Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

デジイチ初体験

2012-07-29 19:57:30 | 自然
フィルムカメラの時代が終わってからなぜかデジタルの一眼に興味が湧くことが少なかった。ちょうど商売も畳んで金も潤沢に使えない時代と重なったのだろう。自分でいうのも変だけど、ケチで安いコンデジを突き詰めてこれでもか、これでもかというくらい酷使していたらフィルム一眼カメラで代理店仕事などしていた昔よりも、よりハートに近い写真を自在なる無意識手法で撮ることができるようになった気がする。

昔、天才アラーキを地下鉄の乃木坂だったか?千代田線内で見かけたことがあった。かれの首から吊る下がっていたのは、コニカのビッグミニだった。これがアラキ流見栄の張り方だなと一瞬思った。彼はそのカメラで猥雑な風俗嬢のヌードやくたびれた街を撮っていて、いつもかっこいいなとその写真を見て思ったものである。
それを見てから我が血中における一眼崇拝指数は急速に下がっていったようだ。

こんどやってきた一眼レフのデジカメは平凡スペックを地でいっている。我々オーディオマニアの世界のカートリッジに喩えれば、これはシュアーのM44Gくらいのデジイチだと思う。画素数は630万とコンデジを含めた現在の主流製品の半分以下のレベルだ。それでも18~55ミリの純正ズームレンズが付いて譲り受けた値段は1万2千円という破格の友情価格が嬉しい。

梅雨が明けてまもなく二週間になる。伊勢原の山裾の野辺道は炎天を謳歌する花に溢れている。いつもハートを潤してくれる季節の花に敬意を表して平凡スペックのデジイチの出番が廻ってきて夏の楽しみがちょっぴり増えたみたいだ。

バーナード・リーチ展を見る

2012-07-27 06:44:50 | その他
猛暑が戻ってきた。かねて約束していた駒場にある日本民藝館でバーナード・リーチ展を見学する。同行する友人が総勢6名という暑さにもめげない元気なシニアによる夏季遠足の様相をきたす。

敬愛するリーチについては棚橋 隆の著作「魂の壷 セントアイヴィスのバーナード・リーチ」を読んでいたから、リーチの存在を親しく感じながら展示作品を眺めることができた。
今年はリーチ生誕115年、作陶110年という節目の年とのことで、リーチと民芸精神を共有していた柳 宗悦ゆかりの民藝館らしいさりげなくも力のこもったよい展示会になっている。これまでに浜田庄司の益子参考館などでリーチの陶芸品に接したことはあるが、まとまった展示物を見るのは初めての体験だ。

リーチは香港で生まれ幼年期を日本で過ごし、青年期に再来日して白樺派の文人達と親交を結んで後に現代陶芸の大家になる浜田、河井、富本といった面々とも親交を重ねる。
リーチは柳 宗悦や浜田らと日本の各地を旅行して民窯を訪ねるついでに、現地で陶芸作品を作っている。沖縄、九州、山陰などの民窯で焼いたリーチの作品はどれも西洋絵画的エッセンスを巧みに溶かして当地民窯の日本在来様式と折り合いをつけている作品が多くそこにリーチならではの温かみのある個性が溢れていて唸ってしまう。

例えば加賀の九谷に近い山代温泉で作った小品皿等を眺めていると、九谷焼の色の規則は守っていても絵付けのデザインはどこかバター臭く奔放である。それが類型的な九谷にありがちな鈍重で保守的な色重ねのマンネリズムから解放されていて飄逸な微笑を呼ぶものになっている。

リーチの本に「日本絵日記」という昭和28年からの一年間にわたる日本滞在記録があってこの初版(毎日新聞社刊1953年6月)は我がお宝となっている。この本の口絵グラビアはまだ紙の事情も悪かった時代にしては奢っていてリーチ作の御鹿田焼きの素晴らしいピッチャー(水差し)写真が掲載されている。

