Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

ズート・シムスのドイツ埋蔵テープ

2013-08-28 11:35:04 | JAZZ
猛暑の続いた今年の夏だが、ここ数日いやらしい湿気が去ってくれて助かっている。これに応じてオーディオ部屋へ入りこむ頻度もようやく高まってきた。夜勤明けに戻って最初の仕事は無事に夏を越してくれたメダカ5匹への餌補給だ。そのあとに専用庭に咲く植物たちへの水補給が待っている。自分への餌はどうしてもいつも最後になってしまう。友人がポット苗でくれた朝顔の一種である「ヘブンリー・ブルー」が咲き始めた。しかし期待するブルーカラーの花は咲かない。白一色の花弁にピンクの中心というツートンカラーである。それはそれで風情を感じる色調だ。花の遺伝信号がどこかで断線したのだろうか?名称に反して変異したみたいだが、蔓を上に伸ばさないで地面に匍匐して花を咲かせる模様は、これから初秋にかけての楽しみの一つになっている。

午前の家事が終わってコーヒーを沸かし始めていると、ドクター桜井さんからのジャズオーディオ毎日電話便が来る。先日はルーシー・アン・ポークのラジオ放送CDを融通してくれた。今日はタワーレコードのインポートCDコーナーでお互いがこよなく愛好しているズート・シムスのヨーロッパライブ盤を発見したので、こちらの分まで確保してくれたとの知らせである。早速、午後は町田に出向いて受け取り、寄り道もせずにオーディオ部屋へ直行する。ズート・シムスはその昔、有楽町「そごう」デパートの中にあった読売ホールの来日ライブに行ってズート好きに拍車がかかった。以来、RCA,ブルーノート、プレステ、リバーサイド、パブロ、等に残しているオプティミックにスイングするズートの図太い音はいつの時代にあっても心の近くで鳴っていた気がする。今回の未発表盤は南ドイツの都市バーデン・バーデンの実況テープをCD化したもの。

お相手のホーン奏者はハンス・コラー、ヘルムート・ブラント、ベースにはペーター・トランク、ピアノはハンス・ハマーシュミット、というドイツ圏欧州人ジャズメン達だ。これに在欧ドラマー化してしまったケニー・クラーク、ズート、ウイリー・デニス(トロンボーン)という英米圏ジャズメンが加わっての混成セッションだ。このCDを手に取って眺めていたら、しばらく会っていない新潟在住の「ジャズキャット」花村さんのようなズート好きな好事家のニヤッとする顔が思い浮かんできた。肝心の演奏を繰り返し三回聴いてみる。このバーデン・バーデンCDは音もしっかり録ってあってオクラテープという出自へのお決まりな落胆は全くない。曲目もズートファンだったら溜飲が下がるようなまっとうな選曲が勢ぞろいしている。

ズートというテナー奏者のワンホーン風クルージングを楽しみたければ、あの初期LP「ダウンホーム」を彷彿させる「TANGERINE」。ハンス・コラーという才覚リード奏者に伍するズートの知性と歌心を知りたければ、ピアニスト、ハンス・ハマーシュミットの曲「MINOR MEETING FOR TWO CRARINETS」というジャズ的コラボの美に満ちた曲が待っている。このCDは多くの曲にズートがフィーチャーされているが、脇役にスポットを当てた曲もあなどれない興奮がある。ヘルムート・ブラントのバリトンサックスソロによる「I SURRENDER DEAR」、ウイリー・デニスのワイルドな豪放トロンボーンソロ、「THESE FOOLISH THINGS」等は予想外の儲けものという感ありである。CDのジャケットに印字されている「LOST TAPES」こういう埋蔵の一品ならこれからも1390円以下でどんどん発売してほしいものである。

夏ご飯 プロとアマ

2013-08-23 15:19:39 | 
都下・久米川の新興和食店「梟」で味わったランチの焼き魚ホッケ定食がとても美味かった。ホッケという北の海で獲れる魚は大抵、身がパサパサ、ボソっとして独特なアンモニア臭がするものが多い。北の産地から大消費圏へ流通する過程で独特な酸化変質による鮮度喪失がしやすい魚と思っていたが、一度北の現地で味わった素晴らしい美味にまた出会えたようで嬉しい限りである。

