Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

雑踏の中の恍惚

2012-02-29 22:58:34 | JAZZ
夕べの夜半から降り続いた雪で日向の山里はこの前よりも雪深い二月末日の朝を迎えた。今年二度目の積雪日だ。クルマが出せれば遺跡のバイトへ出かける予定だったが、積もった雪を振り払って出発しても舗装路がない場所で立ち往生することに嫌気がさして中止を決めた。
水気をたくさん含んだ雪が溶けて屋根を水滴が規則正しく叩く音が聞こえてくる。こういう日和こそ晴耕雨読にふさわしいと思い、ポークソーセージと玉子を焼いた具を挟み込んだトーストサンドとコーヒーの朝食を済ませてからしばらく読書する。読み残してあった白洲正子と河合隼雄の対談集「縁は異なもの」P・アッコー「旧石器時代の洞窟美術」川上弘美の小説集「真鶴」と続くが、なんだか節操のない読書だと自嘲する。
雪が霙に変わり始める午後になって車上に積もった雪を落としたり鍬で雪を少しかいてみたりして外気を吸い込んでからLPタイムへ突入、ドイツエラック社のオートプレーヤーはこのところトラブルとも無縁になり助かっている。
1975年にザナドーから発売されたケニー・ドーハムのメモリアルアルバムにはサイドB収録曲に「ステラ・バイ・スターライト」や「ホエン・サニー・ゲッツ・ブルー」のようないかにもブルージイなドーハムにふさわしい曲が入っていて時々聴きいることにしている。同じバリトンサックスでもサージ・チャロフのような妖怪めいた魂の荒ぶりはないものの、チャールス・デイビスのバリトンサックスソロをたっぷりと聞かせてくれる「ホエン・サニー・ゲッツ・ブルー」などの粗削りなプレイに改めて魅了される。

コンテンポラリーの「シェリー・マン&ヒズメンVOL1」にはアート・ペッパーやジョー・メイニみたいな優れたアルト吹きがキラ星のようなソロを聞かせるLPだ。この中にいまの時候にピッタリな「スプリング・イズ・ヒア」が入っているが、こちらは残念ながらアレンジが主体で合奏美を追求するトラックのようだ。気ままにジェリー・マリガン、ビリー・テイラートリオなどとこれまた読書同様に節操なき垂れ流しを楽しむ途中で、開いてみたネット上でとても素晴らしい画像に遭遇した。


大好きな曲「浮気はやめた」のどこかアメリカの地下駅中セッションだ。偶発的で無秩序のなかの秩序的光景はいかにも非日本的で羨ましいものだ。昔、六本木のイタリアレストランでPA音響仕事をしたときにマリア・エバというおばちゃんジャズシンガーがこの曲を歌っていたことを思い出した。それにしてもハットを被った東洋人風の小さなラッパ吹きの素晴らしく上手いこと。この画像に出会えただけでも本日の失業は幸せに他ならない。

梅日和

2012-02-27 19:38:14 | JAZZ
ビル・エバンスのピアノジャズは一生の伴侶みたいなものだが、好きな時期が偏っていてアート・ペッパーと同様に初期の演奏が大好きで70年代以後のエバンスは滅多に聴くことがない。日曜日は先だっての延長で二宮町の少し西に位置する西湘の国府津、下曽我へ春の兆しを浴びにドライブすることになった。本日のBGMのCDを苦慮した結果で選んでみたのが1977年の5月にカリフォルニアで録った「I WILL Say Goodbye」だ。後期のエバンスのどこが嫌いかと言うと音の毛羽立ちが華美で強いこと、演奏に流れる心情の憂愁は昔となんら変わらないのにどの曲を聞いても気忙しく苛立っているというのが総括的印象で何時のまにか敬遠してしまって日が経っている。それでもエバンスのピアノが捨て難いことを改めて知らしむ曲が後期にも潜んでいるから困ったことになる。エバンスのピアノ世界は現代都市生活のラベル・ドビッシーと同じ位相というのが持論だが、多分、ウエストコーストに拓けゆく海の煌きに啓示されたようなこのCDに収まっている3曲目の「SEASCAPE」などの寛いだ心情に満ちている小品を聴けばその思いは益々強まってしまうことになり、苦渋に満ちた日々の休日の癒やしとして十分に補完されるものである。海沿いの国道1号を上記のエバンストリオをBGMにしながら逍遥したのが国府津を北に入った梅の里、下曽我だ。小田原の梅干しはここが産地だが、この春は梅の開花がとても遅れている。曽我の別所という所には大きな梅林があるのに三分咲きの風情だ。この付近は人が集まってくる梅林付近よりも傾斜する丘陵地のみかん山に混植している梅が絵になることに多くの人々は気がついていないから、小田原の町を遠望する風景はほとんど独り占めしているようなもの。

