前回に引き続き「少年悲歌」の紹介と感想を。4回めの今回で終了です。
「少年悲歌」1/4→
「少年悲歌」2/4→
「少年悲歌」3/4→
◆男ならずや(44年7月~12月)
この自伝的な話は前回紹介した「少年の哀しみ」の続編である。
“わたし”が7歳の頃、級友を遊びの弾みで傷つけてしまったことがあった。母に叱られたわたしは切り出し小刀を使って乃木将軍のように切腹したいと思った。幸か不幸か母は許してくれ、わたしは切腹する第一の機会を逃した。
わたしは自分が男らしくないというコンプレックスを抱えていた。同時に自分を叱ってくれる同い年の少女Nの見ている前で切腹したいという願望も持っていた。県立の中学に受からなかったらNのことを想いながら切腹しようと考えていたが、受かってしまい第二の機会を失った。
男子校である県立中学に入って、身体に大人の兆しが表れたが生理的な面とは裏腹に男らしくない容貌や性格に苦しんでいた。そして、それまでと同じように歌舞伎やラジオドラマの男らしく切腹する武士たちに憧れを抱き続けていた。
中学では「解剖」といういたずらが流行っていた。色の白い比較的きゃしゃな少年を、数人の悪童が押さえつけズボンごしに彼をまさぐり、少年が蔑恥と屈辱に頬を染めるのを見て歓声を上げるのだ。ある日の夕方、Oとわたしは二人で掃除をするため学校に残らされた。陰険な性格のOを、わたしは嫌っていた。そのOに突然組み敷かれ、彼に股間をまさぐられ身体はそれに反応してしまった。恥辱に堪えられなくなったわたしは、帰宅してから今度こそ切腹してしまおうと小刀を構えた。しかし、こんな惨めな切腹ではなく、やはり想いを寄せる少女の前で切腹したいと思いとどまった。
Oと、OをかばうMとのケンカが原因で、級友のKは野球部を退部した。OとKのケンカの原因は、Oがわたしを襲ったことではないのだが、わたしはこの状況からOとKとに板挟みなる美童である自分を想像した。Kとわたしは秘かに文通をしていた。Kからは「ずいぶん前からあなたを慕っていました」という手紙が来たが、わたしはそれにはっきり応えることはしなかった。
その後Yという少年のような容貌の看護婦と知り合い、彼女の前で切腹という願望を抱くが、Yが戦地に徴用されてしまってから現在まで行方を知ることができなくなってしまった。わたしは若くはなくなってしまった今、切腹すべき時にしなかったことを悔やんでいる。
◆夢のまた夢(47年1月)
幸姫に西国の大藩への輿入れが決まった。小姓である少年は、幸姫がその縁談を嫌がっていることを知る。少年は姫の役に立つ時は今しかないと、縁談を進めた老女を姫の目の前で斬り殺した。
なぜ、と問う姫に「姫をお慕い申しておりましたが、近習という身分の差。ただ一度でも姫のお役に立った上で、姫御自ら切腹お申し付け下さり、目の前で腹切ることできれば、と」と応える少年に、姫は願い通り切腹を命じた。悲願を叶えられた少年は、与えられた懐剣を使い、姫に見守られながら腹を切った。
◆末裔の霊(42年9月)
木村はふらりと立ち寄った中国山地の田舎町で苗子と出会った。苗子に案内され訪れた城跡で、木村は青年の切腹を目撃する。彼は苗子の親戚筋にあたり、苗子との結婚を望んでいたが叶わなかったのだ。
この城には悲しい落城物語が語り継がれている。城主諭鶴羽政信と正室お苗の方の自刃の話である。切腹した青年は城主の末裔で、政信と同姓同名。同じく城主の末裔である苗子との結婚が諭鶴羽家の栄光を取り戻す道だと信じていたが叶わず、白帷子姿で先祖と同じく櫓の最上階で一文字に切腹して果てたのだった。
◆長い道(43年6月)
