さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

公園の春が嬉しい今日の川辺です

2013-03-11 | 日記


カルガモの群れが帰って来ました。

 今日はコガモの群れをちょっとばかり長いレンズで撮って見ようかと出かけて見ると、明るい春の日差しの中でカルガモの群れが楽しそうに泳いでいました。

 どうして、銃猟が終わったことがわかるんでしょうね、賢いカモたちです。

 これから、この群れがそれぞれのカップルに分かれて四月の若草の中にスイートホームをつくります。

 そして6月頃には可愛い小さな雛たちをつれた母鴨の姿が見られるようになります。楽しみですね。


信仰の飯豊の嶺が輝いて

2013-03-10 | 日記


近頃、こんなにくっきりと飯豊山から大日岳への飯豊連峰が見えるのは珍しいです。

 昔は初夏の飯豊連峰に代掻き馬の姿が現れると会津平の田植えが始まりました。

 飯豊山は豊穣を祈る女人禁制の信仰の山でした。集落の若者たちは数え年13歳から15歳になると近くの流れで水垢離(みずごり)をとって鎮守の社にお籠もりしたのち先達に連れられて「ろっこんしょうじょう、おやまはせいてん(六根清浄御山は晴天)」と唱えながら登拝して初めて一人前の集落の成員として認められたと言われています。

 この信仰の山の女人禁制の掟を初めて破ったのは北会津村の猪俣竹緒(たけお)さんという方だったそうです。大正4年(1915) 会女を卒業したばかりの18歳の才女だった彼女は家人に「佐渡見物に行く」と嘘をいって登山口の一ノ戸までゆき飯豊山に登山しようとしたが村人にとめられやむなく同所に宿泊しました。でも村人の隙をついて無事登山し終えて帰宅したら父が激怒し勘当を言い渡そうとしたけれども叔母の取りなしで謹慎ですんだといわれています。竹緒さんは昭和43年(1968)お亡くなりになりました。

 
 竹緒さんが飯豊山に登ったことを知った一ノ戸の人たちはあの女は飯豊山の神罰を受けて死ぬだろう、あれは自殺するための登山だと話しあったそうです。今から考えると嘘みたいな話しです。竹緒さんって凄い方ですね。古来伝わる厳しい女人禁制の掟を18歳の娘が一人で取り払ったのですから
(井関敬嗣先生 会津坂下町の伝説と史話から)

 
 息子たちが中学生だったとき、3人で2泊3日で飯豊本山から大日岳まで縦走しました。御西岳の雪渓や美しい高山植物に感動した時のことを思いながら美しい飯豊連峰の春を眺めました。

2億円大当たりした人がいるみたい

2013-03-09 | 日記


 大黒堂宝くじ売り場です。たくさんの人が宝くじ買いにやってきます。聞けば百円単位で短期に結果がわかる宝くじもあるんだそうです。

 くじ運のまったくないじじいには関係ないんですけど・・・

 昨年の年末の頃だったでしょうか、ばばちゃんが言うんです。
「友達に誘われて宝くじを買った」「一億円が当たったら爺ちゃんにも分けてあげるからね」と夕食のたびに笑顔で楽しそうに話すんです。

 強運のばばちゃんだ、こりゃあたるかもしれない、そしたらばばちゃんは僅かなお涙金をじじいに渡して風邪のごとくどこかにいってしまうかもしれないとちょっとばかりじじいは心配になりました。

 数週間たってばばちゃんは「これからは絶対に宝くじなど買わない」と怒っていました。

 
 じじいの心に、安心と静かな平和が帰って来ました。嬉しかったです。よかったです。

走り来る子らの笑顔が可愛くて

2013-03-08 | 日記


 春めいてきた街の通りを散歩していると小学校を下校する子供たちが横断歩道を走ってきて「今日は」と声を上げて笑顔で走り去って行きました。揺れるランドセルが可愛かったです。

 多分、同じ町内の3年生から5年生くらいの子供たちなんでしょうか、元気で礼儀正しくきちんと自分たちで規律を守って登下校する姿をみて嬉しくなりました。

 この子たちが未来の町を国を作っていくんですね・・この子たちの未来の幸を思わずにはいられないじじいでした。

狛犬さん怖い顔して

2013-03-07 | 日記


「邪心のある者入るべからず」とおっしゃいますけど・・・

 でも、狛犬さん、86歳のじじいですけど生きているじじいに邪心がないわけないじゃありませんか!。

 昨日糸桜里の湯でばばちゃんのお友達の方の笑顔が美しくってちょっとばかりときめきました。お上品な知的なお方なんですよ。

 今日は鎮守の神様に「私に幸せな心を下さい」とお願いするつもりです。通して頂けないでしょうか。すみません・・