会津柳津駅は会津坂下から只見に向かって三つ目のすぐ近くの駅です。車で行けば15分くらいの距離ですけどJRの列車で行ってきました。坂下駅発8時25分~柳津駅着8時46分でした。
駅員さんが1人もいない無人の駅なんです。
自家用車が今のようにたくさんなかった50年ほど昔は列車が来るたび乗り降りする人で溢れていた賑やかな駅だったのに今乗り降りした人は私1人だけでした。かつてあった待合室の切符販売の窓口などは壁で覆われて大きな柳津虚空蔵尊圓蔵寺の写真がはってありました。それでも、列車が通る30分前には優しそうな中年のおじさんがストーブを持って待合室においでになるのです。たった1人で降りてきた私を珍しそうに見ていらっしゃいました。切符を渡すと「そこに切符を入れる箱があるんです」と教えてくださいました。なんだかわびしい感じでちょっとばかり恥ずかしかったんです。
只見川沿いの険しい断崖の上に建立されている日本三大虚空蔵尊のひとつ「円満虚空蔵尊」を本尊とする圓蔵寺のある古くからの信仰と観光のまちななんです。
断崖の上にある圓蔵寺に参詣するにはこの石段を登ります。阿吽(あうん)の仁王像があるこの門の奥にはこの倍近くある石段だ続きます。この門には「無怖畏」と書かれた額が掲げれていました。無学の私には怖れルことも畏れることもありません。優しい心で門をくぐりなさいと読めるんです。つまり私のような罪深い者もお通りなさいということだと思って通りました。
菊光堂には清水寺の舞台に似た舞台が断崖の上に作られていて美しい柳津の景観が一望できます。高所恐怖症の私は怖くてふるえながら舞台の欄干までいってシャッターを切りました。帰りは怖くて這うようにして帰りました。どこかのお二人さんは欄干に沿って楽しそうに眺めていらっしゃいました。怖くないんでしょうかね。目が回るような高所なんですよ。
圓蔵寺参詣で忘れてならないものに国指定の重要文化財の「奥之院弁天堂」があります。室町時代中期~応永年間(1344~1428)建立の圓蔵寺の隠居所として圓蔵寺と栄枯盛衰を共にしたとありますけど静かな雰囲気の中に深い趣を感じるお堂です。
奥会津地方には古い昔から子どもが13歳になると成人儀礼として圓蔵寺に参詣してこれからの健やかな成長を祈る風習がありました。私の母は明治28年(1895)奥会津の塩ノ岐という所で生まれたんですけど13歳になった時父に連れられて今の沼田街道とは違った古道の峠道やへつり道(川縁の険しい断崖に作られた道)を通って3泊4日の旅で十三講参りをしたことを懐かしそうによく話していました。今は整備された沼田街道を通って車で2時間の道のりなんですけどもね。
そして勇壮な七日堂参りがあります。
正月七日の夜、柳津の町中にはこうこうとかがり火が焚かれ、大鐘を合図に雪の中下帯姿の男どもが参道の高い石段を駆け登り冷水をかぶって身を清め菊光堂内陣の鰐口の麻綱に争ってとりつき天井の梁によじ登り今年一年の無病息災を祈るのです。
寺伝によれば大同二年徳一大師の圓蔵寺建立にあたり一頭の牛が現れ材木運搬などに目覚ましい働きをしたが菊光堂竣工と同時に姿を消したといわれております。それにちなんでこの牛を撫でると運が開けるといわれております。これが会津の赤べこ(赤い牛)の由来といわれております。
例のごとくばばちゃんと一緒に柳津参りの御利益にあやかろうと思って980円也の粟まんじゅうと栗まんじゅうの箱詰めを買って急いで柳津駅に向かいました。張り切って柳津中をミラーレスを持ってかけずり廻りまわった4時間でした。
柳津駅の駅舎はこんなに立派です。
駅構内にはこんな立派な観光案内の大きなパネルがあり
こんな立派なSLの C11が展示されている駅なのに
駅員さんが1人もいない無人の駅なんです。
