Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

トースト二種

2011-06-30 08:24:48 | 
また猛暑傾向の日が続いてこのところ食事はソーメンばかりの
ワンパターンになっている。
そこで今朝はあり合わせの備蓄品からトーストを思い立つ。
パンはあいにくスーパーで買った神戸屋のまやかしっぽい、顎
というものが不在な現代っこが食べるモチモチ感触を強調した
ような食パンしかない。これにとてもゴツイ梅ジャムを塗る。
ゴツイというのは去年漬けた梅のシロップ漬けの実を、種だけ
取り出してザラメ砂糖を足して煮込んでみたら、とろみがなく
なってスプーンなどでは歯が立たないような、すごい粘りの梅
ジャムに変異してしまった。パンをトーストする前に、この固
いジャムもどきを塗ってから焼くと、これが素晴らしく柔らか
に液状化する。梅の酸味が口腔内に拡散して溶け損じたザラメ
の微かな粒の甘みが複合して自作ならではの味覚を呼ぶ。

あと一枚も変態めくが、素焼きした食パンに作っておいたポテ
トサラダをてんこ盛りする。今年は悪戯菜園のジャガイモがと
ても豊作だった。ストックが余っているから、ついつい応用を
考えて好きなポテトサラダを作って二三日とりおくようにする。
辛子を利かせてあるから薄味気味でも既製品を買ってきたもの
とは自然風味で断然の違いが生まれる。これをよくトーストに
たっぷり乗せてソースを少しかける。
こちらを先に食べてから、次が梅ジャムを食べる。ボリウムが
あるから午後までの腹もちがなかなかよい。
このへんは、トマトソースなどの備蓄で応用も効くから便利だ。

横浜・夏日

2011-06-28 20:04:47 | その他
所用で横浜の繁華街へ出かける。いつもはクルマで保土ヶ谷
バイパスの狩場付近から丘陵部を横断するコースを辿ること
が多いが今日は小田急と相鉄・JRを乗り継いで関内付近の
約束に間に合う。新聞の予報によると32℃と表記されてい
たが、たかをくくって出かけて後悔する。予想外の照り返し
と蒸し暑さに閉口した。用事が終わっても古本屋巡りなどの
気力も湧いてこない。尾上町の裏路地にあるヨットマニアの
カフェ「チャートハウス」でハワイ系のアイスコーヒーでも
飲みたくなったが夕刻までOFFになっていて、声をかけて
るのに店主は出てこない。仕方ないから馬車道のアート宝飾
のビルにあるスターバックスカフェでフラペチーノを啜る。
ここも近くの関内ホールでイベントでもあったらしく、高齢
婦人連のグループで満杯。弟の連れ合いが開いている焼き鳥
の居酒屋も夕刻前の準備中だ。向かいには昔、老舗の和菓子
店「住田楼」があった場所がベーカリーカフェになっている。
こんどから小休止するならこっちがいいと思った。

横浜駅付近に住む友人、港北インター近くに住む友人と日が
暮れるまで旧交を!と思って電話したが、あいにくの留守だ。
関内から桜木町まで歩く途中の運河が大岡川だ。横浜南部の
笹下や上大岡、井土ヶ谷付近をゆっくりと流れてくる二級河
川だ。横浜港の汐はけっこう上流の井土ヶ谷付近まで効いて
いる。桜木町の高架歩道橋の上で微風を浴びていると、汐の
香りが混じって来て新山下、本牧付近と同じ匂いがする。

名著「気まぐれ美術館」の著者によって掘り出された画家、
松本峻介の暗い心情を反映する運河の景色は、艀舟が係留
するこの付近がモチーフになっていたはずである。
いまやMM21の現代建築群を東側に臨んで、垢抜けたパノ
ラマが広がる風景に変貌したが、松本峻介の描いた運河の
残像は手前の野毛付近まで漂っているようだ。


桃のこと

2011-06-27 11:53:06 | その他
好きな現代詩人に安東次男という人がいる。この詩人が銅版画家
の駒井哲郎に捧げた詩集に「カランドリエ」という暦をイメージ
化した傑作があって今頃の季節を鮮やかに切り立てたフレーズを
呪文のように並べていて、俳句的視覚とモダニズム言語の恣意的
絢爛図が楽しめる詩集となっている。
施設から外出許可をもらって遊びにやってきた母親に食べさせよう
と冷しておいた桃を眺めていた時、ふと浮かんだのが安東次男の
「明日は 蝉 水密 入道雲」という一見ぶっきらぼうに放置され
たその中の詩句だ。たしか6月を謳った一節だったと思う。
夏の心を予感するイメージがピチピチと粒立つて来て懐古的な風景
と事象の幸福な至近距離を感じる。
今年は原発事故の影響で福島付近の桃などの果樹産地は、薄氷を
踏むような気苦労の日々だろうと思う。八百屋の店頭に山梨と福島
産の桃が売っていたら、心情的には福島産を買うことも応援の一つ
だと思っている。この桃がどちらの産地か?確かめ忘れてしまった
が、色づいたピンクの薄皮を覆う産毛の素地を眺めていて安東次男
への反歌みたいな句が浮かんできてしまった。

