Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

座間谷戸山付近

2013-01-30 14:30:15 | 自然
座間へ移住してから4ヶ月経った。他地域と繋がっている幹線国道については知っているが、県道から分岐する支線や昔の巡礼道、鎌倉往還道のような経路をもっと知ってみたくてこのところ冬なのにボロスクーターが活躍している。今日は冬枯れの有名な谷戸山公園に初めて行ってみた。いつも通り過ぎる小田急線の車窓から傾斜する雑木林が繁っている丘を眺めて憧れていた地域である。付近に住む旧家の篤志家がいて、自然林のある里山を残そうと地権者たちを説得して出来たらしい。

急坂が蛇行する県道になっているバイパスめいた道も前はお寺の谷戸山として地続きだったとは、付近に住む人から聞いた話である。これを神奈川県が買い上げて造成した自然公園が谷戸山公園になっている。公園の反対側はマンションや戸建住宅がすでに密集した地域になって久しいようだ。辛うじて新興住宅街になることを免れた貴重で有難い緑地帯は近隣の人々を静かに迎えている。残そうと保存を提唱した篤志家がいたおかげで、この実利には通じないエリアが座間の地誌的な文化度を否応無く上昇させていることに、感謝しなければならないとはこちらが抱いた勝手な感想である。

緩やかな段丘に囲まれた公園内には、源氏蛍が生息する細い水路が縫っている。山の隙間にある昔の隠れ田圃付近の水路には、珍しい平家蛍まで舞っている夏があるらしい。池の辺には、コガモ、マガモ、青鷺、小鷺など、様々な水禽達が遊んでいる。木々の実や花にはこれといって見るべきものがない無聊ないまごろだが、珍しい野鳥との遭遇には恵まれている時季ではないだろうか。今日も熊笹の繁みの中で「あおじ」を見つけた。ホオジロ、スズメ程度の大きさで、その暗青色な被覆のせいだろうか、なかなか気がつかない鳥である。

公園の立ち木には杉の大木もそびえている。これを小さなニコンの双眼鏡で観察している老人がいた。鷹の種類に属する猛禽類の「ノスリ」でも見ているのかと思って、質問してみたら違うとの返答だった。今年の杉の花芽の量を見ているとのことだ。去年の夏が猛暑だったので、花粉の元になる花芽は多い筈なのだが、今のところ恐れるほどの育ちではないと解説してくれた。

この谷戸山公園には「伝説の丘」という竹林に隣接した眺めが唯一開けている小高いポイントがある。正面には丹沢山塊の山々が一望できる。あいにくと霞んでいるが、大山、塔の岳、丹沢山、蛭ヶ岳の連なっている様子を視界に納めることができる絶景の箇所だ。今度は梅が綻ぶ時期になったら、握り飯でも作って訪れてみようと思っている。

りせっとcafeのことなど。

2013-01-28 21:16:04 | JAZZ

久しぶりに横浜市街地へ出かける。ドクター桜井氏と佐々木さんという三馬鹿ジャズトリオによる突発的な約束で、夕方市内のどこかで合流して中華でも食べようということになった。それと三者が集まれば云わずと知れたレコード漁りも必須になる。先に着いたものだから、しばらくご無沙汰している関内・常盤町の路地にあるヨットカフェ「チャートハウス」に単独で顔を出してみる。店主の中村さんもちょうど御客の潮がひいたあとのようで手持ち無沙汰の様子で歓迎される。コーヒーとトーストパンを注文したらトーストはサービスにするよと、いつもながらの淡白な在来横浜っ子らしい商売気の希薄な応対である。

ハワイ系の珈琲豆がここのウリで大きなカップに並々注いでくるコーヒーは、アメリカンタイプの薄口である。カウンターで豆を粉にしてから点てたものを出してくれたが、客が立て込んでいる場合のポットへの作り置き品とは格段の味の差があってハワイ系の豆も美味いものだと再認識する。いつも雑談の途中に薦められる関内で売りに出ているハワイアンライブをやっている店を引き継いで、ジャズの店にしたらどうか、という現実味の遠い私へのいつもの提案話が出てこないもので安心する。

ヨットカフェに寄ったせいだろうか。次に寄った関内・ディスクユニオンの駄盤漁りで思わぬ収穫に出会う。米コンコードの1986年頃発売されたLPだ。タイトルは「A SAILBOAT IN THE MOONLIGHT」。ジャケットのプルシアンブルーやコバルトブルー等の淡いグラデーションが美しい。スイングジャズ寄りの場所でよい演奏を生んできたベテラントランペット吹きのルビー・ブラフがテナーのスコット・ハミルトンと共演したものである。曲目には「恋人よ我に帰れ」「ジーパース・クリーパース」等、いかにもシャンシャンと背後から定形のリズムが聞こえてくるような曲が収まっている。稀少盤でもなんでもないありふれたものだが、今まで縁がなくて目につかなかったレコードである。