自家用車が今のようにたくさんなかった50年ほど昔は列車が来るたび乗り降りする人で溢れていた賑やかな駅だったのに今乗り降りした人は私1人だけでした。かつてあった待合室の切符販売の窓口などは壁で覆われて大きな柳津虚空蔵尊圓蔵寺の写真がはってありました。それでも、列車が通る30分前には優しそうな中年のおじさんがストーブを持って待合室においでになるのです。たった1人で降りてきた私を珍しそうに見ていらっしゃいました。切符を渡すと「そこに切符を入れる箱があるんです」と教えてくださいました。なんだかわびしい感じでちょっとばかり恥ずかしかったんです。
柳津町は美しい只見川の景観と
只見川沿いの険しい断崖の上に建立されている日本三大虚空蔵尊のひとつ「円満虚空蔵尊」を本尊とする圓蔵寺のある古くからの信仰と観光のまちななんです。
圓蔵寺の春の桜、秋の紅葉も美しい名所になっているんです
この写真はネットで柳津の桜「菊光堂下の桜」からお借りしました
断崖の上にある圓蔵寺に参詣するにはこの石段を登ります。阿吽(あうん)の仁王像があるこの門の奥にはこの倍近くある石段だ続きます。この門には「無怖畏」と書かれた額が掲げれていました。無学の私には怖れルことも畏れることもありません。優しい心で門をくぐりなさいと読めるんです。つまり私のような罪深い者もお通りなさいということだと思って通りました。
石段を登り切ると圧倒されるような大きな圓蔵寺本堂「菊光堂」があります
私のようなずぶの素人にはよく分からないんですけども正面入口の美事な彫刻です
菊光堂には清水寺の舞台に似た舞台が断崖の上に作られていて美しい柳津の景観が一望できます。高所恐怖症の私は怖くてふるえながら舞台の欄干までいってシャッターを切りました。帰りは怖くて這うようにして帰りました。どこかのお二人さんは欄干に沿って楽しそうに眺めていらっしゃいました。怖くないんでしょうかね。目が回るような高所なんですよ。
圓蔵寺参詣で忘れてならないものに国指定の重要文化財の「奥之院弁天堂」があります。室町時代中期~応永年間(1344~1428)建立の圓蔵寺の隠居所として圓蔵寺と栄枯盛衰を共にしたとありますけど静かな雰囲気の中に深い趣を感じるお堂です。
この圓蔵寺には十三講参りという親しみのあるお参りがあります
奥会津地方には古い昔から子どもが13歳になると成人儀礼として圓蔵寺に参詣してこれからの健やかな成長を祈る風習がありました。私の母は明治28年(1895)奥会津の塩ノ岐という所で生まれたんですけど13歳になった時父に連れられて今の沼田街道とは違った古道の峠道やへつり道(川縁の険しい断崖に作られた道)を通って3泊4日の旅で十三講参りをしたことを懐かしそうによく話していました。今は整備された沼田街道を通って車で2時間の道のりなんですけどもね。
そして勇壮な七日堂参りがあります。
正月七日の夜、柳津の町中にはこうこうとかがり火が焚かれ、大鐘を合図に雪の中下帯姿の男どもが参道の高い石段を駆け登り冷水をかぶって身を清め菊光堂内陣の鰐口の麻綱に争ってとりつき天井の梁によじ登り今年一年の無病息災を祈るのです。
写真は福島民報に掲載された当日の写真からお借りしました
圓蔵寺本堂菊光堂前には「開運なで牛」という像があります
寺伝によれば大同二年徳一大師の圓蔵寺建立にあたり一頭の牛が現れ材木運搬などに目覚ましい働きをしたが菊光堂竣工と同時に姿を消したといわれております。それにちなんでこの牛を撫でると運が開けるといわれております。これが会津の赤べこ(赤い牛)の由来といわれております。
最後ですけど柳津名物といえば「粟まんじゅう」と「栗まんじゅう」それに「うぐい最中」です
例のごとくばばちゃんと一緒に柳津参りの御利益にあやかろうと思って980円也の粟まんじゅうと栗まんじゅうの箱詰めを買って急いで柳津駅に向かいました。張り切って柳津中をミラーレスを持ってかけずり廻りまわった4時間でした。