは、私に話し掛けているのではなく、なんと本をこちらを向いて読んでいるのです。足は私の座席の横、見てびっくり。この方とても頑固でサファリの時、見やすい座席は途中でみんな交代しますが、頑なに断っていたワガママ娘さんです(泣)

みんな個性的だな~~

 

☆お別れパーティは涙が・・・・

 

 56日間のオーバオランドツアーが終了しました。こんなに長い間外国人と寝食を共に出来たのは、自分でも驚き。途中日本人に会ったのは5回ぐらい、話した時間は合計2時間ぐらい。それ以外は24時間英語でした。いろいろ思うことがあります。しかし答えを出すのにはもう少し時間が掛かりそうです。

 

 親切にしてくれた仲間に感謝して、明日からThe Roof of Africa キリマンジャロに挑戦します。

 

 


34年前の仲間

2016-03-06 20:24:06 | その他日常

私が初めて営業の最前線に出た時一緒に働いてくれた仲間です^_^

今回私の世界一周のお祝いをしてくれました!

皆さん平均年齢70歳ぐらい!

それでも15人集まってくれました。
もう既に8名が他界しています。

こんなに楽しい会はありませんね~~
ありがとうございます

アルゼンチンから朋来る

2016-03-05 14:33:23 | その他日常

世界一周の旅の途中、アルゼンチンでお世話になったフェルナンド先生がお父様と来日されました。

先生は私が習っている合気道の養神館龍の門下生でアルゼンチンで「銀龍館」という名で

合気道を教えておられます。アルゼンチンに行くに際して養神館龍の代表の安藤師範から

ご紹介をメールをしていただきました。なんと弁護士でお忙しい中、空港までお出迎えいただき

3日間も寝食ともにお世話になりました。さらに現地の合気道の稽古にも参加させていただき、

その後、生徒さん達から大歓迎の宴会までしてもらいました。

今朝成田空港にお迎えに上がり、龍本部にお送りしました。

先生は10日間みっちり稽古されて4段の試験を受けられます。その間少しお父様を

東京観光にお誘いしました。3月9日の予定です。ところがお父様はスペイン語のみ

話されるので、さてどなたか私に付き合ってスペイン語を話してくれる方いませんか。

もちろん片言でもOK.だれか少しでもスペイン語話す方がいると安心するのではと。

費用持ちます。予定:朝はとバス、お昼から浅草?あたり観光。そして夜はお寿司でも。

もちろん半日でも結構です。


ゴリラってなんて哲学的なの!

2016-03-04 21:26:59 | 旅行記前半、アジア、アフリカ、中東

☆道なきジャングルの先に「ゴリラ」

 

 今日は朝5時半からゴリラツアーへ。今回のアフリカの目玉の一つです、
予約はなんでも2年前から埋まっているらしい^_^そして高額(スイスガイ達は高くてこのツアーを諦めたそうです、残念)

 

私たちは昨日と今日の二班に分かれ行くことになりました。私は後半組。昨日の人たちはとっても楽しそうにゴリラに会った話をしていました。ゴリラに会った時間は1時間弱だったそうです。何でもいいから会いたい。しかし条件によっては見られないこともあると事前説明を受けたので、心配しながら行きました。

 

レンジャー事務所で注意事項を聞き、前と後ろにライフルを持った隊員がつきます。これは途中で象に襲われたときの対策だそうです。

 

まずは集団で少し急な山道を進みます。そして先発の隊員がゴリラの人付けされたグループを見つけてトランシーバーで連絡してきました。ここからは急に道なき森の中に突っ込んで行きます。蔦を掴み、地面を這い、崖を登り、滝を渡りながら、まるで昔見た川口探検隊のようです。藪なんていうものではありません、本当のジャングルです。

 

全身泥まみれで登ること一時間、突然ゴリラが目の前に現れびっくり、それからは2時間半ゴリラ、ゴリラ、ゴリラでした。凄すぎ^_^。自然保護のためこちらから2mいないに近づいてはいけません。子供のゴリラが来ても手を出してはいけません。それほど近く見みえました。しかし親のゴリラは悠然としてこちらを眺めています。人間がゴリラを見に行ったのではなくて、ゴリラが人間を観察しているようでした。なんてゴリラの顔は哲学的なんでしょうか。

 

 ここでもアメリカ人は途中、靴裏ははがれても、楽しそうに靴下で歩いていました。本当に楽しんでいますね。

 

 

☆マラリアはすぐそこ?