これなどもリーチならではの西洋的造型力と日本的紋様の稀有な融和に充ちている作品だと思う。御鹿田の飴色、萌黄色という釉薬の紋様パターンをどこか中近東やイギリス、または日本というどこにも結びついてもおかしくない普遍的な土俗世界へリーチの手がもたらして、既存の殻にこもっている民藝品との違いを我々に教えてくれるのである。

ひととおり見学を終えた中高年遠足隊は、付近にある駒場の東京大学内にある食堂で昼食をとるのか渋谷駅付近でとるのか、若干の意見相違があったが、井の頭線に乗って渋谷駅で食べることに意見がまとまった。センター街の猥雑場所にていまだ昭和の蕎麦屋気風を堅持している渋谷「更級」が目的の店。ここでは殆どが麦飯ととろろ芋に蕎麦を添えた定食をとってから、「更級」の一貫性をそれぞれが讃えあって無事にリーチ展見学を散会することにした。









サラ・ガザレクを聴きながら

2012-07-22 20:39:49 | JAZZ
今年30歳になるシアトル生まれのジャズシンガー、サラ・ガザレクの数年前に出たCD「YOURS」をこのところ好きでよく聴いている。

金曜日も梅雨明けの猛暑を逃れて横田基地に近い瑞穂町から国道16号を西北方向に上がった青梅の山間部にある岩蔵温泉郷の近くに潜む一軒家カフェの「コンブリオ」を訪ねる途中の車内BGMは行きも帰りもサラ一色だった。
前日までの猛暑が嘘みたいに引っ込んで、山あいは肌寒いくらいの陽気になっておまけに霧雨まで混じっている。


サラはハイスクール時代にジャズに目覚めたらしい。このCDには馴染み深いジャズ曲・ポップスやロック系のヒット曲が行儀よく並存している。どちらのジャンルもサラのふくよかに伸びる地声のなかでよく融和していて気持がよい。歌が好きでたまらないティーンエイジャーの娘が心情をこめて様々なアメリカンソングを歌っているうちに自然にジャズめいた高等テクニックが加味されてしまったような優れた普通感がサラの持ち味ではないだろうか。ヘリー・ロレインとも共通する新ナチュラル派と称すべきボーカリストが増えるのは嬉しい限りである。

このCDに収まっている「サークルゲーム」などの曲も懐かしく聴くのは久しぶりである。
その昔、映画を観た「いちご白書」のテーマソング、「サークルゲーム」は感激のあまりジョニ・ミッチェルの45回転EPレコードを買ってきて擦り切れるまで聴いた思い出の曲で、サラの歌を聴いているとオリジナルが持つ気迫は無理としても時代を超えて残る歌の在りかを教えてくれる。
マイケル・ジャクソンが歌ってヒットした「ベン」のテーマもサラはしみじみと歌っていて、この曲想もどこかジャズ曲でよく聴く「ワンス・アポン・ナ・サマータイム」みたいで移ろいゆく夏の景色に溶け込む良いトラックだと思う。

一方でジャズ曲を聴いてみると「チーク・トウ・チーク」「バイバイ・ブラックバード」等では溌剌としたビート感が溢れているサラのジャズ血統のよさも感じさせてくれて、このキャピトルスタジオで収録したよい音のCDはしばらく手が届く範囲から離すことができなくなりそうだ。



江ノ電に乗って

2012-07-17 09:15:15 | その他
藤沢へ切らしたコーヒーの徳用パックを買いにでたついでに、藤沢駅付近と江ノ電の腰越あたりの時化たあとの猛烈な南西の風が吹き荒れる海沿いを散歩する。

十代の頃は仲のよい作曲家志望の友人がいて藤沢駅から二つ目の柳小路の家までよく泊まりに出かけたものだ。大きな区画の家が多かったその辺りも、いまは小さく分割した擬似高級仕様に作った小さな建売住宅が線路沿いにひしめいていて往時の面影はない。

しかし江ノ電の窓を通過してくる光りは海が近くにあるという愉悦を呼ぶ明るい光りにちがいない。腰越港で上がった地魚を天日でゆるゆると干して売っている「ひらかつ市場」は祝日は休業のようで残念。