満月に照らされている闇の洋上をセイリングするヨットのイラストはCG制作なのだろうが、デ・キリコ風のシュール感が斬新だ。コンコードのLPはたいてい実務的に肖像写真を使う程度の凡庸性が特徴だから、これはジャケットの美しさによる買いを決断した。しばらくしてユニオンへ合流した諸氏も、ブロッサム・デアリーや、探していたスタン・ゲッツのファンタジイ盤などをそれぞれ見つけてご満悦の様子である。

ユニオンをあとにして伊勢佐木町と野毛の境目に昔からある「一品香」へ行くことになった。そこでは珍しく「ホイコウロウ(キャベツと肉の味噌炒め)」と餃子を注文する。大昔のこのお店には足繁く通った時代があった。その頃の注文はいつも湯麺(タンメン)ばかりだった。「ホイコウロウ」の味は普通よりちょっぴりよい程度の味という評価が自分流の採点になりそうだ。

「一品香」にて食事後は、この前に友人とお茶したときの店員の応対が誠実だった伊勢佐木町にできた「りせっとカフェ」にまた寄ってみた。新形態のエコロジーカフェらしい。子連れママさんが、幼児にお絵かきなどもさせられるような許容範囲の広がった店だ。セミナー、詩の朗読イベントまで開くらしい。ここのカフェ・ラテはコクもあって美味い。戦利品への品評をくわえながらしばらく雑談を楽しんでいたら9時になっていて散会することに。

帰路についてから買ったLPを聴く。お目当ての曲はRCAでもっと活きがよかった時代のルビー・ブラフが演奏していた「WHERE YOU」という大好きな曲だ。タイトル曲よりもモダンの香りが濃厚で、スコット・ハミルトンの太いテナーの歌いっぷりが実に素晴らしい。ソロは二人がたっぷりと交代して聞かせるのだが、相手のソロ場面に軽く流すバッキングは大人らしい慈愛が漂っている。ヨットの絵に魅せられた買い物はどうやら成功したようで、深夜一人ほくそえむ。

冬の青空

2013-01-25 10:37:06 | JAZZ
町田駅前の散歩コースの定番だったツインタワー内の西側にある「レコファン」の大店舗が撤退するらしい。閉店セールの最中である。前は駅前の歩道橋が架かった西友ストアーが入っている少し陰気なビル内にあってCDを漁りに訪れていた馴染みの店である。

「レコファン」といえば下北沢が発祥の店だ。当時は5番街の路地の小さな雑居ビルの3階にあった。近所には今沢裕さんが開いていた「いーはとーぼ」というジャズ喫茶があって「レコファン」帰りに寄ってよくお茶をしていたものだ。今沢さんはジャズがロックや第三世界の民俗音楽等に活路を見出すことにトレンド的にすごく共鳴していた。保守的バップジャズファンを馬鹿にする時の今沢さんの煙の巻き方と比喩の飛躍は面白かった記憶がある。「いつまでもイソノッテルんじゃないよ!」は当時まだ活躍していたジャズ評論家で自由が丘「5スポット」のオーナーでもあった故イソノ・テルオさんに象徴される普通のスタンダードジャズの愛好者を、今沢氏流に馬鹿にするときの台詞である。

こちらも読売ランドの野外ステージで行ったマイルス・デイビスがテリー・リー・キャンリントン、マーカス・ミラーなど気鋭の新人を従えて電化路線を打ち上げているライブなどにも行っていた頃である。当時は土俗の秘儀めいたマイルスグループのミステリアスな演奏を聴いて理解の努力をしようと思っていた。しかしすぐに努力しなくなってしまった。いくらマイルスがジャズ史に傑出する天才だからといって、腸内が異常に醗酵してしまった通じの悪い屁(おなら)みたいなトランペットの断続音をいつまで聴いていてもしょうがない!というのが私的帰結で今沢氏風ジャズ嗜好とはその後も大きく離反する結果になっている。

「レコファン」の閉店セールの棚を眺めていたら、LPで既に持っている懐かしい名盤のCDも割引対象になっている。45年くらい前の横浜・野毛「ちぐさ」でよくリクエストしたレッド・ガーランドトリオの「ホエン・ゼア・グレイ・スカイ」なども廉価対象になっている。プレステッジ盤で喩えると「陽」のガーランドが「グルービー」だ。こちらは「陰」のガーランドで題材となる曲も南部の古い小唄ばかりである。窓から射しこむ光りの中をガーランドがご自慢のシングルトーンをきらめかせながら爪弾いていく「ソニーボーイ」「聖ジェームス病院」がもの憂げに「ちぐさ」店内を流れている光景をふと思い出した。

