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戦争と食ベ物

2023年02月21日 | 日記

 1942年(昭和17年)2月21日のきょう、「食糧管理法」(食管法)が公布され、戦時下の食ベ物の需給を安定させる目的で、米や麦などの食ベ物の生産・流通を政府が管理し、この法律は1995年(平成7年)に廃止されました。

 1945年(昭和20年)戦争は終結しましたが、穀物の配給はままならず、その他の食ベ物も戦後の戦後の食糧難は最も深刻となりました。また、食糧の国際的割当統制が敷かれていて、ヤミ米の価格は公定価格の50倍近くに跳ね上がり、米の不足は、麦・芋などの代替食が盛んになりました。

 ちなみに、やみ米の値段は、現在のコメ30キログラム(一袋)で1万円程度ですから、単純計算で約50万円の取引となり、驚くほどの超インフレ価格でした。

 1982年 (昭和57年)、食糧管理法が改正され、配給制度の米穀通帳の発行は廃止され、自主流通が行われるまで、40年の長い時間をかけて歴史に幕を閉じました。

 戦争や自然災害(台風・豪雨・大地震)、病原菌の発生・感染などで人々の命を脅かすことに対して、大切な食べ物の確保は、国の防衛手段として重要な課題だと思うのです。

 日本の食ベ物の自給率はカロリーベース38%、国内生産額ベースでも66%と言われていて、穀物生産国のウクライナとロシアの戦争による食ベ物の不足、エネルギーの世界的な不足で、価格高騰は私たちの生活に大きく影響を及ぼし始めています。

 太平洋戦争の戦後を生き抜いた多くの日本人は、日頃から食べ物を保存する方法を行い、当時、冷蔵庫を保有する一般家庭は少なく、日常的に行われていたのが、野菜などを天日干しする「干し野菜 作り」です。切った野菜や山菜などを干して保存性を高め、食ベ物が無駄にならないよう工夫しました。

 今や戦争は、自国のみならず世界の人々の命を脅かす厄介な行為であり、どうしたら戦争を回避するか、核を使わないで解決するか、早急に見いださねばなりません。

         

                まぜご飯

 

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