この下曽我で春をちょっぴり味わって、そこからほど近い小八幡という海岸方面にあるカフェ「邪宗門」へ寄ることも休日の目的だ。三寶寺という浄土宗のお寺に併設するオーディオにこだわったカフェに噂を聞いて初めて寄ってみた。残念!コーヒーが沸かし置きで大衆的な中華レストラン「バーミヤン」のポットに入ったドリンクバーで供されるものと同格の味だ。調度品のグレードが高いだけにそのアンバランスはいかにも残念だ。オーディオはパラゴンが聞けずに8インチ程度の励磁型のフルレンジスピーカーが真空管アンプ、EMTの業務用CDプレーヤーで静かに鳴っている。パラゴンとこの励磁型スピーカーを交代して鳴らしているとは女店員さんの弁だ。日本の民謡曲をチェロ独奏するCDが小さなボリウムで流れている。再生音の印象は清澄そのもの。リアル志向とは対極にある軽やか蒸留水のせせらぎを聞いているようでこれはこれで気持が浄化される音に違いない。今度訪ねる時は腰を据えてパラゴンも聴いてみたいと思いながら、数ある「邪宗門」カフェに連なる同店を後にした。


風邪やすみ

2012-02-20 20:32:53 | その他
今年二度目の風邪をひいて数日経った。悪化を警戒して汗をかく土方仕事を休ませてもらう。寝込むほどでもないので窓際で春めいた光を沐浴しているときに気がついた。一ヶ月も前から咲き始めた観葉植物の花が満開になっている。横浜のマンション暮らし時代にベランダで始めたものだが、多くは山沿いに位置する日向の冬場が厳しく「観音竹」「パキュラ」「ゴムの木」「ベンジャミン」あれだけ勢いよく生育していた殆どが全滅!してしまった。これはやはり老年へ近づく自分の衰運かと嘆いていたら皮肉にも「金の成る木」だけが手入れ不足の乾燥に耐えて今年も冬を越そうとしている。おまけにいままで見たことがない五弁の花をいっぱいに密生させている。この観葉植物は弱ってくると葉っぱの肉が薄くなって皺が出る。そうした冬場の特長にもかかわらず、花と幼い葉っぱが控えていて弱り気味な気分に晴れ間がのぞいたようだ。そういえば日向川の十二神将橋のたもとにある農地では今日、紅梅が綻んでいるのを今年初めて目撃する。春はそこまでやってきているという気分ついでに、午後から夕刻まで鶴巻温泉に住むKさんのマンションに向かう。
先日の真空管アンプでジャズを聴く会に手なおしして持ってきていただいたアメリカの1960年頃作られたHEATH KITT社のプリアンプが、イベントの途中で駄々をこねて戻ってしまってから、一週間が経って消息が気になっていた。Kさんのお宅への土産は南山城産の宇治茶を少々とヨコハマ三本コーヒー製のブレンド粉を500gだ。いつもお茶菓子に階下の洋菓子店から調達するカスタードのシュークリームを頂くものだから、それに合う返礼として持参したら、やはり今日も件のシュークリームをご馳走になってしまった。古いHEATH KITTは無事だった。Kさん自作のパワーアンプでジェンセンの励磁スピーカー、WE555ドライバー+YLホーンという豪華なるメインSP装置、WADIA CDでその健常ぶりを十分に確認できた。このプリアンプはマッキンのC8時代あたりと時を同じくしているのだろう。アナログプレーヤーのセレクター表示が時代を語っていて面白い!例えばSPの78回転などは78ear-lyなどとなっていて、全米でレコードの規格がまとまった象徴のようなRIAAなどのポジションもあってすごく興味深い。
このプリアンプで聞いたヴァーブのベン・ウエブスター「THE KING OF TENOR」など馴れたソースで確認する限りでは、まだまだ華美で固有な音質のハイ上がり傾向を克服しないといけないようだ。とりあえず、Kさんのお宅でしばらくエイジングをしていただいてから、こちらで組み合わせるパワーアンプを思案しながら一時的に風邪を忘れることができたようだ。

箸休めの小皿

2012-02-17 09:03:16 | 
このあいだ二宮町へ菜の花見物に出かけたとき県道83号線沿いのスーパーの広場でフリーマーケットが開かれていた。見逃すわけには行かないと思いつつ寄り道気分で会場を覗いてみた。ほとんどが古着や贈答品流れの類でこれはという掘り出しものはどこにも見当らない。

余談になるが新宿時代の零細自営業では仕事が深夜に及ぶことしばしばでそんな時は事務所の一角で仮眠する晩も多かった。イベントPAの仕事は人が休む日に仕事をするからしょうがないが楽しみの隙間もあった。仕事が控えていない日曜の朝、たまたま開催日にぶつかる明治公園のフリマも楽しみの一つだった。会場へは慶応大学病院裏手にあった老朽マンションの倉庫から歩いて10分、早朝の外苑西通りは車や人の往来も少なく季節が初夏を迎えるようなときの街路の若葉の揺らぎを眺めるのは幸福だった。

