兵庫県赤穂市にある赤穂城に行ってきた。
播州赤穂、赤穂浅野家…小さな地方都市でありながら赤穂という地名は知れ渡っている。赤穂城が日本100名城に選ばれたのも、「忠臣蔵」(元禄赤穂浪士事件)という物語に関係するという歴史文化的な意味が大きかったんじゃないかと思う。
そういう言い方をすると城跡自体はたいしたことないみたいな感じになってしまうが、けしてそんなことはない。現存する櫓こそ無いが、石垣や堀は本丸・二の丸・三の丸を含めた広い範囲に残り、公園としてきれいに整備されている。
JR山陽本線・播州赤穂駅の駅前に大石内蔵助像が立っている。駅から南へ歩いて15分ぐらいで大手門に到着。左から2枚目、昭和30年に大手隅櫓が復元された。三の丸内には大石内蔵助ら赤穂藩の上級武士たちの屋敷があった。右端の写真、殿中松之廊下の刃傷と内匠頭の即日切腹の急報を伝えた早駕籠が着いたであろう大石家の表門は現存している。
大石家の屋敷があった場所には、大石神社とそれに付随する義士資料館などがある。明治時代に創立した大石神社には、大石内蔵助以下47士+討ち入り前に切腹して果てた萱野三平のほか、浅野家三代の城主と、その後赤穂城主となった森家の先祖である森蘭丸(!)などが祭られている。47士にちなんで“大願成就”の御利益があるそうな。
義士資料館には、内蔵助の大小や堀部安兵衛が着た討ち入り装束などの他、忠臣蔵の映画や時代劇撮影の際神社を訪れた主役級の俳優らの写真が展示されていた。
いよいよ本丸へ。手前の小さい高麗門と奥の櫓門から成る本丸門は平成になってから古写真を元に復元された。本丸内には、一度も天守が建てられることは無かった天守台が現存し、御殿の間取りと庭園が復元されている。
赤穂城の特徴は“塁線に折れを多用した縄張り”(防御の隙を無くす工夫)と言われている。さらに左から2枚目の刎橋門(かつては可動式の橋が架かっていた)や、3枚目の珍しい孤を描いた石垣、4枚目の水の手門と呼ばれる船着き場跡など見どころがたくさんあった。
帰り際に寄った赤穂市立歴史博物館には、赤穂城の模型が展示してあった。左から2枚目、上から眺めると本丸を囲む内堀が星型のようになっている(折れを多用)ことがよく分かる。赤穂城の外郭は半分以上直接海に面しており、大船から小舟を介して荷を運び入れる船着き場がいくつかあった。
右端の写真手前、大手門の傍にあるのが大石内蔵助の屋敷。お家取りつぶしになると、代々の自分の家も引き払わなければいけないっていうのは辛かっただろうな~ 会社が倒産して社宅に住めなくなる…みたいな感じ? 何代前から住んでても無料賃貸みたいな感じだったのかな。藩士ってやっぱり土地に所属するんじゃなくて大名家に所属するんだな。
※この他の写真はフォトアルバムに。
赤穂城断絶 [DVD] | |
萬屋錦之介,深作欣二,西郷輝彦,丹波哲郎,松方弘樹 | |
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よみがえる日本の城 (4) (歴史群像シリーズ) | |
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