Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

ビル エヴァンスの映画で思い出したこと ❷

2019-07-08 19:53:42 | ラジオ亭便り
映画館で貰ったパンフにも誰かが詠嘆と音楽的絶賛の両義的意味を込めてビル エヴァンスの人生は「長い時間をかけて仕組んだ自殺」と譬える巧妙なフレーズがあった。
このドキュメント映画の構成はエヴァンス音楽をよく知っている様々な関係者のインタビューが軸になっていて実生活上の近親者も登場する。麻薬禍で苦しむ時代、敬愛した兄の死去、救抜的出会いのあった最愛女性との短い幸福生活、映像の語りを修飾するようにエヴァンストリオが奏でる美しくポリフォニックな現代ジャズの達成点を象徴するようなリバーサイド時代の名演「イスラエル」「ナルディス」「ワルツ フォー デビイ」「ハウンテッド ハート」等が流れる。実に美しい演出である。

これらのエヴァンス音楽の核をなす懐かしい曲が鑑賞者の琴線に触れて決してハッピーとは言えなかったエヴァンスの不如意な実人生へのエレジー(哀歌)的重層共鳴を呼ぶところが、ブルース スピーゲル監督の地味な小映画に結実しているのを知るのは、この映画を見終えてからの静かなる余韻である。
自分が1960年代半ばにビル エヴァンスのジャズに出会った頃はニュージャズという調性を破壊した即興ジャズが台頭し始めて当時のジャズ喫茶を席巻し始めていた。ジョン コルトレーンはもちろんのこと オーネット コールマン、アーチー シェップ、セシル テイラー、ドン チェリー等の音楽をドンシャリ大音量で聴くという快感に身を預けるという同調不文律が支配していた。

そんなある日、横浜は若葉町にあったジャズ喫茶「ダウンビート」で知り合ったOさんという女友だちができた。このOさんは近所の国立大学の学生でちょくちょく顔を合わせる隣席の自分にアメリカ国旗の星の数は現在でいくつあるのか?という質問をしてきて、それが縁で性的な関係のない女友だちの一人になった。そのOさんと仲の良いジャズ喫茶仲間に「ダウンビート」の数軒先でスナックバーを母親が経営している美大生のGさんという女の子がいた。Gさんはその店を手伝っていた。このGさんも色白のぽっちゃり顔の童顔が可愛い子だった。
どういうわけか当時の痩身で肉食男子と思われていない安心感のせいか、このGさんの家族不在の家に招かれたことがあった。深夜の大和市だったのか、藤沢市の長後だったのか今では記憶が薄らいでいる。終電が終えた小田急の線路をOさんとGさんで歩いて家に着いた。Gさんの部屋で三人が寝床を引いて川の字になって喋って何事もなく眠りにつくという、今思えば実に珍妙なる夢のような光景である。
Gさんとはしばらく会っていない時期に生活の不如意もあって渋谷に住んで赤坂方面のバーのホステスをしているので遊びに来ないかという誘いがあってOさんと訪ねた。今の西武B館の横に映画館があってその裏にあったアパートが彼女の棲家だった。さすが渋谷だけあってボロアパートの割高家賃に驚いた。
その折にもてなしで流してくれたのがビル エヴァンスのヴァーヴレコード時代のリリシズムに満ちた「アイ ラヴ ユー ポギー」「アリス イン ワンダーランド」「ダニー ボーイ」といった曲だった。ジョン コルトレーンが1967年の7月に亡くなった頃に前後した時期でGさんがもてなして流してくれたエヴァンスのおかげで、自分の中のニュージャズ熱は少し冷却されることになった。
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