明治公園のフリマでは自分流の掘り出しものをちょくちょく発見した。どこかアジアを流浪してきたらしいフランス人の出店者から買った品物もトリッキーな会話による駆引きが印象に残っている。東南アジアのものと思われるとても下手な鉄絵の小鉢とフランス盤のEPレコードなどの組み合わせで1500円。そのときのEPレコードがフランスバークレイ盤のダリダが歌ったヒット曲集でダリダの濃い目なラテン顔したポートレートに吸い寄せられたものだ。このEPレコードは7年ほど我が居間に鎮座してから、畏友のトーシローさん宅へ去年の秋に1000円で嫁いで行った。この年令になったら生々流転は良いことだと思いだしている。

フリマを見物したら只では帰れない性格のせいか?駄ものだらけの二宮町フリマを凝視していたらちょうどよい一品が見つかった。
九州は福岡県南端にある山里、小石原の焼き物の銘が入っている。それも端物らしい直径10センチほどの小鉢といってよい皿だ。ベージュ色の器体に3個の目跡があって湾曲した内側の縁には、笠間などでもよく使う薄茶と緑の釉薬が不規則な雲の流れみたいにベージュ色にかかって上手く溶け込んでいる。釉薬をかけない土見せ高台付近の上部には斑唐津に見られるような厚ぼったい青みがかった海鼠がけが描け流されされている。高台の削りこみは律儀で力を抜いていない早業が漲っていて、無名民芸者の誇りが伝わってくる。
小石原へは二度訪問したことがある。博多・天神の西鉄バスセンターからバスを乗り継いで二時間余。現地だったらこの小鉢は一枚300円と踏んだ。これは安いでしょう?と瀬踏みしたら出店者の主婦の答えは50円という適正値段で帰ってきた。この小鉢を洗って翌朝の朝食は朝粥の箸休め用に使ってみた。塩こんぶが小石原、梅干しが薩摩の鮫島佐太郎窯の黒角皿、紫蘇が隼人の旗井田窯と期せずして九州勢のトリオが実現した。それにしても小石原の豆鉢が他の二つに力負けしていないことを痛感した。食後の煎茶用急須には久々に朱紅色した辰砂の小石原焼きが登場だ。

二宮町のスイートスプリング

2012-02-14 19:27:24 | 自然
小春日和に誘われて近くて遠い町、湘南の二宮町へ散歩に出かける。大昔、江藤淳の評論を読んでいるとしばしば登場する名前があった。その名は山川方夫、吸い寄せられて数冊の小説集を後に購入したことのある少しマイナーな小説家である。昭和39年に発行された「長くて短い一年」(昭和39年光風社刊)などは今でも時々、季暦風に組んだコント仕立ての短編小説に登場するそれほどハッピーとはいえない女達の面影が魅力で読み返すことがある。その山川方夫が住んでいたのが大磯よりも西に位置する海辺の町二宮で彼は交通事故にあって働き盛りの年齢なのに惜しい死に方をしている。静かな二宮の町へ中井町の方から車で進んでいる時に山川方夫のことといかにも痛恨の思いで呻いている江藤淳の心境をふと思い出す。

二宮町には湘南の海辺からすぐに急峻な小山があってそこの頂上に日溜りの楽園みたいな「吾妻山公園」がある。駅の北口に入り口があって、厳寒に倦んでいる近在の家族やカップルが200段の階段を上がって頂上をめざしている。南西方向に大きく眺望が利くこの公園は富士山と数千本の菜の花がウリ!。冬のさなかに春がちょっぴりと顔をみせるように山頂は仄かに緩い陽射しが覆っている。菜畑は満開、はるか西の正面には山すそまで雪化粧した富士山が、南に目を転じれば熱海方面に凪いで煌く相模灘と早春の兆しを満喫できる風景が繰り広げられている。神奈川で一番、春が早いのは二宮町というのは嘘じゃないと思った。
町へ降りてしばしの旧市街地を散策する。駅前にあるJAの直売所で見つけた「はっさく」などの柑橘に混じって売っていたのが「スイートスプリング」というオレンジを弱めたような晩柑だ。これは伊豆半島の早春に見られる「はるか」という種類よりも皮の黄色が薄く緑色が優って皮も厚くて固い種類である。味は茫洋としているが、どちらも香りが美しい。どちらかといえば郊外の新興住宅風に転じている二宮町にも昔の気質を通している店舗がある。「魚三分店」もその一つ、相模湾で上がった魚貝の干物以外にも「しらすと菜の花のかき揚げ」などの天麩羅を揚げて売っている。これは今晩のうどんに添えれば絵になると思って即購入する。この付近から国府津などの旧東海道沿いにはまだまだ昔の気風を堅持している小店舗が潜んでいるはずだが、次の機会にすることにして大磯の国府新宿経由で平塚内陸部、伊勢原という帰路を辿ることにする。