春3月、遠く中国のゴビ砂漠から海を越えてやってくる黄砂ですよね
街の通りも黄砂でもやっています。
春三月黄砂といえば80数年前小学校1年から5年まで暮らしていた尾瀬沼の福島県側からの登山口檜枝岐村の隣村の大川村小立岩(現南会津町小立岩)のことが思い浮かぶんです。
10歳前後の幼い子供でしたけど1月頃の2m前後の積雪も3月末から4月始め頃には1mくらいの湿った積雪になり冷下の寒い朝は固く凍って藁靴で歩けば舗装された野山を歩くようにどこでも歩けるようになるんですよね。
かた雪渡りといって洟垂れ小僧どもはみんなで1本の棒をもって山に行くんです。すると純白の雪が薄く茶色になっていたり、杉の林の中の雪が薄い緑になっていたりするんです、それを見るとああ春が近いんだなと嬉しくなるんです。今思えば黄砂と杉花粉ですよね。でも子供達いや集落の人みんな、たれ一人花粉症に悩む人などいなかったんですね。本当に不思議です。私など成人してからは本当に花粉症に苦しみましたのに。
そうそう山に向かった洟垂れ小僧のことですけども朴の木のつのの形をした大きな芽を摘んで中身を抜くと小さな角笛になるんです。みんなでそれを吹き鳴らして山に向かうんです。爽やかな春の香りが口中いっぱいになるんです。そして山の急な斜面に着くと30mから50mも登るんです、そして持ってきた棒を斜め後ろに構えて上半身の体重を乗せ急な斜面を滑り降りるんです。棒ぞりと言います。技術がいるんですよ、もし失敗して転べば自由を失って下まで激しく滑落してしまいます。
これは大事なことなんです。成人して切り出した材木を大きな橇につけて斜面の雪の道を運びだす時の勇気と技術につながるからです。斜面の橇引きはちょっとミスすれば橇にひかれて怪我をしてしまいます。
棒ぞりに疲れるとやまに向かって叫びます。「おーい」と叫べば「おーい」と帰って来ます。「あしたまたくるぞー」と叫べば「あしたまたくるぞよー」と帰ってきます。やまびこ(山彦)ですよね。
そして声をかえして暮れるその山彦を私たち子供は、柴の枝に下がっている綺麗な緑色の繭(まゆ)がヤマビコだと思っていました。蛾が抜け出たときに出来た口が開いていました。ウスタビガの繭なんですね。子供の世界は心豊かなんですよね。
写真はヤフーのウスタビガの繭からお借りしました。
80数年むかし私が子供の頃暮らしていた小立岩の方で記憶に残る方のお名前「大原のクラキチさん・小立岩のシロヘイさん・トクオさん・カメキチさん・スミコさん・大桃のトミエさん・イセコさん」当時小学校5年だった私が今は94歳です。ですから今もお元気でいらっしゃる方は少ないと思います。でもこの記事などご覧になったゆかりの方などいらっしゃってコメントなど頂ければすごく嬉しいです。ブログ名は「サンタロウ日記 gooです」あの岩屋の鎮守様は私の大事な大事な鎮守様であらせます。古里にときおり帰ったおりにはかならず「只今帰りました」とお参りしているんです。