続・切腹ごっこ

~当ブログは更新を終了しました~

姫路城(平成の大修理中)攻め 前篇

2010-06-08 | ★城跡探訪
 国宝&世界文化遺産、姫路城に行ってきた。現在は改修工事の準備中のため、入れない区域も多く天守閣にも登れない。それでも外国人を含め観光客がたくさんいた。

 まず近くの商業ビルの屋上から姫路城のある姫山を望む。姫路城は彦根城などと同じ平山城だ。こうやって見ると小高い山全体が城郭と化しているのがよく分かる。天守の周囲には工事用のクレーンが見える。

 内堀にかかる橋を渡って↓左端の写真の追手門へ。追手門は明治期、城が陸軍に接収された時に取り壊されてしまったが、その後現在の形に再建された。また、陸軍の歩兵第10連隊が姫路城に設置される際、三の丸(今は芝生の広場になっている)にあった御殿その他は取り壊されてしまった。もったいことだ…。
 大人400円の入場券を買って城内へ。↓2番目の写真は時代劇の撮影にも使われることがある菱の門。現在に残る門の中では一番立派な門かも。
 ↓その門の中に改修工事費用の募金箱が設置されていた。「“平成の姥が石”愛城募金募集中」という幟付き。羽柴秀吉が現在の姫路城の原型になった城を建てた際、老婆が石垣に使ってくれと自分の石臼を寄進したという逸話があるのだ(その石は今でも石垣の一部として残っている)。もちろん城郭ファンとして募金してきた。
 ↓右端は菱の門から天守閣を見た写真。まだ天守閣は遠い。
   
 西の丸へ。↓左端の写真、「暴れん坊将軍」や「大奥」なんかで“江戸城!”として出てくるのはこの辺りから撮った天守だと思う。実際にこの西の丸庭園では撮影もよく行われる。今は庭園になっているが、もともとは千姫(大坂夏の陣で夫である豊臣秀頼と死別した後、城主であった本多家に嫁いだ)が住んだ屋敷があった。
 その西の丸を百間廊下とも呼ばれる渡り櫓が取り囲んでいる。↓写真の通りひたすら長い。内部は学校の廊下と教室みたいな配置で多くの小部屋があり、千姫に仕えた女中たちが住んでいたという。↓右端はその一室から天守方向を望んだもの。位置的には菱の門より天守から遠い。
   
 続いて二の丸へ。本格的に天守を目指す。↓左端の写真のこの坂も「暴れん坊将軍」のエンディングで使われたはず。だんだん天守が近くなってきたけど、石垣や塀に遮られてこの先のルートが想像できない。
 ↓途中には右端の写真のような屈んで通らないと頭を打つような通路(門)もある。敵が攻め込んだ時には、この天井を落として敵を生き埋めにすると同時に通路を閉鎖するという。
  
 ↓やっと天守の間近まで来た。小天守と大天守が重なり合って贅沢なアングルだ。

 ちょっと長くなるので次回に続く

1/380 DX城 姫路城
童友社
童友社
姫路城―世界に誇る白亜の天守 (歴史群像・名城シリーズ)
学習研究社
学習研究社


最新の画像もっと見る