「葉がなくてさびしからずやまんじゆしやげ」 上林 暁 (昭和51年 永田書房刊 「句集 木の葉髪」192ページ)伊勢原の山里を引き払い、昨年の秋が見おさめになってしまった彼岸花と思っていたが、先週にかけて伊勢原の在所めいた太田地区を流れる渋田川の土手などに咲く様子を眺めることができた。勤務先の敷地を少し外れた板戸川の遊歩道でも固まって咲く彼岸花にでくわした。「あけび」の熟し具合を撮ろうと思っていたデジカメの矛先を彼岸花に変えてみた。
上林 暁の句集は上記が発行部数500という唯一の希少単行本である。中川一政の晩期の絵みたいに言葉の枯れ具合の率直性に唸ってしまうような珠玉の句がたくさん収まっているせいか、季節の移ろいを感受すべき我が宝ものである。「トマト食ふ朝夕つづけて一年中」「あの人の今年の秋も誕生日」「シャガールの額が華麗につゆの雨」「厠より山茶花見ゆる朝月夜」等の句を読んでいると、ジャズピアノだったらエロール・ガーナーとかアル・ヘイグみたいな節まわしが聞こえてくるような寂しい楽しさが味わえる。
彼岸花の連想から久しぶりに上林 暁の旧作小説を読みたくなって書架の裏から廉価版の集英社小型選集をひっぱりだす。昔、読んだ「聖ヨハネ病院にて」「現世図絵」「春の坂」「姫鏡台」などの病妻、故郷の従姉、未婚の妹などの近親者を描いた貧しい暮らしの中で苦渋する心境小説は傍で読む者に涙を誘うような物語ばかりである。「聖ヨハネ病院にて」は昭和21年の発表でこれは上林 暁の病妻ものの頂点に位置する作品だ。昔、読んだ時にはその実話モデルになったカソリック病院は、多摩全生園がある東村山に隣接した清瀬付近の武蔵野的情景を感じたが、これは誤解のようで年譜によれば都下・武蔵小金井の付近にあった精神病院のようである。気が触れて精神を病み、目も盲いてしまった妻との病院における共同起居による付き添い録がすさまじい。そして戦前・戦時中の食糧欠乏の酷い有様。そんなに酷薄な惨劇の描写を読んでいても、病室を巡ってくる黒衣の神父、かしずくように鉦を叩きながら付き添う看護婦の挙措、ミサの模様を記す記述などには、私小説へのモダニズム的スパイスが効果をもたらしている風通しを感じる。おそろしく勘の冴えた上林 暁の奥さんは転院先の病院にて昭和21年の6月に死去している。
ヨハネ会病院から付近の病院へ、犬が牽引するリヤカーに積まれた奥さんの様子を後方から見送りながらも、それを観察しているもう一人の作者がいる。私小説のもたらす濃厚な業の深さを感じる箇所でもある。雑木林を折れて曲がって去って行く様子の最終部分はこの小説を戦後文学の初頭を飾る傑作へと仕上げているようだ。牽引の為に犬が喘ぐ息をリヤカーの上にいる奥さんが、どこからか馬がやってくると幻覚して怖がる個所がいつもながら胸をうつ。
自分の体験でも長期の入院を忌避されてしまった亡妻が転院する日の情景が浮かんでしまう。聖マリアンナ病院を出て近所にある最終ホスピス風の病院への転送に付き添う。むろんリヤカーではなく介護タクシーだったが、最後まで頭が冴えわたっていた亡妻は黙って従っているだけだった。心の内側は知る由もない。聖ヨハネ、聖マリアンナ、それなら今日はレッド・ガーランドトリオが奏でる「聖ジェイムス病院」でも流すことにしよう。