棚から引き出してこの盤を眺めていたら、追加のボーナストラックが入っている。LPではなじみがない曲である。戦後のラジオ放送などでよく流れていた「マイ・ブルー・ヘブン」である。口笛でも吹ける曲だから聴いてみたい。やはりビル・エバンストリオの初期の傑作「探求」のCDでは「ザ・ボーイズ・ネクスト・ドアー」というイントロ部分だけは口笛で吹ける好きな曲がボーナストラックとして追加されている。帰ってきて深夜にこの「マイ・ブルー・ヘブン」を聴いてみた。当時なぜオクラ入りしてしまったのか、やはり合点がいった。明るく躍動しすぎている。他にも3曲ほどミデアムテンポに躍動する曲はあるが、これはアルバムタイトルの鈍色の空模様というコンセプトには合わないわけだ。しかし演奏は「グルービー」の中に収まっていても絵になるような素晴らしいものだ。ガーランドの陰に隠れているようなドラマーのチャーリー・パーシップのスネアーブラシのざわめき方もこの憂鬱なアルバム中では異色である。

思わぬ拾い物をした気分になっていたら、読書途中で現代が溢れている秀逸な歌に出会ったから記しておこうと思っている。

冬空はそこぬけの青 エベレスト超えゆく鶴のごとき離反を

どどどっとくずれて来たる黒雲はグランドピアノのなかに溜まるを

寒波きてあわれ展きし言語野に忘れしわれがころがり出で来

              早崎ふき子歌集「カフカの椅子」より

菜の花と邪宗門など

2013-01-21 14:00:50 | その他

温暖な湘南にある海沿いの町、二宮へは年に二回ほど散策に出かける。昨年よりは気が早いが駅前の小山が自然公園になっている吾妻山の名物、菜の花が目当てである。急な階段を登った山頂までの途中で西側に見える相模湾の海は静かな凪模様だ。階段沿いの斜面を埋め尽くす水仙は二月の声をきくと満開になる気配である。いまはまだ三分の咲き具合である。

頂上を目指す途中でこの水仙や植樹された蝋梅の仄かな香りを時々吸い込む風情は早春らしい散策の冥利なのだと思う。連日の厳寒日には平塚や伊勢原の平野からはっきりした雪の富士山が仰げたものだが、あいにくの曇り空で富士山は遠く薄手の雲に隠れて煙っている。一眼レフを持参したカメラマン達は菜の花が群生するショットに富士山を上手く重ねて焦点化させたいようだが、遠近の両立したバランスが上手くいかないことに苦慮している空模様である。しばらく山頂の視界を楽しんでいたら日が翳ってきた。

連れと大磯にある「クラニテ」というカフェに寄る予定だったが、アイフォンの検索によると、営業日が外れているようで、急遽、二宮からそう遠くない小田原の小八幡にある三寶寺内「邪宗門」へ寄ってみることになった。カフェの閉店までは残す所一時間しかない。幸い大病から快復された住職が居合わせてしばらく雑談を兼ねた音楽鑑賞をする。前に聴いたことのある山梨県のインディーズ的オーディオメーカー「フィストレックス」製になる励磁型フルレンジスピーカーがメインの様子である。漆塗装による木目のトーンも燦然とした小型の高級機である。この前に寄った時よりも音量が大きいせいか、音の見通しが理解しやすくなった。現代励磁型スピーカーの透明感溢れる響きと定位の素晴らしさが楽しめた。

別室の壁を飾る棟方志功の傑作「釈迦の十大弟子」などの長尺ものの大型版画やジョルジュ・ルオーの母子像などの静謐な版画作品にも目を奪われているうちに、クルマへ積みこんであるバッハの「無伴奏チェロ組曲1・2・3」をこのスピーカーで聴いてみたくなった。絶対に適所な筈である。1996年に収録したジャズサックス奏者清水靖晃がサクソホネットでソロ演奏した営為の滲み出ている演奏だ。

住職が快諾されてしばらく清水の無伴奏サクソホネットに耳を集中する。組曲が進んできて第二番の収録は宇都宮にある大谷石の採石場をバックにしている演奏だ。ちょっと長めな「サラバンド」や短い「メヌエット」にも石切場に木霊する不思議なエコーの色が踊ってサックスのダイナミックレンジが面目を発揮する美しいテイクである。しばらく耳を傾けていた住職も感動したらしい。このCDを入手したいと仰ってきた。「邪宗門」の装置や周りの調度にマッチしたCDソースとの出会いを啓発できたようで、喜ばしい限りである。どこかで見つける機会があったら入手しておきますと、応えて店をあとにした。

