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神原ワールド稽古場日誌

神原ワールドが繰りひろげる劇の世界・公演のお知らせ・稽古場の模様を皆様にお届けします♡

芝居屋という生き方

2020-03-27 09:54:02 | 演劇

 劇団 浮狼舎本公演が終わり、もう1週間が過ぎようとしています。あの怒涛の時を終え、いつもの公演よりも多くのものを得て今、何とも名状しがたい心持ちです。  ご来場の皆々様には只々感謝感謝でございます🙇

 今回のように、こんなに自らに芝居のあり方、自分の居方を問われることなどそう頻繁にはありません。それが阪神淡路大震災、東日本大震災、新型コロナウィルス禍と、その度に問われ続けての今です。自分としてはどうか。社会の一人としてどうか。何事も危機に瀕した時にその意味が問われます。

 ドイツの文化相が言った言葉が素敵です。「私たちはあなたたち(文化人)を見捨てない」と。文化は暇な時の慰みではない。生活に必要なものであるという認識。心を保つために必要なものなのです。発言の主は、我ら芸能者を含むすべての文化人の仕事を「生業」として認めてくれている。そのことが嬉しい。「見えないものは不要。形なきものは儲からないから不要。」と文化を締め出している大阪の市長や知事とは雲泥の差でしょう。やはり欧州とのこういった意識の差は未だに縮まらないようです。日本ではいつまでたっても「」ってか。

 こういった欧州(一応米国は外しておきます)の意識との差は、そのままこの日本の演劇に対する意識に反映されています。欧州の学校では授業にも多く取り入れられている演劇も、日本では特別視されることが多いのもこういった差の表れでしょう。だって誰も教えてくれないし、触れさせてもくれないんですものね。無理ないです(><)

 そんな我々が世間と逆行するような動きをすればどうなるか。…怖いですよねぇ(袋の中のタコ殴りですな多分)。

 外出がままならない人たちが自主的に自分のアパートのベランダから演奏したりオペラを歌ったりしてご近所さんと交流するというニュースをTVでご覧になった方も多いかと思います。他にもエクセサイズやダンスをベランダで各自参加できる簡単な企画を試みている人たち。人間て素晴らしいなぁと感じます。

 いつ決めたかは覚えていません。芝居屋として生きて行こうと決めたのはいつの頃でしたか。ええかっこしたら演劇人ですかね。これ一本では食えませんが、これも一つの生業でしょう。今回のように追い詰められれば自ずと自覚してしまいます、自分の人生を。

 先週、劇中(ゲネプロを入れると)私5回死んでおります(最後死んじゃうんですよ)。結構、精神的にダメージがありまして、まだ十分生き返っておりません。時代劇などで他人を斬る(殺す)と体力的なダメージが残るんですけどね。意外と自分が死ぬのは…。死ぬなんて楽なんじゃないかって?…本気で死ぬとしんどいんですって。でも「本気で死ぬ」って変ですよね(・・?

                   

 

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