![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/c0/cf30096290d27bfa176d116dbb82ed3f.jpg)
人を殺したことがなくとも、人殺しの芝居はできます。私の中に人殺しがいるからです。
俳優によって役のつくり方は様々です。アルパチーノとロバートデニーロが仲良くとも役へのアプローチはまるで違います。私は几帳面ではないので、デニーロの真似はできません。だからと言ってパチーノ派かという訳でもありません。皆違うのです(比べること自体が間違い(>_<)申し訳ない)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/7e/efa2618dc899742fb3d7ff16258201a2.png)
自分の中にある要素や可能性は抽出できますが、全くないもの、ほとんどないものには閉口します。何かで代替えしなければなりません。主に感情ですね。かなり微妙な問題になります。そして用意した感情なり何なりを持って稽古場で相手や周りにぶつけます。ここからが重要。稽古はそのまま実験となり、私たちは未知のものを体験することになる。そして初めてわかる、そうではないことが。その結果をもとに、自分でまたすったもんだを繰り返すのです。正解はありませんから、果てしなくそれは続きます。
演出家を信じていれば、それは延々と続けられます。最後は演出家が「けり」をつけてくれるので大丈夫。だいたい、たいてい自分ではっきりさせることができますから(多分)(・_・;)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/82/cac5b75101eebfce39d4ed021455739f.jpg)
矢吹 丈に家族のことが思い出せないように、困難なことはあります(続く)。