LS50とパラゴン

2013-01-18 07:59:36 | JAZZ

荻窪に住むドクター桜井さんとはジャズ的嗜好の趣味が一致することが多い。日替わりでお互いが得た情報交換を繰り返している。昨年の暮れに桜井さんが購入したイギリスはKEFの小さなスピーカーがようやく、人前に出せる音になったので遊びに来ないかとの誘いを受けていた。横浜に住む佐々木さんも誘って午後の2時に荻窪駅で待ち合わせする。雪がもたらした寒気が居残っていて、都内は自分の住む相模地方よりも厳冬が続いている。美しい東京山の手風冬姿の女性がたくさん往来する荻窪駅のビル内にまで時折冷たい隙間風が通り抜けていく。

改札に現れた佐々木さんの姿態を一瞥する。定年になってからの充実生活を反映しているのだろう。上着には皮の米製オールドジャンパーをはおっている。鞄もかってのビニール手提げポーチ風から手縫い風のどこか南米っぽいエスニック調羊革バッグに、かっての常用サンダル履きはカジュアルな黒のウオーキングシューズに昇格している。「休日お父さん」風な遺風が残っているとすればチャコールグレーのウール混紡ズボンくらいのものである。久し振りに見た佐々木さんの服飾文化の進展を愛でながら、善福寺緑地公園に近い谷戸の面影が残っている桜井邸を訪れる。

噂のとおりKEFのLS-50は黒いピアノ塗装も艶やかな美しい小型スピーカーだ。金色塗装して軽合金を多用した小口径スピーカーは同軸型の16センチ2ウエイである。ハイパーミニの斬新を漂わすこのスピーカーを桜井邸では、JBLのパラゴンの上にセットしている。CDプレーヤーはやはりイギリスのグリーク製の物を使っている。知らない訪問者にこのミニスピーカーを朗々と再生してみれば、その音はパラゴンから生じていると言っても信じて疑わないスケール感といい、レンジ感についても文句のつけようがない現代英国の才智に溢れるものだ。オーディオ大国だった日本は他分野もそうだが、ますます海外製に水を開けられてきているようだ。

桜井さん共々、近頃好んでいるアメリカのカレン・ソーザやダイアナ・パントンのような進境が著しい歌物新録CDや名の知らないドイツ人ボーカリストのものなどを比較ソースに、しばらく楽しむ。カレン・ソーザが「ホテル・ソーザ」で軽い倦怠を漂わせて歌う「マイ・フーリッシュ・ハート」などは格好のテキストである。くぐもった彼女の声がもつイントネーションの翳りの長短、子音の輝度が持つ濃淡といった要素が、スピーカーを含めたシステムの判断材料になる。

しばらくこの新型スピーカーを称賛しているうちに、同行する佐々木さんが、パラゴンも試して欲しいと希望した。大型命の佐々木さんらしい希望である。パラゴンという手ごわいスピーカーはたいていオーディオに倦んでいる人の家庭の巨大家具と化しているケースも多い。桜井さんは趣味が現役中だから、最近パラゴンへ繋がっているスピーカーケーブルを交換したばかりという。ソースも歌物に加えてスコット・ハミルトンがイギリスのバリトンサックス奏者とデュエットするバラードをかけた。びっくりする。倍音のたなびきがまるで違う。東京TUCでPAを通過する前のスコット・ハミルトンの生音を聴いたときと寸分も違わないリアル音だ。あたかもフルレンジスピーカーみたいな抜けのよい雄渾な美音である。

鋳物でできたホーンの特有な鳴きや動きが鈍重なウーファーの伝動性が遅かったり、アールの掛った木製曲面の二次的な雑味音等、様々な癖が反映していてこのパラゴンというスピーカーは難物である。こうした難所を丁寧にクリアーしていて現代収録のCDを堂々と鳴らすと、最新鋭のシャープなLS-50も顔色をなくしてしまう。やっぱり小型だなと思ってしまう。同行した佐々木さんも自分もお世辞抜きで脱帽する。ジャズが全盛だった時代に知恵と感性と物量を注いで仕上がったものだ。雑誌などの受け売り知識でもう古いなどとのたまっている軽薄ジャズ・オーディオ愛好家はごまんといるが、LS-50を聴いてパラゴンの深い底力も知ることができる貴重な一時を過ごすことができた。