Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

LP熱再燃

2012-01-09 13:11:49 | クラシック
新年の遺跡バイトも5日から始まった。雲の隙間からほどよく太陽が射しこむ天気の日が多く戸外労働にはちょうどよい。あまりに快晴になると今度は北西からの冷たい風が肌を刺すことを体験的に知っているからだ。新年早々に削りとった土が次々に湧いてくるみたいでその膨大な量の処理作業に辟易としていた矢先に三連休が始まってくれて安堵する。

昨日は川崎在のHさんがモノの受け取りを兼ねて日向にやってきた。七沢温泉郷にある立ち寄り湯にも一緒に足を伸ばすことにした。ポピュラーな七沢荘の駐車場を覗いてみたがクルマの数がいつもの数倍もあって敬遠して「玉川館」を選ぶ。よく手入れの届いた木造建築の風格は界隈では一番の宿だ。内湯だけのコンパクトな浴室だけに素っ気ないが、ヒバだかヒノキだか分らない木製の浴槽が素晴らしく身体に馴染む。泉質はとろっとしてぬめりが強い七沢温泉独自な薬効を感じさせるもので湯船に浸かっていると一挙に温泉気分で安らぐ。館主は我々みたいな有象無象の立ち寄り客にも礼節のこもった挨拶で送迎するところがはい!一丁上がりといった「七沢荘」あたりとの客あしらいの違いだろうか?枯木立に沈む夕暮れの「玉川館」を眺めてまた寄ってみたい好印象を抱いた。

温泉のあとは自宅の居間で12月に不調だったドイツ、エラック社のアナログ・プレーヤーをHさんにみてもらう。こちらが気が付かなかった裏にある電源配線の端子の外れを締め付けてオートマティック動作が見事に復活した。ついでに12月の再生音で気になっていたシュアーカートリッジとの相性の克服を図る。何か音がほぐれたりないという粗野感を感じていたからだ。借りていたトーレンス150につけていたGEのターンオーバータイプではないバリレラカートリッジ、これが特別に素晴らしい。これをつけるしかないと確信して自分だったら失敗するリード線の微細な端子へのモノラル配線変更をHさんにお願いする。エラックのシェルは専用タイプで難敵だ。ハンダ処理をHさんにお願いして時々、右チャンネルの音が出たり出なかったりした症状もついでに対策をしてもらう。謝礼は米国盤のダブリ買い置き未開封LP「ケント・グレントリオ」にて勘弁してもらった。所要二時間の甲斐あってエラック「ミラコード」は復活!バリレラのモノラル針にふさわしい50年代半ばのLPがいい。ふだんは埋蔵材でしかないクラッシックLPの音がデッカのコーナー型スピーカーとマッチして人が変わったみたいに響く。20センチという狭小ユニットの限界を曲折したボックス内のロードと箱材の共鳴を利用して豊かな音場を企図した開発者の感性に大いなる拍手をおくりたい。いつも言う70年代の悪しきオーディオ剛性思想の囚人になった人びとには理解できない世界だね!Hさんと呟やきながらほくそえむ。

悪戯でひっぱりだしたアメリカハイドン協会でプレスしたハイドンの弦楽四重奏全集、これはシュナイダーカルテットの演奏だが、作品103をしばし聴く。ニュートラルで明晰なハイドンの曲としては珍しくロマン的心情の破片が散在する12分程度の小曲ながらこれにHさん共々陶然とする。これをきっかけにエンジェル盤のピエール・フルニエのシューマン「チェロ協奏曲」など次から次に古典愛聴盤が登場。再賦活したアナログプレーヤーを武器にしばらくはまたまたLP熱が再燃する気配の新春になってしまった。

2012 元旦の遊び

2012-01-01 12:21:03 | 
夕べは同じ伊勢原でも西端にある大住台にすむ妹夫婦の家で、年越し蕎麦を早めな時間にご馳走になる。施設の無聊生活をいつも嘆いている90の母をクルマで迎えに行き、新年にかけて妹宅で過ごさせるのが目的だ。途中、模様替えして勝手がわからなくなった「わくわく広場」に寄って母が食べたがっている林檎、焼き芋、餡団子等を買ってやる。ここの団子は在の和菓子屋が卸しているから、ヤマザキパンがコンビニに卸しているみたいなメリケン粉の団子ではなく、昔ながらの上新粉を使っている。母は繰言の多さではボケているが、視覚や味覚の言語変換はそこいらのオネーチャンにも負けていない現役だ。さりげなく歯ごたえの柔らかな潰し餡をまぶした串団子を褒め称えながら、施設生活しているとはみ出してしまう、こうした嗜好を束の間の外出で補いたいという意欲をまだ持っていて表現できることがすごい。施設にも不況感が流れていて、今年でた天麩羅蕎麦と去年のものを比較して、蒲鉾の数、天麩羅などの具が減少したり小さくなっていることを、つぶさに観察して我々に報告して笑いをとっている。

暮も押し迫ってからひいた風邪が治らないないから、自宅へ戻り早寝の大晦日になってしまった。つい数日前、初台へ出かけ元自営業時代に助けられたSさんご夫婦と我が知人の4人で談笑する。病気と不意打ちめいた窮乏に囲まれたここ二年だが、Sさんの品格は昔と変わらず明るく安堵する。故郷の福島、縁の深い宮城の震災後の生活を聞いていて思った。独居生活ながら、いつもなら少しは彩を添えた晴れやかな食材を買っていたが、全て今年の正月は無しにすることにした。切り餅を2キロだけ。雑煮に添える野菜類を多少、それだけで元日を迎える。買い置きしてあった蒲鉾とはんぺんを具にした雑煮だけの元旦、マスコミなどでルポされている被災地民と共有できる正月があるとすればそんなことくらいだろう。

今朝新聞で読んだ対談記事中の池澤夏樹、ドナルド・キーンの言葉には、いくつか涙を呼ぶフレーズがこめられていた。

「われわれは震災という一つの物差しをもらいました。震災後、僕は何をするにしても、見るにしても、その物差しを当てて入る気がします」(池澤)

我が食生活は豪奢など本来無縁だが、池澤の語る「物差し」は風化させたくないことを心に念じておきたいものだ。。

薄日がさして山里の新春はほんのりと暖かい。30日に来訪された二人組の置き土産を暇にまかせて元日の遊びとしてみる。近所の渓谷有料釣り場であげた虹鱒だ。これをスモークするという伊勢原スローライフ2012第一ステップだ。チップは林檎と桜を半々、カセットコンロの弱火で半干ししておいた鱒にオリーブオイルを塗って一時間で完成。これは最初の新年客にだしてあげたいつもりで焼いてみた。