「いえはだんぜつ みはせっぷく」四十七士カルタに、こういう1枚がある。わたしは幼い頃から切腹という行為に惹かれつつ、しかしそれを素直に表現できないでいた。「白虎隊」「三日月」「太平記」「女腹切」「照葉狂言」などの書物との出会い。そして“ねえや”や、ゆき子との出会いは切腹への憧れをかきたてた。
公立高校の教師となったわたしは、克美という女性徒に理想の女性像を重ねて見ていた。克美も切腹に対して少なからず惹かれるものを持っていたようだ。しかしわたしは温厚な教師という仮面を脱ぐことはできず、それができたのはしばらく経ってからのことだった。
克美は実家の会社を守るために結婚した夫と別れ、わたしを訪ねてきた。二人で「憂国」を見に行った後、わたしは克美に対する自分の想いを告げ、克美も「生徒の頃から慕っていた」と、それに応える。わたしは四十年間果たせなかった女性との行為を果たした。そして、今これを書き上げ死のセレモニーを遂行しようとしている。
◆秘楽(43年6月)
幸夫は両親を亡くしてから従姉の芳美の家族と同居していた。幸夫は芳美に言えない秘密があった。一人きりになると芳美の部屋に入り、盗んでおいた芳美の下着をペーパーナイフに巻き切腹のまねをして、その果てに自慰行為をするのだ。芳美の名前を叫びながら。
ある時、それを芳美に知られてしまう。幸夫の芳美を呼ぶ声や荒い息使いは盗聴されていたのだ。芳美と友人の里子は、幸夫に何をしていたのか問い正した。芳美は、このことは秘密にすると言ってくれたが、里子は良からぬことを考えているようだった。
蒸し暑い季節、里子が訪ねてきて、幸夫に「芳美の水着写真が欲しくないか」と聞く。代わりに幸夫の切腹が見たいという里子に、抗うことができず幸夫は応じる。幸夫はペーパーナイフで腹を切ると同時に、里子のカイシャクにより射精する。里子はカイシャクで汚れたビニール袋を持ち帰る。
秋口になり芳美が体調を崩した。なかなか良くならず家から離れた病院に向うことになった。芳美と叔母が出かけた後、里子から電話がかかってきた。「あたしと芳美は体を触れ合うほど仲が好いの。あの時のビニール袋の中身を芳美の体に入れることだってできるのよ」と里子は言った。「どういうことか分かるわよね。償いはいるわよ、どんな形にせよ‥」幸夫はペーパーナイフを力を込めて腹へ押し当て、さらに体を前に折った。激痛が腹ふかく徹った。
★死におくれ戦記(あとがきに代えて)(54年9月)
三島由紀夫事件のとき、「これで三島さんにも、やっと終戦が来たのだな」と言った同年輩の人がいた。三島さんも死におくれを意識していたのではないだろうか。三島さんと同年のわたしだが、わたしの切腹をテーマに選んだ著述という戦いは太平洋戦争の終ったときから始まった。これは戦うべきときに闘わなかった者の非命であると同時に、永遠に会うことはないであろうN子への恋文でもある。
この「少年悲歌」短編小説の中には自伝かと思わせるようなものも含まれている。本当にそうなのかは分からないが、著者にも全くではないにしろ同じような経験があったのだろう。一貫した年上の女性への憧れ、病弱な自分の世話をしてくれる女性への憧れが感じられる。また、男らしくない自分が切腹することで男らしくなりたいという願望。それを憧れる女性に見てもらって「男らしい」と認めてもらいたいという願望。
著者の中康弘通氏は「女切腹」の方が好きらしく、衆道的な内容の話はあまりなかったので、その点は残念だった。しかし、切腹ごっこに耽る少年の姿はまるで自分のことが書かれているようで、主人公に共感できる部分が多くあり面白かった。
読み物としての面白さ ☆☆☆☆☆
新情報度 ☆☆★★★
資料の貴重度 ☆☆☆☆☆
切腹フェチの満足度 ☆☆☆☆★
総合点 ☆☆☆☆☆
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