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歴史の町に住む

2023年07月01日 | 政治

 きょう7月1日は、徳川家康 の生誕地 岡崎が1916年(大正 5年)に市制を施行した記念日です。

 市の規模に比して文教都市の色が濃く、江戸時代の東海道宿場町(岡崎宿)や岡崎城の城下町として繁栄し、八丁みそ の原産地として知られています。

 岡崎市の人口は約38万5000人で、愛知県のほぼ中央に位置し、名古屋市の約232万7000人、豊田市の約41万9000人に次ぐ県内3番目の規模をもち、豊田市と隣接する西三河の中核市です。

 市制が施行された大正5年には、人口約3万5000人でしたから、およそ11倍になりました。岡崎市の資料によれば、終戦後 私が現在の地に住み始めた頃は、約9万1000人でしたから、それからでも約4倍に増えました。

 市内中央に位置する男川学区では、令和3年現在、総世帯4763で人口10,698人、その内 私が住む小美町(おいちょう)は245世帯、人口659人で、小美町は山に囲まれた盆地の中で、古くから世帯 人口ともに、おおきな変化のない場所です。

 江戸時代前期には三河国額田郡小美村といい、優れた手腕と柔軟な判断で多くの事件、訴訟を理に適った裁きで名奉行といわれた江戸町奉行や、京都所司代に任ぜられた板倉伊賀守 勝重(1545年~1624年)の生誕地です。

 板倉勝重は、天下を治めた徳川家康にとって、最も重要な「情報収集役(ブレーン)」だったようで、近江・山城国に領地を加増され、1万6600石の大名にしたことや、徳川政権では勝重を入れて3人だけであったとか・・・・。

                                                                     

                                  写真:岡崎城

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