私は橋の上から眺めながら湧いてくるいろんな思いを懐かしみ楽しみました。
私は奥会津の只見町からこの町に移住してもう60年になります。奥会津は会津と言ってもお蔵入りと称して幕府の直轄領でしたから言葉も生活習慣も会津とは違っていてだいぶ苦労しましたけど今はすっかりこの町の住人になりました。
たとえば只見町では親しい友人同士でお互い相手を呼び合う言葉は「おぬしは」がなまった「にっしゃ」でした。ところがこの町では「にっしゃ」は相手を呼び捨てにする罵詈雑言の言葉でした。反対に60年前のこの町では奥様が旦那さまを呼ぶときは「おまえ」がなまって「おめえ」でした。(今は「あなた」だろうと思います。)ところが只見では「おめえ」は相手を軽蔑し罵る言葉でした。
丁寧語(敬語)は人とつきあうにはとても大事です。私はすっかり心を許しあえるようになった友人にうっかり気をゆるして「にっしゃ」と呼びかけてしまって「にっしゃ」とはなんだと怒られあやうく親しくなった友を失いそうになったことがあります。
新しく親しくなった友人は「この小さな流れはもとは鶴沼川という大きな流れで子供の頃は夏になると橋の上から飛び込んで遊んだものだし、対岸に泳ぎつくことの出来るのは泳ぎが上手でたっしゃなものだけだったんだと言いました。
また当時の鶴沼川は暴れ川で洪水があると私が住んでいる家の前を洪水の濁流が流れたもんだとも古いひとたちから聞いてもいました。
でも前の時代に河川改修がなされでしっかりとした堤防の堤がつくられ、流路変更工事で鶴沼川の上流で流れが大川に流れるように改修され鶴沼川はこんな小さな流れになってしまったのです。
いまはこの小さな流れは河川改修と圃場の基盤整備で直線で流れるようになっていますが私がこの町に移住した当時は蛇行して流れておりました。流れの堤に穴をあけて綺麗なカワセミが巣を作り子育てをしていましたし、カワセミがたくさん飛び交ってもいました。当時は養魚場を経営している方もいてカワセミを害鳥として嫌っていて養魚場へ入らないように網をはっていたように思います。養魚がカワセミにたべられないようにしたのです。
冬季になるといろなカモがわたってきて流れに泳いでいました。双眼鏡で見るとマガモやオシドリの姿もみられました。いまはカルガモと小ガモが少し見られだけになってしまいました。
かつては川辺の初夏の夜はヘイケホタルもゲンジホタルも飛び交い蛙の声も賑やかでした。でもいまはトンボや蝶などの昆虫が激減しホオジロやホオアカやカワラヒワなど小鳥も姿が見えなくなりました。ヨシキリの姿も少なくなってヨシキリに託卵するカッコウの声も少なくなりました。
野のまわりはすごく綺麗に安全に便利になりましたけど自然が壊れて寂しくなりました。今年度から強力なネオにコチノイド系の殺虫剤使用が厳しく管理されるようですね。昆虫が増えて自然が復活してくれるといいですね。
なんか頭に浮かぶことを無整理に書きなぐってしまいました。そのまま投稿します。老人のたわごとです。
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