弟の葬儀が西鶴間の辺鄙な葬斎場にて行われた。昨夜の時点では自分のクルマで行くべきか、近くのターミナルにて類縁者のクルマに便乗するか迷っていた。早朝に目覚めての決断は晴れているから、歩こうという気分になった。相鉄線の「相模大塚駅」が葬斎場への徒歩距離としては至近というのが、Googleマップで判明する。2キロにも満たないので、歩いていれば弟の思い出が湧いてくる筈と思った。
相模大塚駅の周辺は未だ畑作地帯が残っている。駅前の地名は「桜森」。その北側には「上草柳」などと言う草木イメージを色濃く伝える地番が表示されている.これはクルマ通過時の記憶で親近感を覚えている。駅前の直線路地を1キロほど、左右をキョロキョロと見回しながら歩く。後悔しない歩行である。増えた新興住宅の隙間に緑地が残る風情。貸出家庭菜園、ビワ畑、栗園等がある。燕が飛び交い、初春に植えたと思われるジャガイモの区画では、パープル色の花が開花し始めている。ビワ栽培林もビワの実は薄緑から黄色く熟れ始めている。六月も間近の生きるものが躍動する季節に弟は身罷ってしまったなと思う。
昔、渋谷にあった事務所へ出入りしているフリーのライターに小室君という知人がいた。その知人は不運にも悪性メラノーマに罹って早逝してしまった。国道246号の立体交差点に出くわして、小室君の神道式の葬祭がこの葬斎場で行われたという記憶が蘇る。葬斎場の入り口には旧大山街道🟰矢倉沢往還道の由緒を記した美麗な石碑があった。日本橋から足柄の矢倉沢に至る大山詣の重要ルートだったことを物語る石碑だ。
棺に納められた弟の遺体を二歳未満の姪の子供がじっと見つめている。小さくなった弟の口元は、数年前に他界した母親と酷似していることに気づく。癇性の強い人情家の上の妹にそれを告げたら、やはり同感していた。花を供えながら棺が閉じられる前に、自分の時も、こうした平穏な顔立ちでありたいと願わずにはいられなかった