桃齧る ZEINてう語を 想いだし (新)

母の気晴らし

2011-06-26 14:04:34 | その他
母親が入っている施設へ面会に出かける。老いて体の機能などに
不備がある人が収容されていて、寝たきりの人、骨折や脳梗塞の
後遺症でクルマ椅子を余儀なくされている人を多く見かける中で
、母親は健常者に近いレベルの健康体である。骨折した足のリハ
ビリを習慣にする他は認知障害もないから、病者集団への心理的
適応は厄介なものがあるようだ。さる高名な評論家が何か不具合
があってこうした老人健康関連施設へ入所した時の噂話を耳にし
たことがあった。老人集団生活を統率する若い福祉看護者にかか
れば高名な評論家もただの一般人に匿名化した「おじいちゃん」
の「だれそれさん」だ。

この「おじいちやん」がどんなにワグナーの音楽に通暁していて
ヘレニズム文化に精通していてもそんなことはおかまいなし。
本日の娯楽の合唱課題曲が「夕焼け小焼け」だったら、「おじい
ちゃん、皆と一緒に歌いましよ」と参加を強いられるのが、こう
した施設の暮らしである。抵抗しても始まらない、仕方なく同調
して小声で歌ったふりでもするしかないだろう。その高名な評論
家がどのように適応したのかは、さだかでないが、わが身だって
若いつもりでいるが、相貌は「おじいちゃん」だ。近未来にこの
ような事例に出会うことも必至で集団生活への恐怖心も覚える。
施設に入所したおかげでベニー・グリーンやピート・マリンベルニ
のピアノが日常生活から剥奪されたらどうしょう!そんな悩みを
抱えこむ自分のような団塊老人もきっと増えてゆく時代だと思う。

母親は施設の退屈しのぎに、なにか文化指導時間に絵手紙風の
趣味をもち始めたらしい。絵心がなくても心があれば絵は書ける
ものと激励する。
面会室で「アヤメ」の時候にイメージした絵筆を訥々と走らせて
いる。あいさつ文の相手が誰に向けたのか訊ねたら、答えは体の
変調に苦しむ孫娘に向けた練習の文面と云っている。
89歳の施設生活はまだまだ続きそうな気配である。


ラッキョウ漬け

2011-06-25 10:05:50 | 
気持の水位を測るバロメーターが手間暇というものが正直に
反映するラッキョウや梅干し作りに現れるものだ。
去年はやはり、気持が沈んでいたのだろう。長年かけて腕を
磨いた両方を手抜きしてしまった。おかげで去年の秋から、
今年の春までは古いストックの梅干しを除いて食卓に、なに
か雰囲気というものが欠けているという気分がいつもついて
まわった。

運転免許の更新へ出かけた。行きはバス、帰りは丘陵住宅街
の家並みを眺めながら徒歩というのがいつもの儀式だ。
街中にさしかかった辺りにブックオフを縮小したみたいな
古本屋を覗くのもいつもの癖で、帰りの電車用の文庫本を3
冊100円コーナーで物色する。
3冊を3分位で決める。山下洋輔の「ピアノ弾きよじれ旅」
山田詠美の「カンヴァスの柩」ジャック・ケロアック「路上」
「路上」は若年期に河出書房の単行本で読んだことがある。
そのときは登場人物の坩堝みたいな心理や生理にシンパシー
をもったが、いま老いて読むと本筋から外れた伏流するよう
なさりげない風景描写が素晴らしく沁み込んでくる。

「…ロングモントの日はうららかだった。巨大な古木の下が
、ガソリン・スタンドの緑の芝生になっていていた。
そこで眠ってもよいかと従業員にたずねると許してくれたの
で、僕は羊毛のシャツを拡げ、その上にうつぶして肩肘を出し
、ほんの一瞬、暑い陽光を浴びている雪のロッキー山脈をみた
。…」(福田実 訳)

歳月は読む場所を変えると思っていると、いつのまに急行電車
は終点に着いていた。
駅裏の安目な八百屋の店頭を眺めていると、少し時期を逃した
茨城県産の泥ラッキョウがあってこれを3キロ買う。
戻ってからの夕刻はおよそ二時間の格闘というべきか?修行と
いうべきか、泥を落として蔕やしっぽを切る作業にいそしむ。
細かな薄皮などを落として綺麗になったものを4リットルの瓶
に詰め込み塩水をいれて第一ステージは完了した。
一週間くらい塩を馴染ませてから甘酢に漬けたら、雌伏三ヶ月
でいつものラッキョウが食卓の脇役として登場する。