塩加減、脂の乗り具合、どれも文句のつけようがない半身の焼き魚だった。数日前に青柳君と食べたカサゴの煮つけに優るとも劣らない味わいである。副菜には、アサリの味噌汁、手羽鶏肉のピリ辛煮、茄子とハリハリ漬という立派な香のものが付録になっている。これでアイスコーヒーがついて800円という新興店の意気込みは素晴らしい。国立「だいこんの花」ともども都下における安くて美味い記憶の店としてインデックスに納めておきたい。けっきょくこの八月も湿気と高温に"悩まされる日が続いているせいか、口も不味くなっている。翌日の朝食事はおきまりの自炊メニューだ。

スーパーにあった「じゃこ天」焼き、ふじっ子製のシイタケ昆布、納豆、大根の酢漬け、冷やしトマト等、創意なきワンパターンぶりである。徒歩圏内には「吉野家」「松屋」「かつや」がひしめいている。しかし通ってラクをしないように自炊優先生活を貫こうと自戒しているところだ。

ルーシー アン ポークのラジオ放送CDを聴く

2013-08-20 15:16:29 | JAZZ
愛しのボーカリストのCDがシナトラソサエティオブジャパンという良心的マイナー会社から発売になった。炎暑のさなかに町田へ受け取りに行ってさっそく聴くことにする。ドクター桜井さんとの毎日一回の雑談電話便でその発売を知ってから、心待ちしていたものだ。

タイトルは「イマジネイション」。1957年に発売された西海岸のモードレコードからでたLP、そのステレオバージョンとして復刻した1959年のインタールード盤、デイブ・ペルオクテットをバックに歌っているフレアースカート姿の1954年のトレンド盤、あとはこれらの再発CDとして発売されたVSOP盤などが、自分が持っている彼女のLPやCDの全てである。主宰する三具保夫さんの解説によれば、彼女は50年代の後期にジャズシーンから消えたが、2010年までLAで暮らしていたらしい。享年82歳である。1928年の生まれなのでまあまあの長寿を全うしたのかもしれない。彼女もベツレヘムレコードなどで1~2枚LPを発表して家庭に入ってしまった味わい深いシンガー達(例、ポーラ・キャッスル、テリー・モレル)と同じ部類で年を経ると、こういうシンガーへの愛着はますます高まってきてしまう。

彼女が所属していた50年代前半のレス・ブラウン楽団等のEPレコードなどが、どこかレコード店の餌箱で売っていると、一曲くらい歌っているものがないかと執念深くジャケットの記載曲を確かめてしまうのもレコードマニアの習い性というものである。ラジオ放送のモノラル音源ということを危惧していたが、愛用のバイタボックス12インチスピーカーから流れる彼女の歌声は、あのモードレコード盤に劣ることもない美味しいボーカル帯域を楽しめるものだった。

三具さんの弁では、50年代前期から数年を経た彼女の歌は「歌の角が丸く」なって技巧的にも飛躍したと評されているが、まったく同感だ。このCDの後半のデイブ・ペルやマーティー・ペイチバンド等が随伴した曲はどれも50年代が香ってきて素晴らしい。モード盤で耳にタコができるくらい聴いてきた「イージー・リビング」「メンフィス・イン・ジューン」みたいな大好きな曲のラジオ放送バージョンを聴けるなんて夢みたいな話である。あの「メンフィス・イン・ジューン」ではライブ収録らしく、しっとりと歌い上げたエンディングに拍手が沸き起こる。つられてこちらも手を叩いてしまった。しかし最大の期待曲「イマジネイション」は少し肩すかしの感がする。彼女の太い声のリアルに陶然とするが、テンポが速い、曲が短すぎる等と真空管アンプからの余熱にうなされながら、贅沢な不満も噴出してくる。その分、前期のレス・ブラウンの絶妙なアンサンブルに包まれた「ホエアー・ユー」などのエレガンスなバラードを味わえるのだから贅沢は言えないものだと思ってコーヒーを啜っている。

座間の向日葵日和

2013-08-16 21:14:18 | 自然
都市化が著しい座間付近でも田舎らしい情緒を味わえる場所が僅かながら残っている。相模川が流れる厚木市に繋がっている座架衣橋の手前で南北に大きく広がる田畑の区画はいつ訪れても気持が晴れ晴れするそんな情緒を感じる場所だ。