どうも喧嘩と修復を日替わりで繰り返している連れの女性と歩くと「本日休業」にでくわすことが多い。藤沢市役所の脇道にある昭和レトロ風純喫茶「灯」もやはり休みだった。それでもたまに寄ってみる名店ビル地下の「古久屋」はちょうどよい混みようで開店していてお互いに安堵する。お目当ての柔らかい蒸し麺と多彩な具材を緩やかにあんかけでからませた「五目焼きそば」はいつもながらの美味で満足する。連れの女性は好き・嫌いのはっきりした人で夏の暑さを忌避したメニューを消去法で逡巡しながらつけ麺を注文した。品評を聞いてみると、どうもいま一歩の味らしい。

夏らしい海沿いの空気を満喫して駐車場へ戻る途中の古本屋「太虚堂」へ寄ってみる。
表のワゴン中にかねて読んで見たく思っていた安丸良夫の「出口なお」朝日選書をみつける。315円也。

この晩夏には京都から山陰道沿いにある大本教の本拠地綾部、亀岡といったエリアを見学する予定だから、きっと出口なおの霊が呼んでくれたみたいで嬉しい気分になって帰路へつく。

どこかで見た顔

2012-07-14 04:28:14 | その他
JR電車内の広告ポスターをぼーっと眺めていたら、人気アーティストの展覧会案内が天井に近い差込広告欄にディスプレイされていた。
他の俗界広告と比較した場合、画然と異界のオーラを柔らかく放っているポスターで電車が関内駅に到着する寸前にシャッターをきった。奈良美智の展覧会が7月14日から横浜のMM21地区にある大きな美術館で始まるらしい。

奈良美智がそろそろメジャーな活躍を始めた時期の内房線の車内での会話を思いだす。
ちょうど十年くらい前の初夏だろうか?糖尿病を病んでいた今は亡き安原顕さん。
彼は「マリークレール」というお洒落な女性服装雑誌を大胆に改革してオトコにも読ませるという仕掛けを作った鼻も目も利くスーパーエディターで、当時は学研の委託文芸雑誌の仕事が累積赤字を重ねて辞めた直後だったような気がする。

もう一人の車内客はよく一緒に旅をしたメグ・オーナーの寺島靖国さんだった。目的地の舘山へ着くまでには時間もあり、当時台頭してきたジャズシンガーの品評から、吉本ばななの単行本のこと、それに及んで挿絵のカットを描いていた奈良美智までを俎上に今でいうところの「いいね」「わるいね」風品評を交わして、無論、奈良美智の作品に対して安原顕と自分が「いいね」で寺島靖国は「ノーコメント」、当時、躍進中のシンガー綾戸千絵については安原顕が「いいね」に対して寺島さんと自分が「わるいね」などと暇にまかせた好き勝手な品評会を開いていた。

このポスターにはよいコピーが写真をとてもよくサポートしている。朱色のタンクトップ、微かに微笑むこの少女はさしずめ現代版の岸田劉生作「麗子像」みたいなものだろう。もう一人どこかで似ている質感の扁平でファニイな少女を既視した記憶がひっかかっている。

JR関内駅を降りて横浜スタジアムの脇にある公園は夏空の真下だ。公園の舞い上あがる噴水脇の花壇にしきりと水を撒く初老の夏帽子姿の人を見ながら、こういう仕事ができたらいいなと思って通り過ぎる。

その瞬間に少女の顔が浮かんだ。北欧の映画監督、ベルイマンの映画「魔笛」のなかに映像の節目に登場する鼻の稜線が極端に扁平した女の子がいて、この不思議な超越論風な眼差しでオペラを鑑賞する少女と奈良美智のポスター少女が同質の匂いがすることに、はたと気がついた。

夏場に開催中の駒場民芸館でバーナード・リーチ展を見物したら、その次は奈良美智の展示会に行って別などこかで見た人物でも探して、お得意なフェノメノン(現象)から本質への往還感覚に磨きをかけようと思っている。