続・切腹ごっこ

~当ブログは更新を終了しました~

大坂皐月の陣 その弐

2010-05-06 | ★城跡探訪

 前回の記事の続き。
 昭和6年に復元された現在の大坂城天守は、豊臣秀吉が建てた天守の外観を模してある。しかし、それは大坂夏の陣後の江戸時代初期に大改修された土台の石垣の上に建っているのだ(豊臣秀吉が建てた大坂城の天守の位置とは少し異なるらしい)。
 と、ここまででもちょっとややこしいんだが、本当はさらにややこしい。実は復元された天守の下から4層目までは徳川時代の天守を模していて、一番上の5層目のみ豊臣時代の天守を模して作ってあるらしい(ウィキペディアによる情報)。確かに豊臣時代の大坂城天守は屏風等を見ると必ず上から下まで壁も屋根も黒っぽい。下の写真のとおり今ある復元天守は白壁に緑色の屋根なのだ。←このことはしばらく前からおかしいな~と思っていた。
 …しかし下から4層目までの部分も、屏風や絵図と見比べると徳川時代の天守とも破風の形等が若干違うようにも見える。まぁ屏風絵がどこまで正しいのかは疑問だけど…。
 ちなみに豊臣時代の初代天守や徳川時代の二代目天守と比べて、再建されてから80年近く経つ現在の三代目天守の方が実は一番長い間存在していることになるらしい。

 城の南側には豊臣秀吉を祭神(他に息子秀頼と弟秀長も)としている「豊國神社」があった。境内には写真のような秀吉の像が立っている。秀吉を祭る神社はこの他にも全国各地に存在する。

 以下は左から大手口の多聞櫓、その隣の千實櫓、隅櫓の一つ六番櫓。これらは江戸時代初期に建てられ、幕末の混乱や戦災やジェーン台風なんかの度に改修を重ねて今に至っている。重要文化財。
      
 なぜか写真に撮ってなかったけど、大坂城の一番の魅力は巨石を使った石垣だと思う。縦横数メートルもあるような巨石をほとんど隙間なく組み合わせたクオリティの高い石垣には感動した(左端の多聞櫓の写真に写ってるような石垣)。

 GW中ということもあって、大坂城公園内は観光客でごったがえしていた。↑の写真のような露天や土産物屋、よさこいソーランの催し物や、着物にちょんまげ姿の大道芸人なんかもいて面白かった。外国人観光客も多かったけど、大坂城に来てどんな感想を持ったんだろう?聞いてみたいと思った。

プリンセス・トヨトミ
万城目 学
文藝春秋
BB戦士 戦国伝 豊臣秀吉頑駄無
バンダイ
バンダイ