ときどき、あてもなくバイクを走らせて相模川の水を導水した農業用水路に活用している小川付近の農道で草花を撮ってみたりすることがある。その近くに大きな向日葵畑があるという噂を聞いたのはこの夏を迎えた6月頃だった。一度訪れてみようと思っていてチャンスを窺っていた。夜勤が明けて朝の気温は26℃、日中は今日も34℃といういかにも真夏めいた向日葵日和な連日である。

昼寝をすませて日が傾く頃を見計らってその噂スポットを訪れてみる。旧盆休みの家族連れが群れをなしているが、畑地が広いせいで騒々しいお祭り場所にはなっていないことが幸いしている。川の方から吹き寄せる風は満開の丈高い向日葵や穂をつけ始めた稲をさざ波のように揺らせている。茜色に染まり始めた西の空に聳える丹沢の山並み、流れ行く夏雲、向日葵とのコントラストを盛り上げる要素には事欠くことがない夕暮れまでのひと時を満喫することができた。

新聞記事の8月15日

2013-08-14 20:26:10 | その他
68回目の敗戦記念日が近づいてきた。迷い込んできたトカゲが水槽の中であがいている様子でも眺めながら、珍しく朝日新聞や東京新聞に載った戦争体験に関連する記事を暇にまかせて精読する。先日の東京新聞では戦記作家で名高い伊藤桂一さんを特集した全段記事に目を奪われる。いま95歳で戦時中は中国戦線における下級士官での従軍体験に裏打ちされた反戦と平和への思いに敬服する。東京での生活を引き払って、神戸の老人ホームで暮らしている伊藤さんの容貌は下手な青年よりも眼光も鋭く、認識のフォーカスの曇りないこと。そしてまとっているエジプト綿調のシャツ等の身だしなみも風格的にまことに立派だ。

95歳の伊藤さんも朝日新聞に登場して子供達を啓蒙する100歳を超えた日野原重明医師も、最近の政治家主導の改憲論調の騙し打ち風な政治風潮には危惧感を抱いている様子である。その根拠は両氏の戦時下における計り知れない労苦と今の自民的体質を同根とした往時の権力支配層が多くの無辜の民に犬死を強いた戦争への痛恨から由来していることは歴然である。
超高齢な両氏ともおちおち隠棲などしている暇もないようで、今後も警世への気骨溢れる行動で活躍を続けていただきたいものである。戦時中は多くの翼賛記事で軍国体制に順応した朝日新聞だが、その贖罪意識に遠因しているのだろうか?時節を迎えるとちょくちょく「声 語りつぐ戦争」という特集で一般市民の経験した戦争体験記を積極的に採用している。

13日の記事にも胸を打つ体験記があった。岡山在住の72歳になるTさんという方の北朝鮮における終戦時の出来事である。Tさんは当時5歳だったらしい。父が敗戦による引き上げ事務の為、日本内地へ赴任している最中の事件を記している。母親は結核で病身、小さな二人の妹(3歳と1歳)と本人だけの食べることにも窮した敗戦に伴う植民地における飢餓状況だ。8月9日に参戦してきた駐留ソ連兵にいやがらせを受けても気丈に対応した5歳のTさんである。北朝鮮(咸興ハムフン)の道端で食べられる野草の藜(あかざ)を探して迷い込んだ現地の民家で思いもかけぬ温情に巡り合わせた。


今だったら見向きもしない藜(あかざ)の葉は食用にも供されたと「野の草の手帖」(1989年小学館刊行)には夏の項目に記されている。付近では日本の憲兵や警官が見せしめの意味で土下座したまま殺害されて顔には蛆などが湧いている光景も目の当たりにしている。食糧探しをしている敵国の子供に対して忌避したげな朝鮮人の家族を諫めてその家の老婆が数回にわたって飯を恵んでくれたらしい。二年後に父親が現地へ迎えにやってきてようやく母国の土を踏むことが叶ったようだが、このTさんにとって北朝鮮のチョゴリを纏った老婆の稀有なヒューマニズムは一生涯の宝ものになったようである。Tさんは体験記の最後をこう結んでいる。「恨みに情愛で応えてくれた咸興(ハムフン)の老人に謝す」金一族のアジア的専制支配下であえいでいる北朝鮮の民衆にもこうした優しい老婆のような血脈が流れていることを思うと、こうした記事から流れるアンチ排外主義のまなざしを大切にせねばと東アジアのキナ臭さが突出してきた昨今を顧みての思いが強まる。