向かいの棟の専用庭では藤の花が咲き乱れている。我が庭の「もっこうバラ」もたった一年で大きく枝を伸ばしている。枝を伸ばしたこの「もっこうバラ」が鉄の柵を越えて大きな花の群れを作ることを夢想するのも楽しみである。同時期に植えた「雲南オウバイ」が強い筈なのに今年の大雪で枯れてしまった。そのお隣の「ピンク雪ヤナギ」は健気にも越冬できたから、去年専用庭を彩る為に植えこんだ庭木はいまのところ二勝一敗という結果になっている。
連休が近くなってコーヒーを補充しておこうということで久しぶりに藤沢散歩をきめこむ。大和駅までは70ccバイクの出番だ。厚木基地の周回路を横目で眺めながら県道の直線坂道を60キロくらいのスピードを維持できるように70ccを叱咤して走らせる。小型軽量バイクにおける60キロというスピードは小型乗用車における100キロ巡航みたいな体感と同じでこれが素晴らしく快適だから、バイクはやめられない。ホンダの150ccPCXあたりへと排気量も所得も倍増する日はやってくるのだろうか?と暴走老年者はふと考える。北鎌倉在のDさんともついでに名店ビルで待ち合わせることになる。ミスタードーナツの脇にある「ポンポン船」という古書店には新しめな新書が安くて狙い目だよと自称古本のセミプロは教える。Dさんには山口二郎の「戦後政治の崩壊」を薦める。保守良識派と思われるDさんが戦前あたりとそれほど変わらない反動的ナショナリストへと庶民的類同化しない為のデモクラシーの冷却液がこの本にはけっこう詰まっているからだ。
藤沢におけるBC級グルメでは老舗の「古久屋」で「ジャンボラーメン」640円を昼飯とする。横浜の古いテーストをしるDさんのことだから、お薦めしたこのラーメンのスープの味について、店をたたんでしまった横浜中華街、港中学校寄りの華僑がやっていた中華料理屋を思いだしたようだ。その店の味や元町・麦田トンネルの先にある「奇珍」のスープ等に似たものを見出して喜んで食べている。静岡出身のDさんもいつのまにか古い横浜の味に同化したようである。
食後は「古久屋」お隣にあるお馴染みの雑多屋さんにも寄る。ここの500グラム390円というアートコーヒーのアウトレットが本日の目的で無事に入手する。ついでに寄った有隣堂併設古書部では伝説化している歌人山崎方代の「こんなもんじゃ」という文藝春秋社版を買う。山頭火、山崎方代のような俳人や歌人がよく練った断言的人生哀歌は、時として心の点滴をもたらす良薬として書架にしまっておくとよいといつも感じている。
知名度の高くなった晩年の方代の面白いエピソードを聞いたことがある。風体のプータロー(昔の言葉)イメージを壊さないように、鎌倉の自宅を出かけるときは普通服、どこかの駅ロッカーでボロボロ服へと衣装替え等ということもあったらしい。その話を聞いてから方代という活字が目に留まれば買うことにしている。400円也。東逗子の沼間には大昔、住んでいたことがあった。その沼間にあるという「海風舎」という古書店、店名のネーミングもよいが本選びのセンスが伝わってくる在庫だ。
これらを携えて線路の反対側の北にある「灯」へと向かう。「灯」でDさんとしばし雑談、コーヒーもレイアウトも昔風藤沢の時間が流れていて心地がよい。帰宅後は方代さんのカジュアル装丁本にうつつを抜かす。東海林さだおさんが描いた夏格好の方代さんがいい。昔は野毛や日の出町あたりの大衆食堂へ行くと方代さんのような格好をした初老の酒好きがくだをまいている風景にでくわしたものだ。自分が尊敬している「アメリカンスクール」を書いた小島信夫も方代の歌に一目おいていたようである。
「戦争が終わったときに馬よりも劣っておると思い知りたり」という歌を引用している。これを評して「散文的でこれが歌というのなら、とぼくらも気楽にその気になっても、そうは問屋をおろさずペンを投げ出すだろう。」と言っている。もっとも小島信夫は「アメリカンスクール」の中で弁当箱の描写をとおして、方代的感懐にはおとしまえをつけているのだが。
「わたくしの心の内には一本の立ちっぱなしの木の立っておる」こんな歌を寝そべって復唱しているのも方代的なんだろうと想いながら初夏の夕暮れに身をまかせる。