コロナウイルスの蔓延防止法が発動した頃から、平日の開店をしてみた.寒かった冬場のせいと老齢知人客のリピーターの減少に慌てる。そうなってからでは遅いが、臨時の業務請負バイトも混ぜる生活に戻している。昨日は早めに六本木駅へ向かい、古い友人宅の雑務を請負う。午前は収納庫の整頓だ。バカ重い115ボルトの電源トランスの移動に辟易していたら、その中に40年前に知人が買った浦上玉堂の全三冊画譜の美麗箱入りの大きな本が現れる。
直ぐにネットを検索してみたら随分と値上がりしている。処分を勧めたらマージン率をしっかりと提示してきた。売却額の25%だ。数秒で思い直すように20%にならないか?と提示してきた。その辺が資産家インテリで吝(ケチ)のメンタリティを天性から備えている知人らしい。提示には邪気がないところが良い。吝嗇なのだが、幼児の駆け引きめいた無邪気な気配がこの人をいつも救っている。こちらも長い貧乏生活の損続きお人好し人生から脱却しないといけない。25%を譲らず条件が通る。
次にクルマで訪問した時に収納庫内にある手付かずのスピーカーユニット類、デジタルアンプ等と一緒にその売却予定本も引き取ることにした。午後はPC内のアプリで開発道楽に励んでいる小型スピーカーのインピーダンス測定を、50ユニットくらい測る仕事が振られる。しかしアプリがどうしても立ち上がってこない。前回は順調だったが、こんどはお手上げで業務請負はここで中断となる。精算は拘束時間に基づくので、4時間の報酬は次週に含めることになった。
終えてからの休憩時間が来た。ワンダ・ランドフスカの1930年代に弾いたモーツアルトのピアノソナタのSP起こしの再生音を、知人が作ったスピーカーで聴かされる。これが蒙昧なレトロ感よりも、立ち上がりが鮮やかというリアリズム面の形容で褒めたら知人は喜んだ。空手で帰えすのは申し訳ないと思ったのか?前に誉めていた中国清時代の山水画が素朴な染付皿を土産にくれることになった。7寸位の磁器皿だが、古伊万里の律儀な精密画風とは一味違ってやはり風通しが良い。
興趣に溢れた皿が本日の「現物支給」になってしまったが、帰りはラッシュアワーを避けられてストレスは少ない。余力が残っていたので、読みかけの尊敬する歌人、坪野哲久「春服」を開いてその独自な存在論の自省の骨格に思いを馳せる時間になったが、お客さんの気配なき夕暮れが来てしまった
降りそそぐ雨 早咲きの夾竹桃 眼前のことしだいにさびし
木琴の音 ひびかせて春分の路地きらきらし 木の芽のひかり
坪野哲久
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