 

アフリカで一番怖いのはマラリア。日本でマラリアのクスリをお願いすると、最高12錠しかくれない。(週一錠)その内一錠は感染地帯に行く前に飲み、二錠目から予防効果が出てくる。そしてさらに危険地区を離れて後も4週間(4錠)は飲み続けなくはならない。と、言うことは、残り7錠分つまり35日分の処方となる。
 私の場合全く足りないので医師に相談したところ「マラリアは高熱が出るから、出たら直ぐ病院に行きなさい。その病院に運ばれる日数分だけ飲みなさい」言われそんなもんだと信じていました。

 ところがあのスイスガイが毎朝錠剤を飲んでいるので、なんだと聞いたら、マラリア予防薬だと。その日の夕食の時に他の皆んなに聞いたら、当たり前と言った顔で!全員「飲んでいる」(泣)(マラリア薬は毎日飲むのと週一飲むのと二種類あり)
 スイスガイの年長のジョナサンに聞くとマラリア薬飲んでいてもウガンダでマラリアに二回かかったと言う!「マラリア薬を飲んでいたから軽かったよ。一回目は5日の入院、二回目は3日で済んだよ(笑)」これ聞いて慌てて日数計算して先週から飲み始めて今日で二回目、つまり今日から効いていることに。一番危険なウガンダのゴリラツアーは昨日終わった。さて今は潜伏期間(蚊に刺されて1週間から4週間)なのか?無事なのか?ドキドキしながら旅を続けました。

 


アフリカ9カ国目遙々来たぜウガンダへ

2016-03-03 23:44:40 | 旅行記前半、アジア、アフリカ、中東

☆黒人主権とは・・・・・

 

 ちょっとオーバーな話かもしれませんが。今日はウガンダの首都カンパラにあるキャンプ地、プールがあって、立派なホテルを併設しているリゾートです。そこには沢山の黒人の人たちがお客として泳いでいました。えっ!今まではほとんどプールで泳ぐ黒人はもちろん、リゾートに泊まる黒人も見たこともありません。アフリカに来てとても不思議でした。タンザニア、ケニアそしてウガンダではリゾート地の経営者も黒人が多くなってきました。何が幸せなのかは別にして仕事や機会は平等ではなくては。(ただし一部の国では強制的に農園の経営を黒人に変えたところ管理がうまくいかなくて元の荒れ地になっていることもあり。移行は難しい。)

 

☆イッタイイツスルウンチ?!

 

 トラックの旅の朝は移動距離が長いこともあって早い。起床は5時半から6時。朝食は起床から30分後です。その間にテントを畳んで、トラックに格納。マットも。朝食のテーブルや椅子を有志がセットします。だいたい朝食のメニューは食パン(焼いていません生)またはシリアル、バターかピーナツバターをお好みで。バナナまたはリンゴ。コーヒー。これをさっと食べて、自分の食器は自分で洗います。起きてから1時間後には出発します。この時間に遅れる人はいません。しかしこの間に洗面、歯磨き、うんちをする必要があります。ゆっくりしているいと間に合いません。

 

 歯磨きはほとんどが食前、食後は私とあと一人ぐらい。そして肝心要のうんち。これは人間の朝の一大事業です。いままで日本では私は食後30分以上ゆっくり休んでからのルーチンでした。しかしこれでは出発に間に合いません。外国人はいったいいつするんだあれ?何度も観察しましたが不明です。とにかく自分のことを時間内にするだけでギリギリでした。外人は腸が長いのか?

 

☆遂に来ました赤道直下

 

 赤道、凄く遠くまで来たようにこの言葉は響きます。しかし地面や空に赤い線が引いているわけではありません。記念碑が建っています。ぶら下がりながら「はるばる来たぜアフリカ~~、赤道へ~~」とサブちゃん風に心の中で歌っていました。(同じ赤道でも後日行ったケニアの赤道は、ブリキ看板一つでした。こんなに違うんだ)

 

ケニアの赤道看板

☆いよいよゴリラにご対面、その前に

 

 かつて英国のチャーチル首相が第二次大戦でドイツに爆撃されたとき、本気でここウガンダに首都を移そうと言ったぐらい美しい町「アフリカの真珠」と称えられていた。そのウガンダでいよいよゴリラツアーです。しかしマウンテンゴリラにストレスを与えないように森に入るときには一つの群れに対して7~8人と制限されています。私は後半組に。一日のんびりと過ごしました。

そんな日の午後、スタディーツアーがあって近くの小学校を訪問しました。イギリス財団が支援して、イギリス人のボランティアも派遣されています。授業の様子や運動場で一緒に遊んだり楽しいひとときでした。帰りにはなにがしかの寄付ですが、ちっともいやな気持ちがしません。それはこの子供たちの清んだ目でしょうか。それにしても歌などを上手に取り入れた英語教育は素晴らしいものがありました。日本でも取り入れては?

 

☆道なき山をかきわけてゴリラにご対面!

 

続く