老健施設に入っている母親から季節の絵手紙が舞い込んできた。母は施設の中で暇があれば手も足も使って動き廻っている。昔から保存してきたキューピー人形に着せる着物を縫ったり、使用済みカレンダーの白地を溜め込んで一冊のメモ帳を作ったり、けっこう手仕事にもかまけている。最近は娯楽時間に塗り絵を描くことも好きな様子である。絵手紙もだいぶ上手になったようだ。梅粒の余白の間合いにそれが感じられる。10日に一回くらいのペースで訪問するのだが、こちらよりも記憶は厳密で必ず前回の訪問日が何時だったかをこちらに教える。
季節の絵手紙に書かれた梅の絵を眺めて、今年はシロップ漬けも梅干もパスしていることがほんのりと悔やまれる。梅絵に触発されたせいか老健施設へ夜勤前の好天気を利用して回り道をする。緩やかな蛇行のフォルムが好きな渋田川の川べりではぼちぼち紫陽花の季節も終わりを迎えている。川を挟んで平野状に開ける大きな畑地ではトウモロコシや小麦の畑が南西風に穂をゆるがせている。その向こうに大山が聳えている伊勢原の夏景色が好きである。
施設付近の人家では盛夏を彩る「凌霄花」が群生し始めている。永井荷風の元祖大ブログ「断腸亭日乗」の下巻、敗戦間近い昭和20年6月の記述を思い出す。ちょうど6月27日の項に「凌霄花」が登場する。「人家の崩れたる土塀に凌霄花咲けるを見る。この花も東京にては梅雨過ぎて後七月半過に至りて見るものなり」とある。凌霄花(のうぜんかずら)の零れ咲く光景は68年前も今の夏も変わらないことを痛感する。
施設への小さな土産は信州帰りの友人から頂いた昔風仄か系甘味を残した果実原料の「みすず飴」、コーヒー缶とサイダー缶を少々、その場で食べ切る生鮮物として許可されている「豆大福」を持って行く。38キロの水分が枯渇した身体に乗っている母の小さな顔は、夏を迎えて少しふっくらとしたようだ。困苦を積んできた人物特有な悪い表情が影を潜めて、本日は平穏な91歳の顔になっていて安心する。母親の次回の希望を尋ねる。梅雨が明けたころ座間を訪れて、母が通っていた大和にあったパーマ屋さんにもらった「ムラサキゴテン」の植木鉢を眺めたい。そして素麺とスイカを食べたいというささやかな楽しみである。食欲の衰える様子も見えない。どうやら母親の91歳の夏は92歳に向かってクリアーしそうな気配である。
季節の絵手紙に書かれた梅の絵を眺めて、今年はシロップ漬けも梅干もパスしていることがほんのりと悔やまれる。梅絵に触発されたせいか老健施設へ夜勤前の好天気を利用して回り道をする。緩やかな蛇行のフォルムが好きな渋田川の川べりではぼちぼち紫陽花の季節も終わりを迎えている。川を挟んで平野状に開ける大きな畑地ではトウモロコシや小麦の畑が南西風に穂をゆるがせている。その向こうに大山が聳えている伊勢原の夏景色が好きである。
施設付近の人家では盛夏を彩る「凌霄花」が群生し始めている。永井荷風の元祖大ブログ「断腸亭日乗」の下巻、敗戦間近い昭和20年6月の記述を思い出す。ちょうど6月27日の項に「凌霄花」が登場する。「人家の崩れたる土塀に凌霄花咲けるを見る。この花も東京にては梅雨過ぎて後七月半過に至りて見るものなり」とある。凌霄花(のうぜんかずら)の零れ咲く光景は68年前も今の夏も変わらないことを痛感する。
施設への小さな土産は信州帰りの友人から頂いた昔風仄か系甘味を残した果実原料の「みすず飴」、コーヒー缶とサイダー缶を少々、その場で食べ切る生鮮物として許可されている「豆大福」を持って行く。38キロの水分が枯渇した身体に乗っている母の小さな顔は、夏を迎えて少しふっくらとしたようだ。困苦を積んできた人物特有な悪い表情が影を潜めて、本日は平穏な91歳の顔になっていて安心する。母親の次回の希望を尋ねる。梅雨が明けたころ座間を訪れて、母が通っていた大和にあったパーマ屋さんにもらった「ムラサキゴテン」の植木鉢を眺めたい。そして素麺とスイカを食べたいというささやかな楽しみである。食欲の衰える様子も見えない。どうやら母親の91歳の夏は92歳に向かってクリアーしそうな気配である。